地固まる。
月曜の朝がやってきた。
登校時刻が終わり、八時二十分を過ぎると、皆校庭へと向かう。そんな中で、僕と葉加瀬は階段を上がった。屋上の扉を開けると既にそこには入宮がいて、その手にはメガホンが握られている。
「来たわね」
その言葉はどこか、安堵のような感情が紛れ込んでいる気がした。まぁ、こんなアホみたいなことを実行しようなんて普通は思わない。なのに、ここにはそのアホが三人もいる。
あなたたちがアホで良かった。そんな風にも聞こえた為に心の中で一応は反論はしておくことにしよう。
お前もだからな、と。
こっそりと校庭を見やれば、既に全校生徒の大半が集まってガヤガヤと雑談をしていた。こちらに気づく者は誰一人としていない。
「なんか緊張するね?」
葉加瀬は、何故か楽しそうに呟く。
そして時計の針が朝礼開始の八時三十分を差した瞬間、チャイムが鳴り響いた。
入宮と葉加瀬の朝礼ジャックは、このチャイムが鳴り終わった瞬間から始まる。
入宮がメガホンを口元にあてる。
その時だった。
――ポツリ。
それは、鼻先に触れた水滴。なんだ? そう思い見上げると、その水滴は一斉に屋上へと降り注いだ。
「きゃあ! なに? 雨?」
それは紛れもなく雨だった。空は青く、雨が降るような雰囲気などない。まさに天気雨、狐の嫁入り。
その雨は当然校庭にも降り注ぎ、綺麗に整列していた生徒たちは途端に騒がしくなった。
『生徒の皆さんは体育館へと移動して下さい! 全校朝礼は体育館で行います!』
案の定、入宮のメガホンが使われるよりも先に、教師たちが生徒たちを体育館へと誘導する放送をしている。
それをただ見つめる入宮。その腕を掴んだ。
「おい、濡れるぞ」
だが、彼女は呆然としたまま動かない。仕方なく無理やり引っ張ると、葉加瀬が屋上の扉を開けて「早く」と叫んでいた。
こうして、朝礼をジャックしての部員募集は失敗に終わった。
「あー……。まさか、急に降ってくるなんてね」
突然のどしゃ降りに制服を濡らした葉加瀬が、何とか乾かそうと襟元をつまんでパタパタさせている。そのパタパタの合間に見え隠れする肌にドキリとして目線を逸らすが、そこには濡れた制服により、うっすらと下着が透けて見える入宮が座り込んでいた。……目のやり場に困る。
「また来週だね」
葉加瀬が言った。それに、入宮も諦めたように「そうね」と返した。
まだやるつもりなのか……。そんな様子を横目に思う。たかが葉加瀬を入部させるという事の為に、ここまでやる必要があるのだろうか? そもそも、葉加瀬は空手経験者だが、その実力は喧嘩には応用されないもの。入部させたところで意味はないのだ。
……少し、意地悪だったかもな。
深く息を吐き、ポケットから『鍵』を取り出す。それを入宮の前に差し出した。
「なによ、これ」
「屋上の鍵だ。もちろん、職員室にあるやつじゃない。先輩たちが持っていたものだ」
顔を逸らしていたせいで分からなかったが、入宮の息を飲む音から驚いているのであろうことが窺える。
「……どうやって」
「麻雀で勝った。それだけだ」
別に、あてつけがましく僕の部屋の鍵と交換したことは言わなくて良いだろう。
「言わなくて悪かったな。少し、意地悪してみたかったんだ」
そう正直に告白する。
「そう……ありがとう」
だが、それに入宮は怒ることなく、むしろお礼を言ってきた。予想していた反応と違っただけに調子が狂ってしまう。
「えっ? なに? どういうこと?」
この場で、状況を理解していない葉加瀬だけがそんな戸惑いの反応を見せる。もう、彼女を入部させる必要も、朝礼で部員募集をする必要もなくなったのだ。全てを暴露しても良いだろう。
「実はな? ――」
それから僕は、葉加瀬に事の全貌を詳細に説明してやる。入宮が先輩たちの持つ屋上の鍵を欲していたこと。そして、その目的の為に葉加瀬を入部させようとしていたこと、そして、その必要がなくなったことを。
話終えると、葉加瀬は僕を意味ありげに睨んでいた。『喧嘩のこと』は、先日話していたが、『鍵』のことまでは言ってなかったからだろう。それは、葉加瀬にとって裏切りにも思えたのかもしれない。全てを話したフリをして、重要なことは話さなかったのだから。
だが、僕はそこまで葉加瀬に肩入れする気もなかった。どちらの味方でもあるということは、やはり、どちらの味方でもないのかもしれない。そして、それにはどちらにも不誠実な心を孕む必要があった。
やがて葉加瀬は諦めたのか僕から視線を外し、入宮へと向ける。
「それじゃあ、入宮さんはその鍵を手にいれる為、私に声をかけたの?」
「そういうことだ。悪かったな、こっちの事情に巻き込んで」
それには、僕が答えてやった。
「いや、別に良いんだけどさ……」
何故だか、残念そうに返す葉加瀬。まさか、本当に朝礼での部員募集をやりたかったのだろうか。
「でもさ、何でその鍵なの?」
その質問には肩を竦めるしかない。
そう……そうなのだ。全ての発端は、その鍵から始まっている。なのに、その発端は僕さえも知らずにいた。
「話してくれても良いんじゃないか? 入宮」
そう言って入宮に向き直る。彼女は受け取った鍵を胸の前で握りしめ沈黙していた。だが、やがて顔をゆっくりと上げる。
「この鍵は……実は、私の姉が作ったものなの」
発せられた言葉は穏やかで優しく、そして予想外のもの。
「お姉さんが?」
「えぇ。でも、姉は三年前に亡くなったわ。重い病気だったの」
一気に空気が重くなった気がした。それを察してか、入宮は途端に笑ってみせる。
「別に、今はもう気にしてないの。それに、姉は最後の瞬間まで笑顔だったし」
「……遺品だったわけか」
だが、その言葉に入宮は首を振る。
「そういうことじゃないの。でも、そういうことでもある」
「……どういうことだ?」
「この鍵はね? 姉の遺品の中にある箱を開ける鍵なのよ」
その言葉に、より一層わけが分からなくなる。葉加瀬も同じような反応だった。
「姉は、自分の余命が短いことを知っても笑顔だったの。心配しているのは周りだけで、本人はいつも笑ってた。そんな姉が私に言ったの。『悔いの無いように生きなさい』って」
「良いお姉ちゃんだね」
しみじみと葉加瀬が呟いた。それに、入宮は力なく笑う。
「でね? どうすれば悔いの無いように生きられるのかを私が聞いたら、姉は私に鍵の掛かった木箱を渡してきたの」
「その鍵が、それなのか?」
入宮は頷く。
「私の姉はこの学校の天文部だったの。たぶん、イタズラにも似た感覚だったんだと思う。屋上に入るために作った合鍵を、その木箱を開ける鍵にもしてしまったのよ」
「マスターキーか。というか、そんなこと出来るのか?」
「……おそらくこの鍵で開けられる木箱を特注でつくってもらったんだと思う。だから、その木箱は鍵穴の部分だけ変な形をしてるもの」
そういうことか……。学校の備品で勝手にそんなことをするとは、さすがは入宮姉。やることが大胆過ぎる。
「姉は、この中にその答えがあるからって言ってたわ。だから、私はその答えを知るために天文部へ入部したの」
「……学校側に相談すれば済む話じゃなかったのか?」
それに、入宮は何とも言い難い表情を見せた。
「きっと、それは姉の望んだやり方じゃない。だから、姉はその木箱を開ける鍵が天文部にあることだけを私に告げたんだと思う。……私がこの学校に進学して、天文部に入るように」
「回りくどいやり方だな」
「私もそう思うわ。でも、その答えもきっとその中に入ってるんだと思う」
そう、考え深そうに入宮は鍵を見つめた。
長い静寂が、僕と彼女たちの周りに積もった。
「……そうだったんだ。つまり、私は入宮さんの私情に利用されようとしていたわけだ」
その静寂を破った葉加瀬の言い方には刺があり、入宮は申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんなさい」
その声には力ない。さすがに言い過ぎじゃないか? そう葉加瀬を咎めようとした時だった。
「でも、私も謝らなくちゃいけないかも。……入宮さん、ごめんなさいっ!」
その前に、葉加瀬が自分から頭を下げてしまった。それに今度は入宮と僕が戸惑う番。
「実は……私は入宮さんを利用しようとしてた。朝礼で派手な部員募集なんかやったら、当然周囲からは冷ややかな目で見られる。でも……それはきっと入宮さんだけ」
「……どういうこと?」
「私には自信があったの。もし、冷ややかな目で見られても全部入宮さんのせいに出来るって」
「私の……せい」
確かめるように入宮はそれを復唱する。
「うん。入宮さん、学年でも有名な自由人だから、そんな入宮さんに『無理やり巻き込まれた可哀想な私』を演じることが出来ると思ったの」
そう言って葉加瀬は、不意に見せた自虐の表情を入宮から逸らした。
「そしたら……周囲は私に同情してくれる。でも、私が欲しいのは同情じゃなくて、それによって演劇部の知名度が上がることだったんだ」
その自虐からは、丸裸の真実がポツリと落ちた。
「私、烏丸くんに言ったよね? 演劇部に人が入らなくても大丈夫だって」
「……あぁ」
「そんなことない。私は、この高校の三年間を無駄に出来るほど余裕なんてない。だから、それは嘘」
そう言って、葉加瀬は背筋が凍るような声を出した。
「なんとしても私が舞台に立てる環境を整えたかった。だから、私は『知名度のある入宮さん』を利用しようとした」
その言葉には、一切の感情が含まれていなかった。ただ、やるべきことを当然のようにやったかのような、平然とした冷徹さがそこにはあった。
「だから、おあいこだね」
そして、次の瞬間には元の葉加瀬に戻っていた。その瞬間的な早変わりが、違和感が、さらに悪寒を助長させる。
葉加瀬に隠していたことを僕が話し、葉加瀬が僕らに隠していた真相が明かされる。さらに、入宮が隠していたことまでもが明るみになった。
おそらく、三人ともその事に後悔など無いのだろう。
だからこそ、気まずいとは決して言えない苦い雰囲気が、その場を占拠した。
それを崩したのは、入宮のため息。
「別に葉加瀬さんが謝ることじゃないわ。それに……そこの男も私に隠れてこそこそ動いていたみたいだシネッ」
最後の言葉を強調するように、そこの部分だけは俺に顔を向けた。
「……語尾が別の言葉に聞こえたのは気のせいか?」
「気のせいでしょ? 私、言いたいことはハッキリ言うもの。死ね」
入宮は、笑顔でそれを口にした。
「……やっぱり気のせいじゃないな」
それにはもはや呆れる他ない。
「とまぁ、こんな感じだし、私は何とも思ってないのよ」
何とも思っていない、という部分に深く疑問が残ったが敢えてそれを言わずにおく。どうせ言った所で無理問答なのは目に見えていた。
「そっか、最初から私たちの中には、被害者なんていなかったんだね」
いますよ。ここに。巻き込まれただけの可哀想な烏丸武人くんがっ!
「そういうことね」
だが、そんな心の叫びなど通じるはずもなく、場は収まってしまう。ため息混じりに扉を明けてみると、雨は止んでいた。どうやら通り雨だったらしい。
雨降ってなんとやら、か。
不意にそんなことを思った。
僕らは三人とも、不誠実で裏切りを腹に秘めていて、そのことに後悔など微塵も感じていなかったらしい。
結局、三人とも悪者だったわけだ。
だから、正義のヒーローがいないその場に、後ろめたさは残っていなかった。
そう考えると、この世界にはヒーローなどいないのかもしれない。待っていたところで、自分を助けてくれる者など一人も居はしないのだ。結局、自分の身は自分で守るしかなく、自分を救えるのも自分だけ。
つまり、早くも孤独を選んでいた僕は間違っていなかった。間違っていたのは他の奴等で、時代が僕に追い付いていなかっただけなのだ。
……まぁ、いくら正しいとはいえ、それが証明される前に死んでしまったら意味などないのだが。
だが、それが正しいのなら、いつかは証明されるはず。それまでに僕は、このままで居られるのだろうか。
――それまで。
褒められもせず、苦にもされず、そういう者に私はなりたい。
次回は一応……12月15日更新予定




