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92話

【運動場】

 放課後になった。冬の夕日が雲間から差し込んで、運動場が赤く染まっている。

 運動場の半分ほどを占有している大小の避難テント群も、夕日を浴びて赤く反射していた。テントの数は、全校生徒と教職員全員を収容しているので、50張もある。テント村と呼べる規模だ。


 それぞれのテントの内部は〔結界〕の中に収められているので、見かけ上は非常に小さい。『テント型のドア』と呼んだ方が適切かもしれない。ドアの内部は〔結界〕という別空間だ。

 そのままでは突風が吹くと倒れたり、飛んでしまう恐れがあるので、全てのテントは地面に深く刺さった固定具で支えられている。


 その異様に奥行きのないテント村の隅には、避雷針と電波塔を兼ねた高さ30メートルのセラミック製の柱が何本か立っていた。

 学校は広大な亜熱帯の森の中にあって、周囲には小さな農家しかなく町まで遠い。帝都を始めとした都市や、各省庁、軍警察などへの連絡手段として必要だ。今までは、寄宿舎の屋上に通信機器が設置されていたのだが、今はもうない。


 その柱の1本が、ジャディの巣にされていた。カラスの巣を巨大にして豪華にしたような外観だ。中古のソファーなどの家具が持ち込まれているのだが、どう見てもゴミ捨て場の様相である。

 トイレやシャワーに、台所までも巣に作ろうとしていたジャディだったが……柱が倒れると校長が悲鳴を上げたので、テント村にある共同トイレやシャワーを使用している。

 今も泥汚れが目立つツナギ作業服である自称『鎧』に水の精霊魔法をかけて、柱の直下にできた池で洗濯している。他に下着や手袋、靴やカバン、ソファーのクッションまで一緒に洗っている。


 ムンキンが呆れた顔をして、ジャディに忠告した。

「オイ、バカ鳥。柱の基礎がある場所で、洗濯なんかするなよ。柱が傾くだろうが」

 普通は空中に水の玉を浮かべて、その中で洗濯をするのが一般的なのだが……ジャディはあえて地面に池を作って、その中で洗濯している。その池の中央に、ジャディの巣がある柱が立っていた。当然、柱や柱の基礎に水しぶきがバンバン上がっている。


 その忠告を鼻先で笑って、ジャディが凶悪な琥珀色の瞳をムンキンに向ける。

「うるせえな、トカゲ野郎。オレ様は大地の精霊魔法を強化する訓練中なんだよ。空中で洗っちゃ意味がねえだろうが。バカはオマエだ、バカ」

 このまま口論して、ついでにケンカをしても良かったのだが……今日は用事がある。ムンキンがジト目のままで、数回尻尾を池の波打ち際で叩いた。

「まあいいや。その柱が倒れたら、ちゃんと直せよ。それで、強化杖はどうした。さっさと持って来いよ。どうせ使い過ぎでボロボロなんだろ」


 ジャディが黒いカラス型のシャドウに命じて、濁流渦巻く池から「ヒョイ」と洗濯物を引き上げさせた。空中に飛び出した洗濯物を、無造作に上空の巣へ吹き上げる。さすがに風の精霊魔法の扱いには長けている。


 しかし、それっきりなので、ムンキンが思わずツッコミを入れた。

「オイ、干さねえのかよっ。生乾きになって臭くなるぞ。ついでにシワだらけになるぞ」


 ジャディが再び鼻で笑う。

「何言ってんだよ、このバカトカゲは。風の精霊魔法を使えば、一瞬で脱水乾燥できるだろうが。シワも風圧で残らねえよっ」


 逆に感心し始めるムンキンだ。魔法の正しい使い方かも知れない。ジャディがボロボロにヒビ割れた強化杖を、〔結界ビン〕から取り出して、ムンキンに投げて渡した。

「ほらよ。この杖なんだがよ。魔力は強くなったし、反応も素早くなってるけどよ。見ての通り、脆すぎるんだよ。使えねえぞ、このクソ杖。ちゃんと作れ」


 ムンキンがジャディの杖を〔結界ビン〕の中に押し込んで、フタを閉めながら同意する。

「だよな。僕の杖も割れまくるんだよ。まあ、今回の実験で何とかなるだろ。預かっておくぞ。どうせ、バカの貴様が来たところで、理解できねえだろうからなっ。森へでも飛んで遊んでろ」


 ジャディが背中の翼を大きく広げた。それだけでフワリと地面から浮き上がる。そのまま、ゆっくりと上昇しながら、凶悪な笑みをムンキンに向けた。

「おう、遊んできてやるわあっ。まだまだ木星の風の妖精の魔力を使いこなせていねえ。すっげえ魔法をオマエに食らわせてやるから、楽しみにしておけっ」

 そのまま何本もの旋風を従えて、森の方へ飛び去っていく。あっという間に音速を突破したようで、爆音が鳴り響いた。


 柱を中心にしてできている泥池に、ムンキンが濃藍色の瞳を向ける。ジト目になって、柿色の金属光沢を放つ硬くて細かい鱗を少し逆立たせた。紺色のブレザー制服が少し膨らむ。

「この泥沼を何とかしろよな」

 簡易杖を一振りすると、泥沼が乾いていく。ちょっとした大きさの空池だ。案の定、柱の基礎が浮き上がってしまい、見えてしまっている。

 ため息をついて首を少しひねったムンキンが、簡易杖を制服のベルトに差す。

「基礎は放置でいいか。傾いていないようだしな」




【ミンタの部屋】

 杖の強化実験を行う場所は、ミンタの個室テントの中だった。出入り口の幕を片手で上げて、ムンキンが入室すると、既に全員が揃っていた。ミンタとペル、レブン、ラヤン、それにドワーフのマライタ先生、それにサムカ熊だ。

 さすがに、これだけの人数が入るとテント内も狭く感じる。テント内には家具などが1つも見当たらないので、ミンタが片付けたのだろう。


 ムンキンが、〔結界ビン〕を2つ取り出して、自身の強化杖とジャディから預かった強化杖をマライタ先生に手渡した。

「僕が最後だったか。遅れてすいません。僕とジャディ君の杖です」

 ムンキンが猫かぶりモードになった。『僕』とか言い出したら、その状態だ。いわゆる優等生モードである。今さら優等生モードになっても、正体を知っているこの面々には意味はないのだが、習慣なのだろう。マライタ先生を含めた生徒たち全員も、特にムンキンに指摘したりはしていない。


 あぐらをかいてデンと座っているマライタ先生が、生徒たちから受け取った6本の強化杖をマジマジと見て唸った。

「むう……予想以上にボロボロだな。前回は、ペル嬢の杖が一番壊れておったんだが、今回はどれもこれも大破しておるわい」

 そして、赤いゲジゲジ眉を愉快そうに上下させて、黒褐色の瞳を輝かせた。

「竹ホウキで、家の基礎杭を岩盤に打ち込んだ後のような有様だな。ワシは好きだぞ」


 ミンタとペルが気恥ずかしそうな顔で視線を交わす。

 ミンタが鼻先を魔法の手袋をした指でかきながら、両耳の先をピコピコ動かした。隣のペルも似たような仕草をしている。2人とも正座で、かしこまっていた。

「結構、いけると思ったんだけどなあ。無理がかかっちゃったかあ」

 ミンタの反省の弁に、ペルも両耳を伏せた。鼻先のヒゲも垂れてしまっている。

「ごめんなさい。杖って難しいんですね、マライタ先生」


 サムカ熊だけは、あまり理解できていない様子だ。手足が短いので、人形のようにテントの壁幕にもたれかかっている。

「私は、杖をあまり使わないので実感はないが……しかし、こうして見ると、確かに魔法使いにとっては重要な魔法具なのだな」


 ラヤンがジト目になってサムカ熊を見据えた。彼女も正座だが、どこか威張っている雰囲気がある。尻尾も床を何度か「パンパン」と叩いている。これはムンキンも同様だ。

「テシュブ先生が異常なだけです。灰になっても〔復活〕できるアンデッドなんて、異常ですよ。法術の神にケンカを売っている自覚をもって下さい。それと、その巨体どうにかできませんか。テントの半分くらいを占有していますよ」

 ラヤンに指摘されて、サムカ熊が慌てて手足を引っ込める。それでも体積はあまり変わらないようだ。なお、さすがにテントの半分を占めるほど巨大ではない。


 マライタ先生が杖の状態を全て確認し終わって、手元の空中ディスプレー画面で演算を開始する。無骨なドワーフ語表示で、大量のデータが洪水のように流れ始めた。

「サムカ熊先生も、ここしばらくの間はロッカーで寝ていたそうだな。もうしばらくの間、大人しくしていてくれ。学校の保安警備システムが、まだ本格復旧していないんだ。また、システムが熊先生を排除する恐れが残っているんだよ」


 サムカ熊が素直にうなずいた。本当に熊らしく動いている。いつものサムカの仕草ではない。かなり自律行動の割合が強いようだ。

「うむ、そうだろうな。私が担当する授業以外では、ロッカー内で寝ているようにしているよ。使い魔やシャドウなども今は長期休暇で、どこかへ旅に出ている。復旧作業に専念してくれ」


 ペルとレブンが顔を見合わせた。そう言えば、最近は地下2階の教室にいる使い魔や、シャドウの姿を見ていない。彼らの発する魔法場も感じられていなかったのを思い出す。

「旅行できるんだね、使い魔さんやシャドウって」

 ペルのつぶやきに、レブンも目を魚状態に少しだけ戻しながらうなずく。

「うん……後で、テシュブ熊先生にその術式を教えてもらおうよ。土地に縛られない方法があるんだね」



 演算にまだ時間がかかるようなので、マライタ先生が座ったまま大きく背伸びをして、雑談を始めた。

 テントの中では、あぐらをかいて座っているのはマライタ先生だけだ。生徒たちは全員が正座をしている。サムカ熊は両足が短いので、足を前に放り出してテントの壁幕にもたれている。

「どの異世界でも似たようなものだそうだが、いきなり世の中が良くなったりはしないものだ。魔法を使ったとしても、そうそう好転はしない。この杖と同じように、かえってボロボロになってしまうことの方が多い」


 マライタ先生の話にサムカ熊がうなずく。壁幕に巨体を預けているので、どこか威張っているようにも見える。口調は丁寧だが。

「そうだな。農業や畜産でも同じことが言える。種を蒔いた翌日に収穫はできないものだ。ヒナ鳥が翌日に親鳥になって卵を産む事もない。じっくりと時間をかけて作物や家畜を育てていかねば、良い収穫は期待できないよ。理論だけで走ると、思うように行かぬものだ」


 さすがに今日はミンタとムンキンも頭を引っ込めて大人しく聞いている。目の前にボロボロの杖が並んでいるのだから、反論のしようがない。


 マライタ先生がゲジゲジ眉を愉快そうに上下させて話を続ける。座っていると、本当に酒樽のようだ。

「杖の機能が気に食わないから変える。その事自体は良い。だが、方法はよく吟味しないとな。例えば、この学校の移り変わりを見れば分かるだろう。帝国上層部や我々異世界のゴタゴタで、組織が刷新されて真新しくなるたびに、学校はどんどん破壊されていった。今じゃテント暮らしだ」

 確かにそのようになっている。顔を見合わせる生徒たちだ。マライタ先生がサムカ熊にも黒褐色の視線を向ける。

「テシュブ熊先生の城も、そうだったな。居城を失ってしまった」


 サムカ熊が熊手で頭をかいて、背を丸める。

「貴族として面目もない。ドラゴンの件では『もっと賢い方法』があったと、国王陛下から痛く叱責されてしまったよ」


 マライタ先生が手元の空中ディスプレー画面を見ながら、演算の進捗状況を見る。

「ワシも人の事を、とやかく言う立場ではないけどな。密造酒事件とかやってしまったし」

「ガハハ」と笑って、演算の終了を確認した。

「世の中は基本的に『思うようにならない』ものだ。だからといって全てを壊しても、残った荒れ地から何か生まれるか……というとそうでもない。せいぜい、食えそうもない雑草がまばらに生えるだけだな」

 マライタ先生が気楽な口調で話を続ける。

「普通は、もっとロクでもない状況になるものだ。毒草が生えたり、荒れ地がそのまま砂漠になったりな。ワシらがやるべき事は『壊してしまえ』じゃなくて、『悪い所を見つけて直していく』事だろうよ」

 そして、もう一度白い歯を見せて笑った。

「クソみたいに地味だけどなっ。さて、演算が終わった。始めるとするか」




【杖の強化ふたたび】

 ミンタとペルから、これまでに施した杖の強化方法を改めて聞くマライタ先生とサムカ熊である。

 サムカ熊にとっては、何かの暗号文でも聞いている様子だ。熊の口を半開きにして、熊耳をパタパタさせているだけである。光の精霊魔法と魔法工学の話なので、アンデッドには縁遠い。


 これまでに行ったのは、木星の極低温のヘリウム中で、酸化亜鉛の微細な真球結晶を作成した事。ダイヤ単結晶にゲルマニウムを添加したりすることで、性能を強化した事などであった。専用の術式も、新規で色々と作成している。


 マライタ先生が感心しながら、情報を自身の空中ディスプレー画面に入力していく。ウィザード文字なので、延々と高分子模型がつながっていくような印象だ。無数の小さな衛星状の装飾も加えられている。

「……ふむ。どれもそれ自体は、因果律に触れない工夫をしているね。それぞれの重要部品や、術式の強化という面では、良い仕事をしているよ。ワシの世界の新米工よりも優秀じゃわい」

 赤毛のモジャモジャヒゲが愉快そうに動いている。

「普通の魔法使いや精霊魔法使いってのは、特定の魔法だけを使うからな。杖も専用に特化しておる。エルフ先生やノーム先生のライフル型の杖なんかがそうだな。見たことがあると思うが、もの凄い威力の魔法を使っても、杖が大破するようなことは起きにくい」


「そう言えばそうだな……」と顔を見合わせる生徒とサムカ熊だ。マライタ先生が軽く咳払いをして、話を続ける。

「しかし、お前さんたちのような獣人族は別だな。多様な種類の魔法を使いこなせる。そうなると、杖も本来は用途別に特化した物を何本も用意して、それを使い分けるべきなんだが……まあ、面倒だわな。『1本の杖であらゆる魔法を自在に使いこなす』そんなとんでもない要求を満たす必要がある。これまでの所、よく杖の研究をしておると思うぞ」


 褒められて思わず表情をほころばせるミンタとペルである。2人の尻尾がシンクロして左右に揺れている。マライタ先生が、口調を変えずに赤いゲジゲジ眉をひそめた。本題に入ったようだ。

「……が。問題は、重要なコア部品だけに視野が限られていた事だな。重要部品を、別の何かに交換してしまうと、全体の挙動がおかしくなる。最悪の場合、他の部品と干渉して爆発したりするものだ」

 そして、杖に走る無数のヒビ割れを手袋をした手で指さした。

「今回は、杖の魔法回路に過大な負荷がかかった。では、今回は杖の魔法回路を含めた全体の構造について、検証してみるか」


 ペルが何か思いついたようだ。「ピコン」と両耳と尻尾が跳ね上がる。

「あ、あの。マライタ先生。もしかすると、シリセンがいけなかったのですか? シリセンには延性や靭性がありません。衝撃に脆い素材です」

 マライタ先生がニッコリと笑って白い歯を見せた。

「そういう事だな。シリセン回路に『応力ひずみ』が及ばないようにする工夫が必要になる。衝撃を吸収するような素材でシリセン回路を包んで『保護する』という手法がまず考えられるな」


 ペルが首をかしげて考えている。耳元のアンテナヒゲ群が連動してピコピコ動く。

「ゴム……かな? でも、そうすると、杖の強度がすごく下がってしまうし……」

 ミンタもペルと同じように首をかしげた。同じ場所が同じように動いている。

「炎の精霊魔法なんかを使うから、杖には局所的に少なくとも500度以上の熱がかかるわね。光の精霊魔法では紫外線やエックス線も使うし。ゴムのような有機物じゃあ、すぐに劣化してボロボロになると思うわよ」


挿絵(By みてみん)


 ムンキンも同意見だ。尻尾をリズム良く床に打ちつけて考えている。

「ソーサラー魔術の〔石化〕魔術なんかも使うからな。樹脂とかゴムにとっては天敵みたいなもんだ」

 サムカ熊も熊耳を交互にパタパタさせて腕組みしている。

「……そうだな。闇の精霊魔法との相性も良くないと思うぞ。やはりここは闇の因子にも対応している、鉱石や粘土、セラミックの方が汎用性が高いと思える」


 一方のラヤンは少しジト目気味で、軽くため息をついていた。

「面倒ねえ……法術だったらゴム製でも余裕で使えるわよ。マルマー先生が絶対に認めてくれないでしょうけどね。貧相な見た目になるから」

 ミンタもラヤンに同意する。

「そうよね。杖がゴム製だったら、安っぽく見えるわよね。ちょっと、遠慮したいわ」


 マライタ先生が無骨な指でクシャクシャ髪をかきながら、ちょっと考えてから提案した。

「シリセン以外の魔法回路用の素材があれば、打開できそうだな。ちょっと待ってくれ」

 新たに発生した空中ディスプレー画面が、無骨なドワーフ語の洪水で埋まった。数秒間ほどすると、その文字の洪水が収束して何かの文章になっていく。ドワーフ語なので生徒たちも読めない様子だ。


 マライタ先生の赤いモジャモジャヒゲの先が「ピクリ」と動く。

「……これなんかどうだい? ちょいと因果律に関わってしまうかも知れないが」

 ドワーフ語が瞬時にウィザード語に翻訳されて、長大な高分子模型のような文章になった。サムカ熊が目を点にさせて降参のポーズをとる。

「か、かなり難解な文章だな。どういう内容なのかね?」


 ペルとレブン、それにラヤンが口を真一文字にして、サムカ熊と同じポーズをとった。ペルが申しわけなさそうにサムカ熊に謝る。

「すいません、テシュブ先生。私もこれは複雑すぎて読めません……」

 レブンも悔しそうな表情で呻いた。

「ペルさんと同じく、すいません。ウィザード語はかなり学んで、それなりに自信があったのですが……分子同士が重合していて、新しい意味を為しています。さらに数種類の単語装飾が相互作用を及ぼしていて、元の単語の意味がかなり変わっているんです」


 確かに、バネ状の分子が互いに絡まって編み物のようになっている。さらに無数の衛星のような単語装飾が縦横に編み物の中を走り回っていた。編み物も多層構造になっているので余計に難解になっている。


 ラヤンがジト目をきつくして、大きくため息をつく。

「これだからウィザード語は『欠陥言語』って言われるのよ。法術みたいなエレガントさが欠片もないわよね」

 とは言え、法術の術式で用いられる言語も難解だ。文字はウィザード文字に似ているのだが、泡が多数重なり合ったような形状なので、見ていると水中で溺れそうな錯覚を覚える。


 ムンキンが必死で〔解読〕しているが、かなり面倒な状況だ。尻尾の床打ちビートが不規則になっている。

「概要は分かるけどな。これって、特殊な条件下で発生する素粒子、ええと『マヨネズ粒子』……かな。『それを使って大規模な量子演算ができるそ』っていう論文ですよね、マライタ先生」


 マヨネズ粒子という単語は、授業でも習うので生徒たちにも聞き覚えがある。サムカ熊だけが取り残されて、まだ首をひねって腕組みしている。

「どういう事なのか、もう少し分かりやすく説明してくれると非常にありがたい」


 ギブアップしているサムカ熊に、ミンタがドヤ顔になって微笑む。

「じゃあ、説明してあげるわね。よく聞きなさい貴族の先生」

 マライタ先生も、白い歯を見せて「ガハハ」と笑っただけで、ミンタに解説役を任せた。


 シリセンの表面では、見かけ上『質量ゼロの電子』が発生して、それを自在に〔操る〕ことができる。

 この現象は、シリセンだけの特徴ではなくて、特殊な超電導状態の金属の表面でも起きる。超電導状態の金属表面に、特殊な絶縁体を塗った場合だ。

 この絶縁体は、その内部だけが絶縁体で、表面は導体という性質を持っている。その塗布処理をした超電導状態の金属は、表面が導体で、内部が超電導の状態になる。本来の超電導状態ではなくなり、不完全な状態になる。

 これが因果律に干渉するようになるのだ。結果として、特別な量子状態が発生する。


 特別な量子状態とは、『特別な素粒子が発生する』という意味でもある。この特別な素粒子が『マヨネズ粒子』と呼ばれるものだ。この粒子は、電子と光子の中間の性質を有している。プラスでもマイナス電荷でもない中性で、しかも電子と同じくスピン回転をし、光と同じく波の性質を持つ。


挿絵(By みてみん)


 少々目が回っているようなサムカ熊に、ミンタがドヤ顔のままで、精神の精霊魔法を使った強制記憶魔法で情報を叩き込んでいる。ゆっくりと時計回りに回っているサムカ熊の頭を「ポンポン」叩くミンタだ。

「光子や電子って、量子状態の維持が難しいのよ。でも、このマヨネズ粒子なら簡単になるってわけ。杖にかかる応力や魔法場なんかの、外部環境の変化にも強くなるってことね」


 まだよく理解できていないサムカ熊である。マライタ先生が白い歯を見せながら補足説明する。

「壊れやすいシリセンの代わりに、特殊な金属を使うってことだよ。金属なら、それなりに靭性があるからな。割れたりしにくくなる」

 そして、声の調子を少しだけ真剣にした。

「だが、別の論文が警告しているんだが、反物質にも強い関わりがある。取り扱いには注意が必要だな」


 反物質と聞いて、サムカ熊も大よその危険性が理解できたようだ。熊手を組んで唸った。

「うむむ……反物質か。真空のエネルギーとも関わってくるのか。確かに、用心するに越したことはないだろうな。まあ、真空崩壊が起きる恐れは無いが、因果律崩壊は起きるかもしれぬ」


 しかしミンタはマライタ先生とサムカ熊のコメントを聞いて、軽いジト目になって不満そうにしている。尻尾をパサパサ振って床を掃く。

「でも、それって結局はシリセンと同じって事でしょ? マライタ先生。シリセン回路で過負荷がかかったから、杖が壊れたんだけど。ただの代用品じゃあ、あまり意味がないわよ」


 マライタ先生が別の論文を引用してきた。これもすぐにウィザード語に翻訳されて、複雑な編み物状になっていく。「またかよ……」と、うんざり顔になる生徒とサムカ熊である。


 今度はマライタ先生が直接解説してくれた。

「見かけ上『質量ゼロの電子』や『マヨネズ粒子』も、光速で魔法回路を流れるのは良いんだが、1つ大きな問題がある。ミンタ嬢が指摘した通り、『回路の表面上』でしか発生しないって事だな」

 サムカ熊からの反応が全くないのだが、無視して話を続ける。

「それで、この論文には、『回路内部』でも光速移動できる仮想粒子の研究が書かれてある。これは、マヨネズ粒子の三次元版の仮想粒子の研究だな。残念ながら、見かけ上質量ゼロの電子の三次元版の研究は、信頼性と再現性で基準を満足できなかったので除外してある。すまんな」


 ミンタがウィザード語の、巻リボンが絡み合った高分子模型図のような複雑な文章を、たどたどしくゆっくりと読み取っていく。金色の毛が交じる両耳が不規則にパタパタ動いているので、難航しているようだ。

「……ええと、『ワシル粒子』? というのね。性質はマヨネズ粒子と似ているけれど、全くの別物ね、これって。あ。辞書が更新できた。これで速読できる。ちょっと待っててね」


 そして、高速で論文を読み取った。ものの数秒しかかかっていない。呆然としているペルたちに、ドヤ顔でウインクする。ついでにサムカ熊とマライタ先生にも。

「かなり特殊な条件なんだけど、要約するとこんな所かな」

 ミンタが解説を始めた。すっかり先生口調と態度になっているので、口元を緩めているペルだ。


「ワシル粒子ってのは、仮想粒子なのね。ある条件を満たすと物質の内部で、一対のペア粒子として発生するの。このペアの粒子は自転方向が左右逆になっていて、ワシル点と呼ばれる磁極になるのね。一方は単体のN極で、もう一方は単体のS極。普通はN極とS極が一緒にあるべきだけど、これは片方だけ」

 当然、このような現象は普通は起きない。しかし、起きると……

「少しだけ因果律に触れるので、一般の物理化学法則がちょっとだけ適用されなくなる。この場合は、巨大な仮想磁場が発生して、金属中の『電子の質量がゼロ』になるの。抵抗ゼロで魔法回路を電子が流れるから、魔力を電子に乗せてやれば、『魔力も抵抗ゼロ』で回路を流れるという訳ね」


 ミンタがさらに論文を読み込んでいく。

「このワシル粒子には2種類あって、半金属の中で発生する非磁性ワシル粒子と、金属の中で発生する磁性ワシル粒子ね。半金属ってのは土類と金属を混ぜた合金なんだけど、これって陶器のようなものだから割れやすい。それに非磁性体だから操作も面倒だし。加工しやすい金属の中に発生する磁性ワシル粒子を使った方が便利かな」


 合金では通常は金属だけを混ぜ合わせる事が普通だ。しかしここでは土類という土を混ぜている。当然ながら割れやすくなる。杖が割れやすいのを改良する事が目的なので、今回は後者を採用する。


「ええと、マンガンとスズの合金なのね。これなら入手も簡単だわ。この合金の構造を、カゴメ格子にして、反強磁性体にすればいいのか。室温でワシル粒子が発生するのも利点ね」

 ここでミンタの明るい栗色の瞳がキラリと光った。頭の金色の縞も少し光を帯びたようだ。

「へえ……磁性ワシル粒子が作り出す仮想磁場が、かなり巨大ね。しかもそれを地磁気の20倍程度の弱い磁場をかけるだけで操作できるのか」


 ミンタが〔空中ディスプレー〕画面を介して、ペルたちにその情報を共有してもらう。ここまでの情報は、魔法が関わらない純粋な科学法則に沿った内容となる。

 発生する仮想磁場は500テスラを超える強烈なものになりそうだ。磁場と電気とは密接な関わりがある。巨大な磁場を操作できるという事は、同時に巨大な電流を流す事もできるという事になる。魔力を電子に乗せるので、大出力の魔法が使いやすくなる。

「しかもオマケ機能で、熱を電気に変換する事もできそうね。火炎魔法なんかを使った際の放射熱を魔力に〔再利用〕できるかも」


 どよめきがペルたちの間で広がっていく。マライタ先生も興味津々の様子で熱心にミンタの解説を聞き入っている。サムカ熊はここでは放置だ。

 そんな彼らの反応を、鼻先と口元のヒゲをピコピコさせながら受け止めたミンタが最後にドヤ顔になった。

「とにかく、金属というのが気に入ったわ。これなら壊れにくい杖にできるわねっ。この磁性ワシル粒子は、マヨネズ粒子と違って、回路の表面だけじゃなくて、金属の内部も含めた全体で起きるのが特徴ね」

 しかも、魔法に頼らずに上記を実現できる。その上で魔法を使えるので、術者や杖への負荷が軽減される。

「魔法回路を流れる術式の量が、飛躍的に増えるわね。金属だからシリセンと違って、靭性があるから壊れにくいし、延性もあるから加工しやすい」


 ムンキンが腕を組んで尻尾を≪バシバシ≫床に叩きつけて何か考えている。

「……欠点としては、高熱をかけて金属を溶かしたり、不純物を何か混ぜ込んだり、ワシル粒子のペアを強制的に衝突させたり、そんな事をさせると機能不全を起こして停止するってことかな」


 マライタ先生がミンタに黒褐色の瞳を向ける。

「……という事だな。どうだい? 出来そうかい? ワシは今、別件で忙しくてな。お前さんたちの手助けは無理だ」

 そして、今度はサムカ熊に視線を投げてニヤリと笑った。

「中性子物質の加工が、難航を極めておってな。ドワーフ世界でも『あんな代物』を扱ったことがない。まあでも、突破口は見つかりつつあるから、もうしばらく待ってくれ。テシュブ熊先生」


 サムカ熊が申し訳なさそうに熊の鼻先を熊手でかいた。ミンタからの、きついジト目視線にも恐縮している。

「そうか。難題を押しつけてしまって済まない。ミンタさんたちにも迷惑をかけているな、これも済まなく思う。貴族としては、どうも……剣づくりに夢中になってしまう癖があるな」


 ミンタがジト目のままで文句を言った。

「そうよね。生徒の事を放置して『趣味の剣づくり』とか、教師としては失格だと思う」



 マライタ先生が恐縮しているサムカ熊をニヤニヤしながら見つめていたが、次の話題に移ることにしたようだ。先程までの、論文情報が怒涛の洪水のような勢いで流れていた空中ディスプレー画面を、ぱっと切り替える。

「魔法回路の修正は、そんなもので良かろう。では次に、魔法回路への『応力ひずみ』を吸収する性質を持つ、杖の素材開発に移ろうか。ワシの推奨素材はコレだな」


 空中ディスプレー画面に新たな原子模型が表示された。これはウィザード語ではなく、普通の金属原子の配列構造の模型だ。金属原子は銀で、杖の素材としては普通なのだが……何かが違う。


「あ」

 ペルが声を上げた。すぐに首をすくめて、黒毛交じりの尻尾を両手で抱きかかえて縮こまってしまったが。

 マライタ先生がニコニコしながら、ペルに黒褐色のキラキラ光る瞳を向ける。

「何か分かったかね? ペル譲」


 まだ尻尾を両手で抱きつつも、ペルが首を伸ばして薄墨色の瞳を少し輝かせた。

「は、はい……すいません、いきなり変な声を上げてしまって。ええと……『金属ガラス』ですよね、先生」

 耳慣れない単語に、ミンタを含めた生徒全員とサムカ熊が首をかしげている。


 マライタ先生が白い歯を見せてうなずく。

「正解だ。よく勉強しているね。じゃあ、金属ガラスの説明を、ペル譲に頼もうかな」

「は、はい」

 促されるままに、ペルが膝立ちになる。ミンタに顔を向けたままで話を始めたので、口調が気楽な感じになっているようだ。

「ガラス構造になっている金属だよ。これもマヨネズ粒子やワシル粒子みたいに、特殊な条件が必要なの」


 普通の金属は、金属原子が規則的に並んだ『結晶構造』になっている。この構造を持たない金属が『金属ガラス』だ。

 性質はガラスに似ていて、高強度、高硬度、高い弾性を両立させている、極めてたわみやすい特異な金属である。また、比較的低温で水飴のようになるので、精密成型の加工にも適している。魔法回路を包み込んで、衝撃吸収をする素材としては優れていると言えるだろう。


 ペルの顔が曇った。

「でも、問題があるの。成型加工の圧力や、加熱なんかで、ガラス状だった金属の一部が結晶構造に戻ってしまうの。杖に加工したり、炎を浴びたりしたら、普通の金属に戻ってしまうのよ。だから、私は候補には上げていなかったんだけど」

 ペルが片耳をピコピコ動かして、マライタ先生に聞いた。

「何か回避できる方法があるんですか?」


 ムンキンが腕組みして唸る。

「ペルの言うように、こんな危うい物性じゃあ……使えないと思うけどなあ」


 マライタ先生が赤いクシャクシャ髪と顔を覆うヒゲを揺らして、赤いゲジゲジ眉を上下に動かした。

「あるんだな、これが。教育指導要綱には書かれていない内容なので、教えていなかったけどなっ」


「ええ~……」と、ジト目になる生徒たちを、愉快そうに眺めるマライタ先生。

「ペル嬢が説明した通り、ガラス構造っていうのは、結晶が含まれていなくて、原子が全部バラバラに配列している構造だ。だが、ちょっとした事で結晶構造が一部で生まれてしまう。これを『構造緩和』って呼ぶんだが、金属が脆くなって割れたりヒビが入ったりする原因になる。しかも、こいつは、そのままでは元に戻らないんだよな」


 金属はエネルギーの面から見ると、ガラス状態よりも結晶状態の方が安定している。そのために、ガラス状態に戻すためには、熱をかけてエネルギーを与えてやる必要がある。

 結局それは、脆くなった金属を再び溶かして、最初から作り直すという作業を意味する。


「実は、ここに盲点があったんだよ」

 マライタ先生が、軽くガハハ笑いをした。

「金属の『融点』と、『ガラス遷移温度』には温度差があるんだぜ」


『ガラス遷移温度』というのは、ガラス構造特有の粘性流動が、金属ガラスに発生する温度のことだ。だいたい、その金属の融点の半分程度の温度になる。金属ガラスが柔らかくなる温度といっても良いだろう。


「ガラス遷移温度のちょっと上の温度で、『ごく短時間』だけ加熱する。その後で『急速冷却』させる。この作業で、構造緩和してボロボロに脆くなっていた金属ガラスが、若返って元の状態に戻るんだ。包丁や刀剣を鍛え直す際によく使われている伝統的な手法だな」


 日本刀をつくる際に、金属を真っ赤に熱してから水に突っ込んで急速冷却するが、これでは雑すぎる。温度管理を厳密にして瞬間加熱と急速冷却を行う事で、マライタ先生が言う現象が実現する。


 マライタ先生もその点を考えているのか、軽く肩をすくめた。

「今はもう、魔法具やライフル杖の時代だから、博物館で展示されている様な古臭い手法なんだけどな。でも、使えるはずだ」


挿絵(By みてみん)


 サムカ熊が熊頭をひねっている。

「死者の世界では、そんな技術は知られていない。なぜだろう。かなり有用な技術だと思えるのだが」

 マライタ先生が愉快そうに笑った。

「構造緩和の調査方法が、俺たちドワーフ以外には無理だからだな。目視じゃ見つけられないほど微細な構造変化なんだよ。エックス線回折とかの構造解析や、超音波探傷でも検知できないんだぜ。職人の勘が頼りってやつだ」

 レントゲン撮影やソナー探知を凌駕する『職人の勘』という事になるが……そこまでいくと、ほとんど超能力とすら呼べるだろう。


「構造緩和が起きた後に、金属疲労の傷がようやく見えるようになるからな。でも、金属疲労を起こしてからでは、もう手遅れだ。目に見えるほどの大きな傷に、成長してしまった後だからな。そうなったら、いくら金属ガラスでも全部溶かして、最初から作り直すしか方法はない」

 マライタ先生の説明に、「なるほど」と納得するサムカ熊だ。刀剣の事になると食いつき度合いが違うようである。


 マライタ先生が生徒たちに顔を向けた。理想的なドヤ顔をしている。

「魔法には、〔ログ〕ってのがあるだろ。そいつを活用すれば良いさ」


「あ!」と、今度はミンタが声を上げた。

 さすがにペルのように縮こまることはしなかったが、やはり恥ずかしかったようだ。上毛を含めた顔のヒゲ群が全て四方八方を向いてしまっている。

 とりあえず、大きく咳払いをしてから、ミンタがマライタ先生に答える。

「何か適当な魔法を基準にして、それを定期的に使うのねっ。その使用〔ログ〕の情報を比べて、杖が脆くなり始めているかどうかを早期診断するってことか」


 そして、すぐに手元の〔空中ディスプレー〕画面に何か打ち込み始めた。ものの15秒ほどで術式が完成する。ドヤ顔になって、その術式をサムカ熊も含めた全員に共有して自慢していく。

「できたわよ。音響を発生させる魔法ね。構造緩和が起きたら、音の波長なんかに影響が出るはず。で、そうなったら、急速〔加熱〕と急速〔冷却〕の自動処理を行うようにしたから。これで杖にヒビが入る前に、〔修復〕できるわねっ」


「おお~……」と、感心している先生と生徒たち。

 マライタ先生もニッカリと笑う。

「まあ、それでもドワーフの職人芸には及ばないけれどな。どうしても見落としが出るのは覚悟しておけよ」



 そう忠告してから時間を確認する。

「そろそろ、夕食の時間だな。じゃあ、その前にもう1つ片付けておくか。『金属ガラス』は有用だが、部品によっては『普通の金属』の方が良いことも多い。それについての助言だ」


 普通の金属でも、靭性や加工しやすさを向上させることができる。

 金属を作る際に、材料となる金属を『細かい粒状』にしておく。その模式図を空中ディスプレー画面に表示した。結晶構造を含んだ小さな顆粒が、ぎっしりと詰まっている金属の模式図だ。

「目安は粒径0・1マイクロだな。金属の性質ってのは、この辺りのサイズから大きく向上するんだ。それを加工して部品を作れば良い。金属ガラスは、低い温度で柔らかくなってしまうからな。それがマズイ部品には、こういう手法がある。この微細粒を使わない普通の金属と比べると、段違いの強度と靭性を発揮するぞ」


「なるほど」とうなずくサムカ熊。人形なのだが、興奮しているのが丸分かりである。

「これは実に有益な情報だな。感謝するよ、マライタ先生。それはそうと、レブン君。いつもはメモをとっているはずだが、今日はしていないな」

 レブンが深緑色の瞳をキラリと輝かせた。

「シャドウの『深海1号改』へ意識〔共有〕しているんですよ。僕の〔分身〕ですね。メモはシャドウがガシガシやっています」


「そうなのか」と周りの生徒も驚いている。

「あ。でも、時々は僕自身がメモを取りますよ。メモするのって楽しいですからね」


 マライタ先生が後片付けを始めた。とは言っても空中ディスプレーを閉じて、杖ごとに処方箋を記したシール型のチップを貼りつけるだけだが。あくまでも、杖の改良は生徒たちに任せるつもりのようだ。

「そうだな、オマケでもう1つだけ言っておくか。魔法回路だが、複雑化すると誤作動が起きやすくなるし、何よりも消費魔力が増える。だから、魔法回路が作動していても、本当に必要な術式が走る回路だけに魔力を正しく供給することだ。不要な回路への魔力は〔遮断〕する事が重要になるだろうな」


 素直にうなずく生徒たち。酒樽に太くて短い手足が生えたような赤毛のドワーフが、腰に手を当てて立ち上がった。

「話は以上だ。腹が減ったな。夕食を食いに行くか」


 生徒たちが大きく背伸びをして、テントから出ていく。

 マライタ先生も運動場へ出て、大きく背伸びをした。そして、サムカ熊に赤いゲジゲジ眉を上下させて誤魔化し笑いのような表情を向けた。

「テシュブ先生、実はもう1つ悪い知らせがあるんだよ」

 サムカ熊が首をかしげる。冬の日差しが熊のぬいぐるみの毛先でキラキラと反射している。

「ん? 何だね」


 マライタ先生が無骨な指で顔を覆う赤いモジャモジャヒゲを、無造作にかく。

「うむ。金星の資源調査なんだがね。あれから何度かドワーフ政府が探査機を送り込んだんだよ。結果は現地の妖精に見つかって全滅だ。なかなか厳しいものだな。テシュブ先生が使っている、〔防御障壁〕の術式を教えてもらえると助かるんだが。どうかな?」


 サムカ熊が朗らかに答えた。

「うむ。その程度であれば構わぬよ。食事後にでも術式を渡そう」

 そして、運動場を歩きながら、腕組みをして熊頭を再びかしげる。

「……金星での実習授業では、妖精や精霊に気づかれてはいないのだが。そんなに難しいものかね?」

 マライタ先生が、たくましい肩をすくめた。

「みたいだな。闇の精霊魔法が便利過ぎるんだと思うぞ」




【ステワの居城】

 死者の世界では、ステワの城の復旧工事が進められていた。作業しているのはアンデッド兵とステワの領地に住んでいるオークの作業員であったが、その中にサムカの姿も交じっていた。

 さすがに黒マントを羽織った古代中東風の長袖シャツの姿ではなく、巡回指導用の赤茶けた中古のマントと古着である。靴も床面を傷つけないように中古の乗馬用の革靴だ。そして、軍手のような手袋をしている。

 どこからどう見ても、領主とは言えない。


 巨人の大きな足跡が残っている広間は、既に破片の片付けが終わっていた。今は床や天井、壁や柱に残っている大小の亀裂や欠落部を、専用の補修パテで埋めている作業中だ。その作業をサムカもやっていた。

 ベルトに吊るしている長剣が邪魔なので、それをマントの中に〔消去〕したサムカが、壇上でニヤニヤして見ているステワにジト目視線を送った。彼の隣には、成人したばかりの巨漢の13世が立っていて、申し訳なさそうな顔をしている。


「普通の貴族であれば、こういうのは屈辱なのだろうな。良い罰ゲームだよ、まったく」

 サムカが丹念に柱のヒビを、左官用のコテを器用に使ってパテで埋めていく。その手際の良さに、オーク作業員たちも、驚きと称賛の眼差しを向けていた。


 ステワが、サムカを手伝おうと向かいかける息子を制する。

「父上……!」

 息子からのちょっとした非難を聞き流しながら、悪友ステワが満足そうな笑みを浮かべて、蜜柑色の瞳をキラキラ輝かせている。

 彼はサムカと違い、貴族らしい古代中東風の長袖シャツとズボンに、豪華な刺繍が施された黒いマントを羽織っている衣装だ。白い手袋にも数多くの宝石指輪があり、首や手首、腰のベルトにも数多くの宝石をあしらった装飾品が自己主張している。革製のブーツもピカピカだ。それは、彼の後ろでオタオタしている息子も同様だった。

「普通の貴族なら決闘モノだろうな。普通じゃないサムカ卿には適用されないから安心しなさい。しかし、補修作業の手際が、玄人はだしだな。これでは罰ゲームにもならぬではないか」


 さらにサムカを冷やかしにかかるステワに、サムカが手元の時刻表示を指さした。

「残念だが、そろそろ〔召喚〕の時刻だ。後ろ髪を引かれる思いだが、仕方あるまい。とりあえず、この広間の柱の半分は補修できた。残りは、戻って来てからで良いかね?」


 ステワが満足そうにうなずく。ベルトや首元の装飾品が涼しげな音色を立てている。

「いや、これで充分だ。床の巨人の足跡と共に、テシュブ卿の熟練の技を紹介できるよ。良い観光資源になるさ」


 サムカが左官コテを、隣で作業しているオークに手渡した。オークがひっくり返るような動作で受け取った。

 そして、「アワアワ」言いながらもバタバタと足音をせわしく立てて、オークの現場監督がいる広間の扉付近に駆けていく。


 その現場監督に軽く手を振ったサムカが、床の巨人の足跡に山吹色の視線を移す。つま先から踵まで、ざっと見て10メートル強ある、巨大な足跡だ。

「巨人族は今までに何度か見たことがあったが……これほど巨大なモノは初めてだな。足跡からにじみ出ている正体不明の魔力も巨大だ。ハグの言う通り、魔神級の巨人かもしれぬな」


 広間の床の8割ほどを占有している足跡からは、確かに得体のしれない魔法場が泉のように湧き出ている。しかし、貴族やアンデッド兵、それにオークには、特に何も影響を及ぼさないようだ。


 ステワが壇上から華麗に飛び降りて、サムカの立つ場所まで歩いて来た。13世も背を丸めて、彼の後ろにピッタリとついている。

「我や息子、それに配下の騎士の調子が、あれ以降良くてな。恐らくは、この足跡のせいだろう。この床の上に透明の床を設けるつもりだよ」


 サムカが中古マントやズボンに付着しているパテを魔法で〔消去〕しながら、うなずく。

「それが良いだろうな。ただの岩山と森しかなかった貴公の領地に、新たな観光地ができた。これで観光客も増えるんじゃないかね」


 ステワが意外にも真面目な顔になって、頬を緩めた。ついでに肘を、サムカの中古マントに食らわせる。

「我が領地にいるのは、オークの商人ばかりだからな。多少なりとも、これで貴族や騎士がやって来るようになると嬉しいさ」

 そして、さらに真面目な表情になった。自身の鉄錆色で癖のある短髪を、手袋をした手でかく。

「我が息子が、サムカ卿から武術の稽古を受けたいと熱望している。どうかな、時間を少し割いてくれるかい?」


 ステワの背後に立っている巨漢の13世が、緊張で固まった。サムカが山吹色の瞳を細めてうなずく。

「構わないよ。後で執事のエッケコから、私の領地の復旧工事の予定を聞いて、時間を設けることにしよう。巨人族の体だから、すぐに私を凌駕できると思うよ。その後は、我が師匠に推挙してみよう」


 13世の表情がパッと明るくなった。とはいえ、アンデッドで死体なので白い顔のままだが。巨体ながらも素早く片膝をついて、サムカに感謝の意を示す。

「有難き事でございます。全身全霊を以って稽古に励む事をここに誓います」


 サムカとステワが顔を見合わせて口元を緩めた。

 サムカが手を差し伸べて、13世を立ち上がらせる。成人式後にまた体格が変化したようで、元の巨人ゾンビらしさが失せている。今の身長は2メートル半といったところだろうか。貴族らしい威厳が現れてきた印象だ。

「あまり気負うのは良くないぞ。とりあえずは、君の体が完全に馴染むまで待つとしよう。まだ体格が変化を続けている時期だろうからね。その間は、次期当主としての勉強と実務に励めばよい」


 サムカの手元で時刻表示が点滅してアラームが鳴った。ウーティ王国の国歌だったので、思わず顔がほころぶステワだ。

「また、オシャレな曲にしたものだな、サムカ卿」


 サムカが一歩後ろに引いてステワ親子から離れる。<パパラパー>という、いつものラッパ音がどこからか鳴り響いた。

「知っている曲が、これしかなくてね。ではまた」

<ポン!>

 水蒸気の煙が立ち上ってサムカの姿がかき消された。軽く肩をすくめるステワだ。

「召喚ナイフも罰ゲームには、ならなくなってしまったようだなあ」




【テントの中】

 〔召喚〕先は大きなテントの中だった。床は防水シートになっており、そこに魔法陣が描かれていて、供物が供えられている。それらを足で乱したり、蹴り飛ばしたりしないように注意するサムカだ。

 すぐに蒸気の雲が晴れた。視界が回復したサムカがキョロキョロしている。


「良かった。成功ですね」

 校長がほっとした表情で、隣のサラパン羊を褒めている。2人ともスーツ姿で裸足だ。作業靴を履いていないので、今はもう復旧現場指導や手伝いを行っていないのだろう。魔法の手袋も新品になっている。

 一方のサムカは、赤茶けた中古のマントと古着の姿で、乗馬用の柔らかい革靴だ。手袋も軍手に近い。


 口いっぱいにチョコレートバーを突っ込んでモゴモゴしている羊が、胸を張って笑い始めた。

「もふぁふぁふぁ。もふぁは、もごもご、もげもげ」

 多分、誰にも解読できないセリフを吐いているサラパン羊に、校長が洋菓子店のテイクアウト用の箱を1つ手渡した。モゴモゴと嬉しそうな顔をしているので、何かの菓子なのだろう。

「ご苦労さまでした。後はいつものように、ごゆっくりして下さい。サラパン主事」


 サラパン羊が大事そうに菓子箱を抱えて、毛玉が跳ねるように「ポインポイン」とスキップしながら、テントから外へ出ていった。地下の学生食堂にでも向かうのだろう。

 その羊の後ろ姿を見送った校長が、嬉しそうにサムカの両手をとった。慌ててサムカが〔防御障壁〕の調整をする。

「教員宿舎が〔液化〕攻撃で溶け去ってしまいまして、今はこうしてテントでの業務になっています。〔召喚〕が上手くいくかどうか不安でしたが、成功して良かったですよ」


 サムカもハグから『その後の状況』を聞いてはいたのだが、実際に見てみると(予想以上の被害だったのだな……)と思う。

「大変だったな。死者は出なかったようで、何よりだ。私もあの時に、加勢していれば良かったかな」


 校長が首をかしげた。白毛交じりの毛皮が室内灯の光を反射してキラキラしている。

「テシュブ先生は、当時、〔召喚〕不具合が起きたせいで、魔力が全く出ない状況でした。私たちの〔召喚〕ミスです。謝るのは私たちの方ですよ。きちんと〔召喚〕できていれば、大ダコの攻撃にも充分な対処ができたはずです」

 今度はサムカが首をかしげる。

「ん? それはどういう……」


 その時、ハグの声が〔念話〕でサムカに届いた。しかし、ハグ人形の姿は見えない。

(獣人世界の連中は、墓所のせいで記憶〔改変〕を受けておるんだよ。そのまま聞き流せ、サムカちん)


(また、あの連中の仕業か……)と、軽いジト目になるサムカであった。しかし、すぐに普段の穏やかな表情に戻って、校長の肩を「ポン」と叩く。

「気にするな。壊れた建物は、また直せばよい。では、そろそろ授業に向かうとしよう。どこで授業を行えば良いかね?」



 テントから出ると、運動場の半分を大小のテントが占有しているのが目に飛び込んできた。入口だけで奥行きがほとんどないドアのようなテントなのだが、サムカも〔結界〕魔法をよく使うので、特に奇異には感じていないようだ。


 これら50張にもなるテント群の占有で、運動場は使える面積が半分になっている。そこではパリー先生と、ソーサラー魔術のバワンメラ先生、それに力場術のタンカップ先生が、それぞれ30人ほどの生徒を相手に、実習という名の魔法バトルを繰り広げていた。

 パリー先生は生命の精霊魔法の授業中なのだが、なぜか〔レーザー光線〕や〔火炎放射〕、それに直径数メートルほどのスライムを使って、生徒と楽しそうにバトルしている。


 校長が口元のヒゲをモニョモニョ動かしながらサムカに弁解した。

「学校とその周辺の警備を、パリー先生にお任せしている状況でして……私もあまり強く言えないのですよ」

(なるほど、校長の弱みに付け込んで遊んでいる訳か……)と納得するサムカ。


 パリー先生が早速サムカを発見して、ニヘラ笑いを浮かべながら両手を振って挨拶してきた。

 かなりご機嫌のようで、松葉色の瞳がキラキラしている。服装はいつもの古着の寝間着に、草と蔓で編んだ苔まみれのサンダルだ。

「アンデッドせんせー、こんにちはあ~。いっしょにバトルしよーよお~。完璧な灰にしてあげるわ~」


 サムカがにこやかな笑みを浮かべて、やんわりと遠慮する。

「残念だが、私はこれから授業だ。生徒たちは精霊や妖精とは違うから、手加減してやれよ」

「まかせなさあ~い」とこれまた間延びした猫なで声で、返事するパリー先生。


 いきなり、サムカに魔法攻撃が炸裂して爆発が起きた。

 サムカのすぐ隣を歩いている校長も容赦なく巻き添えになったので、サムカが校長を〔防御障壁〕で包んで守る。古着の赤茶色マントの裾が爆風で、バタバタはためいた。


 サムカが軽く肩をすくめて、攻撃元のバワンメラ先生と、タンカップ先生の2人に、山吹色の視線を向けた。かなり呆れている。

「私相手に攻撃魔法の実射訓練をするのは別に構わぬが、シーカ校長まで巻き添えにするのは感心しないな」


 しかし、2人の先生はまるで反省していない様子だ。

 タンカップ先生がタンクトップシャツを筋肉で膨らませて、半ズボンのたくましい足で地面をバタバタ踏みしめて悔しがっている。スニーカー靴は新品に変わっていた。

「ちくしょう! また今回も〔防御障壁〕で止められたかっ。対アンデッド用の新型魔法だったんだが、本部に苦情だな、くそっ」


 ソーサラー魔術のバワンメラ先生も、同じように地団駄を踏んで悔しがっている。

 こちらはボロボロ服のヒッピースタイルなので、シャツや長ズボンの穴が体の動きで大きく歪んで、何か叫んでいるような口に見える。不必要なほどの過剰な首飾りや腕輪足環、ベルトにバンダナに付いている無駄な装飾品も、派手な音を立てて鳴っている。

「空間の亀裂を経由しての攻撃魔法だったんだがなあっ。〔テレポート〕魔術刻印を使っていないから、不意打ちできると思ったんだが、なかなかやるなテシュブ先生!」


 それぞれのクラスの生徒たち、総勢60人も先生に同調して悔しがっている。力場術のクラスでは、級長でムンキン党のバングナンが、狐の尻尾を振り回して天を仰いでいるのが見えた。

「ぐおー! これでもダメかあっ。恐るべしは貴族だなっ」

 タンカップ先生が早速、手元に〔空中ディスプレー〕画面を呼び出して、苦情を本部へ入れ始めている。


 ソーサラー魔術のバワンメラ先生が、バングナンに語りかけた。担任ではないのだが。

「バングナン君! その心意気や良しっ。次回こそは、あの貴族先生を再び灰にしてやろう!」


 いきなりの爆発で腰を抜かしている校長の手を、サムカが引いて立たせて、彼を保護している〔防御障壁〕を解除する。貴族が使用する〔防御障壁〕なので、生者である校長には悪影響が出る恐れがあると思ったのだろう。

 校長の様子を確認して安堵してから、改めてバワンメラ先生にジト目を向ける。

「空間の亀裂を利用する考えは良いが、あまり多用するのは感心しないな。まだ学校は、魔法場汚染の影響で不安定だ。何かの弾みで、亀裂が大きくなって変な異空間が発生しないとも限らないぞ」


 しかし、そんな忠告でひるむような2人ではない。ますます元気になって、サムカに魔法攻撃を繰り出してきた。爆発が連続して発生し、サムカと校長を包み込んでいく。

 近くのテントが5張ほど爆風で吹き飛ばされたが、お構いなしだ。

 バングナン級長を先頭にした60人の生徒たちも調子に乗って、歓声を上げながらサムカに魔法攻撃を開始した。サムカがため息をついて、再び校長に〔防御障壁〕をかけて守る。


 また腰を抜かして運動場に座り込んでしまった校長を、サムカが引っ張り上げて背負った。

「そう言えば、シーカ校長。大ダコ率いるアンデッド群が海から上陸して攻めてきた際に、ソーサラー魔術協会やドワーフ政府から大量の魔法具を導入したようだな。私もある程度は聞いているが、実際のところ役に立ったのかね?」


 校長が腰をさすりながら、サムカの背中で素直にうなずく。〔レーザー光線〕と爆炎渦巻く中なのだが、校長もかなり慣れてきているようだ。

「そうですね。軍と警察の友人から聞いた話ですが、好評だったようですよ。追加注文もかなりする予定とか」

 それを聞いたサムカが、整った眉を上下させた。

「そうかね。アンデッド退治は、法術使いやエルフにノームが、よく請け負っているらしいからね。彼らの面目が少し傷ついたかもしれないのか……」


 校長が察したようだ。

「あ。テシュブ先生の授業には、カカクトゥア先生と、ラワット先生の〔分身〕が見学で参加するのでしたね。2人とも無事に、教職に復帰なされましたよ」


 盛大な魔法攻撃が続いているせいで、他のクラスからも続々と生徒が飛び出て来た。そして、一緒になってサムカへの魔法攻撃を勝手に始める。

 その中にはリーパット党もいて、リーパットが顔を真っ赤にして何か演説しながら、無反動砲のような形状の魔法具をサムカに向けて撃っている。

 ムンキン党やアンデッド教徒の連中も、これ幸いとばかりに攻撃に参加してきた。法術のマルマー先生までも、嬉々としてサムカに法術攻撃を始めたので、ジト目になって呆れ果てるサムカである。


 背中に背負っている校長が、手元に時計を呼び出して時刻を確認した。

「テシュブ先生、そろそろ授業開始の時刻です」


 サムカが軍手に似た手袋をした左手を、耳元まで上げる。

「そうかね。では、連中を黙らせるとするか」

 そのまま、左手を「スッ」と振り下ろした。


「ぐえ……」

 何か呻き声がそこらじゅうで起こり、元気に魔法攻撃をしていた総勢150人余りが一斉に昏倒した。


 たちまち静かになる運動場。爆炎もついでに〔消去〕したサムカが、ニヘラ笑いを浮かべて1人だけ立っているパリー先生に頼んだ。

「済まないがパリー先生。彼らが授業開始まで起きなければ、適当な魔法で気付けして起こしてくれ。私が行うと、さらに気絶させることになりかねない」


 パリー先生が素晴らしい笑顔になって即答した。赤い紅葉色のウェーブがかった腰まである髪の先が、ヒョイヒョイ跳ねている。

「いいわよ~。精神の精霊魔法も~色々勉強したのよね~ちょうどいい的になる~」


(後で、クーナ先生に後始末を頼む事になりそうだな……)と内心で思うサムカである。キョトンとしている校長に、一応説明した。

「闇の精霊魔法で脳神経の電気信号を消したのだよ。脳機能が強制停止になったようなものだな。後遺症は出ないから、心配は無用だ。1分ほどで回復するだろう」


 校長がサムカの背中越しに周囲をキョロキョロ見回していたが、素直に納得した。運動場には150人余りがピクピク痙攣して地面に倒れている。

「そうですか。テシュブ先生の事ですから、心配はありませんね。では、教室となっているテントまで、ご案内します。そのまま真っ直ぐです」


 パリー先生が嬉しそうにピョンピョンその場で飛び跳ねながら、カウントダウンを開始した。

「何を試そうかな~あれもいいな~これもいいな~うふふふ~」


 サムカが思わず口元を緩めて、校長の指さす方向へ歩き始める。テント村の外れにある中規模の大きさのテントのようだ。森に面しているが、日当たりは良い場所に見える。

「パリー先生。繰り返すが、手加減しろよ。さて、私たちも巻き添えを食らう前に、この場から退散した方が良いだろう」


 そして、改めて周囲を見渡した。

 寄宿舎は完全に消滅しており、軍と警察の施設もない。教員宿舎は再建工事中だ。地下階の教室は、まだ使用不可のようで、階段には進入禁止のロープが張られていた。花壇も半分以上が消滅しており、観賞木や観賞花もすっかり減っている。

「慰霊碑も消えてしまったか……」

 サムカが小さくつぶやいた。校長が背中から身を乗り出して、申し訳なさそうな表情になる。

「再建したいのですが、人手が足りていない状況でして……」


 サムカが少し考えてから、微笑んで首を振って否定した。

「いや。まずは寄宿舎や、学校施設の再建が最優先だ。軍と警察が戻るのに備えて、それなりの施設も用意する必要があるだろう。全てが片付いた後で、慰霊碑の再建を考えてもらえれば良い。慰霊碑にはアンデッドだけではなくて、亡くなった生徒たちの名前も刻んでいたからね」

 校長も素直にうなずく。

「そうですね。今となってはバントゥ君たちの墓標ともなります。必ず再建しますよ」


 そのような話を校長として歩いていると、テント村の中で墓用務員と目が合った。ホウキと塵取りを手にして清掃をしている。

 墓はいつも通りの少し汚れた作業服で、ゴム底サンダル履きだ。ややガニ股の腰を前かがみにして、ゴミを掃いて集めている。ゴマ塩頭が、冬の日差しを浴びて微妙に反射して輝いていた。

「これはテシュブ先生。これから授業ですか。仕事中なので、お茶も出せず申し訳ありません。頑張って下さいね」

 言外に、「サムカの授業を見学する」と伝えてきたので、サムカが鷹揚にうなずく。

「うむ。生徒たちなどの期待に添えるよう、努めるつもりだ。爆発が何度か起きたので、地面をならしてくれると助かる」

 墓用務員がニッコリ微笑んで、ゴマ塩頭を深々と下げた。

「はい、かしこまりました」


 校長が微妙な表情で墓用務員を見送る。白毛交じりの尻尾が不規則に揺れ動いた。

「帝国の国宝なのに、申し訳ない思いです。掃除用のゾンビという事なので、本来の使用目的に合っている事は合っているのですが……」

 サムカが背負っている校長の道案内に従いながら、山吹色の瞳を少し輝かせた。

「掃除用なのであれば、掃除をさせるのが正しいゾンビの使い方だよ、シーカ校長。ゾンビは使うことで魔力が蓄積されていくから、ああやって積極的に使う方がゾンビのためでもある」

 実際は、そこらのゾンビとはまるで別物なのだが、その点には触れないサムカである。校長も、サムカの説明である程度は納得したようだ。

「あ。テシュブ先生、このテントですよ」


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