3-了 終業 のち 宵闇の中
「……マジで、暇。……光熱費、もったいねー」
誰も周りにいないことを確認したうえで、茂はポツリとつぶやく。
閑散としたという表現をさらに超えるガラガラの店内に、ヒーリングミュージックがかすかにだが聞こえていた。
客の会話の邪魔にならないように、気づかないほどの音量で流しているはずのそれが耳に届いている。
仕事中という意識もあるので堪えてはいるが、本当に誰一人客がいないようであれば、大あくびをしているところである。
(いやぁ、これが聞こえるってことは本当に静かだってことだもんなぁ。確かに早めに店じまいして正解だわ、コレ)
ほんのりと灯る暖色系の照明が店内を照らしているが、ぐるりと店内を見渡してみても客の姿はほぼゼロに近い。
ハードカバーの新書片手にコーヒーを啜る七十代の老紳士が一人いるにはいるが、彼は毎日のルーティーンとしてこの店に来ている常連だ。
いつも決まって十六時ごろに来店し、深煎りのブレンドコーヒーとバタートーストのセットを頼み、きっかり一時間読書とその軽食を楽しんでから近くの自宅へと帰宅していく。
台風のような荒天や、盆暮れ正月以外はほとんど通っている人物で、店側も"ああ、あのおじーさんか"という感覚である。
まあ今日の日に来た以上、臨時で閉店時間が早いとは伝えてはあるが、十七時には退店する彼にはさほど影響もない。
その人物に視線を送っていると、手に持った新書をぱたん、と閉じて琥珀色の液体が底にうっすらと残るカップに手を伸ばしたところだった。
ちらと壁に掛かる時計を見ると時刻は十六時五十五分。
(よし、行くかぁ)
そっと自然なそぶりで入り口前のレジ方向へと茂は歩を進める。行きがけに各テーブルの卓上に置かれたナプキンや、調味料などのトレイを直しながら。
「お会計、お願いできますか?」
「あ、はい」
レジ前にちょうどぴったりのタイミングで到着し、帰宅の準備を整えた老紳士から声を掛けられる。
茂は伝票を受け取ると、急ぐでもなくゆったりとレジを操作していく。
その間に老紳士は古びた財布を取りだし、いつものようにぴったりの金額をコイントレーに置いている。
これもまたいつもの光景である。
「伝票をお預かりします。……ではお会計は四百八十円です。……四百八十円ちょうどですね」
「じゃあ、ごちそうさま」
代金を受け取り茂はすっ、とレシートをコイントレーに置くと、手慣れた仕草でそれを老紳士はレジ横の不要レシート入れに投入。
財布をポケットに、新書を小脇に抱えると一声かけて、軽く会釈し店内を出て行く。
からんからんと入店・退店を告げるドアベルが鳴る。
「ありがとうございましたー」
ぺこりと頭を下げて老紳士を見送ると、これで本当に店内にはスタッフ以外の人間は誰一人いなくなってしまう。
普段であれば、奥様方が数人で駄弁っていたり、レポートに取り組む大学生やスーツ姿のサラリーマンなどもいたりする時間帯だ。
ここまで営業時間内に店内ががらん、とするというのも珍しくどこか不思議な感情を茂は覚える。
「……どうするか、ねぇ。突っ立ってるだけってのも結構つかれるんだけどなぁ」
レジから離れて、老紳士の座っていた卓へと向かう。
だが、既に茂と同じように暇を囲っていた別のスタッフがすでに片づけを始めている。
きゅっきゅっ、といつもの倍は力の入っているフォームでテーブルを磨いていた。何にせよ暇なのである。
いつもの倍近い力でテーブル磨きが出来るだけの力は残っていた。
「ふぅ……」
そういうわけで現状を報告しようとバックヤードへと茂は向かう。
茂以外にもホールスタッフはいるので一人抜けたところでさほど問題はない。伊藤からも客がいなくなったところで一度声掛けを、と言われていたのだ。
「店長。……いつもの人、帰りましたよ。今、だーれもいませんけど」
「あー……。えっと、今何時?」
伊藤はちょうど届いた今日発注分の食材をバックヤードの大型冷蔵庫に搬入してもらっているところで、数量確認用のタブレットを手に指さし確認をしている。
彼の位置からでは壁掛け時計の文字盤は見えないのだ。
「ちょうど十七時、ってとこですね」
「うん、じゃあ店の入り口にそれ、貼って来てー」
作業途中の伊藤は顎でくい、とテーブルを指す。
そこには印字したばかりの、時短営業の貼り紙が出力されて、ラミネート加工されている。電源が抜けたラミネーターが机の上で熱冷ましの為に置かれていた。
ほんのりと温かいつるつるの表面を反りを直すように軽く折り返しながら中身を確認する。周辺の交通事情により本日の営業は十八時、ラストオーダーは十七時半までとしてある。
「お客さん、本当にがらっがらですよ。閑古鳥が鳴いてるってこういう事でしょうね」
「それは仕方ないって。それにまだウチはマシな方だよ。さっき近くのバーとかレストランに配送してきた精肉店の人が来ててさ。……店開けるか開けないか、その判断をしないといけないトコも多いみたいだし」
「あー……。そら、きっついですねー。落ち着いたレストランで夕食でも、って気分になれないでしょ、このあたりだと」
ぱたぱたとラミネートで顔を扇ぎつつ申し訳なさをこめて茂は言葉を吐き出す。
「食事して夜も更けてからってなるとねぇ? やっぱり怖いは怖いよ。杉山君、あの映像は一通り見たんだっけ?」
「……見てる、でいいと思いますけど」
「あはは。なんだい、それ? 曖昧だなぁ」
嘘ではないのだが、真実でもなく。
映像はちらりとしか見ていないのだが、実際にあの現場に当事者としていたわけで。
「不審者がいるってだけでも怖いのにさ。あんな僕ら一般の人間じゃどうしようもできないような危ない奴がうろうろしてるなんて、本当に冗談じゃないよ。なんで「光速の騎士」は、あんな不審者を見逃したんだろう?」
「さ、さあ? なんか危険を感じたから、とか?」
「どっちかといえば僕は「騎士」側が不審者の側を追い込んでいたようにも見えるんだよねー。警察が来たらぴゅーっと逃げて行ったじゃないか。ほら、これ」
話しながらも仕事を片付けていていた伊藤は、ラミネーターの横に転がる自分のスマホを手に取る。くいくいと操作すると、その瞬間の映像が流れていた。
伊藤のスマホに映る小さな画面では見にくいうえ、安全を確保を最優先にしたこともあり、ほぼ定点で撮影した画像となっている。その為、非常に画角が悪い。
ただし、大まかな状況は知ることができる。
ジェイク達がオーガ・ザンバーで一発カマされてから直ぐ後の映像である。
吹き飛ばされたジェイクを機動隊の面々が取り囲む。それの援護として五号がそこへと"問題なく"駆けつけている。
本来相対していたはずのマユミが「光速の騎士」の元へと駆け寄り、五号がジェイクへと救援に向かう際、一切の妨害行為を行っていない。
警察車両などが道路を封鎖し、ジェイク達の周囲を固めると自然と同じ輪の中にいる「騎士」達もそれに巻き込まれることになっていた。
そしてジェイク達は五号の追加ブースターによりその場を空を飛んで離脱、「騎士」もそれを阻止するそぶりを見せず、マユミを抱え上げて以前と同じく電柱へと飛び上がるとそのまま姿を消したわけだ。
「……今後は日本の警察も犯人検挙の追跡時はアメリカみたいにヘリで空から追いかけないといけないのかなぁ。お金かかりそうだけど」
「どうでしょうねぇ……。ああ、外にコレ、貼ってきますね」
「ん? ああ、お願いねー」
何と答えて良いものか言葉に窮してしまい、話題を変えながら茂は外へと出て行く。
がちゃりと音を発てて扉が開くと、もう日も陰り夕方。夜の闇がもうすぐそこまで来ていた。
ととっ、と駆け足で出て行く茂を目で追う伊藤。
「さぁて、皆早く帰れるようにしないとねぇ。……片付け片付け、と」
さっさと帰れるように急いで采配しないと、といけない。
こういう時にこそ、家に帰ってゆっくりするべきなのである。外にフラフラと出歩くのではなく、大人しくして体と心を休めねばならない。
今日一日。少なからずストレスがかかる一日であっただろう。
皆がゆっくりと休めるように、と伊藤は心からの想いを込めて仕事を片付けていくのであった。
こうして、伊藤を含め多くの一般市民たちが今日を終える。
自宅へと帰り、ゆっくりとニュースでも見ながら「光速の騎士」についてあーだ、こーだと語り合う。飯を食い、風呂に入り、人によっては晩酌でもたしなんで。
外を出歩く者はかなりの少数。
ほとんどの者にとっては、今日という日はこのようにして終えていくのである。
深夜、空には月が浮かんでいる。
『……サポート班、準備完了です。お待たせしました!』
『……突入班、いつでも。後は通信班だ。進展状況は?』
『五分ください! いえ、三分で!!』
耳元から非常にクリアな音が聞こえてきた。雑音は無く、通信状況はバッチリである。
空を見上げると、午前中から続いていたピーカンな天気は徐々に雲の多い曇り空になりつつある。
天高く浮かんだ月が煌々と輝く光を放つ中、悠々と流れる雲が時折その月光を遮ったり、またその姿をあらわにしたりと刻々と変わっていく。
だが、この場へと移動して準備を始めてから約一時間。もう日付は翌日になろうかという時刻になっていた。
雲が徐々に月を覆い、地面を照らす光を減らしている。空気も乾いていたものから徐々にではあるが湿り気のあるものへと変わっていく。
「雨、か。本降りになってくるかねぇ」
ごき、と首を鳴らす。それから固まりそうな肩をぐるりとまわし、軽く伸びをして体をほぐす。
『最新の予報では午前二時ごろまで激しい雨になるとの事です。恐らく夜明けまでは強弱は有りますが、そのままかと。どうやらゲリラ豪雨からそのまま降り続くようです』
「うわぁ、洗濯物溜まってんのに……。今日だったらいい感じで外に干せたのになぁ。部屋干しってどうも嫌いなんですけど」
ぽつりと呟いた独り言に東京からトンボ帰りして、今の今まで絶賛作業中であるチームリーダーが律儀に返してくる。
何というか生活感丸出しの、この場にはそぐわないような、そんな会話。
『午後には晴れ間も見えるそうです。そこでどうにかできればいいですな』
「そうですねぇ。……ああ、ホントに降ってきた」
『本当に朝から色々お疲れのところに、申し訳ない限りです』
「いえいえ。そっちのせいでこうなってるわけじゃないですし。こうなってるのはまぁ、仕方ないですって」
ぽつ、ぽつ、ぽつ………。
ぱたぱたぱたたたたっ…………!
コンクリートの乾いた地面に雨粒の跡がいくつか刻まれると、それを皮切りにして一気に体に衝撃を感じるほどの勢いで雨が降ってきた。
『こちら通信班、本当に申し訳ない!! 準備完了しました!! 行けますっ!!』
『では、参りましょうか。よろしいか?』
チームリーダーが確認を取ってきたのは、彼への最終確認だ。
つまりは今回の最終的なゴーサインは彼が出す必要がある。
「ふぅ……。さっさと片して、風呂入って、洗濯して、ぐっすり寝て。……じゃあ、行きますか。よろしくお願いします!」
『『『了解』』』
声を揃えて了解を得ると、彼はゆっくりと立ち上がる。
ばたばたと勢いを強くした雨に先ほどまでの輝く月は一つも見えなくなっていた。周り一面は暗闇と、地面が雨に打たれる音に支配されている。
ずしゃ、と雨に濡れた黒一色のブーツがひびの入ったコンクリートの地面を歩く。
ぼたぼた、と漆黒の外套のように見える黒い布に沿って、端から水滴を流れ落ちて行った。
ぱしゃぱしゃ、とダークグレーに染められた仮面、いや兜が雨を弾いていく。
コンクリートのひび割れた地面にはところどころ背の高い草が生えており、それを彼は踏みつけながら"縁"まで歩いていった。
赤錆の浮いた転落防止の柵の手前で軽く跳ね、その柵の上に飛び乗る。
ぎしぃっ……。
柵がきしんだ音が雨音に混じり、彼の耳に聞こえる。
暗闇の中、地上8階建ての廃ビル屋上から眺める景色は、先ほどまでの絶景をすでに霧雨のシャワーの向こうへと追いやってしまっていた。
暇つぶしに眺めるにはなかなか良い夜景ではあったのだが。
『ドローン展開後、こちらの十カウントで突入をお願いします』
少しばかりの残念さを感じる中で通信が入る。
その通信後、小さなLEDライトの光る"何か"が地面から飛び立つのが彼の所から見えた。雨の勢いと暗闇の中でもそれらを知覚できるのは、彼が常人ではないことの証左でもある。
おそらくそれは今の通信にあったドローンであろう。
『……七、六、五』
カウントが進む。
それを感じつつ、彼は足に力を込める。
みしみし、と赤錆の柵が絶命の悲鳴を上げていた。
『……二、一』
ラストカウント。
『〇、突入お願いします』
べごぉぉぉぉっ!!
踏み込んだ勢いで、柵どころかその下の土台のコンクリートまでを吹き飛ばしながら、彼が跳躍、いや飛翔する。
ばたばたと、黒い外套様の布地が翻り、その姿を露わにした。
その瞬間。
カッ…………!!!!!
強い稲光が少し離れて天と地を繋ぐ。
飛翔した彼、「光速の騎士」の姿がその稲光に輝いた。
一つとして白や光沢を排し、闇夜に沈むように黒とグレーとダークブルーでコーディネートされたその姿。
ベースは本日の昼間に衆目に晒された白石特殊鋼材研究所謹製「光速の騎士」専用全身鎧Ver.3.0であるが、細かな点が違う。
純粋なステルス性を重視した夜間特殊仕様のVer.3.0.2だそうだ。
彼、「光速の騎士」としてはそのまま黒いペンキでもぶっ掛けてくれればいいのにと思っていたのは内緒である。
ずしゃ、ぁぁぁっ……!!
飛翔した先の同じような廃ビルの屋上に滑り込む。
先行するドローンはすでに目標地点上空にあるようだ。
それを確認し、「光速の騎士」は決意新たに一言呟く。
「リベンジ。いや、この場合はアベンジってのが正しいのか。……さぁて、俺とこのあたりの皆の生活をガタガタにしやがって。……一切合財片付けてやるぞ、クソどもが」
ほんの少しの怒りの感情を混ぜて「騎士」はそう呟いた。
そう、彼と敵対するのであれば考えなくてはならないのだ。
何故、「騎士」は常に人を守らねばならない。
何故、「騎士」は守りに徹さねばならない。
何故、「騎士」は攻め込まれねばならない。
そして考え至らねばならないのだ。
仮に人がいなければ。
仮に守らねば。
仮に攻め込まれるものがそこになければ。
カッ…………!!!!!
再度、稲光が走る。
今度は稲光に浮かび上がるのはビルの屋上で槍と楯を取り出した「光速の騎士」だけではない。
ビルの下で背を低く疾走する特殊工作部隊の隊員に、「ワン・ステップ・アヘッド」装備のマユミ。
唸りを上げて進む大型トラックと、通信アンテナを伸ばす特殊車両の姿。
全員が目標地点であるジェイク・五号のセーフ・ポイントである寂れた港湾で廃棄された旧縫製工場の跡地へと突入していく。
「光速の騎士」は猛々しく、そしてセンセーショナルに現れたのだ。
その本質的な属性を全世界へと誇示して。
そのなし得たすべてはオブラートに包まれなければ純然たる暴力でしかない。
つまり、「光速の騎士」は敵対者にとって「殲滅の死神」と成り得るのだということに。
何故、皆が「光速の騎士」は攻めてはこないと、思い違いをしていたのだろうか?
彼は、「正義」を。「英雄」を。そういった幻想を。
一度たりとも自ら口にしたことはないというのに。
現時刻、二十三時時五十九分。
今日が、終わる。




