2-2 購入 のち 証明
茂はてくてくと歩く。目的地はバイト先の「森のカマド」から、少しばかり離れた場所にあるショッピングエリアである。地方ではよくある形態の、巨大な駐車場の周りを囲むようにスーパーや本屋、布団などの大物も投入可能なコインランドリー、百均、ファストフード、電気店に園芸店というなんでもござれとばかりに配置されたアレだ。
ぐるっと一周すれば大抵のものが一揃い手に入るわけで便利ではある。
ただ夜間にはあまり素行のよろしくなさそうな若者たちが、軽自動車で乗り付けて翌朝にゴミを置き去りにしていくというちょっとした問題も起きているのは全国共通であるが。
(……キッチン関連の店、新規でオープンしてたってのは知らんかった。あの怪しげなヒーリングマッサージの店つぶれてたのは覚えてたけど、そこ改装してたんだ)
帰りがけにあった伊藤と話し込んでいる中で、いい感じの包丁とか欲しいな、という話題になり、出勤してきたパートの主婦から教えてもらったのである。こういう新店の情報はネット全盛の時代とはいえ、やはり口コミを主体としたオバサマネットワークには一歩届かない。特にこのような地方都市ではなおさらだ。
元々駅前のあたりでキッチン用品でも物色しようと思っていたのだから、願ったりかなったりの情報だった。
そういうわけで茂は目的地へ向け、目下移動中であった。ちょうど交差点の歩行者用信号が赤になり、他の歩行者の邪魔にならない位置に移動してポケットからスマホを取り出すと検索を掛ける。
一応言っておくが、歩きスマホはダメだ。うん、一応言っておく。
ちゃかちゃかと何度か画面が変遷し、最終的に出てきたのは店舗の紹介ページ。
主婦層をメインにしたポップなイメージを想像していたのだが、画面に現れたのはかなり本格的な固いイメージを与えるような職人気質の店構え。
インポートものを主体にしたキッチンナイフや鍋をウリに、今使っているものよりワンランク上のアイテムを求める層に刺さるホームページを作っていた。
(……嫌いでは、ない。けどなー。たっっけぇぇ……)
おそらく一押しだろう商品紹介ページの一番に表示されているドイツ製の万能包丁は一丁で五万円台。
「……んな金、無えし」
はぁ、とため息を吐いて財布を取り出す。
開いた財布の残金は二万五千円といったところだ。
臨時収入と元々の残金を合わせての額だから、出せて予算は二万までだろう。
「んー……」
少しページを動かしてみると、それより少しお手頃価格な物が出てきた。
価格帯としては大体三万円を切るか切らないか。
逆にものすごい高い高級仕様のページもあったのだが、そちらは一顧だにせず閉じた。
ああいうのはただただ目の毒でしかないのだから。
(……まあ、実際に見てみないと。やっぱネットでポチるってのは味気ないし、なーんか信用できないんだよね)
青に変わった信号を視界の端に捉え、スマホをポケットに放り込む。
一応もう一度言っておく。
歩きスマホはダメだ、絶対。
あと、自転車に乗りながらのスマホしてる高校生とかアレは正気なのか、マジな話。
「んふふ、買った。買ってしまったもんね」
ちりんちりんとドアベルが後ろで鳴る。
茂はうっすらと笑みを浮かべている。その彼の手に提げたグレー地の店名のプリントされた手提げ袋の中には、購入したばかりの万能包丁が入っている。
お値段まさかの二万三千円。
余裕で事前の予算計画をオーバーしているわけだが、茂は非常に満足げな顔をしている。
(やっぱ、実物を見せてもらわないとな!……試し切りもさせてもらえたし。これが一番しっくりきたもんね)
店頭で予算内の一万八千円の品と、今購入した二万三千円の包丁の二択で迷っているところに、木製のまな板とキュウリ、トマトを持った店員がやってきてどうぞお試しくださいと言ってきたわけだ。
そこで二丁とも試してみた結果、切れ味としては実はさほど変わりはなかった。ただ、柄と刃が一体型となった二万三千円のヤツは、非常に手になじむような感触でトマトの果肉をつぶすことなく刃が入ったのである。
もう一方の品の柄には仕様として滑り止めのゴムがついており、少しだけ引っかかる感を覚えた。その点だけが二万三千円と違っていたのだが、その差額五千円。
無理して大満足か、我慢して妥協するか。
二万三千円の包丁を手にその五千円の狭間で悩む茂に、店員はそっと告げたのである。
『お客様、そちらもは私どもが自信を持って仕入れた商品、ご満足いただけると思っております。もう一点も同様です。メンテナンスを欠かさなければどちらも長くお使いいただけます。一年後、五年後も問題なく使えるでしょう。次の更新となればお客様がどの程度その包丁を大切にされるかで、変わってくるところです、ただ、五年後に手になじむ品が同じように販売しているかどうか、それは私どもにもわかりません。そして大事に大事に使っていただくモチベーションは高い方が良いのではないのでしょうか?』
……と、いうわけで買ってしまう。
予算限度額三千円オーバー。
今までの百均で買ったものから始まり、マックスであっても千五百円までであった茂の包丁履歴は一桁更新されることとなったのである。
「……すごい牛蒡とか人参切りたい気分」
せっかく買った良い包丁。
少しばかり固いもので試しをしたい。ならばごりごりとした根菜類がいいだろう。幸いここからの自宅への帰り道にはスーパーがある。自宅にある大根を思い出し、冷凍してある豚コマから今日の夜はトン汁にすることにした。今日一日の出費を考えると頭が痛いが、なぁに構うものか。
数日くらい白米と具だくさんの味噌汁で暮らすくらい何するものぞ、というくらいのおかしなテンションにはなりつつあるのだ。
少しくらいの無茶は出来るというのが若さということだろうか。
うきうきとした足取りで、帰宅の途に着く。今日の予定は今のところこれで終了だ。あとは家に帰って飯を作り飯を食い、風呂に入ってテレビを見て、それでゆっくりと床に就くだけ。
早番のせいもあり、若干の眠気もある。
一度眠いと感じてしまうと、急に欠伸が出てくるのが人間の不思議。
「ふぁぁぁぁ……っ!」
体を伸ばして体を鳴らし、首もこきこきと鳴らす。
頭を掻き掻き、歩いて帰る最中にはた、と一つ思いついてしまう。
(……包丁の前にチャリ、そうだ。安いのでいいからママチャリでも買えば良かった!?)
移動手段としての自転車の選択肢が頭から抜け落ちていたことに今更気づく。
肉体的に頑健でスタミナも振り切れてしまったため、全く感じていなかったが、利便性を考えるならば自転車を買うべきだった。
移動可能な場所がチャリ一台あるだけでどれだけ増えることか。
「……シクったな。ぜいたく品の前に、まず日用品だろ。……浮かれすぎだ、俺」
バイト先までのバス代も節約できるし、真っ先に考えなければならないアイテムだった。
(こういうとこ、抜けてんだよ。……あーせっかくのチャンスだったのにー)
がくり、と肩を落とす茂。
その肩に若干の重さを感じさせるグレーの手提げ袋。
「でも、いい買い物したしなぁ」
トマトにすっ、と入っていく包丁の刃の感触。
今までの持ち物の中で、里奈からもらったお土産のナイフの次に切れ味のいいそれ。これでいい加減包丁の代わりに使っていたあのナイフもお役御免だ。
いかんせん調理などの利用を想定していない戦闘用のナイフを、普段使いの調理に使うと微妙に使い勝手が悪い。取り回しの悪さは我慢しなくてはならなかったので、それも今日からは無くなる。
(じゃあ、今回は今回でオッケーだろ。ママチャリは次回以降、バイト代が貯まったらってことで)
気を取り直して歩き始める。
足取りは再び軽いものとなっていた。
『対象は予測進路を移動中。……いや、いま予測進路を外れた。……ショートカットするようだ。地図上の神社境内を横断するルートを取っている』
『……部隊の配置は完了している。仕掛けるのであれば、許可を』
ぽんと座席に置かれた無線機から連続して報告が飛び込んでくる。
指揮所となった車内で腕組みをしていた男がその無線に反応して腕組みを解く。しわの刻まれた、老いた手である。枯れ木にわずかばかりの肉がかろうじて乗っかっているかどうかという手に血管が浮かんでいる。手元のテーブル上に置かれたノートPCは何かのグラフを映しており刻々とその表示を変えていた。身にまとうのは清潔な白衣と、度の強い黒縁の眼鏡。老いた手の持ち主らしく髪も、整えた顎髭も真っ白である。頬はこけて痩せた印象を受けるが、独特のプレッシャーを周囲にふりまくほどには精気にあふれている。
閉じていた目を開き、言葉を紡ぐ。
「行け……。我々の存在証明を刻み込むのは、今この刻をおいて、他に無い」
その言葉を受けて、老人を覗き込んでいたサングラスの男、アジア系の顔ではないその男が無線を掴んで号令を発する。
「GOだ。被験プラン五号をターゲット、「光速の騎士」推定リスト六位、シゲル・スギヤマへとぶつけろ。周囲警戒を厳とし、作戦リミットは五分と設定する」
『了解』
「なお、明らかに外れと判断した場合、及び周辺からの封鎖を維持できなくなった場合については当初予定通り即時撤収とする。各員、抜かるなよ」
生きていくうえで肝に銘じなければならないことがある。
それは、どんなに細心の注意払ったとしても、警戒しようもない所からのトラブルというものはどうやったって防げないということだ。
という終わり方をしたが、次回は蛇足気味のを入れる予定。
だから、あんまり期待しないでほしい。