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90話

【皆が皆、泥まみれ】

 ミンタがようやく立ち上がって、背伸びをした。ボロキレと化した制服に付いている土汚れを、破れ放題の手袋をした両手で≪パンパン≫叩いて落とす。

「精霊場は通常値に戻ったわね。じゃあ私たち精霊魔法専門クラスが、先にエラー〔修正〕を始めるわよ。ムンキン君はラワット先生のクラスを指揮して。まだ、ニクマティ級長は動ける状態じゃないみたいだし。私はカカクトゥア先生のクラスを指揮するから」

 確かに、全身が泥まみれになっているニクマティ級長は、呆然として座り込んでいるままだ。


 ムンキンもようやく立ち上がって、首をグリグリ回した。

「了解だ。ゴーレム先生は完全に破壊されてしまったようだし、俺たちが代わりに指揮を執った方が良いだろうな。エラー〔修正〕は早めにやった方が良いから、さっさと始めるか」

 そして、まだ立ち上がれないでいるペルとレブンにドヤ顔を向ける。

「生命の精霊魔法をもっと勉強しろよな。じゃ、先に行ってるぜ。ゆっくり休んでろ」


 ペルとレブンが顔を見合わせて、力なく微笑む。

「ミンタちゃん、私ももう少しで回復するよ。後で手伝いに行くからねっ」

「ムンキン君、僕も回復したらすぐに応援に向かうよ。気になるのはパリー先生だね。怒って暴走しないように、注意してくれると助かるよ」

 そう言ってペルとレブンが、まだ力が入らない手を振ってミンタとムンキンを見送る。


 ラヤンも座ったままで、シレッとした顔で手を振って見送った。

「うーん……そうね、こういった場合に備えて、私も精霊魔法をもっと学んでおいた方が良いのかな」


 運動場の泥の池では、マルマー先生が完全復活をしていた。泥まみれの豪華な法衣と過剰装飾が施された大きな杖を振り回して、何か喚いて暴れている。他の生徒たちや軍と警察に事務職員たちの騒ぎ声が大きいので、森との境界の木陰にいるラヤンにはよく聞き取れない。

 それでも大して聞く価値はなさそうなので、そのまま休憩を続行するラヤンであった。

 マルマー先生の隣では、同じく泥まみれのスンティカン級長がようやく立ち上がったところだった。まだまだフラフラしているので、彼も役に立ちそうにない。


 ラヤンがそんな担任と級長を見て、小さくため息をつく。

「マルマー先生や他のウィザード先生って、地下階から運動場へ飛び出た瞬間に泥水にされていたっけ。状況が把握できていないのも当然か」

 そして今度はサムカやマライタ先生に向けて、〔指向性会話〕魔法で文句を言う。

「テシュブ先生、マライタ先生。建物の復旧は、やはり無理なのかしら? 先生の癖に、とんだ無能よね」


 サムカとマライタ先生が顔を見合わせて、眉を揃って上下させている。まずは、サムカが錆色の短髪をかいて、ラヤンに視線を向けた。

「無能呼ばわりされても反論できぬな。墓所の魔法だから、私には対処の方法がないのだよ。済まないね。またマライタ先生に頼ることになると思う」


 次にマライタ先生が下駄のような白い歯を見せて、ラヤンに笑いかけた。ラヤンの位置から見ると、赤毛の樽が口を開けて笑っているようにしか見えない。

「ワシの本国との通信が回復したばかりでな。報告やら何やらが終わったら取り掛かるさ。さすがにワシの趣味の範囲でやるには、ちと、規模がでかいからな」


 今度はサムカが、ペルとレブンに向けて〔指向性の会話〕魔法をかけた。同時に泥の池の中からジャディが飛び上がってくる。すぐにサムカの姿を発見して、何か泣き喚きながら飛んでくるので、手短に伝えることにしたようだ。

「レブン君、ペルさん。見事な戦いぶりだった。自身の魔法場のバランスを今一度確認しておくようにな。今日はこの後、魔法場バランスの調整に専念すると良いだろう。死霊術や闇の精霊魔法は控えるように」


 レブンとペルがやっと地面に座ることができるほど回復をして、サムカの言葉に従った。

「はい、テシュブ先生。確かにまだ体の調子が戻っていません。救助活動では法術や生命の精霊魔法を意識的に使うようにします」

 レブンに同意してペルもサムカに答える。早くもジャディがサムカの足元に飛んできて、大泣きで足にすがりついているのを見て、ほっとした表情になる。

「私も、レブン君の言う通りにします。右手が麻痺したままだけど、明日には治ると思います」


 男泣きして足に抱きついているジャディの羽毛で覆われた頭を、サムカが「ポンポン」叩きながら2人にうなずいた。そして、視線を落としてジャディを労わる。

「ジャディ君も、実によく戦ったな。体力も魔力もまだ充分に回復していないだろうが、出来る範囲で構わないから救助活動を手伝いなさい」


 ジャディが両目から涙をこぼしながらもサムカから機敏な動きで離れて、タカパ帝国警察式みたいな敬礼をした。もちろん、彼は生徒で警官ではないのだが、そこは勢いなのだろう。

「は! 殿のご命令、確かにこのジャディ承ったッス!」

 そのまま〔旋風〕をいくつも従えて空中に舞い上がったジャディが、泥の池に戻っていく。早速、風の精霊魔法をぶっ放して、泥の池を強制的に風で乾燥させ始めた。

「うらうらあっ。いつまでも泥遊びなんかしてるんじゃねえぞコラあっ」

 竜巻並みの強風による乾燥なので、50人もが空中に巻き上げられて、泥を振りまきながら乾燥していっている。悲鳴や怒声が酷くなったが、それも〔旋風〕の轟音に押し潰されて聞こえなくなった。


「こ、このクソ鳥がああああっ!」

 タンカップ先生の怒声が泥池から響いて、何本もの〔レーザー光線〕が上空のジャディに向けて放たれた。

 力場術専門クラスのバングナン・テパ級長も泥の大地に立って、簡易杖をジャディに向けている。彼の周囲にはムンキン党員の姿もあって、一緒になってジャディに簡易杖を向けている。

「これ以上、混乱をもたらすな! このクソ鳥がっ」


 他のクラスの生徒や先生もタンカップ先生とバングナン級長の勢いに便乗して、ジャディに魔法攻撃を開始した。シレッと魔法工学のベルディリ級長も混じっていて、攻撃に参加している。


 それらの〔光線〕魔法や〔旋風〕魔法に〔マジックミサイル〕が、一斉にジャディに襲い掛かってきた。数発ほど被弾したジャディが、怒りで全身の羽毛を膨らませる。首から上が、膨らんだ羽毛で丸くなった。

「上等だ、この野郎ども! かかって来いやああああっ」

 救助はもうどこへやら。ジャディと先生生徒の有志との魔法戦闘が、〔旋風〕の中で勃発した。


 軍と警察は泥水状態から回復したまでは良かったのだが、魔法具や通常武器までは〔修復〕されていなかった。当然のように警官制服や軍服も〔修復〕されておらず、生乾き泥パック状態の全裸である。

 そのため、丸腰で悲鳴を上げて、〔旋風〕が吹き荒れ、攻撃魔法が行き交う中を右往左往している。


 校長を含めた事務職員も同様だ。校長がジャディやタンカップ先生に何か叫んでいるようだが、暴風に遮られて聞こえてこない。

 それどころかミンタとムンキンがタンカップ先生勢力に加勢して、ジャディを攻撃し始めたので、さらに悪化してしまった。


 ティンギ先生が愉快そうにパイプを吸いながら、サムカに笑いかける。

「元気そうで良かったですな。皆、魔力が底をついているというのに、まだこれほど絞り出せるものですかね」

 サムカも少し頬を緩めて同意する。泥のしぶきが暴風に乗って飛んでくるのだが、難なく〔防御障壁〕で防いでいる。

「そうだな。精霊魔法が使えるようになったせいもあるだろう。ほら、パリー先生が起きたようだぞ」


 パリー先生は寝起き直後なのか、しばらくの間は乾いていく泥の池に浸かって呆けていたが……流れ弾の魔法が数発命中して目が覚めたようだ。〔旋風〕の中で、間延びした特有の笑い声が響き渡る。

「わたしもやるう~」

 さすがに〔妖精化〕攻撃はしていないが、森の中から黒い煙のような見た目の大量の虫や小鳥がパリーの〔召喚〕に応じて、運動場に飛び込んできた。


 そのまま〔旋風〕の中に突入して、〔旋風〕の色が真っ黒に染まっていく。ジャディが真っ先にやられたようで、彼の悲鳴がサムカの耳にも届いた。

 〔旋風〕がジャディの墜落で消滅し、黒い霧のようにも見える無数の虫と鳥が、運動場上空に飛び交う異様な風景になっていく。


「おのれパリーいいいいっ」

 今度はタンカップ先生がパリー先生と戦うようだ。ミンタとムンキンも加勢したままで、生徒たちもパリー先生との魔法戦闘に移行した。実に楽しそうな笑い声を運動場に響かせるパリー先生である。

 〔雷撃〕や〔ビーム光線〕の乱射で黒い霧が切り裂かれ、炎が渦を巻いて虫や鳥や生徒を焼き、水晶でできた弾丸や〔マジックミサイル〕の群れが、自動追尾によって一糸乱れない動きで縦横に飛び交っている。


 まだ回復して間もない幻導術のウースス級長や、招造術のクレタ級長が悲鳴を上げて、逃げまどっている姿が砂塵の中でチラリと見えた。しかし、次の瞬間。その場所が爆炎に包まれてしまったので見えなくなる。

 魔法工学のベルディリ級長や、アンデッド教徒で占道術のスロコック級長、それにようやく回復してきた精霊魔法のニクマティ級長らが怒声を上げて杖を振り回している。しかし、彼らも次の瞬間、爆炎に包まれて姿が見えなくなった。法術のスンティカン級長の怒声も聞こえる。

「こらあ! 〔治療〕する俺たちの事を少しは考えろおっ」


 運動場の隅では、いち早く避難していたコントーニャが、数名の幻導術の同級生と一緒に地面に伏せて観戦していた。再びティンギ先生の近くへ移動すべく、地面を這って向かっている。


 そんな様子を眺めていたサムカが、墓用務員に顔を向けた。彼は用務員の仕事に戻る準備をしている。ポケットから次々にツルハシやスコップ、左官用の塗りゴテなどを取り出して、破損がないかどうか確認し、再びポケットの中に突っ込んでいる。足元の地面からは、モルタル材料や樹脂や接着剤などが湧き出ていて、それらの品質確認も同時に行っていた。

「墓用務員。水玉だが、帝国のあちこちに浮かんでいたはずだ。それらも無事に〔消去〕できたのかね?」


 サムカの質問に、確認の手を止めて振り返る墓用務員である。その微妙な愛想笑いを見て、不安が的中したことを〔察知〕したサムカだ。山吹色の瞳をジト目にする。

「……問題が起きているのか。困ったものだな、墓用務員」


 墓用務員が申し訳なさそうに、ゴマ塩頭を作業用手袋でかいた。

「水玉に攻撃を仕掛けた町や村が結構ありました。住民は全て泥水から元に戻っていますが、建物は残念ながら……ですかね」

 そして、パリー先生が大暴れして遊んでいる運動場中央に視線を向けた。

「特にミンタさんの故郷の街は、かなり大規模な攻撃を仕掛けたようです。後で、帝国から被害状況の知らせが届くと思いますよ」


 口調から、(ここの学校運動場みたいな状況になったのだろう……)と推測するサムカ。彼の頭の上のハグ人形も同じ想像に至ったようだ。足元のサムカに、ちょっと嬉しそうな口調で聞いてきた。

「ミンタの故郷の様子を見てみるかね? サムカちん」


 サムカが整った眉をひそめて、ゆっくりと首を振る。

「いや、今は止めておこう。見てしまうと、恐らくまた余計な世話をする予感がするのでね。死亡者がおらず、被害は建物や器具類のみだろう。闇魔法の出番はないと思える。せいぜい、ショックを受けている者への記憶〔消去〕程度だろうな。そういった処置は、法術や精神の精霊魔法の方が適しているはずだ」


 ハグ人形と墓用務員も概ね同意している。それでも、ハグ人形が手足をパタパタさせながらサムカに文句を言うが。

「つまらぬぞ、実につまらん。瓦礫の掃除ということで、王城を消し飛ばしてやりたいところだが……まあ、サムカちんのやる気がない以上は、無理強いはできぬ、か。せっかく、色々と試してみたい闇魔法があったのだが……考え直すつもりは無いかね? サムカちん」


 サムカがジト目になって、無言で頭の上のハグ人形を振り落とそうとする。しっかりと錆色の髪にしがみついて、「ケラケラ」笑っているハグ人形だ。

「わかった、わかった。サムカちんをテロ実行犯に仕立て上げるつもりだったが、仕方あるまい。ただの冗談として聞き流せ、サムカちん」


 ハグ人形の言い訳を聞き流したサムカが、手元に時刻表示を出して首をかしげる。

「おかしいな。もう〔召喚〕時間は終了したのだが」


 それについては、墓用務員がにこやかな笑顔で答えてくれた。マライタ先生とティンギ先生はお腹が空いたようで、別れの挨拶もそこそこに、そそくさと寄宿舎跡地へと「ピョンピョン」とスキップして向かっている。地下の食堂はどうやら無事のようだ。

「食堂はとても大事と学びましたからね、残しました。テシュブ先生ですが、そろそろ帰宅できると思いますよ。今回の魔法場汚染の影響が少々大きいものでしたからね。一時的に、世界間のつながりが弱くなっていたのです。今はもう元に復旧していますから、ご心配なく」


 サムカの頭の上で髪の毛を使ってハンモックを編み始めたハグ人形が、サムカに補足説明する。

「ただでさえ、ドラゴンの介入などで空間の亀裂が増えておる。ちょっとしたことでも因果律崩壊が起きやすい状況は変わっておらぬぞ」

 その割には、好き勝手に魔法を使っていたような気がするが……そこは指摘しないことにするサムカだ。そろそろ〔召喚〕時間が切れそうな予感が強まってきている。

「ともあれ今回の件で、さらに大ダコ討伐への機運が強くなったのは確実だろう。大ダコも度重なる攻撃を受けているから、もう後戻りはできないであろうな」


 そして、墓用務員に山吹色の瞳を向けた。運動場の騒ぎもようやく終結しそうな状況になってきていた。つまりはパリー先生の大勝利ということだが。

 回復したばかりの先生と生徒たちが、生乾きの泥の中に半分沈んで倒れている。戦闘を避けるべく逃げ出していた生徒と先生も、巻き添えを食らって倒れていた。

 ちなみに、パリー先生の攻撃のせいなのか、生徒も先生も事務職員らも全員が全裸状態になっている。ただ、泥まみれなので判別がかなり困難になっているが。


 そんな惨状だが、特に感想を言う事もなく、サムカが淡々とした口調で墓用務員に提案する。

「洞窟や建物での罠や仕掛けだが、私の授業で実習として組み込んでみようと思う。アンデッドも、そういった生命のいない閉鎖空間に集まるものだしな。ついては、墓さんも見学してみるかね? 無論、授業中は用務員の仕事をする時間だから、姿を消してこっそりと見学してもらうことになるが。まあ、シーカ校長に見つからなければ大丈夫だろう」


 すぐに墓が承諾した。道具や補修材料の確認が終わって、とりあえず熊手を出して肩に担ぐ。

「申し出を嬉しく思います。早速、墓所で話し合って受諾するかどうか決めますよ。恐らくは受諾するでしょう。我々が考えた今回のテストでも、予想以上の収穫がありましたからね」

 そして、ちょっと考えてから、サムカに微笑んだ。

「では、その対価の一部として、情報を1つ公開しましょうか。実はあの大ダコに魔力支援していたのは、墓次郎さんの墓所でした。彼との合体で分かりました。困った連中ですね、ははは」


 サムカの目が点になった。

「お、おい、ちょっと待て! それはどういう……」

<パパラパー>とラッパ音がどこかから鳴って、サムカの姿が水蒸気に包まれて消えた。ハグ人形だけが残って、空中にフワフワと〔浮遊〕して座禅を組んでいる。

「田舎者のサムカちんはともかく、ワシは感づいておったよ。予想通りじゃったな。では、ワシもこれで失礼するぞ。パパラパー」


 ハグ人形も水蒸気の煙を発して消えた。それを微笑んで見送る墓用務員である。肩に担いだ熊手で肩を「トントン」と叩く。

「さて。私も通常業務に戻るとしましょう。墓次郎と雲や中もどこかへ遊びに行って、ここに居ませんし」

 軽い口笛を吹いて学校の補修作業に向かう墓用務員であった。

「墓次郎さんの墓所については、距離を置いた方が今後良いでしょうかねえ……それと金星の連中とも、かな」




【冬の死者の世界】

 死者の世界では、いよいよ本格的な北風が吹く季節になった。とはいえ、サムカの領地は亜熱帯高原なので気温はそれほど下がらないのだが。

 冬空に浮かぶ雲も分厚くなって、時折、日差しが遮られる。風向きが北寄りに変わるので、高原の東西にそびえ立つ山脈にぶつからずに、北からの湿った空気が流れ込んでくる。それでも、にわか雨が時々降る程度だ。

 地下水位が下がる時期でもあるので、森の木々も落ち着いた色合いに変わっている。冬野菜や冬小麦を中心とした作物も、北風にソヨソヨなびきながら、順調に育っている状況だ。


 そのような領地をいつもの通り、騎士シチイガと共に巡回してきたサムカが館の前に戻ってきた。

 館もかなり増改築が進んで、今やそこそこ見栄えのする造りに仕上がっている。それでも、サムカの趣味が反映されていて、旧居城と似たような無骨な石造りの構えだ。

 ただ、物見用の尖塔は1つあるのだが、堀や城壁はない上に、館の周囲にも砦やトーチカのような施設がない。『拠点防衛』という視点では、かなり心もとない。


「旧居城とは比較にならぬが、田舎の領主としては、このくらいが分相応なのかも知れぬな。地上3階、地下3階建てだから、沐浴にも支障は出ないだろう」

 サムカが愛馬から降りて、黒マントについている土埃と小枝に木の葉を魔法で〔消去〕しながら、背伸びをした。


 その主の横で同じように馬から降りて、その馬をアンデッド兵に預けている騎士シチイガも、今は穏やかな表情だ。

「そうでもありませんよ、我が主。武器庫やアンデッド兵の収納場所は、旧城よりも多く確保できました。セマンの泥棒対策も最新型に更新いたしました。規模は小さいですが、貴族として恥ずかしくない施設になったと思います。魔族の協力が大きいかと」


 その魔族のルガルバンダが仲間の魔族を連れて、サムカに挨拶にやって来ていた。相変わらずのヒグマ顔で笑って、朱色の瞳をキラキラ輝かせている。

「おう、テシュブの旦那よ。いつもの見回りご苦労だったな。ワシらも、もう一仕事だ。尖塔をもう1つ作らなくて、本当に良いのか?」


 騎士シチイガが少し顔をしかめた。

「おい、いつも言っているだろう。その横柄な口調を改めろ。領主様と言え」

 しかし、サムカは笑って手を振った。

「よいよい。対等な同盟関係だからな。この口調で良い」


 まだ不満そうな表情をしている騎士シチイガの肩に、「ポン」と手をかけたサムカが、ルガルバンダに顔を向けて山吹色の瞳を細める。

「大いに助かっているよ。尖塔はこの1つだけで充分だ。そろそろ、私や騎士もホウキを使って〔飛行〕できる予定だからね」


 ルガルバンダが微妙な顔になった。丸太のような4本腕を組んで、背中を丸める。

「その言葉は、もう何度も聞いたぞ。本当に飛べるようになるのか?」


 騎士シチイガも微妙な表情になって、無言になってしまった。サムカが「コホン」と小さく咳払いをする。

「調整は進んでいるよ。これまでの十数度の墜落は無駄にはしないさ」

「おいおい、そんなに飛行失敗して墜落してるのかよ……」と、のど元まで声が出かかったルガルバンダであった。

「……まあ、飛べなくても気にするなよな。飛べる貴族ってのは、あんまりいないしよ」


 騎士シチイガが深く同意しているのを横目で見て、再び微妙な表情になるルガルバンダだ。仲間の魔族たちもサムカの事を心配している表情である。凶悪な顔つきだが。

 ルガルバンダが気持ちを切り替えて、ヒグマ顔で微笑んだ。白い大きな牙が口元から何本も見える。

「じゃあ、ワシらはこれで。そろそろ春野菜の準備をしないといけないからな。温室を作って正解だったわい」


 サムカも微笑んで、手を振る。

「うむ。また近いうちに技術指導に向かうよ。気温が上がり始めると、害虫や病気も活発化するからね」


 ルガルバンダたちが地響きを立てながら、自治都市の復興現場へ向かっていく。

 入れ替わりに、館の建築指揮をしている執事が、ルガルバンダに深々と頭を下げて挨拶をしてから、こちらへ小走りでやって来た。彼もこのところ、ずっと作業服のままだ。

 少し筋肉質になって、体が引き締まっているような印象を受ける。禿げ頭も日焼けしていて、土方の頭領のような姿だ。しかも、それが似合っている。

「お帰りなさいませ、旦那様。紅茶とコーヒーの用意が整ってございます」


 サムカが申し訳なさそうに遠慮する。

「う……済まない。そろそろステワの城で、奴の子息の『誕生会』……というか『成人式』が始まる時刻だ。今回の巡回では気温が下がって日照量も減っていたので、果樹を中心に枝の剪定の微調整を指示していたのだが……おかげで少し遅れてしまった。一応、貴族としては着替えておかねばならぬだろう」


「当然です」とばかりに深くうなずく騎士シチイガに、執事と茶を楽しむように言いつける。騎士シチイガが膝を曲げて命令に従い、周辺を見回して首をかしげた。

「今回はハグ様が、いらっしゃらないようでございますね。茶やコーヒーには目がない方ですのに」


 サムカが頬を緩めて、着替えのために館へ向かう。雲間から再び日が差し、サムカの錆色の髪が鈍く反射した。

「以前はそうでもなかったようだがね。何度も〔ロスト〕させられて、少々変化したようだな。我が悪友のステワ卿によると、リッチー協会でも『変わり者』扱いを受けているとか。良い評判は聞かないな」

 ハグ人形の性格が本人に影響を与えているのだろうか。

「私も、『召喚ナイフ契約者の友の会』のチャットでは、同情されることが多い。以前の契約者だった魔族や貴族から、慰めのメールをよくもらうよ」


 その評判がよろしくないハグが行った調査によると、大ダコの異常で急速な成長と魔力の増大については、墓所だけの関与では説明がつかない事が、いくつか見られたそうだ。墓所は現代の精霊魔法については詳しくない。それなのに、津波を起こすほどの魔法を使いこなしていた。

(墓所も全能ではないという事か。知らぬ事も多いと。まあ、どこかのメイガスやドラゴンが、また関わっていたのかも知れないな。金星の妖精どもの気配も残ったままだし)


 その程度で思考を中断するサムカであった。詮索したところでサムカ程度の魔力では、真実に辿り着ける確率は非常に低い。リッチーのハグが調べても分からない事なので、さっさと思考を切り替えた。

「さて、着替えるとするか。エッケコ、適当に礼服をみつくろってくれ」




【ステワ卿】

 サムカの悪友であるステワ・エアは、隣の領主だ。

 しかし、領地の景観はかなり違っている。土地全体が乾燥した亜熱帯の大森林に覆われていて、農地がほとんど見られない。彼の領地に住むオーク族の自給用の畑や家畜小屋に、淡水魚の小さな養殖池がある程度だ。

 サムカの領地のように区画整理された農地ではなく、家畜小屋や養殖池も商業ベースの仕様ではない。


 森が乾燥しているので意外に見通しが良い森の中では、多種多様な野生生物や魔族が棲みついている。これもステワ卿が放置しているせいで、盗賊や魔族の集落が勝手に作られている状況だ。

 しかし、これは他の一般の貴族でも同様なので、国王や貴族から非難されたりはしていない。むしろ、土いじりをするサムカの方が、物好き者という印象が強い。


 サムカがその森を一直線に切り裂くように敷かれている、コンクリート舗装された場違いなほどに立派な街道を、愛馬を駆ってステワの居城へ向かっていた。

 騎士シチイガは屋敷に残している。まだオーク自治都市の復旧工事が終わっていないためだ。また、他の領地からの出稼ぎ土木作業員のオークが多いので、諍いが起きる懸念がある。


 街道は片道二車線の左側通行だった。かなりの数の荷駄商隊や土木建築資材を満載した荷車、オークの商人たちを詰め込んだ馬車などが、やや渋滞気味なほどの密度で往来している。

 電子機器類が死者の世界では誤作動を起こしやすいので、かなりアナログな仕様だ。加えてオーク族は魔法適性が乏しいために、獣人世界のような魔力で動くトラックやバス、自動車は見られない。

 馬車や荷駄を引いているのは、サムカが乗馬している種類のベエヤード種ばかりだ。戦場用に育種されていない種類なので、サムカの愛馬と比較すると二回りほども大きく、動作もかなりゆっくりだ。他には、牛型や竜型の魔法生物もあって、当たり前のように荷駄や資材を引いている。


 サムカが走り抜けると、オークの御者や商人たちが談笑を止めて、慌てて馬車や荷台の上で平伏していく。

 魔族の団体も少数ながらいて、彼らもぎこちなくサムカに頭を下げた。恐らくは、傭兵や商隊の警護の仕事をするのだろう。サムカと親交があるルガルバンダのような大型魔族ではなく、オーク族と同じような背格好の魔族だ。


 街道の道端には地元オークが屋台を設けていて、荷馬車などが多く立ち寄っていた。茶を飲んだり、食事をしている。冬とはいえ亜熱帯で暑いので、トイレやシャワーなどの屋台もあった。いずれも盛況である。彼らもサムカの姿を目にすると、慌てて道端に平伏していく。


(いつもながら、やや申し訳ない気がするな。作業を中断することで、作業効率が落ちてしまう)

 サムカが仏頂面になって、愛馬を走らせていく。所々では街道の補修作業も行われていて、車線が狭まり、ちょっとした渋滞が起きていた。

 そのような場所でも、サムカのような貴族は最優先通行である。速度を全く落とすことなく、工事現場を通過できた。やはりここでも、土木作業をしている作業員や現場監督のオークがヘルメットを外して、丁寧に平伏している。

 ステワが怠けているのか、城のアンデッド兵は1体も見当たらない。本来は、作業監督や検査官としての仕事をすべきなのだが。


 現地住民のオークの服装は、サムカの領地のオークと比較すると、やや質素で実用重視の物ばかりだが見苦しくはない。病気や体調不良のオークも見られない。子供が屋台の中を駆け回ってはしゃいでいるので、目を細めるサムカだ。それなりに不自由のない生活を送ることができているようだ。

 裏返せば、他の貴族領地では、往々にしてボロをまとったオーク住民が見られるということでもある。


 地元のオーク労働者を満載した馬車を、いくつもサムカが追い抜いていく。彼らの身なりも同じように質素だが不潔ではない。痩せて病気になっているオークもいないようだ。

 仕事先は街道の修理もあるが、やはりステワの居城を取り囲む城下町の半分ほどを占有している、倉庫や運送業の中継基地での雇用が大半となっている。


 ステワの領地は農業に適した平地に乏しく、大地も岩石質だ。地下水脈もサムカの領地ほど潤沢ではない。水資源を大量に使う農業や畜産水産、それに製造工場には不向きな土地柄である。

 一方で、地盤が強固なので、巨大な倉庫や車庫がステワの居城周辺に集中して建っている。また、幹線道路ともいえる複車線の街道を敷設するにも都合が良い。


 しかし、人が集まれば必然的に水資源が必要になる。そのためにサムカの領地から地下水路を設けて、ステワの居城と城下町へと向かう水道が整備されていた。地下洞窟が豊富にあるため、それを活用している。

 この水路のおかげでサムカとステワが友人になったという経緯なのだが、こうして出向く回数も増えてしまった。地元で土いじりを楽しむサムカにとっては少々面倒な事なのだが、仕方がない事として諦めている。

 ステワ卿いわく、「これ以上引きこもると、友人なんかできないぞ、寂しいじゃないか」……とか何とかである。貴族である以上、最低限の社交性は持たないといけない。ぐうの音も出せないサムカだ。


 再び、オークの商隊を追い抜いて、彼らからの平伏を受けたサムカが、街道沿いの森を見上げた。

 樹高や樹勢が、愛馬で駆け進むほどに高くなり、勢いも旺盛になってきている。今や樹高は平均して20メートルにも達しようとしている。

 その木陰に街道がすっぽりと覆われて、涼んでいるオークたち。コンクリート舗装の街道なので、いくら冬の日差しといえども、路面はかなり熱いのだ。

(来るたびに、森が深くなってきているな。やはり、奴の居城や城下町からの排水のおかげか)


 サムカの領地から地下水路を引いている水道は、使われた後には当然ながら排水として、居城や城下町の外に排出される。排水は魔法処理で浄化されているので、そのまま飲用にもできるほどなのだが、森の中へ放水されているのが現状だ。

 結果として、居城周辺の森が大きく育っていた。

 森が豊かになると、当然ながら野生生物も大量に棲みつくようになる。生命の精霊場が強くなるので、貴族のようなアンデッドには耳障りな騒音のように感じる状況になってしまうのだ。現に、道端から森の中へ入っていく土道が何本も見られる。伐採用の作業路だろう。


(……いつかステワが切れて、この森を消し去ってしまわないように諭しておくか。お。見えてきた)

 街道を覆う森の樹冠の上に、塔の先端が見え始めた。

 城下町へ入る前には通関があるので、検問の列が長く伸びている。盗賊やオーク独立王国の特殊部隊への対策だ。


 こういった関所は、サムカの領地にはない。そのせいで、これまで何度も特殊部隊や、盗賊が好き放題に入ってきていたわけであるが。

 ようやく馬の速度を落としたサムカが、通関待ちの列をゆっくりと追い越しながら馬上で腕組みをする。

(うむ……やはり、我が領地でも危険物検査くらいはしておくべきか)


 そんな事を考えている内に、通関を『顔パス』で通り抜ける。通関業務をしているのは、ここでもオークだった。一応は警護のアンデッド兵が中隊規模で付いているが……ただ突っ立っているばかりだ。

(まあ、そうなるだろうな。ゾンビやスケルトンには、このような複雑な通関業務は難しいだろう)


「やあ、これは久しいな。サムカ卿。息災のようで何よりだよ」

 聞き慣れた声がしたので、馬を止めてサムカが群衆の中を見回す。

 宝石類を多く身につけ、黒地に金銀の派手な刺繍が入ったマントと、古代中東風スーツ姿の貴族が姿を見せた。その肩下までのウェーブかかった赤銅色の髪に隠れた、刈安色で緑がかった鮮やかな黄色の瞳を確認して、サムカが軽くため息をつく。

「ピグチェン卿か。御前試合以来だな。卿もステワに招待されたのかね。ご苦労な事だ」


 貴族が2人もいるので、城下町の城門付近のオークを中心とした群衆が一斉に平伏して、そのまま後へ引いていく。あっという間に静かになってオークもいなくなった城門で、ピグチェンがサムカに城を指さした。

 さすがにサムカの旧居城とは違い、凝った造りの彫刻や浮彫りがしっかりと施されている。色合いも多様な石材を使用しているおかげでカラフルだ。本城の石壁も充分に手入れが行き届いているようで、冬の雲間からの日差しを上品に反射して輝いている。まさしく、これは貴族の城だ。

「ここでは、色々と迷惑になるだろう。城へ行こうかサムカ卿」


 確かに、城門の門番をしているアンデッド兵までが丁寧に地面に平伏している。このままここにいると、通関業務が滞るばかりだろう。

 サムカが鷹揚にうなずいて、愛馬から降り、アンデッド兵に馬の手綱を手渡した。

「そうだな」


 そのまま2人で歩いて、華麗な装飾や浮彫りが施された本城の大手門を通過する。ここでもやはり、アンデッド兵が平伏してしまっている。

 サムカが困った表情になって錆色の短髪をかき、そのまま通過した。

「ふむ……どうも、こういう扱いは苦手だな」

 サムカがグチめいた口調でつぶやき、近くにいたステワの騎士見習いに挨拶をする。一方のピグチェンは堂々としたものだ。当然のように騎士見習いには、挨拶や顔を向ける事もしていない。


 サムカの挨拶を受けて、いきなり硬直気味になる騎士見習いである。

「こ、これはテシュブ様、ウベルリ様。ご、ご機嫌麗しく存じますっ」


 舌を噛んでしまいそうな口調に、思わずサムカが頬を緩めた。ピグチェンはジト目になっているが。

「今日は招待に応じて来た。粗品だが、君の主人に渡してくれないかな」

 立礼している騎士見習いに、サムカが土産の果物詰め合わせを、黒マントの中から取り出して手渡した。騎士見習いが、甲冑と、装飾がそれなりに施された長剣を「ガチャガチャ」鳴らして、ぎこちなく両手で受け取る。

「は! 確かに承りましたっ。早速、我が主へ届けて参りますっ」

 大仰に礼を述べて、そのまま小走りで城内へ入っていった。


 その後ろ姿を見送ったサムカが、まだ石畳の地面に平伏しているアンデッド兵たちを見下ろす。城内もカラフルな石材が多用されていて、豪華な印象だ。

「貴族が来るたびに、ああして地面に伏していては警備の仕事にも支障が出るだろう。今日は、特に多いだろうからね」


 ピグチェンもようやくここでアンデッド兵に視線を向けた。身長が190センチあるので、サムカよりも少し背が高い。その切れ長の目が細められた。

 そのまま、サムカと一緒に城内へ歩み出す。彼の体を彩る装飾品や宝石に宝剣などが、涼やかな音を立てていく。

「そうだろうな。我が城は年中、貴族や騎士が行き来する。そのため普通に突っ立っているだけだ。いちいち反応して平伏していては、仕事にならぬよ」


 ピグチェンの領地は、ここから結構離れている。それでもサムカの領地での収穫作業の仕事のせいで、定期的にかなりのオーク住民が大挙して、サムカの領地へ出稼ぎに向かってしまっている。

 そのたびにピグチェン領では、深刻な労働者不足が定期的に発生していた。そのせいで、この両者の仲はそれほど友好的ではない。


 ピグチェンの主な事業は金融保険業だ。貸金庫や銀行業務も行っていて、大きなカジノまで営業している。個人や法人の秘密銀行口座を介して、資金洗浄や税金逃れなども平然と行われているという噂は、田舎者のサムカでも知っている。

 もちろん、実務はオークに任せてあるようで、ウベルリ領主は知らないということなのだが。


 サムカも交易の保険や為替決済で、彼の協力を得ている。

 商隊や交易船が盗賊や海賊に襲われる危険性が、まだまだ高いためだ。オーク軍は最近になって大人しくなっているが、魔族の盗賊や海賊は相変わらず跋扈している。

 為替も、まだまだ領地ごとに多種多様な通貨が使用されていて、その為替レートも複雑に変動している。宰相による金融改革も着実に進んでいるのだが……まだ実務上では、こうして面倒な為替計算をしなくてはならない状況が続いていた。


「南のオメテクト王国連合は、いまだに混乱が尾を引いておるのでね。様々な商機が起きている状況だよ。資産の避難先の1つとして、我が領地が注目されている」

 それは昔からそうなのだが、指摘はしないサムカである。ピグチェンが口元を緩めて話を続ける。

「そのオメテクト王国連合の物流も機能不全を起こしておるのでね、新規参入の好機なのだよ。オーク用の武器だけではなく、食料品や衣類なども、物流が停滞しているおかげで不足している地方が多々出ている。サムカ卿には、本当に感謝の気持ちで一杯だよ、ははは」


(何とまあ、心にもないことを、立て板に水が流れるようにスラスラと口にできるものだな……)と、内心で毒づくサムカであった。もちろん、顔にはそのような素振りは出さず、営業スマイルを口元に浮かべている。

「そうかね。ピグチェン卿の事業が順調そうで良かったよ。私の領地は地味な食糧生産地だからね、そういった特需には縁が薄いのだ」


 熊ゾンビが大量に出回っているおかげで、死体不足がある程度解消しているという恩恵しか、サムカの領地では得られていない。しかも大した仕事を任せられない。熊の手では大きすぎるのだ。

 例え手袋をしていても、小さな種を蒔いたり、小さな苗の定植ができない。野菜の脇芽を除去する作業や、余分な花を取り除く作業でも不向きだ。せいぜい、荷車を引く人夫ぐらいか。

(おかげで、熊ゾンビをほとんど売り払ってしまったよ。供給過剰で相場が低いから、格安でしか売れなかったが)

 サムカが心の中でグチをこぼす。幸いに赤字には至らなかったので、忘れることにしたサムカであった。



 一応、それなりに会話を交わしながら、城内の広間に到着した。前回来た際とは広間の造りが違うので、「改築したのか……」とサムカが呆れている。

「……ううむ。こんな事に金を使ったのか、奴は」


 王城ほどではないが、柱や壁に天井には高級そうな石材がふんだんに使われていた。ウーティ王国のネルガル・クムミア国王が質素を好むために、過剰に華美な装飾や、彫刻に絵画は見られない。が、それでも充分に豪勢な印象を与える。


 一方のピグチェン卿は、にこやかな笑みを浮かべている。広間には20名以上もの貴族や騎士、それに騎士見習いがいて、すでに社交挨拶を始めていた。早速、彼もまた、その輪の中へ参加すべくサムカから離れていく。

「では、我はここで。お互いに有意義な時間に致そう」

 黒地に金銀の派手な刺繍が入ったマントを華麗にひるがえして、上品な笑い声が絶え間なく続いている参加者たちの群れの中に加わっていった。


 それを、軽く肩をすくめて見送るサムカである。

「やれやれ……私としては、さっさと領地へ戻る方が、はるかに有意義なのだがね」


 参加している貴族や騎士は皆、ピグチェンに負けず劣らないほどの華麗な正装姿ばかりだ。腰のベルトには儀礼用の宝剣が吊るされている。その過剰装飾が為された柄を見て、小さくため息をつくサムカ。

 サムカの長剣は、かなり使い込まれた年季の入った無骨な鞘に納められている。さすがに大きな傷や破損はないが、無数の細かい傷があり、室内の明かりに鈍く反射している。柄も同様で、完全に実用本位の仕様だ。

 これでも一番派手な柄と鞘なのだが、この場の貴族の儀礼剣とは比較にならない地味さである。


 一方の貴族や騎士たちもサムカのことを良く知っているので、特に指摘や笑いもせず、上品に会釈して無難な会話をして去っていく。死体のセリ会場でも毎回顔を合わせる仲なので、サムカも居心地の悪さをそれほど感じていないようだ。


 サムカも一通り、知り合いの貴族や騎士たちと順に会って、天気の話などを交わしていく。農作業や畜産の話をしたところで彼らも戸惑うばかりなので、どうでもよい天気の話に終始しているようだ。

 他には、やはり役に立たないゾンビ熊への文句だろうか。巨人ゾンビの追加仕入れ予定も聞かれるサムカであったが、これも正直に「未定だ」と答える。

 各地の古代遺跡が方針転換してきているようで、遺跡から地雷や刀剣類の出土が減っていると、校長から聞いていた。確かに、外界の情報収集であれば、墓用務員を使った方が効率が良い。

(ということは、他の墓所も眠りから覚めてきているということか。墓所と墓所とで情報網が形成されている可能性もある……と考えた方が良いだろうな)


 今や、完全に『壁の花』状態で、壁際に立って1人紅茶をすすっているサムカであった。手元に早速、時刻表示を出している。ステワに一言挨拶を済ませ、子息に祝福を授けたら、速攻で帰る気満々だ。

 そのサムカの頭の上に、ハグ人形が「ポト」と落ちてきた。

「よお、サムカちん。つまらなそうだな。結構、結構」


 ハグ人形の声を聞いて、顔をしかめるサムカ。人形をとりあえず肩に乗せて聞く。

「ハグも呼ばれたのかね。貴族の儀式だから、見ても面白くはないぞ」


 ハグ人形がゆっくりと顔を振った。

 ジト目やニヤリ笑いも完全実装されたようで、黄色いボタンが自在に変形している。かなり人間らしい動きと表情になっているので、さらに癪に障る。手の指も5本になって、しっかりと動いていた。髪は銀色の毛糸のままだが。

「なあに、たまには良いだろ。獣人世界の最新情報を得たのでな。暇つぶしに知らせてやろうと思い、やってきた。感謝しろよ」

 声も完全にハグ本人の肉声になっている。まあ、リッチーのハグの本体が肉体を持っているのかどうかは、サムカには知る術もないが。


 サムカが紅茶を1口すすって、軽くうなずく。

「そうだな。ステワが出てくるまで、まだもう少し時間がある。聞こうか」


 ハグ人形が早速ニヤニヤ笑いだした。ハグ本人がこの場に出現すると、この美麗な広間があっという間に〔風化〕して粉を吹いてしまう。しかし、人形からは強力な闇の魔法場を感じない。見た目は本当にただの人形だ。

「うむ。タカパ帝国の上層部だが、今回の『森の妖精もどき』による帝都占拠が、かなり堪えたようだな。宰相と多くの貴族が一筆書かされた。核攻撃に関わった役人どもは、全員が財産と土地の一部没収になった。それを森の妖精に、供物として差し出すことで一件落着だ。無論、ブルジュアン家もだな」


 サムカがさすがに同情した。腕組みをしながらも、紅茶カップから口を離す。

「それはまた……思い切った処分を下したものだな。先祖代々の土地財産を一部とはいえ、手放すのはつらいだろう」

 しかし、ハグ人形はニヤニヤしたままだ。

「そうでもない。今回手放したのは、取り潰しになったペルヘンティアン家から奪った土地ばかりじゃよ。差し引きゼロというところじゃな」


 サムカが少し呆れた表情になる。

「……そうなのか。釈然としないが、誰一人として勝者はいない事件だったということかな」

 ハグ人形がニヤニヤ笑い最大になる。

「そうでもない。少なくとも2人おるよ。1人は、宰相だな。一筆書いただけで、土地も財産も留保されておる。現状、これからは宰相派が帝国での最大勢力になるだろうな。核攻撃の実行犯である、ペルヘンティアン家の残党はこれで壊滅。狐族至上主義のブルジュアン家も大きく勢力を削がれた。相対的に強まったのは、国王を擁する宰相派だ」


 スラスラとピグチェン卿のように、淀みなく話してウインクする。目を閉じる代わりに、黄色いボタンが二つに折れ曲がる仕組みになっている。こんな機能まで実装したようだ。しかし、ハグ人形は本人がモデルなので、ただのウザい爺にしか見えないが。

「ワシとしては、かなり都合が良い状況になったわい。教育研究省は宰相派だからな。召喚ナイフの売り込みに弾みがつくよ」


 そのような事には、あまり興味が湧かないサムカなので、話を促した。

「そうかね。で、もう1人というのは、いったい誰だね?」

 サムカの反応が乏しすぎたので、ガックリと肩を落とすハグ人形である。それでも頭を上げて口をパクパクさせた。

「言うまでもなかろう。リーパット君じゃよ」


「?」

 首をかしげているサムカに、今度はハグ人形が呆れた表情になった。左右のパンチをサムカの藍白色の白い頬に打ち込む。「ポフポフ」と音がする。

「オマエさんな……鈍いとは思っておったが、よもやここまでとは」

 サムカがさすがにジト目になって、紅茶を1口すする。

「悪かったな。察しの悪い私にも分かるように、説明してもらえるかね?」


「やれやれ……」とばかりに両手を肩の高さまで上げて、首をフルフルと振るハグ人形である。かなりウザさレベルが跳ね上がる動きに更新されているようだ。

「もう少し、ステワ坊が出てくるまで時間があるか。仕方がないな。懇切丁寧に教えてやろう。よく聞け」


 ハグ人形が吟遊詩人のように、妙なリズムをつけながら語り始めた。それによると……

 リーパットの次男坊/泥の玉から派生した/鋼鉄のゴーレムを相手にし/全く臆さず戦った。何という武勇高き武者振りか♪

 スライム玉を作りしは/悪逆非道なる大ダコよ/軍も警察も恐れ慄き儚くも/大ダコの眷属に打ち破れ/ただの水たまりと成り果てぬ♪

 異世界の強者どもも全滅し/我ら帝国の希望たる/魔法学校生徒も力尽く♪

 その絶望の中/ただ一人立ち上がりしは/リーパットの次男坊♪ 我こそはブルジュアンの剣と/鋼鉄のゴーレムに飛びかかるううう……テケテンテン。


「ちょ、ちょっと待て。ハグ」

 サムカが思わずツッコミを入れた。紅茶がカップからこぼれそうになり、慌てて魔法で鎮める。

「とんでもない捏造だぞ。私が見た景色とかなり違うのだが……おい、まさか、また」


 ハグ人形がパンチをサムカの頬に連打で打ち込んだ。「ポフポフ」と気の抜けた音がする。

「歴史〔改変〕ではないぞ。普通にリーパットの記憶を〔操作〕しただけのようだな。ちなみに、ペル嬢たちは正しい記憶を残しておる。大人の事情とやらを察して、小賢しく黙っておるが。まあ、墓所の存在や、関与を疑わせる要素を除外した結果、このような杜撰な記憶〔操作〕になったみたいだな」

 言外に、「バカに踊らせておけば、真実を隠すことができる」とでも言っているような口調のハグ人形だ。実際、その通りなのだろう。


 サムカも呆れた表情のままだが、それなりに納得したようである。

「……まあ、下策中の下策ではあるが。つまり、リーパット君がどこかの伝説の勇者よろしく大活躍をして、学校の危機を救ったという『記録』になったのか」


 ハグ人形がニヤリと笑った。頭から生えている銀色の毛糸がヘロヘロと揺れる。

「そういうことだな。バカだから、すっかり信じ込んでおるようだぞ。今や、学校を救った『英雄』様だ。良かったなサムカちん」


 墓と墓次郎というアンデッドが仕掛けたゲームだった……ということが公になれば、まずパリー先生が激怒することは想像に難くない。次いで、エルフ先生やノーム先生、それに法術のマルマー先生も怒り出すだろう。

 墓というゾンビは帝国の国宝なので、これを犯人にしてしまうと今度は教育研究省にも責任問題が降りかかることになる。

「まったく、面倒なことだな……」

 とりあえず、その一言で片づけてしまったサムカも相当なものだが……ハグ人形は指摘しないことにしたようだ。


 サムカもこれ以上『リーパット伝説』を聞く興味もなさそうで、墓関連で1つハグ人形に聞いてみた。

「それはそうと、ハグ。次回からの授業では墓用務員をこっそり呼んで、施設内や洞窟内での罠や仕掛けについて、軽く実習をしてみようと思う。どうも、墓所が考える罠は素人考えに思える。あれで自信をつけてしまうと、かえって危険だ。それで聞きたいのだが、〔ロスト〕攻撃は罠に組み込んだ方が良いと思うかね? 第三者の意見が聞きたい」

 ハグ人形が口をへの字にして腕組みをする。

「……そうじゃな。安全枠をとっておけば問題なかろう。〔ロスト〕攻撃発動までに1分くらいの余裕をかけておけば、その間に自身の生体情報を最新状態にすることもできるだろう」


 サムカが素直に同意した。紅茶をもう1口すする。

「そうするか。〔ロスト〕魔法に慣れておくことは重要だからな」



 その時、広間にアナウンスが流れた。間もなくステワ親子が登壇するようだ。

 それを聞いて目を細めるサムカの肩で、ハグ人形がもう1発だけ右ストレートを頬に打ち込んだ。「ポフ」と音がする。

「そうそう、最後にもう1件あったわい。謹慎処分中のエルフとノーム先生が戻ってくるぞ。マライタ先生の話では、どうやら昇進しておるようじゃな。部下は1人も付かぬようであるが」


 口元と目元を少し緩めるサムカである。

「ということは、さらに厄介ごとを押しつけられる事になりそうだな」

 そのまま、サムカが広場正面の壇上に視線を戻した。サムカ以上に似合わない豪華な礼服を着込んで、借りてきた猫のような顔をしている悪友ステワに微笑みかける。

「ご子息の成人式、心から祝福しよう」


 ジト目になってサムカを睨みつけるステワだったが、観念したようだ。「コホン」と咳払いをして、場の注目を自身に集める。談笑が収まって、ピンと張りつめたような静寂が訪れた。

「皆様方、長らくの間、お待たせした。えー……、これより、我が子息の成人式を執り行う」

 拍手が沸き上がり、すぐに収まった。


 サムカの肩にあぐらをかいて座っているハグ人形が、口を尖らせてジト目になる。

「おい、サムカちん。何だね、この緊張した空気は」

 今度はサムカがジト目になり、横目で肩のハグ人形に、〔空間指定型の指向性の会話〕魔法で教える。

「それでもリッチーかね」




【貴族の成人式】

 厳粛な雰囲気のままで、儀式の準備が始まった。

 物音が瞬時に消えて無くなったような静寂が広場を包み込む。闇魔法場も一気に強まり、広場が薄暗くなる。気温も少し下がったようだ。しかし、広場に施された鬼火群が反応して灯り、広場の明るさが元に戻る。


 質素を善しとする国王の意向に従っているので、ゴテゴテした装飾が施された儀礼具は使用されていない。かなり地味で、何となく神道の神事を執り行う雰囲気に近いだろうか。


 招待された貴族は10名ほどになる。他には彼らの騎士や騎士見習いが10名ほどだ。サムカが参加者の人数を改めて数えて、再び小さくため息をついた。

「早々に帰る予定だったが、祝福を授ける貴族がかなり多いな。時間がかかりそうだ。うむ、仕方がないな。せっかくだから説明しよう」

 サムカが〔空間指定型の指向性会話〕魔法を使って、肩に乗っているハグ人形にゆっくりと語り始めた。


 今更だが、貴族はアンデッドなので、その肉体は死んでいる。食事をしても消化できない事はこれまでに見てきた通りだが、さらに生殖行為もできない。生殖器官が死んでいるので当然だ。

 しかし、貴族には家名を後継者に継がせて伝統と格式を残し伝えるという、使命にも似た社会的な慣習がある。この死者の世界を、『実質的に統治しているのは貴族である』という自意識によるものだ。


 貴族はアンデッドなので、生命活動をなくした死体である肉体は、魔法の継続的な使用に従って経年劣化していく。平均で100年ほどで、使用に耐えることができなくなるようだ。

 リッチーは貴族よりも桁違いに高い魔力を有するので、この問題を解決しているのだが、貴族はそうはいかない。結果として、約100年ごとに新たな死体へと乗り換える必要が生じる。


 その乗り換え時にエラーが生じて、乗り換えに失敗する貴族が出るのだ。

 エラーが起きる確率は非常に低いのだが、一般の物理化学法則が作用しない魔法なので、エラー発生をゼロにすることは貴族の魔力では不可能である。


 乗り換えは儀式魔法を用いた不可逆的な行為なので、バックアップもできず、修正もできない。

 これは、サムカが召喚ナイフで儀式〔召喚〕される際と原理的には同じだ。〔召喚〕にエラーが発生した場合に、子供状態になったり、土中に出現したりした例があったが、これも後戻りできなかった。運良く、乗り換え前の古い体に戻ることができたとしても、その体は耐用年数を過ぎている。


 乗り換えに失敗すると死体から拒絶反応が出て、貴族の本体である思念体が死体に馴染まずに、不安定化する。最終的には低級なゾンビのような状態になり、意識も混濁してそのまま崩壊してしまう。


 ここで、思念体を魔法具に封じて保管し、適した死体を用意して、それに乗り換える……という救済方法もある。しかし、その間は貴族の仕事が全くできない。

 そもそも最初の乗り換え失敗により、貴族の魔力が大きく低下している。以前のような仕事ができるように回復するまでには、かなりの年月を必要とするのだ。


 従って、晴れて再乗り換えに成功したとしても、社会的には無用の存在に成り果てている。そういう者は、思念体だけの存在で済むファントムになっていることが多い。この場合は、思念体を封じた依代である、魔法具が本体という事になる。


 さて、こうして100年ごとに訪れる自我の危機に対応するために、貴族は子孫を残す方法を独自開発した。


 1つめは、単純に自身の『複製』を作り続けることだ。欠点としては、複製の作成それ自体が高度な魔法なので、複製された体は既に魔法場で汚染されている。次回の乗り換えは100年先よりも短くなる。

 ちなみにウィザードやソーサラーのような魔法世界の住人は、生きている細胞から成る体だ。そのため、遺伝子を操作することで若返りが可能となる。死体では遺伝子が崩壊して機能していない。

 故ナウアケ卿の所属するカルト派は、それを何とかしようとしている派閥である。


 2つめは、生殖を疑似的に『再現』する方法だ。幼児の死体に、複数の貴族が魔力を注入して〔アンデッド化〕させる。この場合は、特に男女の貴族である必要はない。

 魔力の注入方法は、貴族が自身の体の一部、例えば指などだが、それを切り取って幼児の死体に差し込むという形をとる。複数の貴族が魔力を注入するので、エラー発生の回避にも利する。

 幼児を使う理由は、単純に体の体積が小さいからだ。その方が、注入した魔力を均一に全身に行き渡らせることができる。

 エラー発生をさらに抑えるために、他の貴族や騎士が自身の魔力を液体化させたものを1滴ほど幼児に与えることをする。これにより、さらに魔力が多様化して安定する。

 貴族社会から見ても、『皆に祝福されて誕生する』ことになるために推奨されている手法である。もちろん、確率上どうしても失敗がゼロになることはないので、いわゆる死産ということも起きる。それでも、親にとっては自身のリスクがないので、今では標準的な子孫つくりの方法になっている。



 説明を聞き終えたハグ人形が、首をかしげてサムカに質問する。

「それで、なぜオマエさんは、独り身のままでいるのかね? さっさと子孫とやらを作ればよいではないか。わざわざゾンビを育てて騎士にしたシチイガを、後継者にするのは非効率だと思うが」


 サムカが自虐的に微笑んだ。

「田舎に引きこもって、下賤なオークと一緒に土いじりをしている『酔狂』な貴族に、友人が多くできると思うかね? 世捨て人の一歩手前だ。それに子供を作ったとしても、子供には自我がある。私の跡を継ぐとは思えないよ。普通の貴族であれば、オークの面倒をみるなんて考えは浮かばないさ」

 この場にいる騎士や騎士見習いたちを見回す。

「……であれば、セリで買って作ったゾンビの中から、私と同じような『酔狂な者』を探し出して、育てるのが合理的だろう」


 その酔狂な騎士シチイガであるが、まだサムカほどにはオークに馴染んでいない。(サムカが4000年ほどかけて探しても、そのようなものなのだろうな……)と思うハグであった。


 さて。その子供であるが、幼児のままでは魔力の蓄積に向かない。そこで、適切な時期に大人の体へと乗り換えることになる。『大人への誕生』と同時に、『成人』を祝う重要な節目だ。

「その成功、お披露目会が、今日の儀式なのだよ、ハグ」


「ほう……」とハグ人形が素直に聞き入っている。(本当に今まで貴族のことに関心が薄かったのだな……)と呆れるサムカ。これで、よくもまあ『召喚ナイフ契約』をやろうと考えたものだ。失敗や不評だらけになるのも理解できる。

 今まで、ハグ以外のリッチーがサムカに会いに来た試しがないのだが……リッチー社会自体が貴族への関心が薄いのだろう。


 壇上に立っている、借りてきた猫みたいな悪友ステワが、ハグ人形に一瞬だけ視線を投げて会釈した。


 不思議に思うサムカだったが、すぐにその理由が分かった。広間に集まっている貴族たちから感嘆の声が漏れ、視線が壇の上方に集中する。

 ステワが万感込めたような表情になり、高らかに宣言した。

「これなるは、ステワ・エア13世である。この時を以って、我12世の後継者であることを、世に宣言する」


 ステワの隣には、見事な古代中東風の正装をした巨漢の男が立っていた。ステワの身長は190センチあるのだが、彼は250センチほどある。容姿それ自体は、ステワをそのまま拡大したようで、親子だなと思える。

 その巨漢の息子が、ステワ12世からの紹介を受けて、一歩前に出た。

「エア家の次期当主として、精進する所存。先輩方よろしく指導願いたい」

 さすがに巨漢だけあって、声も野太く迫力がある。


 サムカが少し呆れたような表情で、ハグ人形に小声で話しかける。〔空間指定型の指向性会話〕魔法を使っている事を、思わず忘れてしまったようだ。

「あの素体は、獣人世界で発掘された『巨人ゾンビ地雷』ではないかね? 宰相閣下からステワに渡ったとは聞いていないのだが、ハグ、もしや……」


 ハグ人形がシレッとした顔になり、両手を頭の後ろに組んでサムカから視線を逸らした。さすがに下手糞な自作の歌などは歌わないようである。

「ステワ卿が探しておったのでな。サムカちんが〔召喚〕されている間に、暇だったから近くの適当な古代遺跡に行って、土の中から拾ってきた。こういう事に使うとは思っていなかったわい」

 サムカがジト目になった。

「ハグ。それは盗掘だぞ。教育研究省にばれたら大変だろう」


 ハグ人形がニヤリと笑って、ようやくサムカに顔を向けた。

 広間では、ピグチェン卿を先頭にして、新たに誕生した次期当主に『祝福』を授け始めている。自身の魔力を液体にして、その1滴を新当主の手の甲に垂らしている様子がうかがえる。

「まあ、その対価はいただいたがね。オマエさんの過去の所業を色々と聞いた。かなりの、やんちゃ貴族だったようだな。おかげで、オマエさんの〔召喚〕もかなり正確になったよ。それとも、また誤差に苦しみたいのかね?」


 サムカがジト目のままで肩をすくめた。過去の行動履歴も、サムカの生体情報の一部になる。〔召喚〕する貴族の情報が多いほど、〔召喚〕の精度が上がるのだ。

「そういうカラクリがあったのか。ステワの子息を今更どうこうする事もできぬし、上手く私を嵌めてくれたものだな。後でシーカ校長に、人形による盗掘の詫び状をしたためておくか」


 そんな背景は知らない一般の貴族と騎士たちは、羨望のまなざしを次期当主に向けている。

 早速、祝福を終えたばかりのピグチェン卿が、刈安色で緑がかった鮮やかな黄色の瞳を輝かせてステワに聞いている。貴族ゆえに血色は全くないので、興奮していると分かりにくいが、口調でバレバレだ。

「ステワ卿。巨人の素体を入手できたとは驚いた。巨人が棲む世界は、同時にドラゴンや魔神が棲む世界でもある。いったいどうやって、この立派な素体を入手できたのだね?」


 悪友ステワが意味深な表情になって微笑む。

「ある人物に頼む事ができたのだよ。その人物の名は明かせないがね」

 その、『ある人物』であるハグ人形が、サムカの肩の上でドヤ顔になってふんぞり返り、サムカに〔念話〕を送りつけた。

(『謎の巨人ハンター、ハーグウェーディユ』か。悪くない呼び名だな)


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