『ブレイヴイマジン』第2章 ウィンド⑦
至近距離で睨み合ったレーナは、不意ににっこりと微笑み、剣を押すようにして後方にジャンプした。着地すると、また指先で短剣をくるりと回す。
「レーナのヴァルキュリアピアサー、防いじゃうなんてね。でも、今のはレーナも技使わなかったし、まあ手加減したっていえるのかな?」
「レーナ……」
ヴァレイが、俺の後ろから一歩前に出た。魔物の背に縛り付けられていたリビィが微かに顔を動かし、「ヴァレイ」と彼の名を呼んだ。
「約束通りに僕は来た。リビィちゃんを解放して貰う。……奪うなら、僕自身からで十分だろう」
「なーるほどねえ」レーナは嘲弄する。「ヴァレイ、本当に王子様みたいな事したのね。だけど、それってレーナたちに降伏するって事? ロマンスの王子様がする事じゃないわね」
「元々の約束では、そうだったはずだ。それに……戦えない僕がリビィちゃんの為に出来る事、ちゃんとあるって思ったから」
「いい心掛け。で、も、ね……」
彼女は口笛を吹いて魔物を引き寄せると、徐ろにヴァルキュリアピアサーを振り上げた。その切っ先が、リビィの左肩に容赦なく突き刺さる。リビィが苦悶の声を上げ、ヴァレイが悲鳴を放った。
「リビィちゃん!」
「約束が違うわよ、ヴァレイ。レーナが自警団にお願いしたのは、あなたを『差し出す』って事だもの。ケント君だっけ? ユリアちゃんの彼氏を連れて来るとか、レーナの可愛いペットを殺すとか、反則よ」
彼女は、爛々と眼光を輝かせる。短剣は増々深くリビィを貫き、俺は咄嗟に「やめろ!」と叫んでいた。
「じゃあ、意地でも約束通りっていうなら、ケント君には手を出さないで貰おっかなあ。ヴァレイ、両手を後ろで組んで、そこに俯せになりなさい」
「その前に、リビィちゃんの拘束を解け。村をあんな目に遭わせた君を……僕は、そう易々と信用する訳には行かない」
「交渉出来る立場だと思っているの?」
「君がリビィちゃんにそれ以上酷い事をしたら、ケントが僕の首も、君の首も刎ねるよ。もし君が躱したとしても……フォームメダルを奪った事が、何の意味も持たなくなる。僕には、それくらいの覚悟があるんだ」
所々閊えてはいたものの、ヴァレイは最後まで言い切った。リビィの目から、激痛とは異なる理由と思われる大粒の涙が溢れ出す。
「ヴァレイ……私……!」
「……しょうがないわねー。分かったわよ」
イマジンの性質上、主導権がこちらにあるとはレーナも理解しているようだった。リビィの肩に刺した刀身を抜き、それを滑らせて切っ先を縄に引っ掛ける。が、次の瞬間短剣は、リビィの腕を大きく切り裂いた。
「なんて言って、投降した後であんたが死んだらどうしようもないじゃないの!」
「覇山焔龍昇!」
俺は、我慢が出来なかった。レーナと魔物の間に滑り込み、剣を振り上げて彼女のヴァルキュリアピアサーを跳ね上げる。返す刀でリビィを拘束しているロープを切断し、魔物に刀身を食い込ませた。
「ヴァレイ!」
呼ぶと、ヴァレイは一瞬目を見開き、それからすぐに肯いて駆け出す。魔物の背中から落下したリビィを横抱きに抱え、俺の後ろまで後退した。
レーナが短剣を宙に放り、空いた手でブレスレットを回したのは、まさにそのタイミングだった。
「ユーシーちゃん、レーシーちゃん! そいつやっちゃって!」
空中に魔方陣が出現し、二体の亜人族風の魔物が出現する。俺がデュアルブレードを構え直した時、兎の獣人の姿をしたユーシーが切歯を剝き出した。グローブめいた拳が、爪を覗かせながらこちらに肉薄する。
俺は、切れた縄を体に絡ませながら再起しようとする魔物を押し退け、炎を纏わせた刀身を一閃する。ユーシーは弾力のある拳でそれを受けると、もう片方の拳でフックを繰り出してくる。凶器めいた爪が襲い掛かってきたが、俺自身の脊髄反射かアロードの判断か、俺は気付けばさっと体を開いていた。胸甲でそれを受け、爪を痛めたらしくユーシーは「キャインッ!」と声を上げて仰反る。
俺は裂帛の気を吐き出し、魔物の右肩口から左腰の辺りまでを一刀の元に袈裟斬りにした。防御する間もなく、切り口から炎が入り込み、ユーシーの身を内側から蹂躙する。
レーシーの方は、吠えながら拳闘士の如くファイティングポーズを取り、ユーシーよりも正確な構えで拳を打ち出してきた。俺は籠手を上げ、魔物の右ストレートを防ぐと、攻撃後でがら空きとなった胴体に覇山焔龍昇を叩き込む。こちらも全身に炎を浴び、翻筋斗打つような体勢となったが、最後の力を振り絞りながら俺の腰部をホールドしようと両腕を広げた。
(道連れにして焼き殺す気か……!)
俺はひやりとしたが、すぐにアロードへ主導権を委ねる。右足が振り上げられ、火達磨の状態で掴み掛かってきたレーシーの左脇腹を痛撃した。
「廻鳶脚!」
「ヴォオオオオオッ!!」
蹴り飛ばされた魔物が動かなくなると、再びレーナに向き直る。しかし彼女は、
「ニューニちゃん!」
叫び、鳥の魔物の背に飛び乗ると、地面から三メートル程の高さまで浮かび上がってしまった。俺は舌打ちし、足を撥条の如く曲げる。ブレイヴとなった俺の跳躍力であれば、デュアルブレードのリーチ的に届く。
そう判断し、跳躍して追撃しようとした時、横から影が滑り込んできた。
「レーナ様!」
「雀ちゃん、ナイスっ!」
割り込んだのは、スパロウ兵長だった。ギアメイスの村に居た時とは異なる、金属ではない緑色の光沢ある長剣を手にしている。俺が咄嗟にガードの姿勢を取ると、彼はその剣をこちらの刀身に叩きつけ、地面まで押し戻した。
「お前は!」村での惨劇が脳裏に蘇り、俺は歯軋りする。
「エムロードハンター……確かに名剣の域だ。これで私も!」
スパロウがまたもや剣を振り被る。こちらがブレイヴという事で彼も警戒しているようだったが、レーナの存在を意識しているらしい。彼女を守らねば、という義務感なのか、いざとなれば彼女が助太刀に入るだろう、という依頼心なのかは、判別出来なかった。
俺は、振り下ろされた敵の剣を下から掬うように絡め取ろうとした。刀身が滑り、デュアルブレードがスパロウの肘の辺りに直撃する。金属質な音と手応えがあり、俺はぎょっとした。
「サイボーグ……?」
「雀ちゃん、レーナが昇格の為に決闘挑んだ時、腕を折っちゃってさあ」
レーナは上空から、何処か面白がるように声を掛けてきた。
「レーナは基本フリーでやりたかったし、マンティス総統もレーナのビーストサモナーとしての力は、それとして使いたいみたいだったし? 実際雀ちゃんの戦闘力は普通の兵士よりも高いしね、そのまま兵長の座を継いでいるんだけど……ちょっと非力すぎるかも。強い武器持たせなきゃね」
「たとえこの身が砕けようと、私の仕えるべき主はレーナ様!」
スパロウは屈辱に顔を歪めたが、自分を鼓舞するかのように叫び、エムロードハンターを突き出してくる。固定用プロテクターを装着した彼の腕に、突き刺さったデュアルブレードを即座に抜く事は不可能だった。
長剣の切っ先が、金属防具の隙間を突いて俺の腕に突き刺さった。血液の雫が散ったのが妙に鮮明に見え、鋭い痛みと、肉の中で鋼が動く不快感と共に力が抜けた。俺がよろめいた瞬間、スパロウは容赦なくこちらの胸甲を剣先で突く。踏ん張る事が出来ず、俺は砂の上に尻餅を突いた。
「ブレイヴ、まずは一人!」
彼が、止めの一撃とばかりに腕を上げる。かつてない程死を間近に感じ、俺は咄嗟にぎゅっと目を瞑った。
その刹那、
「お父さんの形見の剣、そんな事に使わないで!!」
突然、リビィの声が響いた。俺が恐る恐る目を開けた時には、既に彼女が飛び出していた。スパロウの膝の辺りに、低姿勢からタックルするようにぶつかっていく。その場に居る誰もが、声を上げる間もなかった。
膝関節をあらぬ方向に曲げられ、スパロウが後方に倒れ込む。リビィはその手からエムロードハンターを捥ぎ取り、ヴァレイの方にノックバックする。
「リビィ、ちゃん……?」
「ごめんね、ヴァレイ。私はもう大丈夫だから」
リビィは言ったが、すぐに左肩を押さえて顔を顰める。レーナに刺された傷が、かなり痛んでいるらしい。
「何やってんのよ、雀ちゃんの馬鹿!」
レーナが駄々を捏ねるように足をバタバタさせ、短剣でリビィを指し示す。
「ムカつく女、さっさと殺しちゃってよ」
「あんたの思い通りになんて、私はならない!」
リビィが剣を横向きに構え、起き上がったスパロウに向かって行く。スパロウの方は、傍に落ちていた兵士の剣を拾って早くも迎撃の姿勢を取りつつあった。
(俺ももう一回!)
そう思い、立ち上がろうとした時、突然駐屯地の一角で罵声が響いた。釣られてそちらを見ると、レーナの招喚したらしいもう一体のニューニが上空から舞い降りて来るところだった。その後ろから、怪鳥湧出地帯から飛んで来たらしいインペチュアスが二羽続く。どうやら、レーナが周囲の警戒用に飛ばしていたニューニが、インペチュアスの縄張りに入って彼らを刺激してしまったらしい。
「何て事……! ニューニちゃん、行くわよ」
レーナは叫ぶと、魔物を空中で方向転換させる。彼女に助けを求めてか駐屯地に飛び込んできたもう一体に引き寄せられ、降下したインペチュアスたちは天幕を引き倒し、兵士たちを襲い始めた。
「空襲なんて野蛮な事、村に向かってするからだ」
俺への憑依を解いたアロードが、自業自得だと言わんばかりに鼻を鳴らす。リビィはスパロウ兵長を退けると、こちらに向かって叫んできた。
「逃げよう! えっと、あなたは……」
「ケントだ。こっちはイマジン、アロード・ファイヤー」
「ありがとう、二人とも。私は……」リビィが言いかけるのを、
「話は後だ。ユリアたちが正面で戦っている、あっちも危ないかもしれない!」
俺は遮り、身を翻した。残り三人も、すかさず後に続いてくる。その後方で、スパロウ兵長の無念そうな呻き声が聞こえた。
インペチュアスの鋭い叫び声は駐屯地の空気を荒々しく切り裂き、窪地に反響していつまでも残り続けた。