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召喚ナイフの罰ゲーム  作者: あかあかや & Shivaji
移動教室あっちこっち
68/124

67話

【ハグの訪問】

 サムカが手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面を出して時刻を確認する。

「王都へ赴くには、まだ時間があるか。エッケコ、他に何か仕事はあるかね?」

 執事が杏子色の穏やかな瞳を伏せた。

「いえ、旦那様。騎士殿が分担なされた仕事も概ね完了いたしましたので、特にございません。時間まで、ごゆっくりとお寛ぎ下さい」

 そう言って、執事が配下のオーク小間使いを連れて退室していった。サムカが窓の外を眺める。

「散歩でもするかな」


 その時、執務室が暗くなり室温が下がった。ハグの影が部屋の隅に発生する。

 慌ててサムカが、その影の隣に立たせてあるゾンビ3体に防護シートを被せ、影に蹴りを入れた。もちろん、実体がないので、影はそのままの位置に留まっているが。

「こ、こらハグ! 隣に養生中のゾンビがいるのだぞ。〔風化〕させる気か。あっちへ行け」


 影が音もなく「すいー……」と室内を移動して反対側の壁に佇む。

「おお、これはすまん。報告がある。ここに出現しても良いかね?」

 ハグの声にサムカがガックリと肩を落とす。散歩はキャンセルになりそうだ。

「構わぬよ。話は手短に頼む。あと30分で王都へ〔転移〕しなくてはならんのだ。タカパ帝国からの果物第一便の到着に立ち会うことになっている」


 サムカが3体の置物ゾンビにしっかりとシートを被せている間に、ハグが実体化した。

 やはり相変わらずの古着ファッションである。数年間ほど土砂に埋もれていたような、ヨレヨレの長袖シャツに半ズボンだ。脚にはタイツをはいているのだが見事に縦横に裂けていて、象牙色の肌が見えている。

「そうかね。それは良かったな。では、ワシも手短に話すことにするか。部屋を砂だらけにするのも、サムカちんに悪いからな」

 サムカもハグに振り返って山吹色の瞳を向けた。

「修繕費用もそれなりにかかるから、そうしてくれると助かるよ。さて、話とは何かな」


「うむ」とハグが木蓮の花の色の瞳を細めて話を始める。その内容はこのような内容だった。

 墓所が引き起こした世界〔改変〕の悪影響を〔修復〕する作業を、魔法世界のメイガスや死者の世界のリッチー、それに第6世界の魔神らが協力して行っていたのだが……それがひと段落ついたというニュースだった。

「世界間の連結がおかしくなると300万年前の魔法大戦のようになって、連結が切れてしまう恐れがあるからな。最悪の場合、二度と世界間移動ができなくなるほど連結が弱まることになる。そのような事態にならずに済んで良かったわい」


 ハグの説明を聞いたサムカも、同じように真面目な顔になっている。

「うむ。確かに良い知らせだな。今までの〔召喚〕が全て、水の泡に帰してしまうのは寂しいものだ」

 ハグが同意する。

「召喚ナイフを使えなくなる恐れがあるからな。良かったよ。その〔修復〕の際に、正規の連結路をより強化することもできた。獣人世界と異世界との連結も強化された。墓所の連中にとっては、不本意な結果になったな」


 サムカが曖昧な笑みを顔に浮かべて、執務机の上を片付けていく。

「つまり……セマンの盗賊や冒険者が、より頻繁に獣人世界へやって来るようになるわけか。まあ、それは死者の世界でも同じだろうな。ますます騒がしくなるのは、あまり私も歓迎したくはないのだが……仕方がないか」


 死者の世界もそうだが獣人世界でも、『正規の異世界間移動ゲート』は古代遺跡を模した場所に設けられている。単にゲートの管理人の趣味でこうなったようだが、基本的には王国に1つずつあるような配置だ。ウーティ王国では、王城の中の交易倉庫の中にある。タカパ帝国では帝都の王城の中だ。


 セマンの盗賊にとっては、無理して時空の裂け目に情報エネルギーを流し込まなくても、正規ゲートが開いた瞬間に積荷と一緒にエネルギーを送り込めば良い。

 正規ゲートを介した貿易や人の移動が活発化すれば、それだけゲートが開いている時間が延びるので、セマンにとっても都合が良くなる。もちろん、これまで通りに時空の裂け目を利用するにしても、世界間の連結が強いほど確実性が増して便利になる。


「この間のドラゴンゴースト事件も、世界間のつながりが強化されたせいだしな。しかし、良いこともあるぞ、サムカちん。召喚ナイフによる『召喚失敗の事故』も起きにくくなる。サラパン同士が〔召喚〕を失敗しても、安全装置が働く。他の異世界へ飛ばされるような事にはならないはずだ」

 その失敗で、サムカは土中に強制埋葬されたりしている。服が土まみれにならないだけでも朗報だ。ハグが少しドヤ顔風味の口調になる。

「世界間の隙間では、通常の物理化学法則が機能しないからな。サムカちん程度の魔力しかない者では、素粒子や真空エネルギーに分解されてしまう」


 ハグの嬉々とした解説を聞いているサムカの表情が険しくなった。

「おい……そのような注意事項は契約にもマニュアルにも書かれていなかったぞ」

 ハグが平然とした顔で答える。

「その場合、オマエさんは〔ロスト〕して、歴史上最初から存在しなかった事になるだけだ。『存在しない者』に説明する必要はないだろ」


 サムカがジト目のままで、話を促す。ハグの性格はこういうものだと理解しているのだろう。ハグの淡黄色の瞳が淡い光を帯びた。本題に入ったようだ。

「オーク軍の学校襲撃の件だが、あれから色々と分かったぞ。サムカにも情報を〔共有〕してやろう、受け取れ」


 サムカの手元にある〔空中ディスプレー〕にハグが勝手に介入して、調査結果の情報を強引に流し込んだ。

 それによると、オーク軍が獣人世界へ世界移動した手法については、セマンの盗賊が使うような時空の裂け目を利用したものでは『なかった』。


 これにはサムカも意外だったようだ。

「ほう……つまり学校の先生方と同じく、『正規の世界間移動ゲート』を使用して、獣人世界へ侵入していたのかね。驚いたな」

 ハグが渡してくれた情報では、タカパ帝国に『敵対する王国』にある正規ゲートが使用されていたとあった。積荷の情報は公式では貨物だが、実はオーク兵が潜んでいたらしい。


 その敵対王国名が記載されていないので、サムカがハグに尋ねると……ハグが虚しい笑顔になって謝った。

「すまんね。色々あって公表できないことになった。リッチー側に協力者がいることが分かってね。公表すると、リッチー協会としては面白くないことになる」

 政治的な配慮のようである。

「まあ、その王国には協会から厳重注意をしたし、正規ゲートの1年間の使用停止処分と、大臣を含めた現地担当者どもの発狂処分も済ませてある。リッチーの協力者は、残念ながら第6世界へ逃亡してしまってね、行方不明だ。ワシが戦ったドラゴンも逃亡して行方不明だそうだ。まあ、魔力が強いからな、こんなものだよ」


 サムカが1つため息をつく。

「……どこも同じだな。正規ゲートだが、オークでも特殊部隊となると話は違ってくるだろう。セマンの手法を使うことも充分にあると思うのだが」

 ハグもその点についてはサムカと同意見のようだ。雑草のように伸びた銀髪が数本ヒョコヒョコ動く。

「実際にセマンの商人が関わっておったからな。やっておるとは思う。証拠がないだけでな。さて。昨日、サムカちんが〔呪殺〕したセマンの商人だがね、やはり黒幕は別にいるようだな」

 異論はないサムカ。素直にうなずく。その表情を見てハグが話を続ける。

「残念だが、ワシでも追い詰めることはできなかったよ。ゆえに、相当な実力のメイガスだという可能性は強まった。そんな奴は限られておるから、今後は下手に動かないと思うぞ」


 この点ではサムカは懐疑的だ。やや顔をしかめて腕組みをする。

「そうであれば良いが。ナウアケやドラゴンと違って、そのメイガスの目的がまだよく分からない以上、楽観はできないぞ」

 今度はハグが意外そうな顔になった。

「は? 目的ならばもう明確だろう。メイガスともなれば異世界の〔予知〕も可能だ。今回の世界〔改変〕を〔予知〕していれば、おのずと目的は定まるさ。墓所の存在を知らなくてもな」


 サムカが首をかしげた。それを見たハグがジト目になって呆れる。

「まったく……こやつは。だから田舎者だとか、武辺者とか言われるんだぞ」

 サムカがイラっとした表情になって、両目を閉じた。

「悪かったな。頭が悪くて」


 ハグが一応真面目な顔に戻って教える。口元と目元は少し緩んだままだが。

「死者の世界と獣人世界の『排除』だよ。サムカちんが羊と『召喚ナイフ契約』を結んだ途端に、世界〔改変〕が起きたんだから。いわゆる『第一容疑者』ってやつだな。この2つの世界さえなければ、他の魔法世界は平穏無事でいられるじゃないか」

 サムカの目が点になっている。

「そ、そんなことができるのかね? 世界そのものを消し去るとか」


 ハグの目も点になっている。相当に呆れているようだ。

「メイガスの魔力を甘く見すぎだぞ、サムカちん。連中は5000年ごとに世界を新しく作って、そこへ引っ越ししていることを忘れているようだな。が、異世界を丸ごと消すようなことをしたら、他の世界から非難を受けてしまう」

 そのくらいはサムカでも分かる。ハグが口調を淡々としたものに変えながら、話を続けた。

「だから、ワシが思うには、関係者や組織と思われるものを『片っ端から消し去る』手段にするはずだ。もちろん、事故や災害に見せかけてな。実際、今回もタカパ帝国が危うく滅びるところだっただろ。奇しくもナウアケ卿の活躍で回避できたがね」


 ハグに言われて、(そうなのかもしれないな……)と思い始めるサムカ。しかしサムカ程度の魔力では、ハグを上回るような魔力の持ち主であるメイガスに、太刀打ちできるとは思えない。

(外交で対抗するしかないかな……)とも思うサムカにハグが話を続けた。もう残り時間も少なくなっているので、少し急いでいるような口調だ。

「最後に。サムカちんがセマン商人のクローンに向けて〔呪い〕攻撃をした、南のヴィラコチャ王国だが」


 独立オーク王国の指令室にセマンと一緒にいたユルパリ右将軍が、巻き添えを食らって死んだことまではサムカも知っている。手元の情報を追っていくと、次第に状況がつかめてきた。

 それによると、右将軍が死んで〔バンパイア化〕し、最終的には5000人ものオークが〔バンパイア化〕したとある。 


 指令室から拡散したので、軍部の上層部が軒並み〔バンパイア化〕してしまったようだ。サムカが〔ロスト〕攻撃も仕込んでいたので、実数はもっと多いのだろう。〔ロスト〕されたオークは、最初から歴史的に存在しなかった事にされるので、死亡記録が残らない。

 その後、時間が来て自爆したので、軍設備にも相当な被害が出ている。報復攻撃で使用した核ミサイルはサムカが全て迎撃破壊してしまったので、残りはほとんどないとも書かれている。当然ながら、ヴィラコチャ王国は大混乱状態なので、反撃能力は当面の間ないだろうという結論だった。


 サムカの山吹色の瞳が少しだけ辛子色になる。

「なんという、もろい軍だ。だが、オーク独立王国は他にもあるから、南部戦線自体はなくならないだろうな」

 ハグが「コホン」と軽く咳払いをした。

「サムカちん。ワシが攻撃に関わったことはヴィラコチャ王国も知っておるのだが、少々やりすぎたようだ。オークと関わりを持つリッチーもいるのでね、あまり刺激しないでくれ」

 それについては、即座に了承するサムカである。


 さらに、交易船を襲撃した海賊についての調査結果も見る。サムカの予想通り、オーク軍を含めて海賊を一掃できたので航路の安全性は高まっているようだ。安堵するサムカ。どちらかと言えばオーク独立王国よりも、こちらの方が重要事だ。


 船長に渡した緊急通信の魔法具は使い捨てなので、船長の手元にはもうない。騎士シチイガも気負っていたようで、船長に魔法具の追加補充をするのを忘れていたし、船に〔転移刻印〕を刻むことも忘れていた。

 今は正確な船の場所も分からない。船に〔転移〕することもできない状況だ。目的地の港に入港すれば、港へ〔転移〕して船長に会うこともできるのだが……今は洋上なので無理だ。


 最後に、サムカが穀物倉庫前で殺したカルト派貴族と騎士についての報告を見る。やはり、南のオメテクト王国連合の所属だった。今回の事件を先方も重く受け止めているようだが結局、政治的通商的な混乱を深めただけのようだ。サムカが肩を落とした。

「やれやれ……当面は南との交易は無理か」




【校長室】

 それから数日後。サムカが定期〔召喚〕に応じて獣人世界へ呼び出された。内心、損害賠償請求を受けるのではないかとヒヤヒヤしていたサムカである。


<パパラパー>とどこかでラッパの音色が鳴り、水蒸気の煙をまとって出現したその姿は、立派な貴族そのものだ。銀の刺繍が裾に施された黒マントの下には、古代中東風の小ざっぱりとした長袖シャツとスーツで、きちんとアイロンの折り目がついたすらりとしたズボンという、いつもの服装である。

 獣人たちが靴を履いていないことを考慮して、歩いても音が出にくい乗馬用の革靴をしている。腰のベルトには使い込まれた長剣が鞘に納められて吊るされていて、他の装飾具と当たると、くぐもった音を立てていた。


 磁器のようにきめこまやかな藍白色の白い顔や、錆色の短髪も普段の通りで堂々としたものだ。しかし、山吹色をした瞳の奥に宿された光だけは、どうも誤魔化せない様子である。加えて……その目が、やや泳いでいる。

 軽く咳払いをしたサムカが、水蒸気の煙を消して周囲をキョロキョロと見渡した。

「ん? 校長室かな、ここは。もう、将校の避暑地へは行かなくて良いのかね?」


「うははは」と高笑いをしているサラパン羊には、この質問はしない。羊の隣で、サムカの〔召喚〕成功を喜んでいた校長と考古学部長に視線を向けた。

 すぐに校長が事務職員を呼んで、〔召喚〕魔法陣の消去作業を命じる。 

 魔法陣のあちこちに供物が置かれているので、それらも急いで回収しながら、校長がサムカに笑顔を向けた。白毛交じりの尻尾が、掃除に先行してワサワサと床を掃いている。

「はい。昨日から地下の教室が一通り出来上がりましたので、全ての授業をこの学校で行えるようになりました。魔力サーバーも仮の稼働を開始しましたよ」


 サラパン羊が珍しくジト目になりながら、校長に深く同意している。冬毛の毛玉状態なのは相変わらずで、無理やりにスーツを着ているようにしか見えない。(よくスーツやシャツ、半ズボンが内圧で破けたり裂けたりしないものだな……)と思うサムカ。

「あんな湿気と温度が高い海岸にいたら、それだけで私が参ってしまいますからな。体調不良にでもなったら、それこそテシュブ先生を〔召喚〕できなくなってしまいますよ。私の出世にも大きく影響を与えますからな、かなり先生方に圧力をかけたおかげですよ。はっはっは」


(羊の彼なりに、色々と裏工作を駆使したようだな……)と納得するサムカ。確かに、冬毛のままで熱帯の日差しの下に曝されるのは苦行だろう。かといって毛を刈ってしまうと、ここの寒さで風邪を引きかねない。

(亜熱帯気候とはいえ、北風はそれなりに冷たいのだろう……)と何となく思うサムカ。彼はアンデッドで死んでいるので温度感覚が鋭くないのだ。

(そういえば、シーカ校長が以前に寒波が来る恐れがあると危惧していたな……)とも思いだす。北の森の妖精が、歴史〔改変〕の悪影響を受けて気象管理に失敗したそうなので、冬毛は確保しておきたいのだろう。


 サラパン羊が毛玉を揺らして笑いながら、校長室を出ていく。その後ろ姿を見送るサムカ。

 床をモップで拭き清めている事務職員たちを指示していた校長が、にこやかな笑顔をサムカに向けた。

「今回も〔召喚〕が滞りなくできて良かったですよ。さすがリッチー制作の召喚ナイフですね。学校や将校用の避暑施設ですが、帝国がこれまで通り全額負担で改修補修をすることになりました。テシュブ先生はじめ先生方には一切請求しないそうですので、ご安心下さい」


 さすがにサムカの危惧を読まれていたのだろう。サムカが錆色の後頭部を手袋をした左手でかいて両目を閉じた。顔には感情を出さないように心掛けていたのだが、うまくいかなかったようだ。

「うむ、それは助かる。大災害の復旧で国庫が火の車だろうが、配慮感謝すると上層部の方々に伝えておいてくれ、シーカ校長」

 ほっとした表情になり、壁にかけられている時計を見て、少し驚いた顔をする。

「ん? 死者の世界の時間と、わずか16分しか違わないぞ」


 天井からハグ人形が落下して、校長の白毛交じりの毛皮頭に「ポフ」と着地した。いきなりのドヤ顔である。

「感謝しろよ、サムカちん。世界間の調整作業が進んでな、時差や時間の流れの同期がしやすくなったのだよ」

 校長が感心する。

「そうなのですか。それは良かったですね、テシュブ先生」

 サムカは首を少しかしげたままだ。黒マントの中でくぐもった音がいくつか鳴る。

「確か以前に……ハグの魔力をもってしても、世界間の時刻と時間同期はできないとか言っていなかったかね?」


 ハグ人形がサムカの冷静な指摘に、ピクリと肩を震わせた。黄色いボタンを縫いつけて目にしている顔を、ぷいと背ける。

「ふ、ふん。メイガスやリッチー、魔神が協力して世界間の調整をしたんだよ。もちろん、ワシも重要な役割を果たしたんだからなっ」


(あー……そういうことか)と理解するサムカと校長であった。理事を務めるようなリッチーの癖に使えないのは、相変わらずのようだ。これ以上、指摘を入れても利益にはなりそうもないので、話題を切り替える。

「シーカ校長。今回一連の事件で、生徒の間に死者が出た。その点に関して、私が何かできることはあるかな? 死者の〔復活〕は私では無理だし、出来たとしても〔ゾンビ化〕するだけだが……」


 校長が考古学部長と顔を見合わせて、何事か狐語で話し合った。すぐに、サムカに顔を向けて微笑む。

「負傷したり精神障害を受けた生徒は、法術のマルマー先生やエルフのカカクトゥア先生の尽力で回復済みです。死者は、バントゥ・ペルヘンティアン君、チューバ・アサムジャワ君、それにラグ・クンイット君の3名ですが……」


 校長の笑みが哀しいものに変わった。両耳と顔のヒゲ群も力なく垂れる。

「テロ実行犯ですので、〔復活〕は認められませんでした。色々と手を尽くしてはみたのですが、残念です。身内だけで葬儀は終えて、納骨も済ませました。私とペルさん、レブン君たちも参列して最期の別れをしてきましたよ」

 さらに沈んだ哀しい表情と口調になっていく。

「ですが……バントゥ君だけは遺体が全く残らなかった上に、ペルヘンティアン家が国家反逆罪で断絶となりましたので、先祖代々の墓も取り壊されて無くなってしまいました。非常に残念です」


 サムカも両目を閉じて黙祷を捧げた。

「私はアンデッドだからな。墓参りをすると、色々と厄介な事象が起きかねない。申し訳ないが、ここから冥福を祈ることにするよ。思念体だけでも残っていれば、死者の世界へ持ち帰っていたのだが。その後は私が責任をもってゴーストから育てて、面倒をみる事もできただろう。惜しい事をした」

 サムカが黙祷を終えて、窓の外を見る。

「バントゥ君については、(後で遺族の許可を得て、墓から抜き取れば良いだろう……)と軽く考えていた。まさか蒸発して光に〔分解〕されてしまうとは。ああなると、手が出せない」


 ハグ人形も校長の白毛交じりの頭の上で黙祷をするかと思いきや、反対に胸を張ってふんぞり返っている。さすがにサムカがジト目になって不敬だと指摘するが、反対に呆れた声で反論されてしまった。

「ワシが祈ると、シャレにならんことになるんだよ。サムカちん、貴族のくせにそんなことも知らんのかね」

 当然知らないサムカと校長たちだが、ハグ人形はそれっきり説明を止めてしまった。


 リッチーほどの魔力になると、『冗談以外の言葉が具現化する』恐れがあることはサムカでも知っているが、それ以上の詳しいことは知らない。一応、ハグ人形に聞いてみるサムカであったが、当然のようにバカにされただけであった。


 険悪な空気になり始めたので、慌てて校長が話題を変えた。今、校長室を含めた教員宿舎を破壊されては、校長としてもシャレにならない。

「え、えと、テシュブ先生。我がタカパ帝国が輸出した公式の貨物便第一号が、そちらに届いたと聞いています。貨物の状態はどうでしたか? マンゴを主体にした生鮮果実でしたので、荷痛みが出ていなければ良いのですが……」


 サムカが「コホン」と軽く咳払いをして、ジト目を正して校長に微笑んだ。

「うむ。私も王城にて立ち合い、確認した。世界間移動ゲートも正常に作動したし、通関手続きも滞りなく済んだよ。荷痛みも、ほぼなかった」

 〔転移〕の魔法なので、見かけ上の移動距離はごく短い。ゲートをくぐるだけだ。

「死者の世界ゆえ、闇魔法場の悪影響も懸念されていたが……それも何とかなりそうだよ。もちろん賞味期限は大幅に短くなるが、王都を中心にした消費になるので期限内で全て消費できるだろう……ということだ。宰相閣下がそう仰ったので、大丈夫だろう」


 校長がほっとした笑顔になった。白毛交じりの尻尾がパサパサと床を掃く。

「ああ、それは良かったです。関係者から伺ったのですが、マンゴは帝都近郊農家で栽培収穫されたものだけになるそうです。この魔法学校がある地域の農家には、残念ですが恩恵は及びません。物流コストが高くつきますし、辺境ですので一定量の生産の保証が難しいのですよ。ですが、帝国にとっては良いことです」


 サムカが山吹色の片目を閉じる。

「まあ、仕方がないだろう。私は死者なので病原菌やウイルス、寄生虫などとは疎縁だが、オークや魔族は別だ。貴族が潜在魔力を吸い取った後で、オークや魔族が食す場面が多いはずだしな」

 口調が少し厳しいものになる。

「その際に、先日起きたようなライカンスロープ病などが、死者の世界で流行しては困る。自然豊かな辺境の産では、少々不安があるのだよ。むろん、通関時に闇魔法などを使って殺菌消毒を行ってはいるが、担当しているのは騎士見習いだ。たまに不注意で見逃す可能性はある」


 ライカンスロープ病の学校での流行時では、サムカ自身は直接立ち会っていないのだが、素直に同意する校長と考古学部長であった。予防接種を受けていた先生方でも、ほぼ全員が感染発病したのを目の当たりにしているので、オークや魔族にも感染する恐れは充分にあると考えているのだろう。


 ハグ人形が校長の頭の上から、文字通りの上から目線で補足説明をしてくれた。

「シーカ校長。マンゴを始めとした生鮮果物だが、サムカちんが言う以上に貴族の間では評判になっているぞ。こやつの領地でもマンゴなどを栽培しておるから、面白くないんだろうけどな。情報は正しく伝える必要がある」

 サムカが何か言おうとするのを、ハグ人形がぬいぐるみの手を突き出して制した。ついでに「コホン」と咳払いまでする。どんどん精巧な『ぬいぐるみ人形』に仕上がってきているようだ。

「賞味期限が短いから、他の王国連合へ船便で輸出することは無理だという、サムカちんの話だが……〔テレポート〕魔法具を用いた輸送もある。付加価値が高いと見込まれれば採用されるだろう。今のところは、王都近郊を中心としたファラク王国連合内だけの流通になるがね」

 ハグの口調が笑いを含んだものに変わる。

「サムカちんの近くには、金融保険業とカジノで栄えているコキャング王国がある。そこの領主であるピグチェン卿が、かなり興味を抱いておるのだよ。コキャング王国は金融特区に指定されていて、他の王国連合の貴族どもも頻繁にやって来る。商機の拡大は充分に考えられるな。辺境の農家にも注文が及ぶかもしれんぞ」


 サムカが不満そうに整った眉をひそめて、腕組みをする。

「それは、私も言おうと思っていた話なのだが。だが、まだ可能性の話だ、シーカ校長。通関職員はオークだが、彼らは魔法を使えない。よって、検疫や品質検査などの作業を騎士見習いが担当している。ノウハウが蓄積されれば、魔法具に収めてオークに任せることになるが……それまでの間は無理だ」

「コホン」と咳払いをする。

「校長も知っての通り、騎士見習いの人数は多くない。騎士や貴族よりも若干多い程度だ。いきなり輸出量を増やしても、人手不足のために通関で止まってしまうのだよ。賞味期限の短い生鮮果物では致命的だ」


 そして申し訳なさそうに、錆色の後頭部を手袋をした左手でかいた。

「かといって、ジュースやジャム、乾物にすると、今度は私の領地の産物と本格的に競合する。オークは貴族や魔族と違って味覚に鋭敏でね。確実に我が領地産の物には手を出さなくなる」

 再び後頭部をかく。

「かといって関税を高くかけると、今度はタカパ帝国側に不満が溜まるだろう。これが、生鮮果物限定で輸入が許可された理由だ。オークや魔族に直接向けた商品ではなく、あくまでも、貴族向けの商品なのだ。その点はどうか理解してくれ」


 校長が柔和な笑みをサムカに返した。

「分かりました。この地域の農家には、そう伝えておきますよ。難しいお立場なのにご尽力下さいまして、本当に感謝しています。学校の先生方を通じて、他の世界に販路ができるかもしれませんし、どうか、お気になさらず」


 そして、ハグ人形を頭の上からそっと両手で包んで下ろし、まだ恐縮気味のサムカから視線を向けた。

「ハグさま。寄付金についての感謝状がちょうど今、教育研究省から届きました。受け取って下さいますか?」

 校長の5本指の魔法の手袋の中で、ハグ人形が口をパクパクさせて照れている。

「すまんね~。こんな大層な物など気にしないんだが。ははは、そうかー、仕方がないなあ」


 身長が1メートルほどしかない狐のサイズなので、感謝状もかなり小さい。それでも15センチほどしかないハグ人形には巨大な物だ。

 が。ハグ人形が両手で受け取った瞬間、感謝状が縮んで1センチ四方ほどのサイズになってしまった。それを、さらに〔消去〕してしまうハグ人形。

「うむ。確かに受け取った。大事にするよ。リッチーともなると、金銭を得ても使い道がないのでね。溜め込むリッチーも多いが、金銭は使ってこそ価値が出るものだ。なあ、サムカちん」

 いきなり話を振られたサムカが、返答に窮している。

 その様子をセマン型でニヤニヤしながら楽しんでいるハグ人形だ。




【鑑定】

 話題が一通り済んだのを確認したアイル部長が、校長と目配せをしてからサムカに顔を向けた。相変わらずの野外作業続きのせいか、冬毛だというのに日焼けで荒れている毛皮のままだ。

「ええと……少しだけ、お時間よろしいでしょうか、テシュブ先生。また古代遺跡で魔法具が発掘されまして。その鑑定をお願いしたいのです」


 サムカが気楽に同意したので、ほっとするアイル部長。すぐに配下の狐族職員に命じて、校長室へ数個のトレイを運び入れた。

 サムカから注意されたことを忠実に守っているようで、部下たちも特注の手袋と防護服をしている。魔法具に直接接触することはせず、木製の火ばさみに似たトングを使って取り扱っている。


 見たところ、いつもの発掘品のようだ。古式めいた刀剣類や軽鎧、小さな盾といったものばかりである。サムカも気楽な表情で両手の手袋を外し、素手で発掘物に触っていく。ハグ人形は退屈そうに校長の頭の上で昼寝を始めた。


 1分もかからずに全ての発掘物を鑑定し終わると、サムカが手袋をしながらアイル部長に顔を向けた。

「特に問題となりそうな物はないな」

 アイル部長と彼の部下たちが、ほっとした表情に戻る。尻尾が見事にシンクロして左右に振られている。

「そうですか。良かったです。これで発掘品の調査ができますよ」


 サムカが黒マントの裾を整えて、以前からの疑問点を口にした。

「前にも述べたが、古代遺跡とは墓所だ。いまだにこのような事を続けていることが解せないな。作るだけ無駄だろうに」

 しかし、校長とアイル部長は首をかしげているばかりだ。サムカが錆色の前髪を軽くかく。

「……そうだったな。墓所という場所は存在しないという事だったな」


 その疑問にはハグが眠そうな声で答えてくれた。

「墓所も一枚岩ではないという事だろう。単純に、他の墓所の動向までは知らない可能性もあるしな。眠ったままだから、旧来の行動術式を走らせているだけなのかもしれぬよ」

「ふむむ……」と考えるサムカ。校長とアイル部長は、何の話を2人がしているのか理解できない様子だ。


 ハグ人形が面倒くさそうに起き上がって、校長の頭の上であぐらをかいて背伸びをする。

「まあ、ワシらとしては……連中が表面上は眠りながら様子を伺っておるという想定で、行動した方が良かろうな」

 そして、話のついでといった風に、サムカとアイル部長に告げる。

「そうだ。サムカ熊の人形に、行動術式の〔修正〕を施しておいたぞ。ほれ」


 そう言うが早いか、いきなりサムカ熊が出現した。背丈がサムカとほぼ同じ180センチもある上に、肩幅や胴回りはサムカの倍以上あるので、かなりの威圧感だ。

「ひゃあ」と悲鳴を上げて、サムカの後ろに逃げ込む校長と部長に彼の部下たちである。床掃除は終わっていたので、校長の部下である事務職員の姿は、もう見当たらない。


 自身が常時展開している〔防御障壁〕を調節して、校長たちに悪影響が出ないようにしてから、サムカがやや真剣な表情でサムカ熊を眺めた。

「……ハグ。本当にもう大丈夫なのかね? また暴走したら、さすがに擁護できないぞ」

 そう言いながら、サムカがサムカ熊の巨大な熊手や、毛皮で覆われた腹や頭を軽く叩いていく。


 ハグ人形がサムカ熊の頭の上に跳び移って、「ポインポイン」と跳ねている。

「ワシを誰だと思っておるのかね? こやつが今まで体験した魔法全てに『耐性』を付与しておる。再び同様な事件に巻き込まれても誤作動は起きないさ」

 口調が少しだけ真面目になる。

「ただ、〔妖精化〕と〔精霊化〕には対処できない。なので、汚染部位をすぐに自動で切り離して捨てる機能をつけた。これで何とかなるだろう。最悪でも、こやつの体が全てバラバラに細かくなって動かなくなるだけだ。襲い掛かるような事態にはならんよ」


 それでもまだ不安そうなサムカである。試しに、自身のベルトに吊るしている長剣を抜いて、サムカ熊に持たせてみた。強烈な闇魔法場が刀身から漏れだし、床が〔風化〕し始める。


 数秒後。その剣をサムカ熊から受け取って、鞘へ納めた。ここでようやくサムカも納得したようだ。

「うむ。闇魔法については問題なさそうだな。前回の暴走は、闇魔法による無差別攻撃が行われたそうだから、今回の修正でそれはもう起きないだろう。他の魔法については私では判断できないから、先生方に確認してもらう方が良いだろうな、シーカ校長」

 すぐに了解する校長だ。サムカの背中の後ろに避難していたが、顔をひょいと出してサムカを見上げる。

「分かりました。そうすることにします」


「うむ」とサムカが答えながら、サムカ熊に発掘品の鑑定作業をさせる。その様子と、鑑定結果がサムカ熊の腹に生じたディスプレー画面にウィザード語で表示されたのを見て、満足そうな表情になった。

「さすがハグだな。まさか対応できるとは思っていなかったよ。これなら私が直接鑑定しなくても、この熊人形だけで充分だ。呪いの発掘物の〔解呪〕は無理だが、それは私が行おう。ハグ。考古学部向けに、この熊人形を量産してみてはどうかね?」


 ハグ人形が頭をポリポリかいて首をクリクリ回す。

「……そうだな。熊人形を考古学部で用意してくれれば、術式を〔複製〕して導入するだけだから異存はないぞ。100体単位で相談に乗ろう」

 サムカが苦笑してハグ人形にツッコミを入れた。

「ハグ。それじゃ軍隊になってしまうぞ。教育研究省に軍ができてしまう。面倒な事になるから止めておけ」


「ちぇー……」と捻くれて手足をバタバタさせるハグ人形に、アイル部長が大真面目な顔で懇願する。

「軍は無理ですが、鑑定作業を熊人形で代行できるのであれば、ぜひお願いします。予算と人員の強化を要請してはいますが、発掘作業は人気がありませんので集まらないのです。人手不足解消の一助になりますので、ぜひ。注文数は10体ほどにしかなりませんが……上司と相談してみます」


 そこまでお願いされては、ハグ人形も前向きに検討せざるを得ない。まだ少々不機嫌ではあるが、口をパクパクさせて頭をブンブンと縦に振った。

「まあ、熊の姿だしな。まだまだトラウマになっている者も多かろう。術式は完成しておるから、いつでも申し出るが良いぞ」




【運動場】

 アイル部長の用事も終わったので、校長室から出るサムカと校長。サムカ熊もポテポテ歩きをしながらついてくる。ハグ人形は用事が済んだと思ったのか、サムカ熊の頭の毛皮の中に潜りこんで姿を消してしまった。


「うるさいのが消えたか……ふむ。瓦礫の撤去は無事に終えたようだな」

 サムカが教員宿舎の外に出て、運動場を見渡す。東西の校舎が瓦解してできた瓦礫の山は、地下階を含めて全てなくなっていた。運動場や校舎があった敷地も、全てが更地になっている。


 今は寄宿舎だけが建物としてポツンと残っているだけで、よく目立っている。屋上や最上階の破壊跡も修復されて元通りになっているようだ。ジャディの部屋も直っているのだろう。

 振り向くと教員宿舎があり、これはすっかり元通りに修復されていた。さすがに花壇や植栽までは手が回っていないようだが。


 雨が降ったのか、地面がじっとりと湿っている。小さな水たまりもあちこちにできている。(そういえば、この地域は亜熱帯だったな……)と思い出すサムカ。これからの冬は雨期でもある。(シーカ校長の服装も冬服になっているのか)と今になって気がついた。

 温度に敏感ではないので、季節感も校長の姿と毛皮の状態を見て判断している状態のサムカでは、仕方がないところか。


 運動場の一角では、パリーのクラスが青空授業をしているのが見えた。生徒の制服も冬服仕様になっている。紺色のベストからブレザー服に変わっていた。半ズボンは変わっていないが。運動場にいるのは、その1クラスだけで、他のクラスは見当たらない。

 パリーも季節感にはそれほど敏感ではない様子だ。いつもの寝間着姿に、草で編んだサンダルの服装であった。やはりハゼノキの赤い落ち葉を、サンダルの緒に何枚か差し込んでいる。


 そんなパリーの姿をすぐに察知したサムカが、苦笑交じりに感心した表情になる。

「ほう。パリー氏もようやく先生らしいことを始めたか。結構、結構」


 校長も口元を緩めて、鼻先のヒゲ群をピコピコと動かしながらサムカの感想に同意した。

「『生命の精霊魔法』の授業担当です。専門生徒はいませんので、全員が選択科目として受講していますよ。さすがは森の妖精だけありますね、かなり高度な内容になっています。まともに理解できているのは、ミンタさんだけという話もチラホラ聞きますが……」

 サムカが腕組みをして首をかしげた。

「それはそれで、考え物だな。まあ……私の授業も、魔法適性のない生徒にとっては似たようなものだが」


 そして、運動場を再び見渡して校長に質問する。

「かなりの量の瓦礫が生じたと思うのだが……どのようにして処分したのかね? 帝国内での埋め立て処分は、妖精や精霊から反発を買うと思うのだが」

 校長が足早にサムカの歩調に合わせて歩きながら、微笑んで答えた。

「そうですね。埋め立て処分は難しいですね。瓦礫が闇魔法場を帯びていましたから。海洋投棄も魚族から反発を受けることになりますし。ですので、今回はノームのラワット先生にお願いしました」


 ここでサムカも合点がついた。

「なるほどな。大地の精霊に食べさせたのか。木材などもあったはずだが、問題なかったようだな」

「これがその映像です」

 校長が手早く〔空中ディスプレー〕を前方に発生させて、記録映像を流し始めた。ダイジェスト版になっているので、再生時間は1分間ちょっとで上手にまとまっている。


 そこに映し出されている映像は、なかなかに興味深いものだった。

 瓦礫の山で覆われている運動場から、大量の巨大ワームが湧き出してきてガツガツ食べ始めた。同時にスライムも瓦礫の山から湧き出してきて、液体状の体に取り込んで消化していく。ワームもスライムも大きさは数メートルほどもあるので、ちょっとした怪獣映画のようだ。

 早回しで掃除の状況が映し出されていて、画面隅の表示によって経過時間が分かる。それによると、瓦礫の完全消化まで、たったの一日半しかかかっていない。映像の最後は、完全に更地になった運動場で、大地の精霊の姿も消えてしまっていた。そして、それは目の前の運動場の様子そのままであった。


「ふむ。我が領地でも採用してみたいな。これほど効率が良いとは。清掃獣より上だよ」

 感心しきりのサムカに、〔空中ディスプレー〕画面を消去した校長が、申し訳なさそうな笑顔で指摘した。

「効率が良すぎました。ドワーフのマライタ先生が苦労して集めて解析中だった、大深度地下産の鉱物や土類も『全て』食べられてなくなってしまいました。おかげで丸一日、マライタ先生がヤケ酒をあおって、授業放棄してしまいました」


 サムカにもその様子が容易に想像できて、口元を大いに緩める。

「熊人形が盛大に闇魔法を放ったようだからな。瓦礫の中へ入ると魔法場汚染を受けてしまうから、鉱石を取り戻しに行けなかったのだろう。アンドロイドのような機械は、この魔法場の中では満足に動けないだろうしな。闇の因子に耐性がある大地の精霊に食べられてしまうのは当然か」


 校長がパリーのいる場所へサムカを案内しながら、学校の話題に話を移した。

「帝国軍の工兵部隊や民間の建築業者が災害復興で忙しい状況ですので、校舎の再建はかなり後になる見込みです。その間は、地下に設けた教室での授業になります」

 地下室を設ける方が高難易度なのだが……そこはマライタ先生が主張したのだろう。

「テシュブ先生が指摘してくださったように、魔法に頼らない非常口やシェルターなども完備しました。もちろん、各魔法の魔力サーバーも仮稼働し始めましたので、緊急時の強制〔テレポート〕魔法も起動していますよ。〔テレポート〕先は寄宿舎の前庭です」


 そんな話をしながら校長が、後ろについて歩いてきているサムカ熊に視線を向ける。

「今回は、魔力サーバーや保安警備システムも『熊人形を異物と認識しない』ように設定しています。前回の暴走の原因の1つには、システムが排除行動を起こしたせいもあるそうです。マライタ先生からの報告ですが。これで、もう大丈夫だと思いますよ」


 それはサムカにもすぐに分かった。熊人形だけでなくサムカも一応アンデッドなので、そのままではシステムから敵と認識されてしまう。こうして運動場を歩くだけでも攻撃を受けるだろう。

 そのため、例外措置として生徒たちのシャドウと共に登録されている。これもまた、正常に作動しているようだ。


 内心、ドワーフの科学力に感心しているサムカである。魔法適性がないのに、よくぞここまでのシステムを組めるものだ。ちなみにサムカの城やファラク王国城ですら、このようなシステムは組めていない。



 そうこう考えているうちに、パリーが教えている青空教室の場所に差し掛かった。パリーもサムカに慣れてきたようで、気軽に手を振って挨拶してくる。愛想笑いまでしているので、一抹の不安を抱くサムカであったが。

「これからは『パリー先生』と呼ばないといけないかな。私はアンデッドなので授業を聞くことはできないが、生徒たちには非常に有益になるだろう。よろしく頼むよ」


 サムカが校長とサムカ熊を連れて、挨拶を交わしながらパリーの青空教室を通り過ぎようとした。

 そのパリーが授業を中断してサムカを呼び止めた。表情や声色は普段のままなので、特に敵対しようとは考えていないようだが……内心警戒するサムカである。

「ん? 何だね? パリー先生」

 サムカが首をかしげて問うと、パリーがヘラヘラ笑いを満面に浮かべた。枝毛や切れ毛だらけの赤髪が、心なしか艶やかになっている。

「あ~、うん~、先日ね~森の妖精会議に出たんだけどお~。ちょっとケンカしちゃったのよね~。逆恨みでここへ来るかも~。その時はよろしくう~。多分、数日後にはこっちへやって来る~」


 さすがに呆れた表情になるサムカと校長であった。特に、校長の衝撃具合は相当のものだ。

「え……? 報告では、妖精群は土地に縛りつけられているから、ここまで来ることはできないと書かれていましたよ? こ、ここへ襲撃しに来るというのですか!?」


 パリーがヘラヘラ笑いながら、校長にペロリと舌を出してウインクした。かなりウザい。

「だってえ~、〔テレポート〕できなくしたから~普通ならここまで来れないわよ~。すごい根性だしてるの~ここまで『走ってくる』って~ばかでしょ~1000キロ以上はあるのにさ~」


 早くもパタパタ踊りを始めている校長を横目で見ながら、サムカが呻いて腕組みをする。

「妖精は魔力量が巨大だからな。土地に縛りつけることも確実ではなかろう。しかし、パリー先生と同等の魔力の持ち主が複数相手では、私がいても大して役に立たないと思うぞ。私が大暴れしたら、『化け狐』やらが大量に呼び寄せられるだろうし、ハグほどではないが闇魔法場汚染も深刻なものになる。どこか安全な場所へ〔テレポート〕して、緊急避難する訓練をした方が現実的だろう」


 校長が必死な視線をサムカとパリーに交互に向けているのだが、とりあえず今はパリーとの話に集中するサムカだ。が。パリーはいつもと全く同じ表情で、緊張感の欠片もないまま「ニヘラ」と笑っている。

「それは大丈夫~。土中に避難すればいいもの~。私も一緒に逃げるし~。地上の建物は全滅するだろうけど~。囮になって死んでくれたら私は嬉しいんだけどな~。どう?」


(こいつは……)と、内心思うサムカであるが、表情や声には出さない。「コホン」と軽く咳払いをしてから、少し考える。

「囮の役目は、この熊人形に任せればいい……しかし、そうか。『数日後に襲撃の恐れがある』ということか。私の教え子に、時間稼ぎの策を与えておく必要があるな。森の妖精にとっては、不快になりやすい魔法特性を持っているからね。教え子が真っ先に襲われるだろう」


 そして、このパリーとの会話は『有益』だと結論づけたようだ。にこやかに微笑むサムカである。

「貴重な情報に感謝するよ、パリー先生。私は多分〔召喚〕時間の関係でそれほど役には立たないだろう。この熊人形に行動術式を入力しておくとしよう」

「ども~」

 気楽な笑みのままで答えるパリーに、再び手を振って挨拶をして先を急ぐサムカたちであった。そろそろ授業終了の時刻だ。次の授業がサムカの担当する選択科目クラス向けの時間になっている。


 ふと、サムカが何かを思い出したようで、寄宿舎前庭の辺りに視線を向けた。ここまで歩いてくると、寄宿舎もすぐ間近なのでよく見える。校長が気がついたようだ。

「テシュブ先生、どうかなさいましたか?」

 サムカが校長に聞かれて、白い事務手袋をした左手で左耳の先を軽くかく。

「うむ……この辺りに、確か灰になったゾンビを埋葬した墓があったと思ったのだが」


 サムカが校長に山吹色の瞳を向けると、校長がうつむいた。それで、全てを察するサムカである。

「……そうか。熊人形の暴走時に破壊されてしまったか。申し訳ないことをした、シーカ校長」

 校長が哀しく微笑みながら顔を上げて、サムカを見つめる。

「いいえ……あの時は生徒と先生、職員たちの安全が最優先でした。もし残っていたとしても、大地の精霊が食べたと思いますよ」



 サムカと校長が地下階の入口にたどり着いた。ちょうど寄宿舎の前庭に接する場所だ。生徒の移動の利便を考慮したのだろう。

 簡易の雨よけ屋根があり、地下階へ続く石造りの階段の隣には換気ダクトが数本あって《ゴウゴウ》と重低音を発しながら、地下の空気の入れ替えを行っている。

 〔テレポート〕魔法陣も2つあり、これで荷物や大きな機材の搬入をしているのだろう。5メートル離れた場所には、緊急脱出用の非常階段も設置されていた。だが、いずれにしても『急ごしらえ』という印象はある。


 校長が両開きの樹脂製のドアを開けて一歩中に入り、サムカも入るように促した。

「テシュブ先生、どうぞ中へ。パリー先生だけは、どうしても地下へ入ってくれませんでしたので、ああして天気の良い時間だけ青空授業をしてもらっています。やはり、妖精の領域というものがあるのでしょうね」


 生命の精霊魔法は、大地の精霊魔法ともそれなりに親密な関係ではある。が、やはり別々の系統の魔法であることには変わりがない。エルフ先生が大地の精霊魔法を苦手にしていることからも、それは明らかだ。

(と、いうことは……先程パリーが言っていた『緊急時になったら地下階へ避難する』という話も、実は嘘に近いのだろうな……)と判断するサムカであった。



 ちょうど授業が終わったようで、地下階では生徒たちの大移動が始まっていた。騒音対策が施されているようで、廊下に生徒たちが充満して行き来していても、それほどうるさくは感じない。


 サムカもすっかり生徒たちに受け入れられたようで、あっという間に生徒たちの輪の中に囲まれてしまった。身長が1メートルあるかないかの背丈ばかりなので、皆サムカを見上げて目をキラキラさせながら質問攻めをしてくる。ほとんどはゾンビやゴースト作成のことだったり、森の中や故郷で出没している野良ゴーストへの対処方法の質問だ。

 さすがにサムカも〔防御障壁〕を使ってこの人混みの中を進むつもりはない様子だ。足を止めて、生徒たちの相談や質問に穏やかな顔で答えている。その様子を微笑ましく見つめる校長。


 生徒たちがサムカの黒マントを興味深く触っているのは放置しているが、さすがにベルトに吊るしている長剣や装飾具には触れないように警告するサムカである。

 〔防御障壁〕はサムカの方で弱くしたり消したりできるが、剣や装飾具は、それ自体が魔力を発している。不用意に魔法適性のない者が触れると、精神障害を起こしてしまう危険性があるのだ。いわゆる呪いの魔法具という物に近い。サムカからの警告を受けて、慌てて手を引っ込める生徒たちである。


 しかし、それもアンデッド教徒には効果がなかった。名家の子息が多いので、意外に影響力がある団体であったりする。ただ、政治的な団体ではないので、リーパット党ほど他の生徒たちや先生方から疎まれてはいないが。

「うきゃー……」

 警告を無視して長剣の鞘に両手でつかみかかってきたアンデッド教徒のライン・スロコックが、完全に魚頭に戻って気絶して倒れた。彼は占道術の専門クラス級長なのだが。他にも数名の教徒が悲鳴を上げて倒れる。竜族や狐族の男子生徒もいて、サムカのベルトやポーチに触ってしまっていた。


 サムカがため息をつく。

「こらこら。触ってはいけないと警告したばかりだぞ。君たちはレブン君と違って死霊術の魔法適性が乏しいのだから、うかつに触らないことだ」


 校長もやや呆れ顔になりながら、倒れた生徒たちを助け起こして気絶から〔回復〕させていく。かなり手慣れた作業になっている。〔回復〕した生徒たちも、あまり反省はしていない様子だ。「キャイキャイ」と喜びながらサムカと校長に礼を述べて駆け去っていった。

(どうやら、度胸試しみたいなものになっているようだな)

 磁器のような藍白色の頬を手袋をした指でかくサムカ。

「……そうだ。せっかくだから聞いてみるか」


 サムカが真面目な顔になって、取り巻いている生徒たちに山吹色の視線を投げた。校長も(何だろう……)というような顔をしている。

「ゴースト退治の関連だが、ドラゴンのような姿をしたゴーストを見かけた者はいるかね? ハグの話によると、ドラゴンが何やら暗躍している恐れがあるようだ」


 サムカの問いに、取り囲んでいる生徒たちが互いに顔を見合わせる。しかし、反応は薄いものだった。

「いいえ。見かけませんよテシュブ先生」


 それをきっかけに今度はドラゴンゴーストの話題になって、サムカが質問攻めを受けることになってしまった。

(ちょっと失敗だったか……)

 錆色の短髪をかくサムカである。とりあえずハグから聞いた話も含めて、生徒たちに注意を促した。

「ゴーストとは言え、ドラゴンだ。魔力は相当に高いぞ。見かけたらすぐに離れることだ。場合によっては、君たちを精神支配してくるかもしれないからな」

「はあい!」


 素直に返事をしてくる生徒たちに、サムカも微笑む。

(後で、熊人形にも選択科目の講義のネタとして、ゴースト避けの方法をいくつか入力しておくか……)と思う。一般向けのゴースト対処講習もあれば、それはそれで有意義だろう。



 その時、生徒たちの中をかき分けてリーパットたちが乱入してきた。

「おいオマエたち。不浄なアンデッドと話すなよ。腐臭が移るぞ」

 早速、リーパット党と生徒たちが口論を始めた。しかしサムカと校長が次の授業に向かうように急かしたこともあって、それ以上の口論にはならずにすんだ。一般の生徒たちが皆、サムカと校長に一礼をして足早に去っていく。


 残ったのは、50名にも上るリーパット党だけになった。このままサムカを非難するのかと身構えた校長に、リーパットが余裕の表情で告げた。尻尾が優雅に揺られて床を掃く。

「心配は無用だぞ、シーカ校長。先程はああ言ったが、テシュブ先生にはこれでも感謝しているのだ」

 リーパットがドヤ顔になって、サムカを見上げた。サムカも特に反応していないので、調子に乗ったようだ。

「校舎を完全に破壊してくれたことにね。本当に見事に瓦礫の山にしてくれたよ。おかげで、バントゥが学校を去るきっかけにもなった。奴は学校が大好きだったからな。ペルヘンティアン家も断絶して、我がブルジュアン家の政敵も消えた」

 話しながら、さらに調子に乗ってきている。

「実に、我がリーパット党に都合が良い環境を用意してくれた。感謝するよ。そもそも、狐族は純血であるべきなんだ。劣等民族との共存共栄など、狐族の誇りを穢すだけだ」

 鼻高々でドヤ顔の演説を始めたリーパットである。取り巻きのパランとチャパイを含めた党員たちが、うっとりとした表情で彼の演説を聞き入っている。


 校長が呆れ顔になっていくのを横目で見ながら、サムカがリーパット本人を見つめた。先程から、何か『違和感』を彼から感じるのだ。それが何かは分からないが。

(非接触で調べてみたが、特にこれといって不審なものはなかった。ゴーストの〔憑依〕も起きていない)

 腕組みをして、軽く首をかしげる。当然ながらリーパットの演説は聞いていない。

(彼の魔力は学内最低だ。むしろ他の生徒との差が開いている有様だ。死霊術は当然ながら使える状態ではないし、他のソーサラー魔術やウィザード魔法でも、初歩的な術式しか使えないままだ。だが……)


 校長がリーパットの演説を止めるように注意し始めたのを横目で見る。

(彼の雰囲気というものが、何となくハグや墓、それにパリーに似ている。魔力は明らかに乏しいのだが……気のせいと言われれば、そうかもしれんが)

「……まあ、熊人形も常駐するし、経過観察すれば良いか。何か起きれば、すぐに分かるだろう」



 サムカが1人で結論に達する横で、校長が険しい顔をしながらリーパットに注意をしている。

「君はまだ一介の生徒です。政治活動をする権利はまだ有していませんよ。投票権も今はないのですから。学業に専念しなさい。ただでさえ、君の成績は学内最低なのですよ」

 リーパットが演説を中断して、校長に食って掛かった。全身の狐毛皮が興奮で逆立っている。

「う、うるさい! いくら皇帝陛下と宰相閣下に親しい校長といえども、ブルジュアン家に刃向かう事は許さんぞっ」


 さすがに校長相手では分が悪いと思ったのか、パランがおずおずとリーパットの紺色のブレザー制服の裾を手で引っ張る。

「リーパットさま……ここは、これで充分です。次の授業が始まりますから、そろそろこれで……」

 しかしコレがリーパットには面白くなかったようだ。さらに尻尾の毛皮を逆立てて、角度も60度に近くなる。

「貴様に指図される覚えはない! 今や、我はこの学校で最も権力を持つのだぞ。このような、老いた狐の1匹や2匹、追放することなど造作もないっ」


 パランが校長の顔色を伺いながら、リーパットになおもすがりついて説得しようとする。しかし今度はチャパイが別の取り巻きたちと一緒になって、パランをリーパットから引きはがした。そのままパランを非難する。

「リーパット様に逆らうとは、いくらパラン君でも許されることじゃないぞ。調子に乗るなよ」

「そうだぞ。古参だからって調子に乗るな」

 たちまち仲間割れを始めて、パランとチャパイたちが口論になった。リーパットはそれらを無視して、校長になおも文句を言い放ってくる。


(次第に収拾がつかなくなってきたか……)と思うサムカ。

「仕方がないな。頭を冷やしてもらうとするか」

 黒マントの中から、手袋をしたままの左手を差し出して、リーパット党に向けた。その時……


「サムカ先生。ここは闇の因子が強く作用する地下ですよ。軽率な行動は控えなさい」

 地上との出入り口に一番近い教室のドアが開いて、中からエルフ先生が顔を出した。そして、そのまま口論中のリーパット党に空色の視線を向ける。

「あなたたちも解散しなさい。間もなく次の授業開始の時刻ですよ。遅刻は許しません」



 さすがにエルフ先生の一言は、効果てきめんだったようだ。ピタリと口論と、演説めいた校長への非難が止んだ。

 リーパットが渋々ながら、エルフ先生に怒りを含んだ視線を投げつける。全身の毛皮はまだ逆立ったままだ。

「く……仕方がないな。これで今回は許してやる。行くぞオマエら」

 リーパット党が文句を先生たちに垂れ流しながらも去って行く。


 それをサムカや校長と一緒に見送ったエルフ先生が、キラリと空色の瞳を輝かせてサムカに振り向いた。まだ教室のドアから顔を出したままの態勢だが。

「〔召喚〕成功のようね。良かったわ。それと、私の専門クラスがここにあって良かったわね」

 サムカが「ああ」と合点する。もうすっかりリーパットの演説は忘れたようだ。

「なるほど。そう言えば、クーナ先生も地下は苦手だったな」


 生徒たちが教室のドアや窓から、先生に続いて頭を出してサムカと校長に挨拶してくる。その生徒たちを叱りつけながら、エルフ先生が渋々うなずいた。相変わらずの機動警察の制服で、丈夫なブーツを履いた姿だ。

 彼女の専門クラスは、地下1階の出入り口の階段に最も近い教室に位置している。サムカに改めて挨拶をしてから、ようやく廊下に出てきてパリーの話題になった。


 いったんは顔を教室の中に引っ込めていた生徒たちも、興味津々の様子で目をキラキラさせながら再び窓やドアから顔を見せる。そんな生徒たちにもう一度注意を与えてから、エルフ先生がサムカに振り向いた。

「私も、できれば地下での授業を行いたくないのが本音ですね。光の精霊場が乏しい環境では、やはり不安な気持ちになります。パリーは妖精ですから、なおさらでしょうね」

 サムカが教室の出入り口で、エルフ先生と立ち話をしながら「なるほど」とうなずく。

「私は、反対に平穏な気分になる。魔法適性の影響か。つくづく興味深いものだよ」


 そんなサムカとエルフ先生、それに校長の様子を見つめていたコントーニャが、ため息混じりで歩み寄ってきた。リーパット党はもう他に誰も残っておらず、彼女だけだ。

「一言、構いませんか?」

 いつものヘラヘラ笑いをした軽薄な口調ではない事に気がついたサムカが、山吹色の瞳をコントーニャに向けた。

「何だね?」

 コントーニャが周囲を素早く見回してから、声を少しひそめて告げた。エルフ先生の教室のドアや窓から顔を出していた生徒たちも、今は教室内に戻っている。

「テロ事件以降ですね、生徒たちの精神状態がおかしくなっていますよ。『人を殺す』というような言葉が、多くの生徒の口から出ています。放置すると良くない事に至るかと思いますが」


 衝撃的な発言に、サムカとエルフ先生が目を点にして驚いている。校長も同様だ。コントーニャがもう一度小さくため息をついて指摘した。

「先生方も、今まで気がついていなかったようですね。先生や職員を含めた精神状態の〔診断〕が、至急必要だと思います」


 校長が冷や汗をかき始めた。

「そ、そう言えば……そうですね」

 エルフ先生も青い顔をしている。

「言われてみれば、確かに……」

 サムカはよく理解できていない表情で、目を点にしたまま首をかしげている。

「つまり……生徒と先生、職員を含めたほぼ全員が、『狂っている』という事かね?」


 コントーニャがようやく頬を緩めた。かなり自虐的な笑みだ。

「人を殺す事を、普通の人であれば非常にためらいます。それが『普通』です。最近、殺す事への心理的な抵抗が低くなっていると思うんですけど、私」


 エルフ先生と校長が青い顔になって視線を交わす。校長が顔じゅうのヒゲを四方八方に向けながら、固い表情になっていく。

「分かりました。カカクトゥア先生、申し訳ありませんが大至急、コントーニャさんの指摘について調査をして下さい。同時に、精神〔治療〕の手配も始めて下さい」

 エルフ先生が同じような固い表情で、ぎこちなく了承した。

「は、はい。分かりました。大至急、〔診断〕を開始します。この授業後で構いませんね?」

 校長が即、了承した。

「はい。それで、お願いします。コントーニャさん、重要な指摘をありがとうございました」


 コントーニャがようやく、いつものヘラヘラ笑いの表情に戻った。狐の尻尾と両耳を揃えてパタパタ振る。

「じゃあ、よろしくー。こんなの言うのってー、私のキャラじゃないのよねー。あ。リーパット先輩たちは、あれでも正常だと思うわよー。『手遅れ』とも言うけどー。じゃ、私はこれでー」

 パタパタと小走りで去っていく。その後ろ姿を感心しながら見送るサムカだ。軽く腕組みをして唸っている。

「むう……おちゃらけた性格だとばかり思っていたが、実はかなり繊細に人々の心理状態を洞察できるのだな」


 エルフ先生がジト目気味になってサムカを軽く睨みつける。口元は緩んでいるようだが。

「コラ、サムカ先生。その発言は少々問題ですよ。でも、人は見かけによらないものですよねえ」

 銀糸刺繍が施された黒マントの裾を、校長が引っ張る。

「早期に気づく事ができて良かったですよ……さて、そろそろ授業開始時刻です。テシュブ先生の専門クラスへ急ぎましょう」

「ああ、そうだったな」とうなずくサムカ。エルフ先生も自身の教室に戻りながら、微笑んで声をかけた。

「私の〔分身〕も既に送り込んでいますよ。先生が授業をさぼってはいけません。生徒のため、お互いに励みましょう」

(まさしく、その通りだな……)と思うサムカであった。そのための召喚契約でもある。



 校長に案内された先は、地下2階にある教室だった。

 非常階段がすぐそばにあって、緊急避難用のシェルターもある。その奥には、魔力サーバー群が設置されている部屋がズラリと並んでいた。稼働しているのだが、騒音や振動といったものは発生していない。


 それでも、漏れ出ているそれぞれの魔力や法力場は、かなり強烈なものだ。校長がサムカに申し訳なさそうに告げる。

「テシュブ先生のご要望通りに、最下層の教室にしましたが……これでよろしいですか? 他の先生の教室のように、地下1階にしても良いのですよ。サーバーが稼働していますので、魔法の混線も気がかりです。マライタ先生によると「対処しているので問題ない」という話でしたが、私には感知できませんので……」


 サムカが満足そうに微笑んで、校長に顔を向けた。

「これでいい。混線への対処も施されておるよ。それに、死霊術や闇の精霊魔法は、周辺に生命や光があると〔干渉〕を受けて弱くなる。ゾンビやゴースト作成で用いる残留思念や死霊術場も、周辺に生命がいない場所に集まりやすい性質を持っているのだ」

 周辺の空気を確かめるように、サムカが視線を周囲に向けていく。

「ここには大勢の生徒や職員がいるからね、できるだけ離れている場所で授業を行う方が都合が良いのだよ。ここは命のない機械ばかりなので、混線さえ起きなければ良い」


 とりあえず納得した様子の校長が、教室のドアを開けた。中には既にペルとレブン、ジャディ、それにミンタとムンキン、ラヤンの姿が見える。他にはエルフ先生とノーム先生の〔分身〕に、軍と警察からの受講生2人だ。

「テシュブ先生、こんにちはっ」

 ペルの元気な声が早速サムカに届けられた。先生〔分身〕や生徒たち全員の視線がサムカに集まる。鷹揚にうなずくサムカ。

 サムカ熊が自発的にロッカーの中へ入って、自身で扉を閉めて内側から鍵をかけた。そのサムカ熊の頭からモゾモゾ這い出てきたハグ人形が、校長の頭の上にジャンプして跳び移る。ロッカーを『すり抜けて』のジャンプまでするようになっている。

「んじゃ、サムカちん、あとは授業よろしく。ワシは校長室でのんびりしておくよ。ここは辛気臭いのでな」


 サムカが軽く頬を緩める。

「リッチーに辛気臭いと言われては、何も言い返せないな。ではシーカ校長。また会おう」

「はい、テシュブ先生。では、私はこれで。パリー先生の話とコントーニャさんの指摘を、大至急検討しなくてはいけませんので」

 校長が教室から廊下へ出てサムカに挨拶し、小走りで去っていくのを見送るサムカであった。


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