雑-2 焦想 のち 熱望
「はぁぁぁ……っ!」
幾度目か数えるのもバカらしくなったツレのため息を聞いて、彼は自分もそれと比べて回数は少ないが何度目かわからないため息を吐く。
そしてやれやれとばかりに頭を振ると、焼肉がじゅうじゅうと焼ける煙の向こうで夢見心地なツレにぼやく。
「なあ、トシ。お前、いい加減に目ェ覚ませ。いったいどんだけ反芻して悦に入ってんだよ、お前ェ」
「ん?あ、ああ。悪ぃ、悪ぃ! 食うよ食う! イチも焼けたのから持ってけって!」
どこか違う世界にトリップしていたトシと呼ばれた男は、慌てて網の上で若干ウェルダン気味になった肉を箸でつかみ、自分の皿へと持ってくる。
一緒にバイトを終え、その帰りに焼肉屋に連立って入店したはいいが、いつもの健啖ぶりを発揮することなくトシは皿の上に置かれた焦げ肉を箸で玩んでいた。
それを見てダメだこりゃ、ともう一人の男、一条ことイチが自分のレモンサワーを口にしてぐびぐびと乾いたのどを潤す。
荒く絞ったレモンの酸味と冷たい炭酸が口いっぱいに広がり、ぴりぴりとした炭酸の泡がのどを通り抜けていく。
ごっごっ、と喉が鳴りジョッキが空になる。
からぁん!
ジョッキの縁に氷がぶつかって大きな音を立て、そのままどんとイチがジョッキを置いた。
「ぷっ……はぁっ!! くぅぅぅっ! 効くぅぅっ……!」
ぐい、と口元を手の甲で拭い、自分のおしぼりでそこを軽く拭く。
目の前のトシには構わずに、カルビを網へと置いていく。
育てた肉を収穫する気がトシには見られないので、構わずに一条はそれを収穫、がつがつと自分の胃袋へと収めていく。
「そんなにアイドルが良いもんかねぇ……。それに引退しちゃったんだぜ? 芸能人見てテンションが上がるってんならわかるけどよ。限度があるだろ、トシ?」
「だって、お前。そうは言ってもミオミオだぞ……。パピプでぶっちぎりのトップアイドル、神木美緒様だぞ……。あんな、あんな近くで会える機会なんて俺の人生でもう二度とないって言ってもいいんだぞ!!……超絶、可愛かったぁ。超絶、かわぇぇ……」
とても大切だったので1回では足りず、さらに2回目は全力で感情を込めたようだ。
「そりゃあこんなド田舎の飯屋に来るなんてまあ、可能性は普通ゼロだろうけど」
イチはそう言って注文したあったライス(大)を、テーブルの端から手元に引き寄せる。
程よく焼けたカルビを網から回収、付け合せのサンチュの上に置くと一口で口に放り込む。
もしゃもしゃと噛むとカルビの熱い肉汁と甘辛いタレ、そしてタレの焦げた匂いが口いっぱいに広がる。
それと同時にサンチュのしゃくしゃくとした食感と水分が口の動きを滑らかにしてくれる。
一しきり味わうと、ライスを手に取り箸で豪快に掻きこむ。
コメがどんと口に入り、カルビの肉の甘さ、タレの甘さ、コメの甘さがアンサンブルを奏でる。
もしゃもしゃと奏でられるそれはいわゆる幸せの音。
イチのほほが綻ぶ。
「でも、来たじゃんか! まさか「鳥喰らい」に昼ランチに来るなんて思いもしなかったしさ!」
「そりゃあ、アイドルったって飯も食うし、水も飲むし、買い物にも行くだろうよ。むしろこんなことで運使っちゃって、こっから先悪いことでも起きんじゃねぇかと俺は不安でしゃぁ無いんだが」
「俺は、今なら軽トラまでなら撥ねられたとしても、運命と受け入れるつもりだ」
「いかれてんのか、お前。酒もそんな進んでないのに……」
トシの手元のウーロンハイは一番最初に頼んだというのにまだ7割がた残っている。
ジョッキはだらだらに汗をかいて、滴がテーブルに広がっていた。
そう言われて、思い出したようにトシがウーロンハイをぐびぐびと空ける。
彼らのバイト先鳥料理専門店「鳥喰らい」にパピプの元トップアイドル神木美緒が休業中の同じくトップアイドル藤堂ユイと共に来店したというのは、かなりのビッグサプライズであった。
氷が解けて水っぽくなったそれを腹に注ぎ込んで何が美味いのかと、イチが呆れかえった。
そうこうしているうちにも肉はどんどん焼けていく。
イチは焼きあがった肉を容積が減ったライス(大)の上に避難させ、次に育てる肉を置く。
トシは冷めた感のある肉を啄みながら、最初に頼んだ塩キャベツをこりこりと齧る。
……トシ単体であれば焼肉屋に来る意味があったのかと思うような食事風景である。
イチはとりあえずトシを無視して損をしないように飯を食うことにした。
網に置かれたタン塩(レモン)を素早く広げ、じゅわという音が奏で始められるのをBGMに即席のカルビ丼を頬張る。
がふがふと肉7、米3の割合のそれを咀嚼する。
今度はサンチュの無い分、ダイレクトに肉本来の味が舌に乗る。
焼き肉屋で最も尊い存在はこのライスだとイチは思う。
若しくはラストの杏仁豆腐。
「トシ、肉うめえぞ。……いい加減、現実に戻ってきて食えよ。神木美緒と会ったって言ったってお客様とバイト店員の立場でだぞ。せいぜい会計の時に少し話したくらいだろ? それにそれ、昨日の話じゃねえか」
「だから! まだこの気持ち、このパッション! これが持続してるうちにお前と話したかったんじゃんか!! 分かれよ! 分かれよ!? この、俺の、この……!!」
「お前のボキャブラリーが壊滅的にすくねえってのだけは十分理解した。そんで、よーく俺を見ろ? 同じように応対してた俺が今フツーに飯食ってんだぞ? つまり、俺の感じがフツーってことだ」
「なんで、なんでわっかんないかな!? くそ、お前にわかるように言ってやる、言ってやるぞ!?」
「おう、言ってみろ」
そう言うとトシは最初にでたお冷をぐいっ、と呷り喉を湿らせる。
腕組みして悩む彼を横目に、備え付けのタブレットを手に取り、ライスと冷麺、ミノ、レモンサワーのおかわりを入力する。
入力終わりに焼けたタン塩(レモン)を一切れ。
卓上のタン塩用のごま油にちょいと浸し、口へと運ぶ。
焼き上がり独特のちりちりした表面の熱さを舌先に、柔らかいながらも残るネギの繊維を歯で、ふわりと香る肉汁とレモンの香りを鼻で感じながら、噛む。
じゅわり、と広がるカルビとは違うさっぱりとした脂の旨味を堪能しながら、カルビのタレが少し残るライス(大)を手に取る。
最後の大口で一口分に当たる量(それは結構な量だ)を口に詰め込んで茶碗を空にする。
もくもくとライスを食う。
少し口のスペースに余裕ができたところでさらにタン塩(レモン)を投入。
比率が先程までとは違う、アンサンブルを再度堪能した。
「……よし、まとまった! これならどうってのを言ってやる」
「よっしゃ、聞いてやろうじゃないか」
考えがまとまった風なトシを前に、口の中のライスをお冷で流し込んだイチが応える。
組み合わせた手をテーブルに置き、まっすぐにイチを見据えるトシ。
「……お前は飯を食いにファミレスへ行った」
「ほう、それで?」
「それで窓際の席で飯を食ってる最中に、ふと外を見た」
「ほお、具体的だな」
お通しで出された生野菜の皿に手を伸ばす。
その中から輪切りにされたトマトを手づかみで一つとると、付け合わせのマヨネーズにそれをつけて口へと運ぶ。
少し時間が経っていたそれは温く、少しパサついていてうまくはなかった。
だが、肉で脂っぽい口には多少の爽快感がある。
トマトの汁が付いた指をなめて、おしぼりで拭く。
「外が何か騒々しくなっているのが見ていても解るくらいで、お前はなんだろうなぁ、と身を乗り出すわけだ」
「まあ、気にはなるからな」
次はきゅうり。
これもパサついて乾いてはいるが、マヨネーズがそれを補てんする。
ぱりぽりと音を立てて喰らう。
これもあまり美味くはなかった。
「そうしたら、ガラス窓の向こうで歓声が上がった。お前はもっと身を乗り出して覗き込む。そんで、見つけるわけだ」
「何を?」
「高々と槍を掲げる生の「光速の騎士」。ガラス窓を挟んでお前との距離約10メートル。……どうするよ、イチ」
「頼んだのが500円のモーニングでも、レジに万札おいてソッコー走る。全力ダッシュだな」
真っ直ぐな曇りの無い眼でそう断言するイチ。
先程までのトシを呆れ半分で注意していたとは思えないほど、どっしりと据わった目でトシを見つめ返す。
座席の横に置かれた麻で編んである荷物入れに入った、男物のかばんにはディフォルメされた2頭身の可愛らしい兜をかぶったストラップがついている。
「その途中で軽トラが突っ込んできたら?」
「もし「騎士」に会えるのと、軽トラに撥ねられて1週間入院するってのが天秤でぴったり水平になって帳尻が合うって言うなら、ドンと来いだな。いや、むしろ積極的に飛び込むかもしれん」
「……わかってもらえてうれしい」
「……すまん、そういう話なら分かるかもしれん」
ダメな男が二人、がっしりと握手をしていた。
そこに、店員が現れる。
注文された品を持ってきた先に、熱い握手を交わす二人を見て思う。
この席、酔っぱらってるなぁ、と。
一応言っておくが、薄くとも酒は酒。
ウーロンハイ1杯だろうが、レモンサワー1杯だけだろうが、人間酔いはするものだ。
それが悪酔いかどうかは、明日の朝にならねばわからない。
昔の人はいいことを言う。
ひとつだけ言わせてもらうならば、まさにこれこそ正しい。
『酒は飲んでも、呑まれるな』
「……なんというか、彼らが盛り上がっている分、帰りづらいな」
「……どうしましょうか、教授?」
「うぅ……、すみません……」
イチとトシのテーブルと衝立を挟んで一つ奥のテーブルで食事を楽しんでいた一団がいる。
ちょうど、イチ達の席からは見えないが、帰ろうと思うのならその前の通路を通らねばならない位置のテーブル席。
テーブルいっぱいに皿が積み上げられ、粗方が空になっている。
3名の女性客のうちシルバーフレームのメガネをかけた女性が冷麺の上に浮くきゅうりのかけらを啄む。
ベリーショートの女性は空になったジョッキの氷を一欠け口に入れ、ぼりぼりと齧っている。
全く何一つ悪くないのにうなだれる、先日芸能の世界を引退して一般人になった女性は、石焼ビビンパの器に付いた焦げた米をがりがりと所在なさげに削っている。
帰りたくとも帰れない、そんな不思議な時間が彼女たちのテーブルに流れていた。




