第19話:いきなりおしごと
樹の人生の中で、これほどまでの全力疾走を強いられたのは初めてだった。
走り出してから5分も経たないうちに、太ももの筋肉が硬く張りつめ、肺から取り込む空気が足らずに心臓が悲鳴を上げる。樹としては少しでも緩めたいところであったが、通信に込められたショーンの殺気の前には、足を緩めることができない。
「ただいま、もどりましたー」
「…おっせぇぞ」
野犬亭に帰ってきて飛んできたのが、ショーンの罵声である。
帰ってくるなり、今まで身体にかけていた負荷が爆発して、樹は酒場のテーブルに持たれかけるだけ。動くどころか反応もできない。
「思ったよりもひよわっちいなあ」
さんざんな言われようなのだが、一緒に走っていたシフォンが多少の疲労感はあるものの余力を残しているので、樹は体力の無さを思い知らされる。
「イツキ、おかえり」
「……ただいま」
樹がやってくるなりズラトが駆け寄る。半袖ミニスカートのメイド服にツインテールという非常にそそられる姿なのだが、反応するにはまだ元気が足りない。
「ショーン、まだ新人さんなんだから。いぢめたところで何も解決しないでしょ」
樹はようやく気づく。
ショーンにシフォン、アクィラとシエラの姉妹の他に、2人いることを。
一人は知っている。
「にんにちは、ダルトンさん」
「…こんにちは」
最初に出会った時には賄賂を要求したくせに、剣皇教会では友好的だった衛兵隊長のダルトン。
陽気とはいえず、痛みを隠しているような表情をしているのが気になる。FXで爆死しているように帯びている空気が重たい。
「初めまして。カワサキくん」
もう一人は、この人物もというべきか、黒髪を地面に近いぐらいの長さまで伸ばした明るい印象を与える美女である。
「どうも、初めまして」
「先生、こんにちは~」
初めまして、というが彼女は初対面という気がしない。
何よりも足元にかじりついているズラトが、彼女を警戒しているように見えるのは、ズラトが人見知りだからと言い切れない部分がある。
「イツキ。この女はレティシア・ブランズウィック。剣皇教の司祭だ」
樹は納得がいった。
剣皇教会で子供たちに授業をしていた先生だ。
一見すると、小さい子供相手に授業をしているのが似合っている、明るくて人の良さそうなお姉さんのように見える。
「全員集まったところで、話を始めるぞ」
身体が落ち着いてきたところで、樹は座り直すとテーブルに地図が置かれていることに気づいた。
カラパを中心とした地図。
ショーンは一番北の地点を指差した。
「このゴーシュという町一帯で、大規模な災害が発生した。災害が起きたという情報が近隣からあっただけで、それ以外の情報は途絶しているという状態だ。間が悪いことに、飛竜は他の任務で出払ってしまい、ゴーシュに行くまでは徒歩で5日はかかる」
この説明で、樹はショーンが何をやらせたいのか理解した。
「イツキとポラリスなら、何日でゴーシュまで行ける?」
徒歩で5日と言われてもピンとこない。
ズラトをフルパワーで走行させた事がないので、最高速度は分からないし、時速をショーン達に理解してもらえるかどうか自信はない。
でも、逡巡してはいられない。
「最悪、1日以内で行けると思います」
「本当か!? ゴーシュまで1日で行けるのか!?」
樹の一言に、今まで死んだ目をしていたダルトンが、樹の両肩をつかんでは揺さぶった。死んだ目なのには変わっていないのに力を取り戻しているのが不気味だった。
「ダルトンさん。力強すぎですよ」
逃れようとしても、掴んでいるダルトンの力が強すぎて、逃れることができない。
「落ち着け、ダルトン。こんなところで暴れたところで意味ないだろうが。イツキを潰してどうする」
ショーンにたしなめられて我に返ったのか、ダルトンは離れた。締めつけから解放されて、樹は一息ついた。
「すまない。ゴーシュは俺の故郷なんだ。あそこには両親がいる」
ダルトンが落ち込んでいる理由がわかった。
樹も、故郷が災害に巻き込まれて両親親類知人の安否が不明とあれば、飯も食べらないし夜も眠れない。そもそも、樹も他人から見れば災害に巻き込まれた被害者と変わらない。
両親は今頃どうしているのかと、胸が痛くなる。
「馬でも3日ぐらいはかかる距離を、なぜカワサキくんは1日ぐらいで行けるといえるのさ」
この世界の人間なら、至極真っ当な理由である。
「その理由をこれから説明する。イツキ、いいな」
ショーンが視線をなげかけたので、樹は目くばせをした。
「了解」
ショーンと樹とズラトに加えて、ダルトンとレティシアが中庭に移動する。
「樹にくっついている、そのちびっ子。ポラリスっていうんだが、ただのちびっ子に見えて、とんでもない能力を持っている。イツキ、その子の力を2人に教えてやれ」
樹はためらった。
ズラトの力は他人に見せていいものではない。
機密保持は、知る人間を最小限にするのが鉄則である。知る人間を増やすのに比例して危険度も増す。
この2人が信用できる人物なのか分からないが、今はショーンの判断を信じるしかなく、ズラトの力を隠し通すのにも無理はある。
「ポラリス、行くよ」
軽く指を鳴らすと、ズラトがまばゆく発光した。
「……なんだこれ!?」
「なに?」
光が収まった後、ズラトが変形した姿にダルトンとレティシアは予想通りの反応を見せていた。
つまり、驚いている。
パラトルーパー・プロに変形したズラトに。
「こいつはジテンシャ。イツキの国に伝わるアイテムだ。真ん中に座って、その下にある歯車を脚で回すことで人よりも早く動くことができる。普通に売られているものは、多少早い程度だが、こいつはイレギュラーで飛竜並みの速さで動くことができる」
「カワサキくんの"国に伝わる"ねえ」
レティシアは事情に気づいたらしい。目つきが怪しい。
「これで、ウマよりも早く移動できるというのか!?」
「ええ、まあ。多分移動できると思います」
最高速を出せたわけではないが、実際に漕いでみた感じでは電動自転車よりも速度が出せる。
「こいつでレティシアをゴーシュに送る。これが今回の仕事の概要だが、条件としてダルトンにはやってもらいたいことがある」
「俺にやってほしいこと?」
「便宜を計れや。簡単だろ、てめぇには」
言葉の意味が分からなかったが、すぐに思い出したらしい。
ダルトンは樹をちらりと見ると、ニヤリと笑った。
「そういうことか。了解した」
「こいつらが動けないんでは困るんだわ」
悪党顔で笑いあうショーンとダルトンは、越後屋と悪代官のようで引く。
ダルトンが悪徳役人であることを、樹は思い出す。
「イツキ・カワサキといったな」
悪党面したダルトンであったが、樹に向き直った時には真剣になっていた。
「はい」
「魔接石はあるか?」
樹は、プロの折り畳みレバーを引いて、光と共にズラトを自転車から人間に変形させる。ダルトンとレティシアは驚くが、反応は織り込み済みである。
ズラトが懐から魔接石を取り出し、樹に渡す。
ダルトンは言った。
「頼む。俺の両親を助けてくれ」
非常にシンプルで分かりやすい。
それゆえに、期待がプレッシャーとなって両肩に伸し掛かる。
冒険者になってから1日も経っていないのに、いきなりの仕事。しかも、難易度の高さにめまいがする。
でも、樹に断るという選択肢はない。
受けることが、この世界で樹たちが生きる条件の一つであり、ダルトンが抱えている家族たちへの想いの重さが重たかった。
「オレは今回が初めての仕事です。ダルトンさんの期待に完全に応えられると断言はできません。ただ、全力で頑張ります。それでも良ければ、やります」
樹は、掌に魔接石を乗せてダルトンに突き出した。
「ありがとう」
ダルトンは樹の魔接石を受け取って、懐に収めると代わりの魔接石を取り出した。
「君たちの身分は俺に任せろ。代わりに通行証を渡しておくから、先々の町々はフリーパスで通れる。こちらからも連絡をいれておくから問題ないだろう」
この時にはいつものダルトンに戻っていた。
「決まりだな。とっとと仕事だ」
「仕事したのはやまやまなんですけど」
文句はないのであるが。
「ショーンさん。その前に飯食わせてください」
「……そろそろ飯だかんな。その前に食堂の置いてある荷物を移動しておけ」
「了解」
中庭から食堂に戻るとショーンが言うように荷物がある。馴染みのオーストリッチのパニアバックもあるが、一際目立つのは電柱のようにぶっといメイスである。
視覚に訴えてくる質量もさることながら、柄のすり減り具合や突起の摩耗具合や染みなどで、相当使い込んでいるのがわかる。この場合の使いこむを想像してみると樹としては背筋が寒くなる。
「ポラリス、運べる?」
これだけの荷物を自転車では運べない。普通は。
「この程度なら、運べるぞ」
それならば安心できるのだが、あのメイスを中庭に持っていけるかどうか自信はない。と思っていたのだが。
「どうかした?」
レティシアが電柱のように巨大で、突起が禍々しく尖ったメイスを片手で軽々と持ってみせたのに樹は驚く。
「いや、別に」
レティシアが中庭に消えたのをみて、ズラトが言った。
「この程度で驚くな」
「そりゃそうだけど……」
メイスがレティシアの持ち物であるのは明らかであったが、抱きしめれば折れそうな可憐な美女が電柱のようなメイスを軽々と担いでいる光景は現実で見ていても、脳が理解を拒否する。
でも、この世界ではこれぐらいの事が普通らしい。
「あの女、なかなかやるぞ」
考えてみたら、レティシアのことは何も知らない。
音信不通の街に、ショーンが樹を使ってまで差し向けようとしているのだから、それなりの強者であることは想像できる。
メイスを軽々と持っている時点で、ただ者もくそもないのだが。
しかし、長話をしているとショーンに怒鳴られるので、樹は慌ててパニアバックを中庭に移動する。
「ご飯できたぞー。さっさと食えー」
バニアバックを中庭に置いて食堂に戻ると、アクィラがテーブルに料理を並べていた。
野菜をたっぷり入れたクリームシチューとパンというシンプルな内容であるが、香ばしい薫りが鼻腔をつく。
「いっただきーます」
ショーンが既に食っているのを見ながら、スープに一口つける。
異世界に来て、悪いことが決してないとはいえないけれど、シエラの作る料理は非常においしい。スープのコクといい塩加減といい、バランスが絶妙で日本でもこれほどおいしいものは食べたことがない。
パンをスーブに浸して食べると更においしい。
「どう? おいしい?」
「すっごくおいしいです」
「よかった。お仕事頑張ってきてねぇ。おいしい物作って待ってるから」
「ありがとうございます」
「あんまり無理するなよ」
アクィラがいう。
「仕事っていうのは、どれだけ頑張っても成功しなければ無意味なんだけど、今回は努力すれば納得してくれる仕事だ。気楽にやってこい」
言っていることは無茶苦茶であるが、真面目に自身のやれることを行えば結果は問われないのは非常に楽だといえる。
「新人に甘いこといってんじゃねーよ。アクィラ」
「甘いたって、イツキはハジメてなんだぞ」
「バーカ。甘やかしていたら、あんなになるぞ」
テーブルではズラトとシフォンとレティシアが並んでいたが、シフォンが食べるのそっちのけでズラトの髪を撫でていたり、髪を手にとってはくんくんと嗅いでいた。
「こら、シフォン。なにをする」
「おねーさんに触らせて撫でさせてくんくんさせてーーっ
」
「……あんな風になるなよ」
「分かってます」
三人が三人とも溜息をついた。
「ポラリスちゃんとシフォンちゃん。仲がよくてとってもいいわね」
この人の感想だけは違っていた。
「仲は悪いわけではないけど、それでいいのか。シエラ」
「いいんじゃないかな。ただ。ポラリスちゃんとレティシアちゃんはもうちょっと仲良くなってもいいんじゃないかなーと思うんだけど」
髪を撫でているシフォンと撫でられているズラトを、レティシアは物欲しそうに見ている。片手を伸ばしていて、乳でも揉みたそうに指を動かしている。
「レティシアさんも髪フェチ?」
「でなかったら、バカみたいに髪伸ばさないだろ」
それだけで納得である。
「レティシアちゃんも、シフォンちゃんも髪長いもんねー。短かったら楽に戦えるっていうのに」
「当分、離れ離れになるんだから満喫させてーっ」
「そのセリフは私のだーっっっ」
「レ、レティシアさんなにを」
「すうはぁすうはぁ……休まるわぁ」
身体にある何かが切れたのか、レティシアがシフォンの巨大なお団子に顔をうずめたのを見て、樹は顔をしかめた。
「…大丈夫なんですか?」
「レティシアは変な奴だが腕はたつ。戦士としても治癒術師としても」
ショーンがいうなら信用してもいいのだろう。
樹はレティシアをみる。
3人でじゃれあっている、その姿は近所にいる明るくて優しいお姉さんのように見える。とても、巨大なメイスを軽々と掴む怪物のように見えない。
気づいた。
コンクリンが表面的には穏やかでありながらも、目だけは鋭く樹を見ていた訳が理解できた。
「ひよっこにしては見てるじゃねーか」
化け物のような力を持ちながら、一般人と同じような雰囲気を漂わせていることがおかしい。雰囲気が繁栄されていないのだ。つまりは、一般人であることを装っている。
ショーンが声をひそめた。
「アイツは気をつけろ。教会関係者だからな」
ズラトが警戒しているのも、そこにあるのだろう。
「ほらよ」
「これは?」
ショーンが懐からナイフを取り出し、テーブルに置くとナイフを樹の前に押し出した。
「イツキの武器だ。剣皇じゃあるまいし、素手では様にならないだろ」
この世界、武器がないのは危険だ。
「間合いが短くないですか?」
「ばーか。無駄に複雑な武器を持たせて、てめぇに使えこなせるわけないだろ。この場合は武器は手の延長だと思え」
ショーンは樹の肩を荒々しく叩いた。
「せいぜい、気張れや」
「今更のツッコミなんだけど、ポラリスちゃん。すっごくかわいくない?」
「や、やめろ。我を見るなぁっ」
「ポラリス。頼むぞ」
「任された」
オーストリッチのパニアバックはともかく、巨大なメイスまで自転車に乗せられるものではなく、仮に載せられたとしても漕ぐのは無理なのだが、荷物の中心にズラトを立たせて、指パッチンすると光と共にズラトが自転車に変形して荷物がなくなるのが不思議だった。
「荷物どうしちゃったのかな?」
「多分、収納できたと思う」
「これも、イツキくんの国の技術?」
「ぜんぜん違う」
「そっか」
レティシアはうながした。
「行こうか。イツキくん」
これから仕事が始まるのだ。
いきなり冒険者としての仕事が。
樹は、ラックスタンドを回して荷台にするとハンドルバーを掴み、プロを中庭から食堂へ経て、表通りへと押していく。
「カラパは北だ」
外に出ると、ダルトンがいる。人通りが決して少なくないにも関わらず、自転車が走れるスペースが開けられているのは交通整理を行っているからだろう。
「今更だけで、載れるのかな」
レティシアが心配する。2人乗り以上を前提としたクロスバイクはないのだが、例外なのは既に確かめている。
「荷台に乗って。しっかり掴めば落ちない」
「はいはい」
断るも何も選択肢はない。レティシアが荷台に座り、ラックスタンドのフレームを掴んだ。
「がんばって。無事に帰ってきてね」
そして、シフォンが見送る。
「それじゃ、行ってきます」
樹は右方向へとハンドルを曲げると、最初はプロを押して歩く。その歩調を速めてスピードが乗ったところでサドルに乗りペダルを漕ぎだす。クランクの回転がチェーンを通して後輪に伝わり、街路を加速していった。
「はえーな。イツキは一日かかると言っていたけれど、あの分では半日でいける」
予想以上の速さで視界から消え去ったのを確認してからショーンはつぶやいた。予想よりも速いのはいい事であるが問題がないわけでもない。
気になることは、まずは北部の山に雲がかかっていること。悪天候よりも晴天が望ましいのはいうまでもない。
もう一つは戦士の勘というべきか。
「シフォン。行くぞ」
「私たちもですか?」
「たりーめだろ。後詰めも必要だ」
2人だけでは行かせるのも心配なので、増援を派遣する必要がある。
「と、その前に。てめぇに言いたいことがある」
ショーンにはやっておくべきことがあった。
「はい。なんでしょう」
「…後ろに下がっているのはどういうことだ?」
シフォンの表情は恐怖でひきつっている。
「その何か、とてもつもなく恐ろしいことが起こりそうな予感がしたので」
「その予感は正しい……とても、正しい」
シフォンは全速力で逃げ出そうとしたが、その前にショーンに顔面をわしづかみにされた。
「てめぇ、シリアスな場面で欲望をただ漏れさせてんじゃねーぞ。その頭、剃りに剃りまくって髪でも生えないように頭皮でもはがしてやろうかぁっっっ!!」
「はんはんはんべんしてふだしゃーいっっっ!!」




