5-1 雨中 のち 3R実施中
遅くなり、そしてあまり内容は進まず。
いや、ちょっと本当にごめんなさいね。
降りしきる雨は、いまだ止むことは無い。
分厚い雲が月を覆い隠し、遠くの海上で轟く稲光は徐々に近づいてきていた。それに加え、急激な雨による気圧の変化からなのか風は唸りを上げている。
先ほど、この辺り一帯に強風について発令されていた注意報が警報へと引き上げられていた。
そんな中、吹きっさらしの廃ビルの草の生えたコンクリートの屋上に腹ばいになり、伏せ撃ちで構えた狙撃銃の照準器を覗き込んでいる影が一つ。
覗き込んでいる先の目標周辺は、ここから約八百メートルといったところか。
強行突入していったチームの援護のため周囲を確認し、警戒を継続しているのだ。
「……ちょっと寒くなってきたわ。こういうときはさっさと仕事を切り上げて、熱いシャワーとスピリッツティーが欲しいわね」
『全部終わって戻ったときの祝杯代わりに作ってもいいが、気が早いだろう。それに工場の進捗は半ば。質は期待するな。先日のブランデーはもう飲んでしまったからな』
「ロシアンティーでもいいですが? 知ってますよ? こそこそコニャックを運び込んでたのは」
『それを知ってるなら、なおさらいい茶葉を準備したいところだ。茶の香りが負けては意味がないだろう?』
「まあ、それは確かに。残念ですね」
腹ばいになった地面にも容赦なく叩きつけてくる雨で、屋上のところどころに水溜りが出来始めている。そんな中で雨避けのレインコートを羽織るだけの状態で動かずにいるというならば体も冷えるというものだ。金髪を纏め上げてキャップに押し込み、突入班用の服、靴まで全て黒一色でコーディネートされた姿は、遠くから見れば闇に沈んで見えるだろう。
エレーナが何気ない軽口を叩いて、相手をする指揮官である門倉もそれに答えるというのは、集中を切らす可能性があるかもしれないが、それ以上に精神的なフォローが必要だと向こう側が判断したからだ。
じっ、と同じ体勢のまま寡黙に耐えることができるというのは、狙撃手としての最低限の条件の一つではある。
ただ、そういった条件下に置かれた場合、最大限にポテンシャルを発揮できるかどうかは、個々のメンタリティに左右される。
寧ろリラックスした精神状況や、多少の雑音を感じた方がいいという人種もある程度は存在している。
彼女はどちらかといえばそんなタイプだ。
(この悪天候下でそんな精神状態を保てる方がどうかしているんだがな)
真横で観測手として周囲状況を確認している男が、耳のイヤモニから流れるそんな会話を聞いて呆れ半分尊敬半分のため息を吐く。
門倉エレーナは狙撃手としてはムラっ気がある方だ。それは本人だけしかわからないレベルの違いなのだろうが、“今日は調子が悪い”と言う日はそこそこの腕前の狙撃手。
だが、“いい感じ”と本人が言う日に関してはまさに針の穴を通すような狙撃を鼻歌混じりにやって見せる。
その二つの日の違いを本人に訊ねてみると“なんか、こう、その、……違うのよ”と両手の指を海流にそよぐイソギンチャクのようにうねうねと蠢かせてきた。どうにも言葉では説明しきれない、非常に小さな、それでいて重要な何かが本人としては感じられるのだろう。
体調が悪いわけでも、どこか体を痛めているわけでもないらしいのだが“今日は無理”と感じた日は、どうにもならないほど集中が削がれて的に当たる気がしないのだそうだ。
その為、専門の狙撃手としていつも運用できる訳ではないというところが、難しい所だったりする。
そして、今日はと言えば。
「動いたッ!」
鋭くそう言い放ったエレーナは、起き上がり屋上を駆ける。
周辺状況を確認しているはずの他の監視員や、同じ方向を観測している観測手よりも早く異変に気付いたのである。
つまるところ、今日の彼女はキレッキレ(注:本人談)なのだそうだ。
八百メートル先の固定された的を、無風の晴天の昼間に、観測手あり、最新鋭の銃を使用する、という状況であれば、狙撃屋を名乗れるものならば外すことはないだろう。まあ、そこまでの好条件であれば少し長けたものが練習で当てることもできる。デジタル的なサポート技術は優れた狙撃手を量産する一助ともなっている。
まあ、この横殴りの雨風の中、当然月も星も無い真夜中に、八百メートル先の走る人の腿をピンポイントで撃ち抜けるだけのコンディション。観測手ありとはいえ、そのサポートなしで自らの感覚で数発は撃ち抜いている。
技術や修練以外の“あと一つ”を持っているということであろう。
そんな彼女に遅れること数秒で、観測手が工場の東の湾内に向かう道につながる搬出用の扉と、南の市内に繋がる幹線道路行の裏門が開いていくのを確認した。
そして向かい、そこへと勢いよく大型のトラックが別々に発進していく。
「東側、南側。二方向からの離脱車両を確認。ほぼ同サイズのトラックだ。恐らくどちらかはデコイと思われる」
エレーナはスコープで双方の車両を確認し、それを本部へと通知。暗闇の中ではあるが、うっすらと灯る街灯の光で雨のカーテンの向こうの状況を確認する。
『了解。アタリはつけられるか?』
「……少し、待ってください」
門倉の問いに膝立ちで銃を構えたまま、覗き込んだスコープの先の車両を確認する。
両方とも大型のトラックに、数台の随伴車両。車種は様々で、そのままばらけて通行量の多い一般道へと紛れ込んでしまえば追跡は困難になるだろう。
若干東側の方が随伴台数は多い印象だった。
「……多分、南側。市内へと通じる側の方が本命だと」
「おい、推測で動くのは不味くないか? 車両の数自体はトントンで東側の方が多そうだ」
少し考えた後で、自分の考えを述べたエレーナを観測手が止める。
無駄足を避けるためにも、何らかの形での検証がいるのではないかとの判断からだった。
『……理由を端的に』
先程までの軽口を叩いていた相手ではなく、若い女、いや少女の声がイヤモニに届く。
本来の指揮役である門倉がアドバイザーとして呼んできた人物で、チームへと紹介する際にはサンプルで作った「光速の騎士」の面をつけていた。
兜の型を取る際のデスマスク様式で作り出した前面部だけのそれは、横に穴をあけて紐を通せばあら不思議。縁日で売られている、セルロイド製のあれらと同じようにも見えないでもない。
しかも、そんな面をつけた普段着姿の少女が、スマホをいじりながら現れれば、一体門倉はどうしてしまったのだろうと不信感を増すのは仕方のないことだろう。ちなみに隣にはピエロマスクの「光速の騎士」が鎮座していたしマユミは素顔のままでその場に同席している。
つまり彼らとは別の第三者というわけである。船頭多くして、ということわざもある。急遽参加する部外者がどう作用するかの不安が、メンバー全員に流れたのは仕方ないことだろう。
ただ、それもしばらくの事で簡単にこの状況を説明し、突入までの動きの仮組みをして見せれば皆が黙る結果となった。
プロの眼から見れば幾分甘い、隙のある仮組みではあった。然しながら、少しの手入れで十分に運用できるところまで持って来ることができる。
いや、言い方が正しくなかった。
本職が問題ないという判断ができるレベルの作戦計画を、見た目ミドルティーンの少女が仕上て来るという異常を見せられていた。
恐らく、いや間違いなく「光速の騎士」の関係者と思われるその少女、彼女は「騎士」からは「みならい軍師」と呼ばれていた。
「若干ではあるが、荷台の重量が重い。サスペンションの沈み方からすれば南側はかなり積み込んだ模様」
『成程……。そっちに賭けてみましょうか。フィフティ:フィフティで賽子振るよりは天秤が傾いてるしね』
ほんの少しの逡巡の後、「みならい軍師」が判断を下す。その場に同席しているはずの門倉が何も言わないことから考えるに、彼女の判断に一定の理解を示しているということになる。
(……そこまでの才覚なのか? それとも「光速の騎士」からの強力な後押しが?)
観測手は、門倉が一切の口出しをせず「みならい軍師」の判断が選択されたということに驚きを覚える。
白石総合物産の警備部を統括し、今回の強襲計画の責任者として置かれた彼が、沈黙のまま承認したということはそういう事だ。少なくとも「みならい軍師」の下す判断に抗弁する様子も見受けられない。
可能な限り、自由に「みならい軍師」を動かすという判断のようだ。
これが訓練ならばわからないでもないが、今は本番の真っただ中である。そこにずぶの素人を放り込むという乱暴さはどうしたことだろうか。
この短時間でも「みならい軍師」が優れているのは分かる。だが、優秀さがイコール使える人材であるというわけではない。むしろ天才肌の戦術家よりも、凡人の叩き上げの方がハイスコアを挙げることがままあるのが現実だ。
遠まわしで言ってみたが要するに、「現場を知らない頭でっかちが一番手に負えない」という話である。その場の空気や、臭い、気配で刻々と変わる状況を瞬時に察する能力は、残念ながら空調の利いた会議室では得られぬ経験である。
……まあ、普通は年若い少女がそんな経験値を持ち合わせていないのが通常であるとは思うのだが。
「……その加重自体がこちらを引っ掛けるための細工という可能性は?」
『無いとも有るとも言えない。事前にそういった事態を想定していてもおかしくないし、全くの無策ってこともあり得るんですけど……。場合によっては半分ずつお宝を突っ込んで両方ともアタリってことも考えられるとは思います。でも、あんだけ大掛かりにお金かかってそうな装備ですよ? ……整備するにしても、予備パーツがあるにしても、そこそこの大きさの機械は必要でしょ? そこら辺を一切放り出して逃げるってのは、ちょっと考えられないかな? そう考えると、重い方を追っかけたいなぁ、って。ま、大きな葛篭、小さな葛篭ってのもあるかもですけどねー』
『推測しかできないのだ。議論するより、当たりである事を祈ろう。工場の強襲班と、監視・追跡担当の本部班に分けた以上、こうなることも予測している。……最初から「光速の騎士」頼みの策なのだからな。あまり多くを求めては、取りこぼす』
本部から「みならい軍師」と門倉がゴーサインを出した。
結論としては空振り覚悟のオールインということだ。
先にベットした「光速の騎士」の賭け分はどうなるかわかりはしないが、こちらよりは幾分手堅いだろうという判断のもと、行動に移されることになる。
「じゃあ、行くわよ。そっち押さえてね」
エレーナはかまえていた狙撃銃を背に負うと、床に転がる艶消し処理のされた頑丈そうなカラビナを手に取る。そこからは頑丈そうなロープと、エレーナの手に取ったのと同じカラビナが繋がれていた。
かちゃかちゃと自身のベルトへとカラビナをエレーナが繋ぎとめていく一方で、観測手がその逆サイドのカラビナを自分に結わえ、ロープを掴んで、足を基礎のしっかりした屋上の縁へとかける。
「オーケーだ」
「……出番よ。下で会いましょう」
観測手の準備ができたと返事を受けて、ぐっとサムズアップをしながら、エレーナがどこかに通信を入れていた。
そのまま屋上の錆びて朽ちかけた手すりを乗り越え、体を宙へと投げだす。
しゅるしゅるとエレーナと繋がるロープが流れ出ていき、それを掴む観測手の手に力が籠る。
ぐん、と重い手ごたえを感じると同時にビルの壁面でたんっ、と軽い音が雨の中で響く。
懸垂降下していくエレーナが壁を蹴った音である。
一気に階段を駆け下りるよりも、高所からであるのならばこちらの方が早い。
エレーナはたん、たん、と音をさせて、危なげなく地上まで降下すると懸垂ロープとカラビナをその場に置き捨てる。後で上の観測手が回収にくる手筈となっている。
カッ!!
ひゅぅぅぅん……
がちゃがちゃとうるさく不要な装備を外しているエレーナを、明るい照明が照らしだす。
急に照らし出されて目を細める彼女の傍に、奇怪な音を発てて“それ”が横付けされる。
「卸し立ての具合はどう?」
「悪くはないけど、卸し立てってわけでもないでしょ。コレ、元々はアイツのだし」
ぱんぱんと硬質なフレームを叩く音がしてエレーナは照明の向こうから掛けられる、気安い調子の声に薄く笑みを浮かべる。
この一発勝負の場面での彼女の神経の図太さは、大変に好ましい。
「ふふ、それでも未使用、特注、ワンオフの高級品なのよ。なにせ、私たちもお金が無くってね。ごめんなさい」
「貴女の中のお金持ちの基準がわかんなくなるわ。それに本当のところはユーザーからクレーム受けた返品ってとこでしょ? ……ほら、さっさと乗って」
はぁ、とため息を吐いた彼女の後ろへと回る。タンデムシートには少しばかり水がたまってはいたが、まあそれは仕方ない。
どか、と座ると前に座る彼女、マユミ・ガルシアが“それ”を発進させる。
エレーナは尻の下から伝わる振動に、ほんの少し居住まいを正す。
「じゃ、行くわよ!」
「ええ、よろしく」
エレーナがキャップを脱ぎ捨て、手渡されたヘルメットを被ると先ほどまでの奇怪な音が大きくなり、“それ”が急加速していく。
ここで言えるのは二つ。
一つは、無駄なく資源は活用しましょうということ。
そしてもう一つは、実際のところふんぞり返るアイコンとして目に付く雄獅子ではなく、母性持つ雌獅子の方が実はハンターとして優秀だということだ。
「さあ、狩り立てに向かいましょう?」
エレーナの独り言と、脱ぎ捨てられたキャップが急加速して発進して行く“それ”に巻き上げられ消えていった。
最初「た○○ぎ」だった。
でも、「みならい」にした。
途中で「た○○ぎ」だと怒られるのではないか、と気付いてどう直そうか迷ったけど、これなら怒られないから。
ああ、でも「た○○ぎ」。なんか、その語感、好きだ。
ホントに考えた人は天才だと思う。




