雑ー5 要望 のち 敗北者への嘲笑
「……いや、ざっと見で、ほとんどいらない物ばっかなんですが」
ローテーブルの前で正座して座る彼の前には、門倉とエレーナが出されたインスタントコーヒーに手を付けずにデザイン違いの座布団の上で座って、正対する形になっていた。
茂に確認してほしい資料があるので一度会いたいとアポを取ってきたのだ。
タブレットに表示されたそれらをざっと見して、ほぼ即答で不要と答える茂。
ちなみにおまけのようにして付いてきたマユミは茂のベッドの上に寝転がり、今日発売のマンガ雑誌を読んでいる。
「不要ですか?……なかなか良いものだと思うのですが」
テーブルには手土産として持参された箱入りのケーキが置かれている。
茂の記憶が確かならば駅前のホテルに隣接する角に最近できたちょい高めのケーキ屋である。
ちんまりとした可愛らしいサイズでありながら、1個800円未満の品が無いという高級志向。
時たま気が向いて買うこともある、近くのスーパーに入店している古株のケーキ屋がアベレージ500円台ということを考えれば、足を向けることすらないステージの店舗である。
生ものということもあり、さっそく皆でいただこうということになったわけであるが、一緒に話もしてしまおうと切り出した最初の答えが、これであったわけだ。
テーブルの端に手渡されたタブレットを置いて、その上を滑らせ開いたページのプラン群を門倉たちにも見えるようにした。
「……どういうつもりで出してきてるのか知らないですけど。まず俺、大前提としてバイクの免許ないんで、この車両プランってやつの2輪車関係は全部バツですね」
「なるほど」
プランを作成する前に栄治のケツにタンデムで乗っている段階で、バイクが運転できないと思わないのだろうか。
と、いうか何を目指しているのかがわからない。
別に普通の流通されているもので十分ではないか。
仮に頑健さが足らないというなら、軍などで使われているものをベースにしてくれればそれでいい。
なぜ、バイクの先端部にあのような意味不明のツノが要るのだ?
しかも複数も。
空気抵抗とかそういう面でおかしいと設計段階で言われるだろうに。
横風であおられたら転倒すること必至である。
「それと、この籠手。念のためにフルセットで1双だけ準備をしておこうってのは解ります。解りますが、何でわざわざ新しく造形しなおしてるんですか?しかもどういう意図で指先尖らせてるのか意味わかんないなぁ……。危ないだけで、逆に不便なんじゃあ?」
「確かに」
純粋に危ない。
指先が尖っていて、どこかに引っ掛けたらどうするのだろうか。
茂としては「森のカマド」での接客中に、かなり長めのネイルの女性に悪意なく引っかかれたことが複数回あるのだ。
配膳の時とか、会計のレジで料金の受け渡し時などにも。
あれは、予期していない分痛いし、ちょっと痕になると結構凹むのだ。
傷跡は綺麗に治ったからいいのだが、そういうことがあって以来、長めのネイルの人には注意を払っている次第である。
その後にスワイプしていくと、いくつかのデザイン案が続けて表示されていく。
「……うわ、だから前も言ったんですけど何でこう、派手派手しいカラーリング!? モスグリーンとかダークグレーとかがいいって言いましたけど? あと、この金のラインとか銀のメッシュとか何考えてるんですか? これも要らないですって言ったはずですよね?」
「お伝えはしました」
伝えただけで、従うとは言っていない。
言葉のマジックという奴だ。
つや消しとか、無意味な突起の排除とか、金属的な素材の使用割合の減少とか。
以前に言ったはずの茂の要望が悉く却下されてはいないだろうか。
若干力の抜けた指で、その後に続くものを視聴する。
目に飛び込んできたそれをため息交じりにじっと見つめた。
「……移動型の簡易拠点として運用可能な、各種通信機器、サポート設備をそろえた大型トラックの改修プラン。……どういう時に必要になるんです、これ? 見積もりの概算、億ですよ!? 億!?……無駄ですよぉ。そんなお金ぇ」
うなだれるようにしてタブレットの概算額を指さす茂。
生まれて初めて億の桁の見積もりを見た。
少しばかり指が震える。
億である。単位はウォンでもルピアでもボリバルでもジンバブエ・ドルでもない。
単位は日本円で、桁数は億である。
それはもう、ビビる以外の選択肢はない。
消費税で100万を超える見積書は、胃がひっくり返りそうな衝撃を茂に与えている。
「良いものは高い。そういうものです。まあ、最近は高いが“そうでもない”というものも増えてはいますがね。ただ、これは私が見ても良いものですよ」
「……伝家の宝刀って、抜かずに飾っておくことにも意味があるんですけど、この車、飾って満足ってものでもないでしょう? 使わないんならただただ倉庫の奥で埃被るだけです。使う予定がないのになんでそんな恐ろしい金を使おうとしてるんですか!? もったいないですって!」
小市民である茂からすれば、無駄金以外の何物でもないその予算。
違ったところにもっと有用に使ってほしいものだ。
胃と胸をさする。
何故か胃酸過多になっていて、高級なはずのケーキに全く食指が動かない。
「……すごいわぁ。今までそういった事態にこれだけ連続で巻き込まれていっているトラブルメーカーが、そういうこと言うんだもんねぇ……」
あさっての方向を向いてマンガを読んでいるマユミから、ぽつりとつぶやかれた声は、幸いなことに茂までは届かなかった。
ただ、マユミからすれば人の金で準備してもらえるならもらっておけばいいじゃない、との思いから出た言葉である。
その一方で、茂の思いとしてはそんなものを用意されては精神的にいたたまれないという申し訳なさ。
きっとその2点は交わることはないだろう。
「俺の意見っていうのは基本反映されないんでしょうか? 一向にぎんぎらぎんの派手派手しいカラーリングの方向から変わってないですよ。どういう方向に突っ走ってるんです?」
「……あくまで、サンプルです。本番の仕様はきっと杉山さんのご希望に沿う色合いのものが」
「……超、嘘くさいんですが。こないだの鎧、滅茶苦茶恥ずかしかったんですよ? 確かにアレ以外使える物がなかったから緊急事態で使わせてもらいましたけど!それなのに何でこの予想図の鎧、全部それと同じ系統のカラーリングで、しかも細部に至って彫金とかされてるんですか! 盾の表面のデザイン画、前の奴より精密になってますし!! よりひどくなってますよ!?」
「……あくまで現時点の予想図ですから。今回の杉山さんの意見は製作チームへと間違いなくお伝えします」
「……伝えた後、それが製作チームの意向に反映されるかどうかは?」
「何とも、わかりませんなぁ……」
テーブルのコーヒーを手に取り、瞠目してその香りを楽しむそぶりをする門倉。
インスタントでそこまでのことをする必要はない。
完璧にごまかすためのポーズである。
「嫌な予感がするんですが、このバカ高い改造車、まさかと思うけど作ってないですよね?」
「…………はい」
不自然な1拍が回答までに生じた。
ジト目になる茂の、じめっとした視線を真っ直ぐに浴びながらも門倉はいけしゃあしゃあと、モンブランにフォークを入れている。
隣のエレーナはレアチーズケーキを上品に食していた。
「……俺、もう矢面に立つようなああいったことは、しばらくの間はないことだと思っているんですけど?」
「そうですね。平和が一番です」
「平和が一番。世界中の“ほとんどの”人間がそう思っていても、各国テロ対策の部隊は毎日訓練に明け暮れていますよ。平和が一番だと思っているはずですけどね? ままならないのが現実というもので……」
コーヒーカップを口に運びながら、エレーナが門倉に続いて発言する。
遠まわしに、いつそういう剣呑な事態が発生するかわからないと言っているわけだ。
いつの時代もどの場所でも、ネジが外れた奴は極めて稀に、確実に存在するのだから。
しかも、嫌なことに少なくともケンショウ・ガルシアの生存は確定的である。
接敵した感じからするとああいうタイプは、粘着質でしつこそうだ。
マユミをある程度責任をもってガードすると口約束ではあってもした以上、備えを完全になくすわけにはいかないわけで。
白石特殊鋼材研究所に死蔵される予定の装備一式は、もう少々賞味期限が延びてしまったのだ。
「俺のこれは、クレームじゃないんだけどなぁ……。実際のユーザーの意見なんだけどなぁ……」
「大変参考になるご意見。ありがとうございます。弊社の今後の製品開発に有効に活用させていただきたいと思います」
テーブルの上で突っ伏す茂。
表情はテーブルに伏されてわからないが、ぐず、と鼻をすする音が聞こえた。
それを見ながら門倉はモンブランの上に置かれた栗の甘露煮をうまそうにパクついて、満面の笑みを浮かべた。
「ディス・コミュニケーション。ここに極まれり、ってやつね」
テーブル傍のツインシュークリームに手を伸ばして、誰にも聞こえない声でマユミが呟いた。
――関東近郊、某所――
「いやぁ、目が覚めたと聞いたので“諸々の”ついでにお見舞いに来たよ! 調子はどうだい? ササキイチロウさん?」
けらけらと笑いながら見舞いの花として、“4輪”の“白百合”の“鉢植え”を小脇に抱えて断りもなく患者の寝ているベッドサイドの椅子に腰かける男。
可笑しそうな笑みを浮かべた美少年、クジョーが周囲で殺気立つ一団を歯牙にもかけずベッドに転がる患者のギプスに包まれた左足をぽんぽんと叩く。
床頭台のテレビの前に嫌がらせの鉢植えを飾る。
その様子にふふ、と青白い顔に笑みを浮かべた患者、ササキイチロウという偽名を名乗ったこともある男アキトシ・サーフィス・ガルシアは自由になる右手で、殺気立つ自分の部下たちを制すように掌を向ける。
「……わざわざの訪問、痛み入る。……百合は好きでね。どこか落ち着ける場所が準備できたら庭にでも植えよう。治療設備に後始末と色々準備してもらって悪かったね」
「イヤイヤ! そうでもないさ。どうせあなたたちではこうなるだろうと思って、あの居酒屋でおごってもらった翌朝には準備しておいたからね。アフターサービスは終わりって言ってたけど。これはあの日ゴチになった分のお返しってやつだよ。ただ、俺はケチだからね。段取りまではサービスだけど諸々の使用料はがっぽりもらうよ?」
「貴様ッ!!」
礼を失したクジョーの振る舞いに耐えかねたアキトシのガードが、クジョーに向かって一歩足を出そうとした。
瞬間。
かちん……
金属が擦れる音と、そしてガードの背に何かが付きつけられる感触が発生する。
「それ以上動くと、さ? どーなっちゃうのかなっ? アハハッ!!」
確かに見た目は幼気な少女である。
笑うと周りに華が咲くような明るい笑顔を振りまいているその少女は、いつの間にか動こうとしていたガードの男の背に回り込み、何か固い、そう“何か”を彼の背に付きつけていた。
クジョーと共に入室し、ドアの傍に暇そうにして立っていたはずの彼女が誰にも気づかれずに移動していた。
この大人数が緊迫している中でである。
ガードの男が全く動くことができなくなり、場全体に冷え切った空気が流れる。
一触即発。
その空気をクジョーが打ち破る。
「ハナコ、やめておきな。今日は、ササキのオジサンのお見舞いに来たんだから。けが人が増えたら彼らのお財布が大変だろう?」
「はーい。……ほらほら、ボディガードのおっちゃん、スマイルスマイルぅ!!」
ハナコと呼ばれた少女は背中から固い“何か”を離して、右手でぱんぱんとガードの背を軽く叩く。
それを受けてようやく固まっていた体に自由を取り戻したガードの男は後ろをゆっくり振り返る。
振り返った彼の目に映るのは、にこにこと笑うハナコの顔と、その手に持った金属製のボールペン。
入室したところに置かれていたバインダーに挟んであったはずの物だった。
背中に押し付けられていたのはおそらくこれだろう。
苦虫をかみつぶした表情の彼に、ハナコが体を寄せて彼にだけ聞こえる声で囁いた。
「……一度だけ。クジョーが言うから、一度だけ許したげるぅ。……覚えておきなよ?」
みしぃっ……!
小さな何かが押しつぶされる音が男に聞こえた後、彼にだけ見えるように、ハナコは笑った。
それは先程までの笑顔と全く変わらない表情だというのに、一切の色が消え失せていた。
冷たく、遠く、全てを拒絶する満面の笑み。
それを直視したガードが声を発しようとしたときには、また色が戻る。
手に持っていたボールペン“だったもの”をガードの男に押し付ける。
粉々に砕けたそれを押し付けられた男は、今度こそ一歩も動けなくなった。
その横を通り過ぎ、先程までと同じ周囲に華が咲いたような明るい笑顔を見せ、ハナコがクジョーへと駆け寄る。
「ササキのオジサン、早く元気になってねー。そんで、またご飯おごってほしいなぁ」
「……何ぶん、オジサンなものでね。年よりは傷の治りが遅くなってくるんだよ。嫌な話だがね。まあ、軽い昼食でいいなら出歩けるほど元気になったころにでも」
アキトシは目の前の少女に笑みを浮かべる。
少女、いやこの化生に。
人の形をしてはいるが、その内に何を潜ませているものか。
あの瞬くほどの間にうっすら香った、人を超えたものの香り。
年を食ったとはいえ、アキトシはそれを見逃すほど老い切ってはいなかった。
「えへへ。約束だよー?」
「ああ、約束だ」
少女の皮を被った狼。
狼で済めばいいが、とアキトシは内心でため息を吐く。
当然目の前のソレに気付かれないように。
がちゃん
「……戻りました」
「支払いは完了しました。クジョー、帰りましょう」
トゥルー・ブルー側と、女禍黄土側の折衝を行っていたジェーン・ドゥ、そして山本。
共に偽名感ありありの2名が、小脇に分厚いファイルを手に室内へと入ってくる。
山本が入るなり間髪入れずに用は済んだと告げ、退去を申し出る。
それを聞いてクジョーが立ち上がる。
「さて、もらうものはもらったし。僕らはさっさと帰るよ。……この保養所は一応あと10日は誰にも見つけられないようにしてある。いろいろなここと離れた場所に捜査の手が伸びる様、仕掛けをしておいたからさ。だからそれまでには次の宿を自分で用意して出ていきな」
「じゃあ、私も帰るね! ササキさん、バイバイ!!」
手を振りながら真っ先にハナコが出ていく。
次に軽い会釈と共に山本が。
そしてドアノブにクジョーが手を掛け、最後に退室する寸前、振り返る。
「じゃあ、精々お大事に、“アキトシ・サーフィス・ガルシア”。……今度会う時もこんな関係性だとお互い楽なんだけどねぇ?」
ふふっ、と女性であれば頬を染めるような魅力的な微笑みを残し、後ろ手にドアが閉められた。
コツコツ、となる足音が遠ざかっていく。
それを確認し、ジェーンがアキトシに近づく。
「……かなり持っていかれました。緊急だったとはいえ、彼らに援護を頼んだ代償は大きかったかもしれません。今後の活動にも大きく影響が出ます」
「最悪吹っかけられて交渉決裂とも思っていたが、上手く妥協点があったと思っていいのか?」
ジェーンは答えず、ファイルの他に持っていたタブレットをアキトシに渡す。
受け取ったタブレットをスワイプして内容を確認する。
「金はさほどでもない分、痛くはないが、やはり目的は改良型の電子魔法陣か……。都合2基。……実際に運用するための1基と解析用に1基だろうな」
「はい。致し方ないとはいえ、遠からずこの分野でのアドバンテージを失うでしょう。どの程度未来かはわかりかねますが」
「とはいえ、「骸骨武者」擁する日本の特殊部隊が我々のものに干渉しうるだけの機械的対抗手段を所有していた。……それに「騎士」は単騎で、しかも純粋な力押しで突破に成功もしている。アドバンテージとはいってもすでに対応策がある以上、優位性を保つのは難しいだろう。それを考えればさほど惜しいわけでもない」
「……あなたを失うわけにはいきません。今回の女禍黄土への後援依頼をしたケンショウの判断は至極妥当であると」
「……私も目覚めてからそう言ったのだが、本人が納得しない。今回の損失はマサキの動きを予見できなかった自らの責任だと言って、監視付の部屋で謹慎中だ。……それを言われると私も予見できなかったわけなんだがな、ははは」
「自らの基準で格下と判断した者への驕りが彼の問題点ですが、逆に言えば精神的優位を保つことができるとも言えます。今回はそれが悪く出ただけです。要は運の問題なのですが」
ベッドの横に置かれた百合の花にアキトシが右手を伸ばす。
百合の花弁の下に手をやり、それを包むように添える。
「……彼がそれを運ではないと思っているのだ。ならば、そうなのだよ。だからこそ、次はケンショウはしくじることはない。確実にやり遂げる」
「そうでしょう。彼はそういう男です」
「そして……」
1拍、大きくアキトシが息を吸う。
「そして、私もまた学んだよ。……マユミ、マサキ、そして真なるフェアリー・テイルの男」
ゆっくりと百合の花弁が閉じられたアキトシの手の中に消えていく。
ぷち、と茎から花が千切られる。
「この先、我々に油断はない。愚かな若き同胞、「光速の騎士」、「骸骨武者」、もしかすれば女禍黄土、クジョー。……すべての我らの壁となる者とそれに繋がる全て。その躯すら残さず、我々が滅ぼし、飲み込んでくれる……ッ!!!」
顔の前に持ってきた手の中にはちぎられた百合の花が咲いている。
アキトシは手を大きく開く。
辛うじて形が残っていたそれが崩れ、ぱらぱらとベッドの上に舞い散っていった。




