5-3 若才 のち パラダイム・シフト
「……ぅぅん」
机の上の地図と、その周辺の殴り書きされたコピー用紙を前に「みならい軍師」-正体はお察しのとおり「勇者」メンバーの一人、梶原由美だ-が唸り声を上げる。
左手にほぼ空になったグリーンスムージーの容器を掴み、右手は忙しなくコピー用紙と地図へと赤いボールペンでがりがりかりかりと勢いよく書き込んでいく。
時折、ペンで書き込みをしつつその手で机の端に置かれたフライドポテトの大皿から幾つかつまんでいくのが少しばかり行儀が悪い。
「こちら追加情報です」
「あ、ありがとうございますー」
すぃ、と机の上を滑ってくるプリントアウトされたコピー用紙を一瞥すると、由美はまたそれにがりがりと書き込み、テープで地図上に貼っていく。
書き込む、というよりも殴り書きに近いもので、本人以外が判別するには若干の時間が必要となる。
さらに言えば、明らかに"見慣れた言語体系ではない"文面が存在していた。
書き込みを追っていく中で唐突にそれが混じり、暫くしてまた判別できる文章が出て来る。
そんな作業を続けながら、門倉と相談し、作戦を進めて行く。
時折軽口を混ぜたりしながら。
「んー? ……ぅぅん」
「何か問題が?」
書き込みをしている由美の邪魔をしないように、サブスペースでPCに入ってくる情報を確認していた門倉が、再度の唸り声を上げた彼女に訊ねる。
完全アナログな作業に没頭する彼女とは違い、各部署から流れてくる情報をリアルタイムに受け取り把握する門倉は、PCの端末一台に身一つを落ち着ける場所があれば最悪事足りる。
「……ちょっと何人か、サポート用に準備してあった人員、こっちの追跡側に回したいんですよね」
「あれは完全にバックアップに準備した非常用ですが? 今はそんなタイミングではないのでは? 万が一を考えてまだ切るべきではないと」
「まあ、そう考えるのがスジなんですけどー。……ぅぅん。んー……」
「……懸念材料が?」
そう訊ねる門倉にかくん、と縦でも横でもなく斜めに首を傾げた由美が自信無さ気に返事をした。
「どうも、ここまで上手くいきすぎてるっていうのが、ですね。どーも、しっくりこない」
「過程上、未達となったものも無いわけでは無いですが。そのうえで、上手くいっている部類だと?」
「えー。というか「騎士」を組み込んで、って形だと初任務でしょ、コレ? 他のは対処するための仕方ない出陣って感じでしたし。こっちから積極的に攻め込んで、ってのは初めてですから。それで一応目的の幾つかは達成できている状況。さらにスーツの敵が向こうで一体出てきて「騎士」とタイマンでかち合ってる。こっち二の向こう一でなく一対一で。これは上手く向こうの戦力がばらけてくれるかは賭けだったわけですし」
そう言う由美。
さて、両者の間で少しばかり意識に差が生じているのはお分かり頂けると思う。
門倉の考える成功の最低値と由美の考えている最低値が違うのだ。
門倉はどちらかといえば、"成功することが前提での減点式"で、由美は"成功すればもうけものというスタンスの加点方式"である。
門倉の"思う"「光速の騎士」は機転の利く突破力を持った大駒。いうなれば角・飛車の感覚である。
一方の由美が"知っている"「杉山茂」は頼りになる人物ではあるが、どこか抜けた印象をぬぐえない。現代日本では歩では評価は低いとは思えども、せいぜい場をかき乱すことの出来る香車・桂馬あたりか。金・銀までの万能性を持つほどではなかろう。正しく個人を理解したうえでの評価として、由美はそう判断している。
と、いう「光速の騎士」という戦力の評価の差から出てきたものだ。
この意識差は非常に危うい。
できる・できないの判断基準が違うのはいざという時の鉄火場にこそ、もっともひどい形で現れるのだから。
「……やはりこの認識の差異が出てくるとなると急ごしらえ感は出てきますね。……であるなら、リスクを極力排除する形が良いと思います。「軍師」さんの意見をとりましょう」
「申し訳ないです」
「いえいえ。彼との付き合いはあなたの方が長いのですから」
大人の余裕か、万が一のリスク管理が必要と感じたのか、あるいはその両方か。
門倉は、自分の意見を引っ込める。
命令系統の指針を二つに割るよりも、纏めた方が速度も密度も高くなる。船頭多くして、という故事もある。
擦り合わせて可能な限り思考の差をなくしていく。これはどんな環境下でも有用である。
まあ、その前提が違っていたり主導役がボンクラの場合はこのかぎりではない。
今回の場合、両方共少なくともボンクラではないはずだ。
「じゃあ、こっちで強襲班に指示は出しますよー」
そう言いながら「みならい軍師」が固有回線で強襲班へと連絡を入れる。
「お願いします。ではバックアップ用の人員を動かし、エレーナたちをサポート。撤収の準備も同時進行。港湾の警備態勢がおっとり刀でこちらに現着するまでは?」
「およそ二十五分。……バックアップの欺瞞工作が完全になくなると仮定しての場合ですが。その場合強襲部隊が余裕を持って脱出するのは大分短くなります。」
「……完全に状況を把握されるまではもう少しかかるか。二十分と想定して動くぞ。向こうには撤収準備を通知しろ。深追い厳禁、後始末は警察に任せることにする。最低限の資料接収を完了したらタスククリアとしよう」
「了解、……なんだっ!?」
連絡していた通信手が耳に当てた通信機を耳から剥ぎ取るようにして外す。
そのまま耳を押さえ、痛みをこらえている表情を見せた。
「どうした!?」
「通信が急に! ……っ! 通信途絶しています! 何の反応もありません!」
「なんだと?」
かちかちと他のチャンネル帯に合わせても聞こえてくるのは一瞬のざざっという雑音だけ。
『本部! 周辺の照明が一斉に落ちています! 街灯だけでなく、信号機もです!』
「車両を止めろ!!」
門倉が叫ぶと同時に急ブレーキが踏まれる。
固定されて物が飛び跳ねながら転がる中で門倉、そして「みならい軍師」が外との扉に手を掛ける。
そのまま扉を開け、叩きつける雨の中に飛び出していく。
頭からつま先までざばざばと降り注ぐ雨の中で、真っ暗になった港湾部の周囲と、照明の灯る町を見やる。
雨でけぶる中で、辛うじて判別できるのは門倉たちが進んできた方向、強襲部隊が未だ残る工場を含んだ一帯が電源を消失しているようだ。
恐らくそれの影響だろう。徐々に停電の区画は広がっているようにも見える。
このタイミングで、偶然停電が起きたと考えるには都合がよすぎるだろう。
つまり、工場で何かが起きたために停電・通信機器の不調が引き起こされたのだろうということだ。
もちろん門倉たち「光速の騎士」チームの意図したものではない。
必然、敵側の作為でこうなったということになる。
(どうする。ここで撤収するべきか? だが、強襲部隊の援護はどうする? そちらへ人員を割くには、どう考えても数が足らん!)
ずぶぬれになった顔を手のひらで拭い、顔を顰める。
強襲部隊のいる工場からはすでにかなりの距離があるのだ。
戻るにしてもそれなりに時間を必要とするだろう。今からの救援で間に合うのかどうか。
いや、それ以前に向こうの状況がわからない。どの程度の緊急性なのかを判断できない。
戦力的に優位性を保てると思った「光速の騎士」がスーツの敵に敗北したのだろうか。チームの全員が敗北するまでのダメージを受けた、という可能性も?
場合によっては戻ったところ何も問題ないというパターンから、戻って全滅するような最悪のパターンまでありうる。
考えられるパターンがありすぎて、即断できる情報が足らない。
(……どうする? ここでの停滞は最も悪手なのだが)
くいっ
そんな苦悶の表情で葛藤する門倉の袖が引かれる。
「……何か?」
袖を引いたのは由美である。
こちらも同じく雨で濡れて、雨が服に染み込んでいる。
「ここは進むべきです。一刻も早く先行する二人に追いついて合流する。すべてはそれからです!」
「それは……」
言いつのろうとする門倉の前に手を翳し遮ると、由美が続ける。
「何かあっただろう工場まで戻って、「光速の騎士」がどうにもできない状況に"私たち"に何ができるんです? 私たちは「騎士」を信じたんではなく、あの場を託したんです。全部ひっくるめてあの人はどうにかすると言ってます。それにあちらにはまだ彼以外にも戦力がある。優先順位と、彼に"託した"意味を間違えないで下さい! いまこの状況で一番層が薄いのはあちらでも、ここでもない。先行して孤立しつつある二人です。……早く!」
掴まれた袖が先ほどより強く引かれる。
込められた力が強い意志を門倉に伝えてくる。
「……全隊、先行するシールド・キャリアーを追う! バックアップチームも合流しろ! 強襲班はあちらの判断で動いてもらう!」
通信機へと強く叫び、飛び出してきた車内へと駆け戻る。
そして扉を閉じると同時に本部車両がスタート。
濡れた彼ら二人に乾いたタオルが手渡され、門倉は元の席に戻り濡れた体と衣服を拭く。
同じく、由美がことん、と仮面をテーブルに置きぐしぐしと頭から顔を拭っていく。
タオルで顔自体が隠れているので他からは判らないが、門倉の位置からは一瞬、由美の素顔が見える。
あどけない、十代の少女の顔。
ミドルティーンではあるが、その体格からローティーンにも見える。
現に今、急ブレーキの影響で慣性の法則に従ったフライドポテトが吹き飛んで散らばった床を悲しげに見つめている。
そんな若い、いや若すぎると言っても過言ではない彼女が出した指示。
車内に戻って今、冷静に考えれば、それが正しいと判断できる。
(確かに、我々が戻って救援できると考えるのは危険だ。個としての戦力差があまりにも乖離している以上、サポート程度が精々。……仮に「騎士」が負けていたとしても、向こうにもまだサポート戦力は残っている。……まずこの日本にノーダメージで「騎士」を退けることができる者がいるとも思えん。強襲を想定して罠を仕掛けていたとして、そこまでの大きなダメージを与えることのできる罠を事前に準備してあった? ……罠を仕掛けるにしても対人用の、そう"普通の"対人用の罠のはず。それにあちらのチームには安全を第一にと厳命してある。最悪、壊滅までの惨憺たる結果に陥る前には離脱・撤収はするはずだ)
わし、と髪を拭うタオルを掴みながら門倉は思考を止めない。
(先行したエレーナとマユミは確かに優秀だが、「騎士」には劣る。優秀であっても人でしかないエレーナはもちろん、模造異能者のマユミですら万能性・汎用性という点では「騎士」に劣る。この停電と通信途絶が敵の恣意的行為であるなら、敵の懐に飛び込んでいく二人にサポートを追加するべきだろう。この判断力。確かに、「軍師」、いや「みならい軍師」だったか。異世界の「勇者」一行の一員であるというのは伊達ではないが……。あの若さでここまで俯瞰した視点で見えるものか? いや、これだけの短時間で不慣れなはずの現代戦に馴染むものか?)
仮面をかぶり直し、床に散らばった紙を回収している由美を見る。
彼女を含め、「勇者」一行の力は"ほとんど"失われた、と聞いている。
だが、失った力以外に残された遺産。
それは、"こちら"へと持ち込んでよいものだったのだろうか。
ほとんどの力と向こうでの記憶が無い門倉、力を持っていたとしても一般兵でしかなかった杉山茂。
この両者と違う、彼ら。スキルとして有ったものは別として、そのスーパーチートと言えるレアクラスの知識と特性。
由美であれば「状況把握」に「決断までの速度」、博人はいま多くの科学者が悩んでいる銀嶺学院の電磁シールドを発生した結界術を解析する「魔術的知識」。
この何も持たぬ人間同士の争いで満ちていた世界で培われた知識と、「勇者」という超戦力が必要とされる世界での知識の差。
混ざることはないはずの両者が、何かボタンを掛け違え出会ってしまった。
後戻りはできない。
純白のミルクの満ちたコップに、ほんの一滴の漆黒のブラックコーヒー。
我々の本来の正しい世界の発展に、歪みを生じさせたのではないか。
そして、何よりも恐ろしい仮定が、ある。
(……「光速の騎士」杉山茂を以てして対抗できる、こちら側の戦力。隠れていた、潜んでいたとしても、こうまで"かみ合う"ものなのか? 一般的な軍事的アプローチとは違う、対個人の特異な戦力たち。……表に出て来るにしても余りにタイミングが良すぎないか? ……本当に、この世界は"正しく育って"来たのか?)
混ざり合うことが不可避であったとはいえ、これはもしかすると「光速の騎士」というファクターよりもさらに世界に影響を与えているのではないか。
自分という異世界からの帰還者。「光速の騎士」・「勇者」一行。
これらが異世界より帰ってきた、その事実。
そう、"帰ってきた"のを確認できたのはそれだけだ。
実は目に見えてわかる「光速の騎士」などは些細なことでしかなく、もっと別の何かが、あったのでは?
つまり、何が言いたいか。
先程の"帰ってきた"者たち。
それとは、逆の者たちの事だ。
(我々が体制を整える間に、いやそれよりももっと早く、古く。……誰か、誰かがこの世界を歪めた?)
そう、行って帰ってきた者たち。
それが可能なら、向こうからこちらへと"やってきた"者がいるとして、何の不思議があるだろうか、と。
件の「骸骨武者」は一朝一夕で仕上がるものではない。
マユミ・ガルシアはそのようになるようにして生まれてきている。
この今の相手のスーツにしても、どれだけの開発期間・資金がかかっているのだろうか。
少なくとも「光速の騎士」が現れてからの数ヶ月では足らない。門倉が戻ってきてからの数十年?
それでも足らないだろう。
もっと、もっと古く。人の一生が何度も繰り返されるほどの長い時間の遠い過去から。
思い当たることがあるからこそ、思い至る。
ぐし、と顔をぬぐう手が人知れず震える。
「ポラン・ワイ……。奴がいる、いや……いたのか、この世界に?」
追憶の向こう。
その遠い先に、かの魔術師を門倉は幻視した。
えーと、こういうのを書いてると若干、気分が落ち込むので、ちょっと前にゆるーい感じのどーでもいい短編を書いて投稿してます。
どっかで見たようなふつーの一般人の朝の一コマです。
うん、くすくす笑ってくれるとうれしいです。
以上、宣伝でした。