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『ブレイヴイマジン』第1章 リアルデスゲーム⑥


          *   *   *


 眠って覚めた時、宿屋で眠った時と同様、当然のようにエヴァンジェリアでの朝はやって来た。目を開けて最初に視界に入ったのが知らない天井だったので、俺は跳び起きてベッド脇の小棚に頭をぶつけてしまった。やはり、一晩眠ると昨日の異常も咄嗟に思い出す事は出来ないらしい。

 それだけ、現実での生活が”当たり前”だったという事で、現状が異常だという事だ。俺は頭を押さえながら起き上がり、ベッドから降りた。

 二度も睡眠を行ったというのに、サイコドライバーとの接続は切れていなかったらしい。日付を跨いでも強制ログアウトがされないという事は、やはり運営側がこちらに干渉する(すべ)がないという事なのか。しかし、接続方法はそう難しいものではなかったし、トンネル型のヘッドギアから頭を引き抜く事が出来れば容易に接続も切れそうな気がする。

 現実ではそれ程長い時間が経過していなければいいが、せめてこの体験会が大事件になるような事だけには発展しないでくれ、と思いながら俺は窓に近づいた。外はまだ夜明けの最中らしく、薄紫色の空の下、建物や露店の影が地面に薄く、長く伸びている。

 村長の屋敷に於ける起床時刻は分からなかったが、まだ住み込みの使用人たちも起きていないらしく、屋敷は森閑としている。外からも、鳥の鳴き声が時々聞こえてくるだけだった。

 以前は学校に行く前、五時半頃に起きて自主勉強をしていた。推薦入試で志望校を目指す事は決まっていた為、評定は完璧以外有り得ないと思っていた。目指す学校には必然的に、自分と同じレベルの人間が集まる。だから、ほんの僅かな差が合否を左右する事になる。評定は、一つでも「四」などがあってはならないのだ。そう考えて勉強していたが、オール五を取ったところでそれは向こうの面接官にとって、判断材料の一つに過ぎなかった。

 俺は何処まで行けば、「完璧」といえるような人間になれていたのだろう、と考えていると、何処からかビュン、という、何かが空を切るような音が聞こえてきた。耳を澄まし、屋敷の裏の方だ、と気付いた。

 少し躊躇ってから、部屋を出た。トイレと、ウォーターサーバーのある部屋は寝る前に教えられていたので──因みにこの世界ではやはりゲームらしからぬ仕様で、水を飲まなければ喉が渇くし、飲めば排泄のシミュレーションもあった。発汗や無意識呼吸もだが、生理現象まで再現する必要が何処にあるのだろうか──、屋敷の構造はある程度把握出来ていた。

 外をぐるりと回って裏手に向かうと、ビュン、という音は段々大きく聞こえてくるようになる。そこには小さな体育館のような、武道場のような建物が立っており、音はその中から聞こえてくるらしい。俺はそっと近づき、覗いてみた。

 中に、ユリアが居た。長い髪をポニーテールに結び、裾を縛って腹部の見えるようにしたTシャツとキュロットを身に着けている。手にはレジーナソードを持ち、それを振りながら舞うように動き回っていた。

 微かに差し込んだ朝日を受け、動く度にふわりと膨らむ髪が時折黄金(こがね)色にも見える輝きを放つ。その動きはとても優雅で見惚れてしまう程だったが、レジーナソードを振るう腕には相当な力が込められているらしく、刀身が空を切る度にビュンッ! という鋭い音がする。何故か非常に心を打たれるものがあり、俺は(しば)しの間、ユリアの動きに見入っていた。

 じっと見つめていると、暑くなったのか、ユリアが剣を振るう合間に突然Tシャツを脱ぎ捨てた。上半身が下着のみとなり、俺はぎょっとして視線を逸らそうとする。そのタイミングで入口の扉にゴンッ! と額をぶつけ、思わず呻き声と共に蹲ってしまった。

 ユリアはそれで俺に気付いたらしく、こちらを向くや否や顔を真っ赤にした。脱いだばかりのTシャツを拾い、胸元に当てながら背中を曲げる。

「ケント君、居たの?」

「ごめん、別に覗くつもりじゃ……! でも、君が練習しているところは見ていたんだ。ちょっと、見入っちゃってさ……」

 言い訳がましく聞こえるかもしれないが、本当の事だった。ユリアは恥ずかしそうにもじもじと体を動かした後、

「着替えるからちょっと待ってて」

 と言い、奥にある更衣室らしい場所に引っ込んで行った。

 数分後、戻って来た彼女は白いブラウスとチェック柄のミニスカートを身に着けていた。俺の通っていた高校の女子生徒のようで、普通に現実みたいだな、と一瞬考えてしまう。

「言いそびれちゃったけど、おはよう、ケント君」

「お……おはよう……」

 俺は気まずくなり、入口の石段に腰掛けたまま挨拶を返す。ユリアはレジーナソードを壁に立て掛けると、俺のすぐ横、体温が感じられる程の位置に同じように腰を下ろしてきた。反射的に少し距離を取ると、彼女は怪訝な顔をした後、あっと小さく声を上げた。

「凄く汗かいちゃった。もしかして、臭うかな?」

 やや顔を赤らめながら聞かれ、今度は俺が焦りかけた。慌てて、両手と首を同時に振りながら、否定する。「そんな事ないよ、全然!」

 認識すると、俺の顔から三十センチと離れていない位置にあるユリアの匂いを意識せざるを得なくなる。女子特有の、香料のような甘い香りが鼻先を掠め、思春期を通過してから今まででいちばん近い場所にある同年代の女子の存在に、俺は自然に体温や脈拍が上昇するのを感じた。

 ユリアは「良かった」と胸を撫で下ろすと、ごまかすように話題を変えた。

「ケント君、朝早いんだね。普段からそんな感じなの?」

「まあ、そうなの……かな」

 学校に行っていたから、と言いかけ、記憶喪失の設定を思い出す。そもそも、このエヴァンジェリアに学校があるのかどうかも不明だった。

 ユリアも、俺の曖昧模糊とした返答から記憶の事を思い出したらしく、小さく「ごめんね」と謝ってきた。

「私は、本当は早起き苦手なんだ。でも、最近じゃ戦う事も増えたから、自主トレの為に早く起きようって心掛けているの。お父様やシギンさんたちを起こさないようにこっそり、だけどもうバレてるかな」

「自主トレって、さっきの?」

 俺が尋ねると、ユリアはこくりと肯いた。

「私、お父様みたいに天賦の才、みたいな剣術の適性はないしさ。元々才能もあって努力もしたお父様に教わって、何とか『戦う事は出来る』くらいの腕になった、ってだけだから。確かに私は、村の皆からは尊敬も信頼もされている。自惚(うぬぼ)れとかじゃなくて、それを否定するのは皆にとっても失礼な事だと思うから。矜持、っていうのかな、ブレイヴとして、持たなきゃいけない。だけど、自分じゃまだまだ未熟さを感じる事も多くて、練習しないとって思うのよね」

 彼女は膝を抱え、俺の腕に頭を擦り寄せてきた。

「勿論、私は(つら)いなんて思わない。だけど、複雑だったんだ。私が村を守る為に、見えない所でも頑張っている事……別に、それを褒められたいとか思っていた訳じゃないよ。でも少しだけ、誰かに知ってて欲しかったんだ」

 俺は彼女の言葉を聴くうちに、知らぬ間に心臓がドクドクと早く脈を打ち始めていた。口の中が乾燥する。それは、思いがけない”気付き”によるものだった。

 俺と同じだ、と思った。皆から見られ、優秀だ、と思われる裏に、見えない努力があった事。口には出さないけれど、その努力を認められたいと思い続けていた事。俺は、彼女なら俺の気持ちを──誰も見ようとしてくれなかった、理解される事のなかった俺を分かってくれる、と確信した。

「……俺も、だよ」

 気付けば、俺はそう口に出していた。ユリアが視線を上げ、小さく首を傾げて俺を見つめてくる。そこで”設定”の事を思い出し、「ああ、いや」と曖昧な声を出しながら続けた。

「よくは思い出せないんだけど、俺も前、似たような事を思った事があるような気がする。頑張って、結果を出せば凄いって言われる。だけど、俺は自分がその為に頑張ったっていう事そのものを見て欲しかったんだ。きっとそれだって、誰にでも出来る事じゃないと思うから。頑張る事自体は出来るのかもしれないけど……特に、ユリアみたいな命賭けの事だったら、頑張ろうって決める事だって、相当な勇気が要る事だと思うよ」

「ケント君……」

 彼女は小さく言うと、嬉しそうに微笑んだ。優しい、と呟きながら両頰に手を当てるので、俺は照れ臭くなる。ユリアはそこで、ぴょこんと立ち上がり、くるりと一回転して俺に手を差し出してきた。

「じゃあ、私たち似た者同士だね! 友達になろうよ」

(ええっ!?)

 唐突な申し出に、俺は心の中で叫んでしまった。

(友達に!? 俺と友達になりたい人って、居たのかよ?)

「私は本当は、友達以上でもいいんだけど……会って二日目で、さすがにそれは駄目だよね。だから、まずは友達。いいでしょ? 私、友達居ないんだ。シルフィたち以外には」

 彼女は、最後の台詞を心なしか少し寂しそうに言った。

 俺は、少し意外に思った。彼女は強いし、とても親切だ。村の人々からも慕われているように見えたし、尊敬されているとは彼女の口から先程聴いたばかりだ。

 ユリアは、俺の疑問を見透かしたかのように付け加えた。

「私、元々村長の娘で、皆少し近づきづらいみたいだったんだけど、世界に八人だけのブレイヴになったから、皆から一層浮いちゃったみたいなんだ。皆私の事、ユリア様、って呼んで慕ってくれるんだけど、友達とはまた違うのよね」

「……俺もだ」

 脳裏に、ずっと友達だと思っていた博輔の顔が浮かび、俺は首を振った。彼も結局は、俺の事を分かったような事を言って、俺の努力を無駄だと切り捨てるような事を言ってきた。畢竟、距離は友達とは程遠い場所にあり、それが他のクラスメイトたちよりも少し近かっただけだ。

 しかし、今ユリアに「友達」という言葉を掛けられた時、俺は咄嗟に硬直してしまったが、次第に今まで感じた事のなかった温かな気持ち、高揚感にも似た心地良さが湧いてくるのが感じられた。

 心の何処かで、彼女はAIで動いているNPCだぞ、と囁いてくる自分が居る。ゲームキャラを友達と捉え、喜ぶ自分に対して、「以前と何も変わっていないじゃないか」と非難してくる俺も居た。だが俺は、今は自分の中に萌した温かな気持ちに従う事を選んだ。

「いいよ、なろうよ、友達。これから宜しくね」

「やった! ありがと!」ユリアは叫び、俺の手を取って握手してきた。「じゃあ、これからも二人で色々頑張ろうね!」

 俺も、恐る恐るではあるが手を握り返した。柔らかく、温かな感触にドキリとしそうになる。

 そうしていると、風車のある建物の方で鐘の音が鳴った。見ると、外壁の四面にそれぞれ時計が取り付けられているのが見えた。

「……そろそろ、皆起きる時間だね」

 ユリアは手を離すと、その手を胸の前でパンッ! と合わせる。

「今日はヴィラバドラ退治だけど、その前にケント君に会わせたい人……じゃないけど、人物が居るの」

「人じゃないの?」俺は、誰? と聞くよりも先にそこに反応した。

「イマジンよ」

 ユリアは思いがけない答えを返すと、悪戯(いたずら)っぽくウインクした。

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