40.勇者、風邪を引く【前編】
お世話になってます!
キリコが俺たちの宿を手伝ってくれるようになった、2日後。
「…………」
俺は目を覚ます。見慣れた天井。
そして俺のことを、心配そうに見下ろしているのは、水色髪のエルフ。
「ルーシー?」
「……良かった。ユートくん。おはようございます」
ルーシーが、ほっ、と安堵の吐息を漏らす。
「どうしたんだ、ルーシー。俺の部屋に……」
俺は起き上がろうとする。だがそのときだ。
「……あ、れ」
ぐらり、と体が傾く。起き上がろうとしても、だめだ。体に全く力が入らない。
「ぶぇえっくしゅっ!」
俺は大きなくしゃみをする。ぞぞっ、と悪寒がした。体が寒い……のに、頭が妙に熱かった。
「ルーシー……これは……?」
「ユートくん。落ち着いて聞いてください」
ルーシーが俺の体を押す。俺をベッドに押し倒し、そして布団をかぶせてくる。
俺は気づいた。ルーシーの顔には、マスクが着用されていることに。
「あなたは今朝、風邪を引いて倒れたのです」
「風邪……? 今朝……?」
今朝も何も、今は朝ではないか……と思って、俺は気づく。
壁に掛けてあった時計が、12時前を示していた。
「昼前じゃないか!」
俺は慌てて起き上がろうとする。
「ユートくん。寝てなさい」
ぐいっ、とルーシーが俺の体を押す。起き上がろうとするが、できない。
「寝てられないよ! 昼食用の食料の調達が……はっくしゅ! ぶぇっくしゅ! げほ……ごほ……」
声を荒げたら、くしゃみと咳が出た。顔が熱くなる。頭がくらくらして、まともに立てない。
「だめですユートくん。あなたは高熱を出してます。お薬を飲んで寝てください」
ルーシーが冷静に返す。
「寝てられねえよ……! 食材の順備だけじゃない、ディアブロとして活動しないといけねえじゃねえか! あっちも休むわけにも」
「ユートくん」
むぎゅっ。
と、ルーシーが俺の両のほっぺたを、ぐにっと手で摘まんできた。
「ふぁ、ふぁふぃふんふぁ……?」
何するんだ、と俺が言う。ルーシーが手を離す。
「ユートくん。落ち着いて。いろいろ気になるのはわかります。ですが今は、あなたは自分の体をいたわるべきです」
「……けど」
「ユートくん」
ルーシーが真剣な表情で、言った。
「あなたはどうして、二周目の世界に、来ることになったのですか?」
……。
…………ルーシーの言葉を聞いて、俺は冷静さを取り戻した。
二周目に来た理由。それは、母さんが死んでしまったからだ。
どうして? 母さんが、働き過ぎてしまったからだ。
体調不良なのに、無理して働いたからだ。結果、母さんは死んだ。俺は悲しみ、願いの指輪に願った。
過去に、この二周目の世界に、来ることを。
ルーシーは言外に言っているのだ。同じ失敗を繰り返すのかと。無理を押し通して、体調を崩し、周りの人を悲しませるのかと……。
「…………ごめん。冷静じゃなかった」
「ユートくん」
ルーシーは俺の頭をなでる。
「謝る必要はありませんよ。あなたが一生懸命なのはわかってますし、自分が抜けると現場が困ると理解しているから、急いてしまっているのだということも、承知してます」
ですが……とルーシーが言う。
「まずは落ち着きましょう。大丈夫。手は打ってますから」
「……ああ」
ルーシーがほほえみながら、俺の額をなでる。
「ではここまでの状況を説明しましょう」
「頼む」
「まず、あなたは朝、ふらふらになりながら起きてきました。顔が真っ赤で、くしゃみと咳がひどかったです」
その症状に、俺は見覚えがあった。えるる、そして母さんの病状に似ていたからだ。
ルーシーは俺の内心を見抜いたかのようにうなずく。
「お察しのとおり、ナナさんの風邪をもらってしまったのでしょう。風邪を引いているというのに、あなたは無理して働こうとしました。朝食のお皿を運ぼうとしたんです」
しかし、とルーシー。
「ナナさんがあなたを抱き留めて、あなたをここまで運びました。あなたはナナさんに抱っこされている間に、意識を失っていました」
「それで今に至る……と?」
ルーシーがうなずく。
「寝てる間に風邪薬を飲ませました。熱は下がってきています。とはいえまだ完全回復には至ってません」
だからとルーシー。
「安静になさってください」
「……けど、ルーシー。ディアブロはどうなってる? 黄昏の竜たちは?」
ディアブロとは、薬で大人となった俺のことだ。俺は30歳の姿で、【ディアブロ】を名乗り、冒険者パーティ【黄昏の竜】の一員として、日々活動しているのである。
「ご心配なさらず。もう一人のユートくんに行ってもらっています」
「ああ、そうか……。そういう手があったな……」
もう一人の俺とは、俺が錬金術で【人体錬成】して作った、もうひとりの俺だ。
魔力を動力として動く。そして精神をコピーしているので、俺と同じように思考し、動いてくれる。まさに第二の自分だ。
普段、俺はディアブロとして外に出ている。その間、もう一人の俺が中で【宿屋の息子ユート】を演じてくれているのだ。
「立場を交換した訳か」
「ええ。あっちのユートくんにディアブロをやってもらってます」
なるほど……と納得する俺。これならディアブロとしての活動に穴を開けることはない。黄昏の竜の彼女たちに迷惑をかけずにすむ。
「食材のストックは?」
「大丈夫。えるるさんに狩りに行ってもらってます」
「えるるに……?」
えるる。一周目の世界において、勇者の仲間だったエルフ少女のことだ。
もともと一周目の人間だった彼女。しかし俺のピンチに、時空を渡って、ほかの仲間たちとともに、俺の元へとやってきたのだ。
ほかの勇者パーティのメンバーたちが一周目世界へ帰る中、二周目世界に居残ることを決意。
今ではウチの宿の従業員として、働いているのである。
「そっか……。あいつなら、俺の代わりが十分につとまるな」
えるるが狩りを行い、食材を獲得してくれている。それを聞いて、俺は安心した。
「ずいぶん信頼しているのですね」
「当たり前だろ。あいつの弓の腕は一級品だ。よく知ってる。なんせあいつは、俺の仲間だからな」
えるるは、ちょっと泣き虫でドジなところがあるけど、弓の腕は誰にも負けないのだ。
くす……っとルーシーが笑う。
「うらやましいです。その信頼関係。ちょっぴり妬いちゃいます」
「あ、いや。ルーシーももちろん、俺の大事な仲間だよ。頼りにしてる。おまえがいないと俺はだめだ」
「ふふ、ユートくん」
ルーシーがお姉さんっぽく笑う。
「フォローしてくださるんですね、ありがとうございます。けど別に本気で嫉妬してるわけじゃないですから、ご安心なさいな」
ルーシーは笑うと、俺の額をよしよしとなでる。
「……もしかしてからかったのか?」
「おや気づかなかったのですか?」
「よしてくれよ、俺は病人だぜ……」
「本当の病人は自分を病人と言いません」
ルーシーは俺の顔を近づける。俺のおでこに、自分のおでこを付き合わせる。
しばらくして、顔を離す。
「うん、熱、下がってきてますね。ですがまだ復調とはいえません。安静になさってください」
ルーシーが俺に布団をかけ直すと、ぽんぽん、とおなかのあたりをたたく。
「今ばかりは、あなたは冒険者ディアブロである必要も、勇者ユートでもある必要もありません。風邪を引いてしまった、一〇歳児の少年ユートくんです。ワタシの言いたいこと、わかりますか?」
「……余計なことを考えず、ゆっくり休めってことか?」
「ええ、そのとおりです。よくわかりましたね。賢いです」
ルーシーがほほえみながら、俺の額に、濡れたタオルを乗せてくる。どうやら足下に水の入った盆があり、そこにタオルを浸してくれたようだ。
「よしてくれよ。中身おっさんなんだぜ、俺」
「おや、今のあなたは10歳のユートくんでしょう。それをあなたは了承しましたよね?」
「……そうだったな」
ルーシーがほほえみながら、ぬれタオルの位置を直してくれる。
「ルーシー。すまん、迷惑かけるな」
すると彼女は「気にしないでください、ユートくん」と笑って首を振るう。
「迷惑なんて思ってないです。それを言うならワタシだって、いつもあなたに迷惑をかけてます」
「いやそんな……迷惑なんて思って……」
ルーシーが微笑をたたえていた。
「……そうだな。迷惑じゃないよな」
「ええ。お互いを助け合う。ワタシたち仲間じゃないですか」
ね、とルーシーが笑う。俺はうなずいた。
「ルーシー。悪かった。訂正するよ」
俺はルーシーの眼をまっすぐに見て言う。
「ありがとう」
ルーシーは笑うと、立ち上がる。
「もうすぐお昼です。ソフィちゃんかナナさんがお昼ご飯を持ってくるでしょう。それまでおとなしく良い子で寝てるんですよ、ユートくん?」
「ああ、了解だ」
彼女は俺に笑いかけて、ドアのそばまでやってくる。彼女がドアを開けると、
「ゆーくん! 起きてるー! ふぃーさんがかんびょうーしにきたぜ!」
「ユートく~ん。おひるごはんよ~」
すごい良いタイミングで、彼女たちが入ってきた。ルーシーは苦笑している。タイミングバッチリだった。
「それでは、ワタシは持ち場に戻ります」といって、ルーシーは去って行ったのだった。
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