5-7 そのボタンの名前は きっと 浪漫
ちょっとふざけた感はあるが後悔はしていない。
……していな、していないぞ!
いや、引き返せないだけかもしれない。
――ジェイク達の橋到達より少し前――
「……本当に大丈夫!? マユミ、あなた今どのあたりを走ってるのかわかってるの!?」
「大丈夫だって言ってるでしょ!」
雨風と高速で走るバイクに乗っているせいで耳元へ叩きつけるような轟音に負けない音量で叫ぶ合う二人。
急旋回して進路を変更して以降、後方から追い上げてくる車両を振り返って確認する。
「確かに、追手からの距離は稼げたけど。先行してるトラックに追い付けないと意味がないのよ!」
「分かってるって!!」
恐らく近くの自販機の横にでもあったのだろう。中身を道路にぶちまけているゴミ箱が横倒しになっている。そこから転がって来ているペットボトルやら空き缶を避けつつ、シールド・キャリアーを走らせる。
転がるそれらをすれすれで避けて更に速度を上げる。
下手をしてタイヤで乗り上げでもすればひっくり返る恐れもある中を飛ばしていくのだ。
ひぅっ、と声にならない息を何度か吐いたのも仕方がないことであろう。
そしてマユミがなかなかのスピード狂であることは間違いない。
「見えたわよ! あそこに入るからっ!」
「はぁ? ちょ、ちょっと!」
マユミが有無を言わさずに車体を傾け、目的の建物へと入っていく。
そして幾分遅れてではあるが、数台の車両がその入口へと集合した。
ただ、その全てが先ほどの一件を実際に見た連中と、それを伝え聞いた連中である。そのため、何も考えずにそこへと入っていくのは躊躇われたのである。
「出入口はここだけなのか?」
「ああ、そうだと思うが。……だが、中であのバイクを乗り捨ててってことなら話は別だな。こういうところはエレベータで外に出入りするための通用口があるもんだ」
「ちぃっ!」
降りしきる雨の中、車から降りて苦々しげにマユミ達が入って行った建物を眺める。
特に変哲もない、大型の立体駐車場だ。
近くの海浜公園と観光用の商業施設に隣接するそれは、地方によくある"ザ・箱物"と言わんばかりのサイズ感を以て鎮座している。
無論、こういう地方の箱物にありがちな特徴の一つである、"デカくて若干の古臭さ"がある。地方の海浜公園にそこまでの集客力は無く、せいぜい年に一、二回大型の食関連のイベントくらいでしか満車になることは無いのだが。
まあ、建築当時の責任者は悠々自適な年金生活か、墓の下でゆっくりされているわけで、いまさらそこに文句を言うには二十年から三十年ほど遅きに失した感は否めない。
ただ、そのレベルの大型立体駐車場がポツンと港湾にあるのは地方のあるあるなのだ。
そういう立体駐車場の構造上、出入り口が一ヵ所だというわけでもない。
近くに駆け寄って駐車場の案内図を確認すると、やはり出口だけというのもあわせ車両通行の出来る箇所がここと合わせて三カ所、人間だけの出入り口が二ヵ所。
「裏手と横からも車を回せ! 車両の出入り口だけでも塞がなければ!」
すぐに動けるように乗車したままの数台が急加速で立体駐車場の裏側の出口に回り込む。
そしてこの場所を確保しているので、あとは人間のみで出入りできる入口だが。
(……最悪、そちらは捨てる。ここからならば本体の資材トラックが橋を渡り始めれば撤収できる。時間的にもあの大型バイクが無ければ到底間に合うものでもないしな)
仮にあのイカレた大型バイクをここで乗り捨て、どうにかして橋に向かうとしても間に合いはしない。
走っていくには遠すぎる。車を奪っても逆戻りの必要がある。別働隊が追いかけていたとしてもそれも追いつくには時間が掛かるだろう。
ここでマユミ達を抑え込めるのであれば、少なくともジェイクや博士たちの中核チームだけは脱出できるはずだ。
もちろん自分たちがマユミをどうこうできるとは思ってはいない。
個々でぶつかり合えば磨り潰されるだけだ。
だからこそ駐車場に入っていくことはしない。
あの中はいうなれば、馬鹿でかいゴキブリホイホイみたいなものだ。
迂闊に入ろうものなら簡単に刈り取られること必至であろう。
(……だが、どうする気だ? こんな場所で時間を費やすのは無意味に過ぎる)
囲んでしまえば後は警戒を緩めず、見張りを続けるだけでいいはず。
向こうもわざわざこのような袋小路に飛び込むなど意味が無いのは分かっていて当然。
侮ることはしないが、それでもこの選択肢はお粗末。
下から見上げる立体駐車場は、雨の中でぼんやりとその威容を見せつけていた。
「……って思ってるから、チャンスなんじゃない」
「正気、なのよね?……そういうところ、あなたもやっぱりフツーじゃないってのはわかってたけど」
弾痕がうっすらと残る盾のほとんどを本体から外し、積載した重量を幾分軽くしたシールド・キャリアーへといそいそとまたがるのはマユミである。
少し離れたところでヘルメット越しに頭を抱えたエレーナが、大きなため息とともにタンデムシートに尻を乗せる。
「大丈夫よ。計算とかはしてないけど、多分あそこまでなら十分に持つはずだから」
「計算してないのにどうしてわかるのよ!」
悲鳴に近いエレーナを後ろに乗せて、六階建ての最上部、屋上駐車場まで駆け上った彼女たちは、まず車体の両側についている盾を外した。
そしてそれを車が外へと落下していかないようにしている段差へとつるりとした側が上になるように立掛けると、その上にある万が一のための落下防止用の柵をマユミが力任せに引きちぎったのだ。
(そういうところがゴリラって言われるのよ!)
エレーナの声にならない非難を知る由もないマユミは鼻歌を口ずさみながらシールド・キャリアーを走らせ、柵を外した側の逆サイドの端ぎりぎりでそちらへと向き直る。
「んふふふ」
「失敗したわ、絶対に失敗した!」
嬉しそうなマユミの腰をしっかりと両の腕でホールドしたエレーナが後悔の念を声に出してしまう。
きゅるる、と鳴るエンジンの鼓動を尻の下から感じつつ、何気ない風にマユミが訊ねた。
「あ、一応泳げるわよね? 聞いてなかったけど」
「この夜の嵐の中で泳げる泳げないってあんまり意味はないわよ。そういう状況にならないようにしなさい!」
「はいはい」
マユミは軽くそう言う。腰に抱き着くエレーナの力が強くなったのを感じながら向き直った先の外された柵の先には、薄くぼんやりと形だけが嵐の中に浮かぶ鏡港大橋。
それが見える。
「さあ、イッケぇぇぇッ!!!」
どごん、と腹の底まで感じるエンジンの鼓動と共に急加速するシールド・キャリアー。
あっという間に屋上の助走距離を走り切り、立て掛けてある盾に前輪を乗せ、さらに加速。
その先にあるのは落下防止柵が取り除かれた真っ黒な空が広がっているだけ。
の、はずだった。
どんっ!
何もない空に、エンジンを吹かせたシールド・キャリアーが轍を刻んだ。
よくよく見ればその轍はマユミ達が走り抜けると同時に消えていく。
降りしきる雨が、その轍を刻む"地面"を露わにしていた。
「ほらっ! 何とかなったでしょう!?」
「集中、集中を切らさないで!」
お分かりだと思うが、今まさに走っているのはマユミの作り出した障壁の上。
薄く障壁をタイヤの設置面に当たる一本の線にしてただただひたすらに伸ばしているわけだ。
このプランは以前に「光速の騎士」と組んで行った訓練が基になっている。玄関先から屋上までの最短ルートの為の足場造りの応用だ。
駆け抜けた後は即座に解除、退くことも出来ない一本道を駆け抜ける。
つまるところそれはタイヤの幅に合わせたただの一本道、いうなれば平均台の上を爆走しているのと全く同じ意味をしている訳で、そこからほんの数センチずれれば地上六階超の高さから真っ逆さまに落っこちる形になる。
しかも、今は横殴りの雨と風が吹き荒れる嵐の真っただ中。
この大型バイクの挙動に関してはマユミがすべてを担当しているわけで。
エレーナとしてはその後ろにしっかりと抱き着く以外の術は無い。
「あははははっ!」
(何で、こういうところで笑えるのよ!?)
若干、いやかなりハイにお成りにあそばされたマユミ・ガルシア嬢の笑い声が聞こえる。
ここまでのネジが外れたような子ではなかったのに、とエレーナは思う。
恐らくではあるが、彼女はハンドルを握ると急に気が大きくなるようなそういうタイプの人間なのだろう。日々の生活の中で抑圧されたナニカがこういうときに発散されることがあるのだ、と言う者もいる。
まあ、かなり自由度が高いとはいえ軟禁と言えば軟禁。溜まりきったストレスがそうさせているのもあろうが、一部に関してはやはり本人の性質による。
とはいえ個人的な感想としては、そんな系統の性質を持った方の運転は少々謹んでいただきたいとは思うのだが。
自分を律しきれないというのはダメだと思う。
特にこんなギリギリの線を攻めるような疾走中には。
「さあて、じゃあ行くわよ!」
「……くぅっ!」
マユミが叫んだのは理由がある。
当然ながら、今まさにやっているような繊細な障壁の展開と「光速の騎士」仕様の馬力マシマシタイプの大型バイクの運転。
先程エレーナが言った"集中"が続かないのだ。
なんでもかんでもが全て万事うまくいくわけがない。特に行き当たりばったりとでもいうようなこういった時には。
マユミの予測では"恐らく"橋まで走りきるまでに連続した障壁の展開をしていた場合に、集中力は足らなくなるのでは"ないだろうか"と。
その為、おおよそ百~百五十メートルほどのクールタイムが欲しいと。
いや、考えてほしい。
空の上で百~百五十メートルの"地面"をどうやって用立てればいいのか。
羽の無い人間と、ずっしり重い機械の塊に、一体どうしろと言うのか。
しかも橋で機材搬出に使われたと思われるトラックに追いついたならば、場合によってはそのままカーチェイスを続けねばならない。
と、エレーナが言ったところでマユミが車体のある一ヵ所を指さしたのだ。
車体のスピードメーターが表示されたパネル類の奥に、普通の状況(シールド・キャリアーを出すのが普通の状況下なのかという問題はさておき)ではまかり間違っても押すことはない、そして押せないようになっているボタンが付いている。
試作型とはいえ、一定の作製理念に沿って設えられたボディと、ケーブルや配線。各種のシステムへと接続する電子関連の配置にもこの後に継いでいくべくして考えられた設計者の"美学"が見て取れる。
だが、そのボタン。
そのボタンだけが一種異様な造りをしている。
本来は恐らく設置する予定はなかったのではないかと考えられるような取ってつけたかのような、急造っぽい見た目の油で薄汚れた真っ赤なボタン。容易には押し込めないようにプラスチックカバーを付けられている。
洗練された近現代的なフレームとは明らかに違う意図を以てつけられたそれは、なにか少し荒々しくそして禍々しい印象を与えた。
何せ、ボタンの表面に太マジックで"爆"と書かれている。
押すな、でも禁、でもなく、"爆"。
そう、それは浪漫。
これに関しては分かってくれる人だけでいい。
みしっ!
マユミがボタンの周りのプラカバーを弾き飛ばす。
風に吹かれてそのカバーは恐ろしいほどの速度で後ろへと飛んでいく。
細く続いていたはずの障壁の道は、少し先でまるでスキーのジャンプ台のように反り返っているのが、雨の中ライトに照らされてわかる。
つまり、あの先には道はない。
(つっぅっ!!)
覚悟を決めた"中身は至って普通の人類"の範疇にあるエレーナが身を強張らせる。
エレーナは強く、その範疇外の連中はどうもそこら辺の自分より劣るものに対する配慮が足らないと思う。
がきんっ!
強く押し込んだボタンが音を発てて反応する。
そしてどん、という衝撃と共に車体がかなりの速度を誇っているというのに、さらなる加速を見せる。
「行っけぇぇぇぇッ!!!! アッハハハハハッ!!」
マユミのどこか狂ったような笑い声と共に、ジャンプ台の形になった障壁を乗り越え、シールド・キャリアーがその勢いのまま空を滑空する。
ぶっ飛んでいく、その先。
その着地予想地点には、ちょうど大型のトラックが橋をゆっくりと登っていくのが見えた。
昨今の情勢で、家にある撮りためた映画を見てすごすわけですよ。
そうすると結構な頻度で「ニ○ロボタン」押し込んでカッ飛ぶもんで。
いやそのうち一本は車じゃなくて蒸気機関車だったけど。
そんなわけで書いてみました。