4-0 夢間 の 道化
おお、なんか長めになった。
微睡む。
蜂蜜のような、という表現もあるのだろうがそういった甘ったるいものとは少し違う。課体全体をねっとりとしたものが包んでいるように感じた。
むっと肺に溢れるように咽返る空気。湿地帯にも似た水を含んだ泥の中というのがより近いか。滑ったその質感はコールタールのようでもあった。
頭のどこかで"これは夢だろう?"と半ば認識しつつもリアルな現実的視覚を含んだ、微睡の中のそんな一場面。
石畳の地面からしみ出してくるタールが、自身の足元から腿の辺りまで纏わりつくように上がってくる。両の足をその地面から引き剥がし、歩を前に進める。
すると、引き抜いた足が踏みしめた石畳からさらに倍するほどのタールが勢いよく噴出してくる。
進めば進むたび、その量は多くなる。
纏わりつくタールが腐臭を放ちながら上半身に達しようかというタイミングで、唐突な危機感を覚える。夢というのはいきなり突飛な出来事が起こるものだ。
それであるから、急に体にまとわりつくタールが自分を"逃がさないように"捕えて離さないのだと強く思ったのである。
逃げねばならない。どんなことをしても。
一刻も早く、この場から逃げ出さなくてはならない。
ぶつぶち、とまるでゴムチューブのような伸縮性をも備えたそのタールを引きちぎり、その場から離脱する。
必死に逃げ出し、逃げ出し、逃げ出すと目の前がぱぁっ、と明るく輝く。
そう、自分は逃げ出すことができた。
ここまで来れば。
光に体を投げ出す。
タールで一面を黒く染めた石畳からその光の中に踏み出す。満面の笑みと満足感が彼を包んだ。
そして光の中、顔を上げると純白の鎧に身を包んだ「光速の騎士」がいる。
「は?」
夢の中であるのに、確かに彼はそう言葉を発したのを理解する。
目の前の「騎士」がどっしりと腰を落とし、槍を構える。
逃げねばならない。
理由もなく漠然と感じていた感情が、ここに繋がっていたのだと直感的に理解した。
だというのに、先ほどまで光の中にいた自分の足元が、ずぶずぶと沈んでいく。
必死に足を引く抜こうともがけども、さらに底なし沼のごとく沈んでいく。
ゆっくりとした動きで「騎士」が体をひねる。
「―――――――――ッ! ――――――――!!」
何かはわからないが、叫んだ。
今度は何故なのか声は出なかった。
ゴッ!!!
唸りを挙げて、槍が突き出される。
タールはすでに両腕にまで侵食している。身をよじることすらできない。
そして結果として過たず、「騎士」の槍の穂先がジェイクの心臓目掛け一直線に………。
がしゃぁぁんっ……!!
ぴぴぴぴぴぴ!!!
モルタルの床に何かが倒れる音と、そして機械的な警告音が室内に鳴り響いた。
さらに衣擦れの音と、ベッドのスプリングが軋む音。
それらの音をいっしょくたに纏めたものを一度にぶつけられたジェイクの目覚めは最悪のものであった。
「っっ!? ……ハァッ、ハァッ! ハッ、ハッ……!!」
抗うためのすべてを出し尽くしたというのに、それを夢の中とはいえ「光速の騎士」の幻影は一切それを痛痒と感じてはいなかった。
無力感と共に恐怖にも似た圧迫感を覚えた起床。
呼吸を繰り返しても浅く、肺になかなか酸素が行き渡らない。ベッドサイドの床頭台に二リッターサイズのペットボトルの水と、それを注ぐためのガラス製のコップが置いてある。
それに向かい腕を伸ばすが、いつの間にか繋がれた点滴チューブや医療用のモニタ関係のケーブルが引っかかって届かない。
「く、くそ……」
寝起きで力の入らない体に舌打ちし、腕に付けられている点滴を抜去。モニタ類のケーブルも外してしまう。
すると、先ほどまでうるさくなっていた警告音が、一段と大きな音で鳴り響き始める。音の発生源を見ると床に転がったモニタが見える。先ほどの警告音はこの医療機器のモニタから鳴っていた。本来は山なりの波形を表示するはずが生体反応が一切反応せず、波形が一直線な棒線を描いていた。
耳に優しくない音に包まれながら、ジェイクはペットボトルを掴む。キャップをぺき、と外すとそれをコップに注がずに直に注ぎ口を咥えて呷る。
「……んぐ、ん、……ゲホッ、ガハッ!!」
勢いよく流れ込んできた水に咽ると、口に入った残りが吹き出る。ベッドシーツに唾液混じりの水たまりを作ることになった。
ジェイクはペットボトルを床頭台に戻し口を拭うと、今吐き出した水以外で顔以外にも全身がべったりと湿っていることに気付く。
口を拭った手をそのまま顔に持っていくと脂っ気混じりのひどい寝汗で髪はぐっしょりと濡れており、目線を下に持っていくとインナーで着ていた無地のグレーのTシャツは同じく汗で色を変えていた。
はぁはぁ、と息を整えるとようやく頭がはっきりとし始める。
最後に覚えているのはどのタイミングか。
警官隊に囲まれ五号と共に離脱し、回収部隊と合流したあたりまでだろうか。
それ以降に関してはまだらに記憶が途切れているようだ。
おそらく薬のせいだろう。過剰摂取となったため、意識消失したのだろうとは予測できるが。
(……薬の効きが悪い。それに意識消失までの最低ラインも下がってきている?)
体が薬物に対し、ある程度の慣れを感じ始めているのだ。アーマー使用時の薬物投与の濃度は徐々に高く、そして反比例するように効き目は短く。だからといって容量を増やして加減を間違えれば過剰摂取となり簡単に意識消失してしまう。
限界が近付いているのは感じている。ギリギリの綱渡りをしている自覚もある。
だが、このタイミングでその影響が顕著に表れるというのは非常に間が悪いと言わざるをえない。
ゴンゴンゴン!
外と中を隔てているスチール製のドアが叩かれる。
ジェイクが返事をする前に、がちゃと音を発てて開かれる。
「……ジェイク、調子はどうだ? 顕著な不快感や倦怠感、視野の狭窄などはないか?」
「入室早々直接的だな。……多少の倦怠感は感じるが、それ以外は許容範囲だ。……今は何時だ? 俺はどのくらい意識を失っていた」
入ってきた人物に対してジェイクが問いかける。
おそらく医療機器に繋がった警告装置がある監視部屋にでもいたのだろう。起床と時間を空けずにここに来たということはそうだとしか思えない。
寝ている彼に障らないように照明は落としてあったので、光源は倒れたモニタと、廊下の蛍光灯からだけ。
ドアの傍で逆光になり顔は分からないが、ベリーショートで、細身のフォルム。無地のオリーブ色のTシャツに前を開けたフライトジャケットを羽織り、バミューダパンツという若干ラフな格好をした人物だ。
声色は中性的で、男とも女とも言えそうだが、Tシャツをほんの少し押し上げている起伏から女性だろうとは推測できる。
廊下と部屋を隔てるドアの傍で立っていたその人物が、壁の照明のスイッチをぱちんと入れる。
瞬間、ジェイクの部屋に煌々とした光が溢れる。
暗闇に慣れた瞳に光が容赦なく刺さる。目を細めながら近づいてくる女性を睨むようにして見つめた。
「ちょうど二十三時半だ。正味十二、三時間ほどか」
「……くっ。半日もか!?」
シーツを跳ね飛ばし、上半身を引き起こすと、急に動いたせいでぐらりと視界が歪む。床頭台を掴んで姿勢を保持。ベッドからモルタル製の床に素足を下ろすと、ひんやりとした独特の冷たさが足を覆う。
立ち上がったジェイクの身長は百八十の後半、かなり大柄な部類だ。正面に立った女性はその比較対象で低く見えるがそれでも百六十はある。
そのまま歩き出そうとしたジェイクの行き足を止めるように、女性はドアにもたれかかる。
「どこに行くつもりだ」
「現在の状況確認をする。ジジィどもはどこにいる、五号?」
ドアの前にけだるげに立ちふさがる女性、五号と呼ばれた彼女はジェイクの苛立たしげな声を浴びてもあまり動揺した素振りを見せない。
ジェイクはその様子にがしがしと寝起きの汗で乾いて癖のついた髪を掻きあげる。
五号はじっとそんな様子のジェイクを見ている。近くまで行くと、五号の病的に白い肌と幾分艶のないアッシュブロンド、そして顔の左半分とそこに繋がる首の左側一面に広がるひきつったようなケロイド状の痕が見える。
額に流れてきた髪をかき上げる時にそえた左手にも同じような痕がうっすらと見える。
フライトジャケットに隠れてはいるが、手だけではなくそのまま腕にも繋がっていそうだ。
整った顔立ちの人形のような造作をしている分、生気も薄く感じられてしまう。髪をかき上げたのとは逆の手に持った缶入りのエナジードリンクをぐびりと飲る。
健康という概念から反対方面に突っ走ったかのような風体である。
そんな彼女が冷めた声色でジェイクに声を掛けた。
「博士たちは情報整理。整備班は壊れたお前のスーツの補修と私のスーツの調整中だ。……後はお前が目覚めたからな。ようやくここからの撤収作業も開始することになる。寝ていたお前と待機している私以外はその関係で大わらわだよ。まあお前を抱えて運ぶ必要がなくなったのはいいことだが」
「て、撤収だと? 一体なんでそういう話になっている!?」
ぎゃんぎゃんと起きてからずっと喚き続けているジェイクに五号ははぁ、とため息を吐いて凭れたドアから体を起こす。
「色々と、色々動かざるを得なくなった。……「光速の騎士」のインパクトが強すぎた、というのもあるが。これをわかっていたとすれば、あの男ども。随分といやらしいことをしてくる」
ぐび、と五号はエナジードリンクを呷り、空になったそれをぐしゃりと握りつぶした。
『……という見方ができます。今回のケースに関してだけならば、私は「騎士」の行動は法に則ったものであると判断したいところです』
テレビはニュース番組を流している。この深夜二十三時台は各局揃って今日一日のニュースをずらずらと流しており、各局の独自色が垣間見れても大まかな筋は変わらない。
流れているのはこの時間帯で一番視聴率の高い局の番組である。若干ワイドショー的な色があるが、その方が視聴者にとって見やすいのだろう。
照明を少し落として薄暗い部屋にぼやっ、とLEDの光源が光る。
今はコメンテーターとして呼ばれている軍事・警察関係のフリージャーナリストである四ツ田のコメントだ。
彼は「騎士」を擁護・黙認に近い肯定派と、その行動には慎重・懸念に近い否定派と色分けするなら否定派よりの中立という立ち位置だ。
あくまで中立の立場で話してはいるのだが、言葉のそこかしこに「騎士」の存在に関してうっすらと批判的意見を混ぜたスタンス。
現在の「超人論争」というジャンルにおいては、日本国民の七割に当たる論調が英雄然とした「騎士」の在り様に比較的肯定的であるということから、バランサーとして討論番組やニュースのコメンテーターとして呼ばれることが多い。
一方向だけの討論は時に他者への押しつけにもなる。
マスメディアの実態が原材料百パーセントを報じるのではなく、加工処理後のウン十パーセントでしかないと視聴者も気付いてはいるのだ。
まあ、かと言ってそれらの報道を嘘一色だと断じるのもまた押しつけではある。
程よい距離間の客観的な視点がニュースを受け取る側にも必須となった時代。
その時代に於いて、「光速の騎士」の熱狂をどのように捉えるかは人それぞれだ。
「……これは、予想していない展開になっているな。てっきり彼は否定に回るものだと思っていたが」
テレビを見ている老齢の人物が独り言のようにつぶやく。その表情は苦々しげに歪んでいる。
モニタ類が並ぶ部屋の中で、ただ一つだけ地上波のニュースが流れているのを部屋の全員が見ていた。
その視聴中での感想であった。
「今回の事案には奇をてらった批判意見を述べるコメンテーターも多くいるように感じられます。そこと自分との差別化を図るのが目的なのでは?」
「いや、この四ツ田という男はそんな打算的な意図をもって発言することはない。「騎士」に批判的な意見をするときも完全な否定をしない、肯定時もほどほどにとどめている。発言に関しては一定のラインを越えないように調整する傾向がある。……論客にがちがちの否定派がいるときは特にな。だが、今回はそれとは違うようだ」
「もう一方のコメンテーターは完全な「騎士」のシンパですからね。番組もそこを考えてのキャスティングをしたのでしょう」
「バランサーとしての役割を固持しているものだと思っていたが。そのせいで世間的にソフトな否定派と思われているのが狙いだ。……この番組も、肯定一色に染まることになるとは思いもしなかっただろうに」
黙りこくってしまう彼らの前のTVモニタには、今日の一連の流れが編集されて流されている。ジェイクの登場、「騎士」達の反撃。そして機動隊の投入から各々の撤退まで。
「しかし、これで世間的には「騎士」の肯定に大きく振れることになるはずだ。この四ツ田というジャーナリスト、「超人関連」の発言権ではかなりのウェイトを持っているからな。最初期からの論客というアドバンテージがその辺りを補強してはいるんだろうが」
「本人は独自取材、という言い方をしていますが、質からすれば恐らく"どこか"と繋がっていますね。いままでの「騎士」に対してのスタンスはその意向を受けてのポーズということかもしれません。批判側の意見を削げ、とそこから指示が出ているのでは?」
「画面上からではわからんよ。そのバックが肯定・否定どちらの陣営ともいえる。だが、非常に上手い立ち位置だよ。……日本のネットでもコウモリ野郎、と揶揄している者もいるくらいだ」
情報を整理しつつ判断している側からすれば、四ツ田というジャーナリストはどっちつかずの男という評価になるが、表面をなぞる一般視聴者にはずけずけと物を言う若干批判側に属するフリージャーナリストだと見られている。
その男が今回の件については「騎士」の擁護に回る。
それは「騎士」に対し、若干の問題意識を持ちながらも存在の有用性を肯定せざるを得ない者たちには非常によく効いた。
自身と近しいスタンスの四ツ田が言っている、"自分たちと同じ意見の代表者"が発言していると錯覚して、同調するわけだ。
同じ船に乗っていると錯覚した一団を、船頭よろしく目的地へと運んでいくという仕事。当然、意見を異としたものはその船から降りる。ただ、無自覚な流されるだけの乗組員は、そのまま運ばれて無自覚に四ツ田の誘導する最終目的地へと運ばれてしまう。
「決定的に、我々は悪人認定されるな。……本国の連中の重しも軽くなるだろう。早急に立て直しが必要だ。あの様子では家主もいつ変節してもおかしくはないだろうしな。宿を引き払うしかあるまい」
ミーティングをしてるテーブルの上には大きな灰皿も置かれている。話を主導していた老齢の人物は根元付近まで吸われてすっかり短くなったタバコを、山盛りのそれにぐり、と押し付けて火を消す。
この流れを受けて仮宿としていたこの工場跡地の所有者であるカバー企業を通して、実質的な所有者の腰が引けたようなのだ。
タバコの山はその相手と画面越しに交渉という名の、やんわりとした"金を出しているんだ、成果をよこせ""こっちに迷惑をかけるな"という押しつけを受けていた名残である。
「風見鶏、というか企業の経営者としては当然か」
「いえ、真っ当な経営者ならば我々と裏で取引しようとは思いませんよ。苦労はしたくないが、モノは欲しい。……二代目三代目に見られる典型的な凡骨でしょう。創始者、先代の功績に並ぶ何かをどうしても欲しいと。まあ、だからこそ金を引っ張ってくることもできるのですが」
老人の横で空のマグを持ち、くたびれた白衣姿の男がそう言い放つ。ブルーのカラーシャツの首元をくつろげ、ネクタイも半ばだらんと外している。アフリカ系で、百九十を超える長身、髪は短く刈り上げられている。
サイドに置かれているコーヒーメーカーにのこったそれを自身のカップに注ぎながら、ずずと啜る。
「加々宮重工。先代はそれなりに腹芸も出来たが……そのような凡骨ではここまでか。こうなるとは思ったが、やはり早々に撤収せざるをえんな」
「はい。皆そのつもりです。明日、……もうそろそろ今日になりそうですが、夜が明けるころに引き払える準備をしています」
男がそう言うとモニタ周りで作業をしていたスタッフが一斉にうなずいた。
よくよく見るとすでにケーブルが外されているモニタ類もある。
梱包用に転がる段ボールもそこかしこに置かれていた。
「しばらくは沈むしかないだろうな。……本国の追手からの欺瞞工作もせねばならん。敗軍の将とはこういう気持ちなのだろうな」
ふふ、としわがれた声で自嘲気味に自らを嗤う。
しわと疲れからか精彩を欠いているように見える老人は、どういう表情をして良いか困った様子の白衣の男の視線を受けて、今度は可笑しそうに笑った。
ブラックジョークというには皮肉が利きすぎ場を強張らせてしまったようだ。
そんなときである。
どんっ!
ドアを蹴破るかのような勢いで、ジェイクが部屋の中に入ってきたのは。
「ジジィ! 一体どういうことになってるんだ!」
飛び込んできたジェイクのその様子をみて、マズイと感じたのか彼と老人の間に白衣の男が体を入れる。
「落ち着け、ジェイク。目が覚めたところで説明には行くつもりだった。……お前が覚醒しないという事でこうなったという経緯もあるんだ」
「撤収、撤収と聞いたぞ!? 目的である「光速の騎士」がここにいると確認できたんだ。ここでひよって後退するには早いだろう!」
肉体的なポテンシャルではジェイクが上であるが、目覚めてすぐ。さらに白衣の男も長身であることからその移動を押しとどめることができていた。
そうでなければこういう状況では押し切られてしまっただろう。
男の説明で納得できないジェイクは、この計画の主責任者、つまりは目の前にいる老いた男に説明を求める。
「……まずは、この場を貸していた加々宮重工がどうやら今日の騒動の反応を受けて腰が引けたようだ。まあ、実際に我々が捕まれば自身の破滅と同義だからな。……一部門の独断とするには昨今の企業コンプライアンスが許さんだろう。もともとある程度の成果を徴収した所で我々を切るつもりだったのだが、それが早まったということだ。果実が実るよりも先にその樹が倒れそうだと思ったのだろうな」
老人は胸元から外国産の煙草を取り出し、テーブル上に置かれていた年季の入ったジッポをかきん、と開く。
色つきの巻紙の日本では見慣れないそれにぼっ、とジッポから火を灯し、ちりちりと咥えた煙草を炙る。
火種が移ったそれをすぅ、と吸い込み大きく一息に線状にして吐き出した。
あまり日本では流通していない、非常に濃い甘ったるい独特な香りの煙草だ。海外産のそれが部屋の中に満ちる。
照明を落としているだけでなく、部屋に充満している煙も光を遮る一因となっていたのだろう。
換気はしているのだがどうも間に合っていないようだ。
灰皿の上でとんとんと灰を落とすと老人が続ける。
「次にお前のアーマーのフルメンテが必要だ。どうも確認したところ、ベースにまで歪みが生じている。……五号だけで「騎士」と「モドキ」二者を相手にするわけにはいくまい?」
咥え煙草をしながら、ゆっくりと顰め面で近くに歩いてきたジェイクへと卓上のファイルを手渡す。
ジェイクは手渡されたそれをめくるとぱらぱらと目を通す。手書きのポストイットなどがべたべたと貼られた数字の羅列にみえるそれは各部のダメージ計算を打ち出したもので、所々に赤鉛筆で注釈が混じる。
素人目には何が書いてあるのかわからないが、目を通すジェイクの顔は曇っていく。
「該当箇所の各パーツの入れ替え。丸ごと再作成になったパーツもある。調達部門にこれ以上の無理を強いるのはな。動きはしても、今ある補修パーツ分だけでは完全には戻らん。どこかで補給せねばならんのだ。……本国の追手が来る前にな」
「それを加々宮が蹴ったと?」
「アーマーの基礎部分も傷んだと言っただろう? そこを裏切る気配のする加々宮に任せるほど呆けてはいないつもりだが?」
そう言うと老人は煙草の箱をジェイクに差し出す。
ジェイクはそれから一本抜きだし、老人のジッポを何も言わず掴んで火を灯した。
すぅぅぅ、と気持ちを落ち着けるようにして大きく煙を吸い込み瞼を閉じて鼻からふぅぅぅ、と吐き出す。
「最後に、これが一番貴様が気に食わないだろうが」
「……言えよ」
近くの椅子にどかりと座る。白衣の男がプラカップにコーヒーを注いで持って来る。
それに軽く目礼して受け取るとずず、と啜った。
いつの間にか五号も部屋の中におり、テーブルに置かれたクッキーを齧っている。
「あの様を晒したせいで、我々の"売値"が下がった。無能を晒すようだが「騎士」相手では現代装備から派生できるレベルのツリーではどう対応していいのか正直わからん……「光速の騎士」に対して、特化型の技術開発でも起きない限り、我々は常に対症療法でしか相手ができん。……最低限の設備と落ち着いて解析をするひと時の時間。設備は無理としても時間は欲しい。詳細データの分析をせねば……」
「……だろうな」
煙草とコーヒーでようやく気持ちを落ち着けたジェイク。
落ち着いた彼の耳にぱたぱたという雨音が聞こえてきた。
知らずふと窓を見ると、雨粒が勢いよく窓のガラスを叩いていた。
「……あれは、あれらは俺たちとは"違う概念"のナニカだ。こっちは五枚でポーカーをしているってのに、袖口からどんなカードでも出て来るみてぇなクソ勝負だ。しかもディーラーはそのいかさまを見もしねぇ」
「唯一の光明は最低でも「モドキ」は人としての会話ができるということね。……随分いらだたせてくる奴だったけど」
こちらも椅子に座った五号がクッキーを齧りながらそう感想を述べる。
ジェイクが「騎士」とかち合う間は五号が「モドキ」、マユミと相対していたということである。
こちらもデータが残っているがいやらしいねちっこい戦い方で時間を稼いできやがったわけで。
「貴様もようやく目を覚ました。……早々にこの場から離脱、セーフハウスは何とか準備できそうだ。朝には出る予定だから、ふたりとも……」
カンッ!!!
ひゅぅぅぅぅん………
老人の言葉の途中で、薄暗かった部屋の中の電気が消える。
動力を失った機器が気の抜けた音を発てて静かになる。
「停電、か……?」
天井を見上げる老人。
同じく天井をジェイクが見上げるが、はたと気づき周囲に声を上げる。
「電源復旧、まだかっ!?」
「ひ、非常用の発発に切り替わるまで、二十秒です!?」
ち、と立ち上がりつつ電源復旧に取り掛かるスタッフに駆け寄るジェイク。同じく声を荒らげることはなかったが五号も続く。
このタイミングで、偶然。
トラブルは起こるときには起こるが、連続して起こるとなればそれにはなんらかの意思が反映しているものだ。
「ど、どうした? 二人とも」
「監視モニタだけは瞬停用の常時給電しているルートに繋いでいるはずだ! どこにある!?」
老人の問いかけに答えることもしない。
「そ、そっちにおいてある!」
「どけ!!」
ばたばたと駆け出したジェイク達の後を、老人たちがおろおろしながら追いかける。
停電の影響で外の照明関係もすべて落ちている。
更には月を覆うほどの雲と分厚い雨の幕がおりていて、モニタには何も映らない。
しかし、じっとモニタを見つめるかれらの前で稲光が走る。
………カッ!!!
「「ヒッ…………!!!?」」
どおおおん………!!!
稲光に遅れること数秒、音がジェイク達まで届いた。
その間に、複数の人間の息を飲む声が静寂の中、聞こえていた。
……映っていた。
「な、なんでっ……!……何でっ!?」
誰かが声を裏返らせて叫ぶ。
モニタはまたも暗闇と豪雨のシャワーを映し出している。
つまり、なにも見えない。
だが、彼らは"見た"。
いや、"見せられた"。
「これは、正面口の監視モニタだな!?」
「は、はいっ!!」
返事も待たずにジェイクは近くの窓へと駆け出した。
外との気温差で水滴が付いた窓を荒く手で拭う。
若干の埃で濁った水で汚れた手を気にすることもない。
「どこだっ!!」
暗闇の中、何も見えないのはモニタと同じである。
だが、彼らはさっき間違いなく"見た"。
目を凝らすジェイク。追い付いてきた五号と老人、白衣の男も窓の向こうをじっと見つめる。
テーブルの上に置かれた誰かのスマホがぴぴ、と機械音を発てる。
ちょうど午前零時になるようにセットしたアラーム音。
その時、遥か遠く。
海上の遥か遠くで稲光が連続して奔った。
………カッ!!!!!!
昼間かと見間違うほどの明るさの中、"彼"がいた。
上から下まで黒一色の全身鎧、黒地の外套。同じく黒い大型盾。
唯一掲げた槍の無骨な金属だけが色を思い出させてくれる。
土砂降りの雨の中、昨日自分たちを追い込んだ「光速の騎士」が完全武装で、自分たちのセーフハウスの正面口。
この場所からわずか二百メートル程度離れた、そこに立っている。
「ひぃぃぃぃっっ!!!?」
「け、警報を出せっ!! エマージェンシーだっ!!」
「わかりました!!」
老人はパニックを起こしかけたスタッフを怒鳴りつけ、反応した別のスタッフが警報を出す。すぐにけたたましい音が建物全体に鳴り響く。
どおおおん………!!!
雷鳴と共に工場内は非常発電の電源に切り替わり、数は少ないながらも「騎士」が辛うじて確認できる程度を照らす照明も復旧する。
電源の復旧報告を聞きながらジェイクは気づく。
(何故、何故動かない?)
先ほどから一向に「騎士」が動かないのだ。
まるで何かを待っているかのように。
不思議がるジェイクの周りに他の者も集まってくる。少しでも「騎士」の様子を見たいからだ。
するとわらわらと窓に集まった彼らの前で「騎士」が動いた。
顔に手をやり、一気に振りぬく。
外套に覆われ、瞬間だが球となり、再度現れるとそこにはピエロがいた。
半笑いのピエロマスクをかぶったスーツの男。
全員知っている。
あれもまた「騎士」のペルソナの一つだということを。
「なに?」
五号が疑問符を投げかけると、稲光がまたも奔る。
瞬間違う方向を見ていたピエロが、"真っ直ぐ"ジェイク達の方向を向いて、"真っ直ぐ"その白手袋に包まれた指でジェイク達のいる場所を指さした。
「う、うわぁぁぁぁっ!!!?」
驚きにひっくり返ったスタッフはまだましだ。
ひきつけを起こしたようにして心臓を掴み、ぜいぜいと荒く息をしている者までいる。
「き、緊急事態だ! 直っていなくてもスーツを出すぞ!! 迎撃準備をしろ!!」
ジェイクは走り出しながら叫ぶ。
五号も何も言わず並走を始める。
隣室に駆け込むと、何も言わずスーツの整備をしていたスタッフと共にこれから強襲してくるだろう「騎士」、いや「クソ道化師」に対応する準備を始める。
昨日は終わった。今日が始まった。
どこかの誰かにとって一番長い、そんな今日が。
走っている間、ジェイクは幻聴を聞いた。幻視も体験した。
間違いなく幻聴だ。間違いなく幻視だ。
クスリもやっているし、疲れもある。
強めの煙草とコーヒーで無理矢理起こした脳みそも真っ当ではない。
だから、幻聴を聞いたのだ。幻視を見たのだ。
あれは、間違いなく幻だ。
だが、どうして幻とわかっているのにこんなに動揺しているのだろうか。
稲光の中、真っ直ぐに指を指された瞬間、あのピエロがこちらを見て"にぃぃぃっ"と嗤ったのだ。マスクで動くはずもないその口元が耳の辺りまで裂けて。
そして、こちらを向いてこう言った。届くはずのない距離を超えて。確かに自分の耳元で、消えるような小さな声でそっと囁いた。
"んへへぇっ……、見ぃぃっけたぁぁっ……"。
えーと、年末に向けての仕事がありまして。
どうも更新はぼちぼちになりそうです。
……まさか年末進行、11月半ばから始まるとは思わんかった。




