16話~トルパの日誌
ぽっちゃり少年が王都へと辿り着く中、既に帰還していた兵士達は其々の作業に取り掛かっていた。
奏慈達がバチム平野を抜ける手前で大規模術式の形跡を見つけ、焔の香りからして九ちゃんが無事に王都へと辿り着いた事に胸を撫で下ろした御昼過ぎ。王都では一日前に帰還した部隊が其々に状況報告の報告書を纏めていた。
これは所謂”日誌”と呼ばれ、各兵士から情報を上げさせ情報部が精査し統合、部隊の報告書として軍部から宰相や国王へと上げる為に日々行われている仕事の一つである。
そんな日々の日課である日誌を書く作業に頭を悩ませる青年がここに居た。
「くっそ~、此処から――此処から一体どうすりゃいいんだ……?」
赤み掛かった茶色い髪を炎が上がるよう無造作に伸ばした頭を左手で抱え、右手に持つ羽ペンは書きあぐねた彼の心情を表す様だ。
所在無さげに震えるペン先をインク瓶につけてはそこで手が止まり、まだまだ製法としては荒い用紙には黒い点だけが乱雑に増えていく始末。いい加減用紙に穴が開きそうな所で彼は一旦ペンをペン置きに戻した。
「あ~、止めだ止めだっ!」
思考で熱を持ち始めた頭を冷ます様に振りかぶった。
ぐったりと椅子の背もたれに背を預ける彼は、雲龍帝への謁見を望む為に結成された部隊の生き残りである”トルパ・デリンジャー”一等兵であった。
「……ま~じで如何書けば良いっつうんだよ~」
彼がほとほと困り果てているのには勿論理由があった。
現在彼が纏めている報告書は雲龍帝への謁見から帰還までの文章である。雲龍帝という存在が王族による完全なる秘匿から既に解放され、その居所と詳細な様子を記す為に生き残りである兵士達は其々に報告を纏めている。
そんな中、問題となってくるのは当然雲龍帝から人の身を得た”志乃”と、それを成した存在である奏慈と九ちゃんの存在であった。
昨日、国王と上層部への報告によって雲龍帝の存在とその生死が確認された事によって、軍部や情報部は”瘴気の化け物”の対策へ躍起になっている。
それ位王太子フォルカの証言と重鎮ドルゲ・グラッシュフィルム公爵、王家専属侍従長ジェミニ・フォード等の補填によって判明した王国への邪気の浸透具合は凄まじい衝撃を持っていたのだ。
雲龍帝――詰まる所の志乃が倒れ身罷ったという事実は、アルバス王国を含めこの土地に生ける者達にとっては終局の序曲。邪気に対応せしめし者が居なくなった事は一転邪気達にとっての大好機でもある。
王国全体を守護していた志乃の魔力は既に消え失せ、各地では邪気の発生と被害が上がる事に違いない。
唯でさえ現状は衰退の一途を辿る他無い王国を、黙って見過ごす程国に巣食う邪気は甘くは無いのだ。
「……あ~、書いて良いもんなら書くけどよぉ~。こればかりは今おいそれと上に上げる訳にもいかねぇ」
其処に降って沸いた希望が件の奏慈達一行である。
奏慈や九ちゃんは勿論の事、新たに生を得た元・雲龍帝こと志乃や霊力を操りし次代の龍帝の三名と一匹は正に救国の勇士。一騎当千を遥かに通り越す強者の存在は、王国と邪気どちらの陣営にとっても夢にも見ぬ存在であろう。
彼らが練った策に従って動かねばならない故に、彼――トルパは如何したものかと書きあぐねていた訳である。
乱雑に積み上げられた報告書の束に目を降ろしてため息をつき、乱暴にボサボサの髪を掻きながら酌んでから時間の経った水を口に含む。
何時の間にやらからっからに乾いた喉を滑り落ちる水の味に案外悪くないな、などと思いつつ一気に飲み干した。
酸素を求め荒くなった息を深呼吸して落ち着けたトルパ。口の端から滴る水滴を手の甲で拭い取ると、一つ大きく息を吐いて再び椅子に深く背を預けたのだった。
兵舎の窓から外を見れば、穏やかな王都の声と昼時の暖かな日差しが何とも言えぬ眠気の彼を誘う。訓練場からは昼飯を食べ終えた兵士達の談笑する声や、訓練教官である上司達の修練様子が鋭い気合と共に聞こえてくる。
……思えばと、外から聞こえてくる様々な日常の音にまどろむ中彼は思う。高々一月程も前に王都のから旅立った日々の事を――――
◆
「トルパ一等兵、カリム二等兵。この度貴官等に対して王太子直属遠征部隊への配属が任命された。明日の夜明け前の〇三、〇〇時まで補給物資輸送部隊、西倉庫前に出頭せよ」
「――はっ! トルパ一等兵謹んでお受けいたします!」
「カ、カリム二等兵謹んでお受けいたしますっ!」
それは彼が何時ものようにカリム二等兵を指導していた時の事だった。兵舎の掃除をしていた二人に、アルバス王国軍人事部のお偉いさんである人事部長が直々に命を授けに現れた。
簡素でありながら威厳を携えた服装の人事部長は、徐に懐から王族直印の封印を押された紙の巻物を取り出すと王太子の勅命が読み上げたのである。
記され上げ連ねられた勅命は兵士として入隊して高々三年の実績しか持たないトルパや、それ未満のカリムにとっては本来ありえない命であり、同時に夢にも見ない誉れあるお声掛けであった。
「うむ、ではこれより準備するものを記した命令書を授ける。よく読み不備の無い様用意に取り掛かれ」
「「はっ!」」
直立不動で敬礼をする二人に答礼を返し踵を返す人事部長。ドアを開ける前にちらりと二人を見た際、目に悲哀の情が浮かんでいたが気付く事は無かった。
もし、この時その意味を知っていたのなら、後に待ち受ける非情な体験に際して少しでも救いがあったのかもしれない。だがこの時、王太子直属部隊への召集を命じられた二人には後の出来事など知る由もなかったのである。
「……カリム。俺達は誉れある王太子殿下の部隊へ召集されたんだ、何時もみたいにびびってたら恥を掻くからな。よく覚えとけ」
「はい、トルパさん」
一見すると小憎たらしい笑みを浮かべるトルパ。普段の粗雑な言動と相まって嫌味を言っているに等しかった。
「お前は知識も素養も俺よりは大分あるが、兵士としては腕っ節が全くなっちゃいねぇ。今回は俺も含め腕を見込まれて呼ばれちゃ居ないだろうが、お前は特に気をつけろ。外は王都の中とは違うからなぁ」
実はこのトルパと言う青年。今年になってから入隊した新兵であるカリム二等兵の指導役として、半年に渡り武術、剣術、魔法を指導してきた経歴を持つ。
実地研修では模擬戦の相手を務め、座学では一般兵士の任務から兵舎の清掃まで一通り指導を行っていたのである。唯、魔法に関しては彼も適正と魔力が低い事も踏まえ知識としての研修のみであったが……。
髪を掻き揚げながらどこか遠くを見るように話すトルパに、下唇を噛みながらうつむくカリム。正面に立つこの男の言葉はどうしようもない事実であり、また自分自身も感じていた事なので反論する事も無くうつむくしかなかった。
「魔法に関しちゃあ俺も素人だ。それに適正もこれまで一番低いかったが……お前は俺以上の例を見無い程の”極め付きだ”、精々魔石か魔宝石でも準備しておけよ」
これは粗暴で有名なトルパからでた助言であった。普段の言動や指導の様子から想像すれば嫌味にしか聞こえないが、彼からすれば後輩である新兵への助言である。図らずも先輩兵士として指導を行ってきた彼からの、心から出た心配する気持ちの表れであったのだが……。
「――分かってますよ……!」
しかし、普段が普段であるだけに彼の言葉の裏にある気持ちはカリムに気付かせる事は無かった。
膨れっ面でドアの開け放ち出て行く姿を見送りつつ、カリムが放り出していった箒とちり取りを片付け始めるトルパ。一般人から見れば一見凶悪ともとれる面構えを顰めつつ、上着のポケットから一つ魔石を取り出し眺める。
御昼時の陽気が反射してきらきらと輝く碧の魔石。風の魔力を宿した魔石は少し魔力を流すだけでふわっとした風を巻き起こす。
「俺だってもう少しなぁ…………けっ、今更か」
初歩魔法である魔力の伝達。それは魔法を扱う者ならば誰でも出来る初歩中の初歩魔法であり、トルパとカリムが唯一扱える魔法でもあった。
アルバス王国内では魔法の適正と魔力の資質による差異を気にする風潮は略無い。だが、逆に無いが為に個人で思い悩むもの多く、魔力の伝達をやめ上着に戻したこの男もまた悩める者の一人であったのだ。
ここで初歩魔法と魔石、魔宝石について少し説明してお居た方がいいだろう。
まず、初歩魔法とは一般の国民でも安全に扱う事のできる魔法学の基礎である。それは別名”生活魔法”とも呼称される事が多く、国民の間では数百年前に普及した技術だ。
炊事であれば火を起こす種火を作り出し、汚れた水を綺麗にする浄化を使用すればある程度までは雨水や川水も煮沸無しで飲める。言わば生活に根ざした魔法は、開発者により初歩魔法と名づけられ国民の生活水準と衛生面を大きく向上させた代物である。
そして、魔石とは魔宝石の欠片から作られる魔力を宿した石であり。基になった魔宝石の魔力によって様々な色合いを擁す、広く国民に扱われている便利な石である。
先に説明した初歩魔法の要素をもつ魔力を内包する魔宝石は、砕かれ加工されてもその性質自体は失われずに残る。
残った魔力は初歩魔法と同程度の威力まで下がり、魔法適正が無い国民であっても一定のキーワードを唱えるだけで容易に魔法を扱える事ができるのだ。
このキーワードは専門の職人によって施される魔法回路によって起動する仕組みで、現在王都にはその職人がそこかしこに店を持ち自営業として成り立っている。性別を選ばぬ職人行は大人から果ては子供まで、様々な年代層に広がり日々の生活を潤す糧となっていた。
最後に魔宝石であるが、これは一言で言うと”凄い魔石の塊” 鉱山や魔物が滅する時に清々される魔力をふんだんに宿した鉱石の塊を精製、加工し。アルバス王国では王族や貴族を始めとした権力者が持つ事を許された貴重な一品である。
例としてあげれば、一番巨大な代物が王家正当継承者の国王が代々継承する”魔法玉石”が尤も有名で力を持つ。その大きさは岩塊と言っても差支えが無いほど巨大で膨大な魔力を宿しているという。
そんな”魔法玉石” の魔力が解き放たれれば、王都一帯は灰燼に帰すとまで噂されているが、真偽の程は定かではない。
「へっ、カリムの野郎……先輩に用具片づけをさせるたぁいい度胸だぜ、全く――よっと」
モップや箒雑巾バケツなどの掃除用具を両手に抱えたトルパは、掃除の終わった部屋をでるべく歩き出す。荷物で塞がった手の変わりに足でドアを閉める姿は一概にも行儀が良いとは言えない。
兵士として鍛えられても、幼少の癖などは中々消えないものだ。上司に見られたら注意を受けそうだな、と考えながら片付けに向かうトルパ。
彼自身もこの後遠征に向けて装備の手入れと準備をせねばならない。非常食や食料などは軍備支給の為に用意しなくても良いが、着替えや嗜好品等は各自で限定的に持ち込む他無いのだ。
まだまだ若い身空、酒はまだしも保存食にも色々とバリエーションが欲しいと常々考えていた中で、ある程度の項目を整理しつつ足音は弾んでいた。
「やっぱりジャーキーは欠かせねえよな……!」
まさかこの後の遠征で生死をかけた散々な目に遭うとは、この時のトルパは知る由も無かった――――
◆
「――うぉ、っと……? 寝てたのか」
夢の中で邪気に追われ命からがら雲龍帝のところへ辿り着き、さらにその中で邪気に襲われた所で目を覚ましたトルパ。
数日前の出来事でありながら、この世のものとは思えない一生忘れる事がないであろう体験を身震いをして思い出していた。
「……いけねぇ、さっさと纏めねぇと――ん?」
恐怖あまり滲み出した冷や汗を手の甲で拭い取り、再び日誌を書き進めるべく羽ペンに手を伸ばしたその時。
自室の窓ガラスに映った影にちらりと目をやったその瞬間。カッと目を見開き口をあんぐりと開け、声にならない声を上げるトルパ。
「――……お、お前っ!?」
『――っ! ――――っ!!』
思わず指を差しながら驚きの声を上げる先には、窓の外には奏慈が外套をすっぽりと被った人と龍帝を乗せて手を振っていた。
「っ! 二階だぞ、ここはっ!?」
窓しかない場所で暢気に手を振る奏慈。其処には手すりもつかまる柵すらも無い正に空中。誰に見られるかも分からない場所で無邪気に跳んでいる件の関係者。聖地で出会い自身の運命を大きく変える事になった男の姿に、トルパは大慌てで部屋を出て迎えに行くのであった。
本日はこれにて御仕舞い!




