第9話:現実と理想の狭間に
歩いていると、ズラトが樹に文句を言ってきた。
「…あのなあ。もうちょっとデリカシーのある持ち方はないのか」
ズラトは樹に抱かれている。正確には左肩の上に、米俵のように担がれている。
「文句言うな。抱っこしてやってるんだから」
「抱っこじゃないだろうが」
ズラトが言うように抱っこではないが、米俵担ぎのほうが楽というのが樹の結論だった。
輪行を前提として考えるのなら、可能な限り、軽量化できていたほうがいいのは言うまでもない。
パラトルーパー・プロの重量はカロタグ値は14.5kg。本来の車両には折り畳み機能が備わっているが、備えつつも荒野走行能力を持たなければならないので、二桁を切るロードバイクよりも軽くはならない。
樹のは、色々と装備が増設されているので15kgは上回っていると考えたほうがいいだろう。
ズラトの重量は似たり寄ったりといったところ。
ロードバイクと比較すると明らかに重いが、プロ本来と考えると比較はできない。感覚的なところで判断せざるおえない。
結局は存在そのものが、いいかげんと樹が結論を下したところで、ズラトを移し替えた。
ズラトの体温が熱くなる。
「!!!」
お姫さま抱っこにした感想をズラトに聞きたいところであるが、橋の前の衛兵が3人に気づいて、警戒態勢をとってきたので、彼らに対応せざるおえなかった。
「止まれ」
「これはこれは、シフォンの孃ちゃんじゃないか」
「こんにちは。ダルトンさん」
重々しい甲冑をつけた衛兵のうちの1人が、シフォンの顔見知りの仲なようだった。シフォンの職業を考えれば、知り合いが何人いても不思議ではない。
「仕事は終わったのか?」
「おかげさまで。予定よりも早く終わってしまいました」
「マーストは?」
「師匠は後処理で遅れます」
シフォンと会話を交わしたあとで、ダルトンは樹を見る。
「この方々は?」
「わたしが、森で倒れていたところを拾いました。異国の方のようですが、どうやら、2人とも頭を強く打ったようで、あまり覚えていないようです」
「頭を強くね…」
ダルトンは疑っているようだった。鵜呑みにできるのは頭の構造がおめでたいというべきだろう。
「キミ、身分証は持っているかい?」
「いえ。頭を打ってしまいまして、それっきり…」
「その子もかい?」
「はい」
樹はシフォンが作った設定に合わせるが、内心ではこれを認めてくれるようであればダルトンはアホであると思った。樹がダルトンの立場であれば、認めないだろう。
「シフォンは入場を認めてやってもいいが、身分証を持っていないのであれば、その2人の入場を認めるわけにもいかん。もっとも、その孃ちゃんは条件によっては認めてもやらんが」
実際に認めなかった。
ズラトだけを入場を認める条件が、あまりにも露骨すぎたので、ズラトが睨み付けかけるが、樹は慌てて抑えた。トラブルになるのだけはまずい。
しかし、このままではカラパに入場することはできない。どうしようかと悩んでいると、シフォンがリアクションを起こした。
「ダルトン閣下、少しよろしいでしょうか?」
「何か話があるかね。シフォン」
「席を外しませんか?」
シフォンに言葉にダルトンはうなずくと、傍らの同僚と二言三言話しをしてから、シフォンと一緒に検問の場から離れていった。
その様子にズラトがテレパシーで話しかける。
(イツキ、これは…)
ズラトには分からないけれど、樹にはダルトンと同僚が会話の際に見せたニヤけ面で、だいたいの事情を察した。
シフォンも自信があるのも理解できる。
(シフォン、だいじょうぶか……まさか、あの男に)
樹は口に出さないようにしながら、ズラトに答える。
(問題ないよ。ショーンさんもそれなりの有名人っぽいから、手を出したらただではすまないだろう)
それでも心配しているようなところを見ると、ズラトもズラトで、シフォンが大切な存在になっているようであるが、指摘すると暴れられるのが明白なので何も言わなかった。
(すぐにシフォンは帰ってくる)
(なぜ、そう言い切れる?)
不安があるとすれば、交渉が難航することであるが、不安になりかけた矢先にシフォンとダルトンが戻ってきた。
「キミと、その子の名は?」
「オレはイツキ。抱えているのはポラリスといいます」
卑語になっていないかどうか心配であったが、シフォンや衛兵の2人に特に赤面や揶揄といった反応はなかったので安堵する。
ズラトは真っ赤になってはいたが無視。
「では、イツキくん、ボラリスちゃん。君たちは本来、身分証を保持していないので、カラパには入場できない。でも、事故で頭を打って、記憶に障害があるといっていたね」
「はい」
「治癒には腕のいい治癒術師にかかることが必要。その治癒術師は大都市にいる事が多い。よって、治療のため、人道的な見地からキミ達の入場を許可しよう」
「ありがとうございます」
何が人道的見地だ、と樹は心の奥底で毒づいた。
検問所を突破して、カラパに通じる橋に脚を踏み入れる。
「今日から我はポラリスという名前になるのだな」
ズラトが新しい名前を呟いてみる。
「悪くなかったか?」
「特に良くもないが。悪くもないぞ」
「良くもないが余計だ」
ズラトらしい言いぐさに、樹は少し明るくなったような気がした。
「色合い的にはオリオンがと思ったんだけど」
「なんか言ったか?」
「なんでもない」
川面も渡る風とは裏腹に、空気が重かった。
傍らを歩くシフォンの表情がなぜか重い。
樹は大方の事情を察していたが、微妙な問題なので言い出せなかったところ、ズラトが公然と空気を無視してきた。
「あの衛兵。最初は、我らの訪問を拒絶しておったのに、シフォンが交渉したら途端に態度を変えた。不思議だぞ」
樹は突っ込んでみることにした。
多少、空気が悪くなっても、世界を知ることが重要だった。
「賄賂を使ったんだろ。ありがと、シフォン」
「賄賂じゃと!?」
シフォンの歩みが止まる。
「どうしてわかったの?」
「交渉前と交渉後の衛兵の反応を見ればわかる。むしろ、気づかないほうがおかしい」
「…そっか」
仏頂面から笑顔へと180度変える最終兵器が、賄賂なのは、この世界でも変わらないようだ。
「軽蔑した?」
「まさか。シフォンがやってくれなかったら、オレ達は立ち往生だった。感謝している。でも、請求額が怖い」
最後のは冗談とは思えない。
「後でたっぷり請求するから、覚悟しておいてね」
「その時は……ズラトに客を取らせるか」
「汝、何を考えておる。正気か!!」
「何度も言っているだろう。オレは生きるためにはなんでもやる外道なんだって。シフォン、幼女って需要ある?」
「需要はあるけど、そこまでやったら絶交だよ」
冗談なのは言うまでもない。
ズラトをネタにして、空気を和らげたところで、本題に戻る。
「樹は賄賂のこと、どう思う?」
「お金払って便宜を計ってもらうのは、ありがたいけど、国としてはまずいね」
個人的な都合で法を曲げること事態はあってはならない事である。法を遵守してこそ法治国家であるからだ。しかし、金の力でシフォンが曲げてくれたからこその恩恵を受けているので、一言で否定するのは難しい。
シフォンでいてくれて良かったと樹は思う。でなければ、この橋を渡ることができなかった。
「樹の国では、賄賂は使われているの?」
とりあえず、日本に限定する。
「オレの国ではない。厳密に言うとやっても簡単にバレるから、危険過ぎてやらない傾向にある」
「樹の国は、とってもいい国なんだね」
樹が今まで住んでいた国について考える。
もちろん、理想郷ではない。
高くなる物価に、収入の増強が追いつかない感じであり、仕事と学業に追われる忙しい日々はあまりいいとはいえない。
でも、そこに住むことに慣れきっているからこそ、何も感じないのであり、他国の人々から樹が住んでいた場所は理想郷ではないだろうと思えてくる。
この世界に来てから、数時間しか経っていないのに、樹は懐かしく思えてならない。少なくても、ここにはネットがない。
「シフォンはこの国を変えたい?」
賄賂について思うことは色々あるが、ただ一つ正しいことは、賄賂が横行する現実をシフォンが恥じているということだった。
「賄賂を無くすにはどうしたらいい?」
「役人の給料を上げることと、監査と罰則を厳しくすることじゃないのかな」
「後者は分かるけど、前者は」
「役人だって規則を破りたくて破っているわけではない。貰っている給料では喰っていけないから賄賂を貰うわけで、為政者としては賄賂を持たなくても生計を立てられるようにしなくちゃあかんでしょうが。役人も国民の1人なんだから」
学校の授業かどこかで「遊牧民の国家は役人に給与を支払うことができてから定着する」つまり、それより以前は住民から略奪する事によって生計を成り立たせていたという話を聞いてからは、樹は物事を素直には受け取れなくなっていた。全ては氷山の一角。物事には理由なり、原因が存在するのだから、それらを直視できないかぎりは、簡単には批判ができない。
「そっか」
不承不承ながらも、シフォンは妥協点を見つけた。
「そういう考え方もあるのか。参考になったね。ありがとう」
「どういたしまして」
樹は、シフォンの政治を巡る話をしてしまったのは謎だった。
樹の頭の中にあるのは、バイトと自転車と旅ぐらいなもので、今までの人生で政治のことなんて深く考えたこともなかった。樹だけではなく、友達などもそうだ。
でも、目の前にいる女の子は違う。
政治について何も言う気はおきないのは、特に不満がないから。この世界の政治に不備があるから、シフォンも気になるわけで、樹もこの世界に慣れたら、シフォンのように政治をかえたいと思うようになるのだろうか?
多分、シフォンのようにはならないと樹は判断する。
樹は日本で育ってきた。
日本の歴史を知り、数々の創作物に触れれば、正義なんていうものは信じなくなる。悪と正義の戦いなんて存在しない。人の数だけ正義があり、戦いというのは正義と正義のぶつかり合いでしかないのだと。剣皇が樹の予測通りの人間だとしたら、正義なんて、性技と混同する程度にしか思えないだろう。
でも、シフォンは日本人ではない。
最近、政治を語ることが、怪しい宗教の勧誘と同じように思えてくるのはなぜなのだろう。
「シフォンはなぜ、我々を助けた」
ズラトが直球をぶつけてきた。
「我々を助けても、理なんてなかろうに」
助けても利益になるどころか害にしかならないと言わんばかりに。
「理じゃないよ。わたしたちはイツキとズラトの仲間になったんだから、仲間が仲間を助けるのは当然だよ」
一発で轟沈する。
「当然、お返しは期待はしているからね。イツキ」
「返済はお手柔らかに頼む」
仲間だろこそ、仲間を見守りたい。
絶対に、シフォンを正義教の説教者してはならないと樹は思った。