03
つかつかと歩み寄り、私は無遠慮にトゥルキアの手を取る。
「大切なお姉様だったのね。分かると言ったら不愉快かも知れないけれど、本当に分かるのよ。私も、お兄ちゃんが任務で家を空けていた間は毎日胸の潰れる思いをしたもの」
魔術師に任せられるのは危険な任務ばかりだから、送り出すのはいつも不安だ。両親に隠れて毎日泣いて、無事に戻ってくるとまるで魂でも取り戻したようにほっとした。
「なら、先生を殺してもいい?」
「だめ。でも分かるわ」
私の身勝手な同意と拒絶に、トゥルキアは困ったように笑う。
目の前にいるのが、一瞬誰だか分からなくなる。どこか寄る辺ない幼子のようで、これが彼の素顔かも知れないとなぜだか思う。
「僕は、君のそばに居過ぎた様だ」
羽音のようにつぶやいて、彼は私の手からするりと逃げた。
*
「あのね、トゥルキア。私はあなたにお礼を言うべきだと思うの」
しゃがんだ背中に声を掛けると、こちらを向く顔は奇妙に眉を寄せていた。
学院の庭だ。植物の植わった花壇の前で、私は彼をまねて隣にしゃがむ。
「どうして礼を? 僕は復讐しようとしていたんだよ。君の大切な先生にね」
「でもしなかったわ」
「今からするかも」
「しないわ。あなたは私の友達だから」
この言葉に、トゥルキアはたまりかねた様子で吹き出した。
「君は僕が嫌いだと思っていたよ」
「嫌いだったわ。だっておに……ゲパルド先生を呪い殺しそうな目で見るんだもの」
「それで呪えたら苦労しないんだけど」
花でも愛でるように遠い所に視線を投げて、私たちはうふふと笑い合う。復讐だの呪うだのと、とげとげしい会話をしているとは誰も思わないだろう。
クラス一の秀才と言っても、まだ魔術を学ぶ学徒の身だ。一石の魔術師に勝てるとは思えない。だからあの日、私がお兄ちゃんたちと一緒に帰されたことに疑問はなかった。
けれど、ずっと考えていた。きみのそばにい過ぎたと、彼があの日そう言った意味を。
「やっぱり、お礼を言っておくわ。私のために、ありがとう。お兄ちゃんを奪わずにいてくれて、感謝しているの」
花壇を見ながらそう言うと、何かを飲み込むような間のあとで「どういたしまして」と返事があった。
恐らく、そうなのだと思う。
亡くした姉のための復讐で、私から兄を奪うと言うのはきっと激しい葛藤を生んだ。だから後悔したのではないか。私の存在を知り過ぎて、復讐の意思が鈍ったことに。
「エリサ、これが解るかい?」
「なあに? お花? かわいいわね」
花壇の植物を示されて、何気なく答える。ピンクの花を付けていたから、かわいいと言っておけば間違いないはず。そんな考えを見透かしたのか、すぐ隣で優等生が頭を抱えた。
「ドルセ・コンフェシオンだよ」
「え、これそうなの? 意外に見た目は普通なのね。もっと毒々しいのかと」
「知らないだろうとは思ったけど、何で本当に知らないの? 知識もない実物も知らないで、耐性だけはあるとか意味が解らないよ!」
「ああ、それね。お父様だったわ」
私の義父でお兄ちゃんの実父であるお父様もまた、魔術師だった。その職業的な事情や幼い頃からうかつだった私の性格から、万一を考えあらゆる薬や毒に耐性を付けてある。
――と、今回のことがあって初めて聞いた。
勝手に何をしてくれているのかと思わなくもないが、実際に役立ってしまったので言葉に困る。トゥルキアの目も泳ぐくらいに。
「……魔術師と言うのは、恐ろしいね」
「ええ、本当に」
「お、何? デート? 学徒ってのは気楽でいいねえ」
そう言う声が一番気楽そうだったのだが、私とトゥルキアはギクリとして横を向いた。
いつからそこに人がいたのか、二人とも全く分からなかった。けれど、分からなくても当然だ。相手が魔術師だったなら。
頭から漆黒のローブに隠した姿で、花壇の前にしゃがんでいるのはチャカールだろう。
「何をしているの?」
「いやあ、落ち込んでる後輩を慰めようかと思ったんだけどさ。二人共家にいねーじゃん? フツーに学院きちゃってさ、何? 元気? 魔術師諦めろとか言われたのに、元気?」
本当はなぐさめにきたのではなく、傷口に塩を塗りにきたのではないだろうか。
そんな疑問と軽く軽蔑を込めた目で見詰めると、そのままの気楽な口調で彼は言う。
「あのさー。あれね、実はゲパが言われたセリフなんだよ。あいつの場合は過去形で、キミは魔術師になるべきではなかった。って、そう言われて、魔術師クビになったんだ」
すぐ隣でトゥルキアがおどろいていると分かったが、私は首をかしげただけだった。正確にはクビではなく現場から外され、今の教授職につくことになった。そう知っている。
けれども、分からない。
「一石になるほど優秀で、それでも何がいけなかったの?」
最上位の魔術師に不足があるとは思えない。
「心だよ」
静かな、きっぱりとした口調だった。
「エリサは知ってるな。何年か前、あいつボロボロになって戻ったろ? あれは――お前の姉ちゃんが死んだ時だよ、トゥルキア」
あいつせいじゃないけど、あいつのために死んだから。耐えられなかったのだろう。だから心がやわらかいと、軟弱だと、魔術師になるべきではなかったのだと判断された。
そんな言葉を聞きながら、思い出す。そうだ、確かに。あの時は任務から戻ったお兄ちゃんが余りにいつもと違っていて、恐ろしくて、何があったのか聞くこともできなかった。
「だから、同じ意味だろうよ。あいつが言うのは。お前らは、心が柔らか過ぎる」
「……チャカールさんたら、どうしたの? 今すごく先輩みたいよ」
「みたいじゃなくて、先輩なんだよ」
立派な魔術師をつかまえて失礼だと、ブツブツ言いながら立ち上がる。
「姉の死にこだわり復讐を企てるのは、肉親への甘さ。身の程も知らず無謀な計画を断行するのは、精神力の欠如だ。解るな? 俺も、任務でお前と組む気はしない」
トゥルキアは小さく息を飲み、そして少し傷付いたような顔をした。
本当に、どうしたのだろう。チャカールがこんなにまじめな話をするのを、初めて聞いた。話しの内容を噛み砕けば、どうやらお兄ちゃんのフォローのように思えるけれど。
「それを言いにきたの? ……先生のため?」
「しょうがないだろ。妹に嫌われたとか言って泣くんだから」
黒いローブが重たく揺れて、土を踏む音がしたと思えばすでに姿は消えていた。
逃げたのだと言うことは、入れ違いに現れたゲパルド先生を見て分かった。
「今ここに」
チャカールがいなかったか、と聞きたかったのだと思う。でもそれ以上は言わず居心地悪げに沈黙したのは、見上げる私たちがあっけに取られていると気が付いたからだろう。
本当に、泣いたのかなあ。
教授の顔をしたお兄ちゃんを見ながら、私が思うのはそれけだ。けれどもさすがに、彼はそう言うわけに行かないらしい。
「失礼します」
硬い声がしたかと思うと、ぐいっと腕を引っ張り上げて立たされた。
「え、私も?」
トゥルキアに手を引かれるまま、花壇から離れようとした。それを止めたのは先生だ。もう一方の私の腕を捕まえる。
「去るのなら、この学院からも去りなさい。君達は魔術師になるべきではない」
「……それはもう聞きました」
背を向けたトゥルキアは、またあの寄る辺ない幼子のような顔をしているのだろう。そう思った。でも、違う。思い切ったように振り向いた彼は、強く輝く目で先生を見た。
「ですが、守ってくれと頼んだ覚えはありません。守られるつもりもありません。だから余計に、僕には力が必要です。学院を辞める理由は、僕には何もありません」
……ああ、それだったのかと、内心で手を打って納得した。さすがだ。トゥルキアは本当に頭がいい。
心が弱い、軟弱だ。だから、厳しい役目の魔術師にはなるべきではない。
それはつまり、防ごうと言うことだ。ボロボロになる前に、守ろうと言うことだ。実際お兄ちゃんはそうなったから、理解はできる。でも私は頼んでいない。望んでもいない。
「そうよね。もう嫌よ」
「エル?」
「いつも心配でたまらないのに、待つしかないなんて嫌。知らない所で勝手に死なれるなんて、冗談じゃないわ。そうでしょ? だから、強くなるの。お兄ちゃんを守れるくらい」
望んでいるのは、そう言うことだ。
ほんの一瞬、お兄ちゃんは眩しいような顔をした。でも、気のせいかも知れない。苦々しいため息と一緒に、生意気を言うなと叱られたらもう分からなくなってしまった。
男の人の大きな手が私の頭をぐしゃぐしゃにしたけど、それが不思議に優しく思えた。
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最後まで目を通して頂き、ありがとうございました。
本作品は他サイトにて2013年12月初出、2016年4月7日小説家になろうへ移植となります。