第15話:神語り
二日目は宇都宮に到達していたのだろうか。
本来の予定では、プロのクランクをひたすらに漕いで、東北路を北に向かってまっすぐ北上しているはずだった。
しかし、今はプロを漕いでいない。
漕ぐどころか、プロそのものが得体の知れない何かに変貌して、言葉は分かるが文字が見えない未知なる都市を歩いている。
昨日、知り合った女の子と2人で。
一言でいえば、美少女。
雪のように白い肌に、サファイアのような青い目。滑らかな顎先や柔らかい頬、赤い唇など絶妙なバランスでまとまっているところが、美を生み出している。
何よりも、髪が長い。
腰まであっても、お団子一つにまとめると想像以上にコンパクトにまとめることができる。にもかかわらず、彼女のお団子は巨大だ。それこそ頭がもう一つ生えているように見えるから圧縮が効かないほどに長いし、樹は彼女が髪を下したところを見てきた。
「なあに? どうしたの?」
その彼女が話しかけてきた。
「まさか、こんなことになるとは思わなくてさ」
「イツキからすれば、異世界だもんね。私からすれば、驚くかも。平気ではないんだろうけど、冷静だよね」
仮にシフォンが樹の立場に置かれていたら途方にくれていただろう。ズラトがいなかったら異世界に行ってなかったのでコメントしづらいが、ショーンやシフォンに出会えたのは幸運だった。
「帰りたくないといったら嘘なんだけど、もともと旅に出るから、旅先を変えただけと思って納得させている」
もう一つ幸いなことは、樹がプロを使って行うとしていたことと目的に変わりがなかったということだ。単に帰れないというだけで。家を思うと頭が痛くなるが、かといって取れる手段は何もない。
「すっごいなあ、イツキは。わたしなら楽しむどころじゃないのに。冒険者に向いているかもね」
自転車で、自宅から北海道から九州に行くのは体力と金があればできるが、異世界には行きたくても行けるものではない。
だから、樹は楽しもうと思うのだ。この置かれた異常な環境を。
「わたしも樹の世界に行ってみたいな。すっごく楽しそう♪」
シフォンも、真っ当な知己を得られたら日本でも楽しむことができるのだろう。
この世界に来て、最大の驚きはシフォンのような美少女と一緒に歩いていることだった。
デートなどと思いあがるつもりはない。
ただ、今までの人生を思い返すと、家族の以外の異性と街を一緒に歩いた事が数えるしかない。いや、最後に歩いていたことすら思い出せなくて愕然とする。
女の子に興味がないと聞かれたら全力で否定する樹であるが、過去の女性遍歴のなさを思い出すと、返す言葉もない。
なぜ、異性と縁がなかったのか、樹は真剣に考えたくなるが、それよりも重要度の高い案件があったので、そちらから片づけることにした。
「シフォン。教えてもらいたいことがあるんだけど、いいかな?」
「わたしのスリーサイズはぼんっ、きゅっ、ぼん、だよ」
「全然分からないよ、じゃなくて、この世界の歴史のことを教えてほしい」
初めての場所を旅するのに、観光ガイドやインターネットサイトを読み漁るように、情報収集は欠かせない。右も左も分からない異世界を生きなければならないのだから、新たなる居場所なことを知っておきたかった。
……横浜FCがそこまで崇められるのか知りたい、というのもある。
「樹は、本当にこの世界のことが分からないんだね」
シフォンはなぜか安心したようにする。
「教えてあげてもいいけど、タダじゃないよ」
「シフォンには、ズラトの髪を好きにしていいよ券をあげよう」
「やったぁ♪……って、今でもいぢり放題じゃない」
この手はシフォンには通用しなかった。
「報酬というのは冗談。でも、何からは話そうか」
一口に話すといっても難しい。
シフォンの表情からすると、語るべき内容が膨大すぎて、樹にも理解できるよう説明するのが難しいだろう。起承転結、組み立てをしっかり行わなくてはならない。
「この世界に、神様はいないの」
とシフォンはいった。
「いない?」
「遙か彼方の大昔、神様はいたんだけど、二つに別れて戦って共倒れになった。これが神話」
「どこの世界でも似たようなものか」
「イツキの世界でも同じなんだね」
「オレの世界は各部族ごとに神がいるからね。いや、同じ神を信仰していても戦争してた」
樹がかつていた世界でも、同じ神を信仰する者同士が二派に別れて戦ったのだから、神と神と戦ったところでおかしくないはない。
「どっこも同じなのね」
バカバカしい事ではあるが、人間であれ神であれ、バカな事に変わりがない。
「神が滅びた後、世界は人間界と魔界の二つに別れて、そのまま時間が流れていった。混乱する時代を導いたのが8人の賢者様で、まずは賢者様が説いた生き方というが信仰になっている、という感じ?」
「了解」
キリスト教において、聖者がイエスに継いで崇拝を集めているということなのだろう。この世界ではゲームのファンタジーとは違って、地球同様に神というものが観念的な存在でしかないことは理解できた。
「魔界には群雄が割拠。魔界内での勢力争いにあけくれて人間界に攻め込む余裕がなかった…はずだったんだけど、魔王が魔界を統一。魔王軍となって人間界に侵攻。そんな時に現われたのが剣皇様だった」
「その剣皇が世界の平和を救ったという事になるわけか」
「帝国の祖、聖祖陛下と兄弟になった剣皇様は戦場に身を投じ、魔王軍に滅ぼされかけた人間軍を救い、魔王を倒した、とそこまではよかったんだけど、魔王軍の残党が天使を担ぎ出してきたから、混沌としてきたんだ」
「天使って、どんなの?」
「話をちょっと戻すけど、天使というのは神様が、神様を滅ぼすために作り出した兵器みたいな存在。でも、その兵器が暴走して結局は壊す神様も、作った神様も自分自身さえも滅ぼした。天使はその身を四散させ、肉片はこの地に降り注いだ」
「……グロいな」
「グロイね」
人間の身体が瞬時にバラバラになった光景を想像するとイツキは気持ち悪くなった。
「魔王は、倒される前に天使の肉片の一部を用いて天使を再生した。天使は魔王軍の残存を率いて人間界を蹂躙した。その破壊は魔王よりも凄まじいもので、天使の前に聖祖陛下も倒れた。天使は世界さえも滅ぼそうとしたけど、天使を剣皇様が倒したことでこの世界は救われた、そして、時間がたって今の私たちがいるわけ」
「剣皇はどうなった」
「行方不明。相打ちになったどうかは分からないけど、天使との戦いを最後に、剣皇様を見たものはいない」
その方が都合がいいのだろう。
この時、イツキの脳裏に浮かんだのは「ウサギがいなくれば漁犬は喰われる」の格言。
勇者というのは、世界を滅ぼさんとする魔王が現れれば、全人類を救う救世主となるが、その魔王が消滅すれば勇者自身が平和を脅かす最大の敵になるのが、皮肉としかいいようがない。命を賭けて守った人々から、魔王のように恐れられるのだから。
剣皇は、世界すら滅ぼしかけた天使さえも打ち倒したのである。為政者からすれば脅威を通り越して恐怖でしかない。剣皇が反逆を起こせば止められない。神さえも滅ぼしたのだから。
世界に反逆を起こそうとする輩からすれば、剣皇の存在は福音に違いない。味方につければ、世界を従わせることも壊すことも思いのままだからだ。
結局、世界にとって剣皇は、天使と相打ちで消えてしまうのが最良の選択なのだろう。そうすれば泣くだけで済む。世界が再び混沌と化すぐらいなら、涙なんかいくらでも流せる。
「剣皇はどれほど強かった? 逸話はない?」
「そうだね…」
シフォンは考え込む。色々ありすぎるが、語彙力に自信がないのだろう。
「まず、剣皇様のお言葉その1「武器を抜いたら殺れ」剣皇様はシンヨウリュウという武術の使い手で、剣を使うから剣皇なんだけど「武器を抜いたら殺せ」というのが掟で、実際に剣皇様に武器を使わせて生き延びられた奴はいなかったんだ。ある戦いでは剣一振りだけで、数万の敵を殲滅するとか、軽く拳を振っただけで山が吹き飛んだとか、デコピンだけで城一つ吹き飛ばしたとか、脚を踏み込んでみたら大地震になったいうのは可愛いほう」
話を聞く限りでは、現実見があるとは思えない。この手の逸話には誇張が入っているというのが普通なのだが、それを言うならパラトルーパーが勝手に走ったり、幼女に変身するのも現実性がないので、ある程度の真実は含まれているといってもいいのだろう。そこを割り引いても信じれない話ばかりではあるが。
検証するのは後でいい。重要なのは、そのような逸話が残されているという事実である。
「すごいのになると、殺意だけで数万の軍勢を消滅させた、とか」
「殺意だけ?」
「怒っただけで、襲いかかろうとした軍勢が空間に溶けるようにして消えていったとか、気合いで大雨を降らせたとか、逆に海がまるごと燃え上がったとか。地図見たでしょ。中央がぽっかりと空いていたけど、あれ、剣皇様と天使が戦って、大地が消し飛んでああなったわけ。あと、魔石も、剣皇様が皆殺しにした魔族の遺体が塵になった後に、結晶化して大地に降り注いだものと言われているんだ」
それ武術ではない。魔法だと樹はツッコミを入れたくなった。
シフォンにも読めたのだろう。
「剣皇様も、使うのは武術ではなく、滅術だと言っていた」
「武術のスケールを越えているだろ」
樹の知っている武術とは、素手もしくは手に持てるだけの道具だけで、目の前にいる敵と戦う、あるいは命を守る技術であって、触れもせずに目の前にいる数千数万、下手をしたら数億の大軍さえも吹き飛ばすのではない。武術を騙った何かとしか思えなかった。
「不思議なのは、樹が剣皇様を知らないこと。剣皇様の世界から来たんでしょ?」
「知らないのも不思議ではないと思う」
「というと?」
「剣皇が公になっていたら、秩序が吹っ飛んでる」
シフォンが語ったことを鵜呑みにするのは危険だが、もし、事実であると仮定するのなら、その剣皇はデコピンだけで、隕石が地球に衝突したレベルの打撃を繰り出せる災厄といっても過言ではない。地上最強とされる米軍や核攻撃ですら通じないと知れ渡ったら、その威と恐怖で保たれていた秩序は崩壊する。その先に広がるのは一切の法や理もない修羅の世界。
「いっそのこと、剣皇様が世界を支配をしてくれたらよかったのにね」
つたない説明で理解してくれるかどうか不安ではあったが、シフォンには伝わったようである。
秩序を破壊する災厄と化した勇者の末路は、自害するか、守った人々を全て殺戮するか、あるいは世界を征服する王になるしかない。人種も違えば、主義主張も違う人々をまとめてあげて、平和な世界を実現させるというのであれば、独裁も悪くはないのであるが、剣皇に人々を支配する気はなかったようである。
とすれば、権力者が取る方法は一つしかない。
その存在を徹底的に隠蔽すること。
反目している全世界の権力者たちが、実は一つの目的で結束していた、なんて陰謀論以外なにものでもないのだが、今の樹には絵空事だと笑うことができない。
「これから、どこに行くの?」
シフォンは城門を出て、壁と川の間に広がる雑多な街並みを歩いている。
「剣皇教会」
「剣皇教会?」
「神様なんていうものは何も与えてはくれない。でも、最強を求める剣皇の生きざまというのは、野郎たちの憧れ、剣皇にはなれなくても、剣皇のように強くなりたいと思うのは自然でしょ。わたしも強くなりたいし」
男に生まれたからには、世界最強の生物になりたいのが原初の夢であるが、様々な事情で挫折するのがほとんどである。それだけに世界最強の一つの形を作ってみせた剣皇に憧れ、つらく険しい男坂を目指したくなるのは理解できる。
「剣皇に憧れた人々が集まってできたのが、剣皇教ということでOK?」
「そういうこと。鍛錬することで剣皇様に近づくのが教えだから、剣皇教では格安で鍛えてくれる。私たちにはうってつけなんだよね」
外に出てから、城壁傍に巨大な建物が見えてくる。
石壁のそのそそりたつ巨体は、一個の建物というよりは、城の出丸といった雰囲気を漂わせてくる。
大きくなってくるのは、建物から響く、何かを硬いものに打ち付けている打撃音と絶叫。シフォンの説明を聞いていなければ、拷問に近いようなことをしているのではないかと錯覚する。
「あそこでやっているのは、普通に訓練だよね」
「行けばわかるさ。それに痛いのも怖いのも最初のうちだし」
「怖がらせるな」
そうやって、話しているうちに、剣皇神殿に近づいてくる。
そして、壁面にデカデカと剣皇の紋章が書かれているのが見えた。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
剣皇の紋章とはいっても、樹にしては既製品でしかないので、笑い死にたくなるし、それを我慢しなくてはならないのは拷問だった。




