『ブレイヴイマジン』第1章 リアルデスゲーム⑤
* * *
通されたのは、パッチワークの絨毯が敷かれた客間だった。壁際に暖炉があり、パチパチという何処か安心感の感じられる音を立てて薪が爆ぜている。長い髪をオールバックにした男性が杖を持ってテーブルに就いており、その隣ではユリアが腰を下ろしていた。シギンさんに案内されて俺が入ると、男性とユリアが同時に立ち上がり、こちらに頭を下げてきた。向かいの椅子を勧められたので、俺は「失礼します」と声を掛けて腰を下ろす。
「私はギアメイスの村長ガレットだ。本日は娘が大変なお世話になった。改めて、お礼を申し上げたい」
「いえ、そんな……」
俺は、小さく手を振りながら答える。
「謙遜する必要はない。今、ギアメイスの村で魔物と戦う事が出来るのはユリアだけだから……ユリアが命を落としたら、村全体を滅ぼす事になってしまう。君は真の意味で、この村を救ってくれたのだ」
「ありがとうございます」ユリアも、深々とお辞儀をする。「私、自分を過信していました。自分の双肩に、村の皆の命が懸かっている事を顧みる事が出来なかった……きっと、慣れが気を緩ませたんです」
「それに私にとって、ユリアはたった一人の娘だから」
村長が言うと、ユリアは顔を赤らめて俯いた。上目遣いに、こちらの顔を覗き込んでくる。その澄んだ青緑色の瞳と目が合った瞬間、俺は思わず、その美しさに見惚れてしまった。
「何かお礼をしたいところだが、生憎最近では我々も困窮が著しくてね。それに、君は旅人だといったな。あまり、この土地に係留させる訳にも行かないだろう」
「いや……俺、僕は別に、何も……」
「確か、これからアルヴァーラントの方へ行くのだと伺ったが。今、界廊に至るまでのダガルキエス峠には通行規制が掛かっているのだ。それまで、我々が村での君の生活を保障したいと思っている」
村長の言葉に、俺は頭を回した。ちらりとシルフィの方を見ると、彼女は意味ありげな顔になって無言で肩を竦める。俺に本当は目的地などなく、記憶すらもない(少なくともこの世界では)という事を知っている彼女は、わざわざ村長の認識をそう訂正しようとはしなかった。
どちらにせよ、暫らくこの村に居なければならないという事に変わりはない。いつまでもガーディさんに依存する訳にも行かないし、寝泊まり出来る場所が貰えるのであればそれに越した事はない。
俺は「お言葉に甘えさせて頂きます」と口に出した。
「僕は、食事や眠れる場所が今いちばん必要です。それ以外は、何も要りません」
「承知した。……すまないね、こういう状況になるとギアメイスが如何に、アルヴァーラントとの交易に依存しているのかが分かる。そして、それを続ける為にどれ程ユリアに頼っているのかも」
「お父様」
ユリアは、父親の肩に微かに触れる。ガレット村長は頭を振り、「愚痴っぽくなって申し訳ない」と言った。俺は、慣れない事の連続で戸惑いながら肯く。
「お父様、私、ケントさんと二人でお話ししたい。いいかな?」
彼女が言うと、村長は俺に確認するような視線を向けてくる。
「構いませんよ」
俺が答えると、村長とシギンさんは席を立った。
「では、私たちは準備に入らせて頂く。ケント君、どうかゆっくりと休んで欲しい」
本当にありがとう、と言い、二人は部屋を出て行った。俺は、一日でこれ程お礼を言われた事などないな、と思い返し、やや困惑した。
彼らが去って行くと、俺はユリアに向き直った。「えっと……」話したい、とは言われたものの、何を話したらいいのか分からない。ユリアの可愛さに圧倒されているのか、元々他人と──取り分け女子とはあまり喋らないのでどぎまぎしているのか、居心地の悪い沈黙が漂う。
その時、ユリアがふうっと息を吐き出した。シルフィが両手を上げ、「もういいんじゃない?」と言うと、彼女は突然がばりと顔を上げた。
「ケント君!」
「は、はい、ユリアさん……?」
身を乗り出して顔を近づけられ、俺は思わず身を引く。彼女は俺の両肩を掴んで顔を覗き込むと、ぽっと頰を赤く染めた。
「か、格好良い……!あ、ねえケント君。私の事、ユリアって呼んで。『さん』は付けなくていいから」
「ユ、ユリア……」
俺は、躊躇いがちに彼女の名を呼ぶ。
「そう! もう一回」
「ユリア」
俺が呼ぶ度、彼女は赤らむ。やがて、
「ヤバい、どうしよう……私にも”王子様”が来てくれたのかも」
ユリアはそう言うと、両手で自分の胸をぎゅっと掴んだ。
俺は内心で「ええっ!?」と叫びながら、釣られて熱くなる頰を両手でぺちぺちと叩く。この展開は何だ、という疑問が、率直に俺の脳裏に浮かんだ感想だった。
格好良い? 俺が?
とんでもない。自分でそのように考えた事などないし、本当に客観的に見てそうであれば、俺は現実でもう少しマシな学校生活を送っていたはずだ。
本気なのだろうか。自分に自信がある訳ではないが、本気でなければこの反応は有り得ないような気がした。でも、どうして俺なんかが?
少し考え、無理矢理納得する事にした。
このユリアは、『ブレイヴイマジン』に於いてヒロインであり、主人公に恋をする設定のNPCなのだろう。
「そういえばね、ケント君」
シルフィが、横から揶うように口を挟んだ。
「外ではきびきびした敏腕仕事人みたいに振舞っているけど、こっちが本当のユリアちゃんだから。意外と普通の女の子だよね。あたしはまあ、こっちの方が好きだけどね。可愛いでしょ、ケント君?」
「ああ……まあ」
答えに窮する質問をしないでくれ! と、持ち前のシャイボーイ精神が発露して思ったが、ユリアに期待の込もった眼差しを向けられ、俺はもごもごと口を動かす。相手はAIではないか、と自分に言い聞かせ、口を開いた。
「可愛い……と、思うよ。俺も……」
「ふふふっ!」彼女は自分の両頰を押さえ、嬉しそうに笑う。
「良かったじゃない、ユリアちゃん。脈あるかもよ?」
シルフィが、面白がるように彼女の肩をつついた。
俺はまた気恥ずかしくなり、「そうだ」と話題を転換した。拾って来、椅子に立て掛けておいたレジーナソードをユリアに差し出す。
「これ、君のだよね?」
「私のレジーナソード! 持って来てくれたの? ありがとう!」
「気を失っていた時に落としていたから……大丈夫、体の方は?」
「背骨がまだちょっと痛いけど、一応大丈夫よ。でも私、未熟なんだなあ。戦えるって事と、強いって事は別問題だもんね。近々ダガルキエス峠にヴィラバドラ討伐に向かう予定だったけど、やっぱり当分はやめておいた方がいいかも」
「ヴィラバドラ?」
俺は、危険度Sクラスの魔物が峠に居るという話を思い出した。
「地属性の巨人の魔物なんだけど、先月の頭にいきなり湧いたの。アルヴァーラントから先月分の輸入品を運んでくる途中で、アルヴたちが襲撃されて……あいつを倒さないと、ギアメイスの村はアルヴァーラントとの交易が出来なくなる。村が最近、急速に衰退しているのもそれが原因なの」
ユリアはそこで真面目な顔に戻ると、悔しそうに拳を握り締めた。
「私がもっと強かったら……ヴィラバドラはSクラス、今日出てきたジャバウォックはAクラスだけど、私はそれにすら敵わなかった。おかしいよね、昨日までは、Bクラスまでとしか戦ってこなかったのに、Sと戦えるって平気で思い込んでいたんだから……」
俺は声を掛ける事も出来ず彼女を見ていたが、そこである考えが頭を過ぎった。
案内やヘルプが一切ない為分かりにくいが、これは本来、最初のクエストとなるべき案件だったのではないだろうか。初手からSクラスという事については違和感が拭えないが、村の危機という状況のリアリティを追及した黒田氏による、これまでと同様の「理不尽」である可能性もある。
当分ログアウト出来ないのであれば、俺はこの世界で暫らくの間戦闘は避けられない。早くこの世界に於ける戦術を学び、慣れねばならないだろう。このまま何もしないで居ては始まらないし、これが最初のクエストで、ストーリーが動き出すきっかけになるのであれば、無視する事は出来ない。
(勇者の始まりは、いつでも小さな勇気からだ)
二時間程前にガーディさんから言われた言葉を思い出し、俺は心を決めて口を開いた。「あの……俺、手伝うよ」
「えっ?」
「俺、戦闘は不慣れだし、ユリアからすれば逆に邪魔なだけかもしれないけど……君も怪我をした訳だし、君一人でも、俺一人でも倒せないような相手でも、二人で戦えば……」
どうしてこう、しどろもどろになってしまうのだろう。ユリアと話すのに、ここまで緊張する必要はあるだろうか。確かに、彼女のような女の子と話すのにどぎまぎしてしまうのは仕方がないだろうが、俺はあくまで「ゲームはゲーム」の思想であり、決して「ゲームキャラに恋をする類の男」ではない。
これでは、頼りなく見えるのも仕方がない。
俺はユリアからの反応で、思いがけなく自分を見つめる事になった。不器用な人間が却って親しみを抱かれる事など、創作物の中だけの話だ。
己に対して忸怩たるものが込み上げてきたが、ユリアは俺の内心に気付いていないのか、それとも必ずここでの反応は決まっていたのか、両の掌を合わせて嬉しそうに言った。
「本当!? ありがとう、じゃあ明日にでも」
「明日って……」
シルフィが、驚いたように容喙した。
「何か問題があるかな?」
「今日みたいな事があって、いきなりだよ? 村の皆から心配されるし、ガレット様からも無茶するなって怒られちゃうかもしれない」
「だけど、いつかは倒さなきゃならない相手だよね。私、ケント君が居れば絶対に大丈夫な気がするんだもん」
「………」
それは買い被りすぎだが、協力を持ち掛けたからには自信のない発言は控えた方がいい。俺は黙って肯いた。
「それにね……」
ユリアはシルフィの耳元に口を寄せ、何事かを囁く。シルフィは黙ってそれを聴いていたが、次第に目を丸くした。「マジ?」
「ぴったりだと思うんだよね、ケント君なら」
「………?」
俺は首を傾げる。俺の怪訝な視線に気付き、ユリアは手を打った。
「明日、ケント君にも紹介するね。その中でもう一つ、今度は今起こっているヴェンジャーズ紛争にも関係のある事を伝えなきゃいけないから」
「分かった」
肯いたが、俺はそこで、この世界で明日を迎えたら、現実世界での時間はどう経過しているのだろう、という事が気に掛かった。
* * *
ガーディさんに宿をチェックアウトする旨を伝え、改めて丁重にお礼を言うと、俺はその夜のうちに村長の屋敷へ移った。日はすっかり暮れ、村長やユリアと夕食を共にする事になったが、その間もログアウトや、現在の不具合について説明をされる事もなかった。
食事の内容も、しっかりとチューニングがされているようだった。味覚を始めとした五感の情報は現実と比較して何の遜色もなく、困窮しつつあると言っていた村長が来訪者である俺の為だけに用意してくれた料理は現実よりも美味しく感じられた。満腹感までが再現され、現実の俺の体に一切の物質が摂取されていないなどとは信じられない程だった。
しかし、食事の間俺は味わうのもそこそこに、ずっと頭を回し続けていた。遂にこの世界で日が暮れた。こちらは現実世界よりも午後が遅かった為、現実では今頃夜中になっているかもしれない。しかし、それはさすがに事前に聴いていた要綱と違いすぎていた。
考えられる事とすれば、現実とこちらでは時間の流れ方が異なるのか、もしくは不具合が予想以上に深刻なもので、アナウンスがこちらに届いていないかそもそもサイコドライバーに送信する事が出来ないのか、という事だろう。可能であれば、前者であって欲しい、と俺は思った。
俺がこの体験会に参加するという事は、両親には明かしていない。その上で俺が夜になっても帰らなかったら、彼らは心配するだろう。学校に行かずゲーム中毒に陥っている事や、受験の事で彼らを欺いているという罪悪感も相俟って、俺は彼らに心配を掛けたくなかった。……否、それが詭弁であり、俺が現状を知られる事を怖がっているという事にも、俺はとうに気が付いていた。
食事中、上の空である事をユリアに指摘された。そのタイミングで、俺はシルフィと話したように、自分が記憶喪失であるという設定を打ち明けた。
「えっ、じゃあエヴァンジェリアの事も、ヴェンジャーズの事も知らないの?」
ユリアが目を丸くし、俺は控えめに首肯した。
「なるほどねえ……確かに、アルヴは人間の魔術師よりも高度な術式を使うしね。何か記憶を取り戻す魔法があれば、アルヴァーラントで聴けるかもしれない。それで、峠の向こうを目指していたって訳か」
「まあね……」
俺は、周囲の皆が自分たちで納得してくれる事に感謝を覚える。村長はやや訝しそうな表情を見せたが、他に納得の行く説明がない以上、俺の言う事を懸命に呑み込もうとしているようだった。
ユリアは少し考えているようだったが、やがて「そうだ」と言った。
「もしかしたらケント君、あれじゃない? 使徒……」
「アポストル?」
「本当に存在するのかは分からないんだけどね。古い神話だと、世界に滅びの危機が訪れる時、創造主ルーラーによってエヴァンジェリアっていう世界系外から伝説の戦士が招喚される事があるんだって。招喚された戦士は、ただエヴァンジェリアを守るっていう使命だけを覚えていて、それを行動原理にして戦うの」
「ええ……」
俺は、あながち間違ってはいないな、と考える。もしかしたら、『ブレイヴイマジン』に於ける主人公の設定はそれなのかもしれない。
だが、主人公にこの世界の知識がない事に説明をつける為の設定であれば、無難にヘルプを挿入すればいいのだ。主人公が外部の人間である事にこだわる必要が、そこまであるだろうか。やはり何処かリアリティを求めすぎている。
「ユリア、ケント君が困っているだろう」
村長は娘を窘める。ユリアは「でもさ」と唇を尖らせた。
「私は、アポストルは実在するって信じているよ。そして、ケント君が本当にそうだったらいいなって思う」
「そう……か」
もしも今日中にログアウトがなされた時、もうユリアたちとは会えなくなるのだろうか、と俺はふと思った。プレイヤーが居なければ動かない世界で、彼らの中では俺と交わした”明日”に関する約束も、なかった事になってしまうのだろうか。
つくづく、訳の分からないゲームが開発されたものだ。