彼らの仕事の一コマ3/3
「あれは駄目だな、また来る」
商人たちが去って少し。少しだけ時間が経っていたその場所。
取り上げた荷を眺めながら男がぽつりと言った。
「じゃあ、」
「ああ、始末して来い」
「分かりました、すぐ済ませてきます。テオさん俺が行っていいですよね?」
「逃がすんじゃねえぞ」
「分かってますって。じゃ、行きましょうか」
その言葉に反応してひとつの荷を覗き込んでいたレオンが顔を上げて男の方に向き直り、これから行うべきことを理解しながら形だけ尋ねたかけた。男がその問いが最後まで発されるのを待つことなくそれを言った。
それに頷き返事をしたレオンは次にテオバルドに目を向けて確認をしてから、他に数人いた者たちに声をかけてその場を出ていった。
◇◇◇
「お、お前ら……さっきの……!?」
商人は後ろに下がる。前からこっちに向かって来るスーツの者に気がついたからだ。しかし後ろに下がった彼は後ろにいる者にぶつかり、それ以上下がることが出来なくなる。
「何、何してる! 早く……!」
商人の焦る声は途切れることになる。後ろを急かそうと振り向いた彼はそこに迫るスーツの者をまた見ることになったからだ。
それは前後を塞がれた商人が慌てて確認した横の道からも同じように。
「な、なんで」
「あれ? さっきの方ですよね? 何でそんなに逃げようとするんですか?」
前に向き直り、自分達を解放したはずの彼らがなぜ追ってきたかのように迫り、囲むのか理解が出来ない商人はつっかえながら言葉にならないものを言葉にしようとする。
そんな彼らの狼狽ぶりを見ながらゆっくりと歩いてき、素知らぬふりで尋ねるのはレオン。
商人ら三人が今や身を寄せ合うように背中合わせ――本当は三人共が異なる方向を見て下がりたがっているためにそう見える――になっている内に、彼はその奇妙な光景の前に立ち止まる。
商人は目の前に立ったレオンを見ながら、服の中、そして顔に汗が湧いてきたかのように大量に流れるのを感じる。
それは彼のその再びの突然の出来事に真っ白なはずの頭の中、先ほどまで垂れ流しにしていた愚痴とこれからの計画が回っていたからだ。さらには、それを目の前の者に全て知られているような錯覚を覚える。
「もしかして、またいけないことでも考えてたんですか?」
首を傾げてみせるレオン。わざと具体的なことは言わない。
「……い、いえ、まさか」
「ですよねー」
明らかに何かを誤魔化す商人。その隠しようもない流れ続ける汗、泳ぐ目を見ながら口先だけ相づちを打ちながらレオンは思う。これは疑う余地もない、と。
「まあ、あなた方がどれだけここで何を言おうと、もう関係ないんですけどね」
「……は」
肩をすくめて見せながら聞こえないようにとかいう配慮もなく音量はそのままに、彼は言う。
対して、その言葉が聞き取れながらも、咄嗟に理解が出来ずに呆けた声を開いた口から出す商人。
「ボスが『また来る』って言うのなら、あなたたちはさっきの今で図太い神経でいや無い神経でまた来る計画でも立ててたんでしょう。いけないものをこっそり持って入ることも込みで。まあちょっと聞こえちゃってたのは否定しないですけど」
「それにその様子じゃあちょっと」と周りのスーツの者と同じくスーツの中に手を入れながら、笑って話すレオン。
石のように固まる三人を取り囲む五人のスーツ姿の者たち。
彼らがほぼ同じタイミングで取り出したものに三人は思わず息を凝らす。
「ま、待っ……」
「助けてく、下さい!」
「もうしません! お願いします!」
向けられたそれに息を潜めたのは一瞬。すぐに堰を切ったように乞う言葉を身体は動かさない、下手に動かせないままで叫ぶ。それこそ同時に。
自分だけは。頼む。と。
「ボスのチャンスを見逃して、そのときに身の程を考えなかった自分の性格をあとで反省でもして下さい」
こんな状況だとは思えないほど普通の笑み。
それを目にした商人はあらかじめ知っていたこの地の暗黙のルールと、それに付属する情報を突如頭に甦らせる。
その頭にちらつくのは、何か。
「さ、最初から荷を奪って消すつもりだったな……! あの――――悪魔め!!」
銃声が、響く。響く。
その後、何かが倒れる重い音が三回。
「まあ、反省できればですけど。それに言いがかりはみっともないですね」
声を上げることもなく倒れたそれらを見ながら、レオンはまた肩をすくめて見せた。
それを見せている者の目は何も映していないことを分かっていながら。
いや、その商人が最後に見たものはきっと数秒にしか満たないほどにしか目を合わせなかった見なかったはずの、あの赤の目。
「商売人っていうのは強かなんですねー。根っからなんでしょうか」
「さあな。さっさと片付けよう」
「ですね」
自分達の脅しはそれほど効果を成さずに、またここに来るつもりだったらしい者たちを見て彼らは話す。後片付けをし始めようと、すぐに話題はずれていったが。
持ち込んだ薬が問題の薬であることをを認めさせる男の質問から、男を始めスーツの者たちが商人たちを多少の痛みと共に脅しただけで解放するまでが猶予。
男はその間その三人の内で、全てを任されていると見える商人をじっと見ていた。観察していた。そしてその目に決して消えることのなかった卑劣な色を見た。
口で、恐怖で謝ろうとも。
解放され、地下を出ていく瞬間に強まったそれを。
結果、男はひとつの判断を下した。芽を摘み取るための。
「戻ったら今度は荷の処分かあ」
「荷のほとんどは薬でしたもんね」
「葉巻も棄てちまうんですかね」
「だろうな」
「ボスくれないっすかねー」
「言ってみればいいんじゃねえの。問題の薬じゃなけりゃくれるかもしれないしな」
「テオバルドさん取ってるんじゃないんですか」
「あり得ますねー」
「いやあの人ボスが棄てろって言ったら棄てるだろ」
「ははは、でしょうね」
「レオンただ相づち打ってるだろ」
「だって俺葉巻吸わないんで棄てられても棄てられなくてもいいですもん」
「何をーてめえ興味津々に見てただろー」
「それはそれですよ」
「結局くれるっすかね?」
ボスの言葉を速やかに遂行し、その跡を片付ける面々。
その過程で地面を汚すものが何であれ、手につくものが何であれ、引きずるものが何であれ。……彼らはただあとは片付けるだけのそれには、目は向けても一欠片も興味と言えるものは示すことはなかった。
◇◇◇
「いつあんな情報が来てたんですか?」
そのとき地下には二人の男が残っていた。
立ち上がり荷を眺める男の背中に、残ったテオバルドは尋ねる。
「昨夜ちょうどだった。テオ葉巻は大丈夫だろうと思うが、どうする」
妙な薬と葉巻はまた別。葉巻は嗜好品。
表向きの商品である葉巻には何も仕込まれていないだろう。男は振り向いたついでに、荷からひとつ手に取った葉巻の小箱をテオバルドに見せて尋ね返す。
「どうするって貰ってもいいっていうことですか? 北にいるということですかあいつは」
「問題がなければな。北にいるかどうかは分からん。聞かなかった。もしかすると元々その情報は持っていてこちらにその疑いの商人が来ることを嗅ぎ付けたのかもしれない」
「それか今ちょうど北にいるか」と昨夜――というよりは日付は回っていたので今日というのが正しいのだが――男が書類を捲っていたときにその情報はやってきた。
机の上の電話のベルと共に。
「それがタイミングが良すぎるが目先の取引のことなのか、それともまだ先にやって来るのかは定かではなかったがな」
それを考えていたから、今朝出ながら考えがひとつ男の口から出ていた。「今日の取引は無駄になる」と。可能性のひとつであったからそのあとそんな気がするだけだとだけ彼は言った。
あの商人たちは大方北の方を引き払って、まだその情報が回っていないような場所を狙ったのだろう。
「車の中ででも話しておけば良かったな」
結局情報にあった薬であったようなので自前に話しておけばよかったか、と男は今更ながらだがぼそりと呟く。
「無事追い払えたのでいいじゃないですか」
差し出された小箱を受け取りながらテオバルドは過ぎたこと、とその懸念を払う。
「まあそうだな」
「それより荷の処分ですね」
「ああ。薬はまず処分するが、葉巻がもったいない気がするな。好きなだけ持っていけと言いたいが、」
机の上に一箱だけ出されていた薬の箱を大量に同じデザインの小箱が入っている木箱に放りながら、男は荷の処分の話をしながらその言葉を一旦切る。
「元は商品だからな」
「そこですか。俺はここのことに通じておきながら余計なもん持ち込もうとしたことの罰金代わり、って思ってます」
「確かにな」
葉巻の小箱の入ったいくつかの木箱を見ながら二人は話す。
「いる分だけ持っていけと言ってお前たちが過剰に吸い出すとかなわないからな……」
「……」
どうやら、ここにいない始末に出ていった者たちにもあげることを考えているらしい男。その考えの途中の言葉に、テオバルドは何も言えなかった。
「木箱一箱、は多いな。一箱の半分だけ残して処分するか」
「分かりました」
「その代わり」
考えた時間は短く、すぐに結論を出し、テオバルドに向かって言った男は机に向いたかと思うと、端に置かれている小箱を取る。
最高級の葉巻。それを軽く放る。
「テオにはこれもやろう」
「え、いいんですか?」
「俺は吸わないからな」
「ありがとうございます!」
ただひとつだけ、段違いに質の異なるそれを受け取ったテオバルド。思わず口許を緩めて男に頭を下げる。
「俺に礼を言われてもな」
その男はというと口調は苦笑気味に、だが表情はなくまた異なる方を向く。
薬の小箱が大量に入っている箱たちの方だ。それをじっと見ていたと思うと、すっと手を伸ばして封の切られていない一箱取り、そしてスーツの中にしまう。
「サンプルですか?」
「ああ。帰ったらセルジュに任せようと思ってな。葉巻の方も回すか」
どうやら一応成分を調べるらしい。
「ただいま戻りました!」
そこに、元気な声と共に戻ってきたレオンが現れる。
勢いよくドアを開けて。
「お前ええ! ドア壊れるだろがレオン!」
「えー、こんなんじゃ壊れませんよ。壊れるならドア本体じゃなくて蝶番ですねきっと。ボス! 片付けまで終わらせました!」
「そうかご苦労だったな」
「そうでもないです!」
ドアを吹き飛ばしかねない勢いで戻ってきたレオンにテオバルドが注意するものの、いつもと同じくそれはあっさりと流される。
流れるように男の方を向いてビシッ背筋を伸ばしたレオンは簡単な報告をし、男はそれを労う。
それさえも、さっきしてきた作業を思い返したレオンは軽く否定したが、これは上司と部下のやり取りの範疇だろう。
「あれ? それ最高級品のやつですよね確か」
男に溌剌と返事をしたレオンはふとまだテオバルドの手の中にある小さな箱を見て、それが商人が最高級品だと差し出したものだ、とたまたま残っていた記憶と一致させ口に出す。指をさしながら。
テオバルドはそれを聞き指された自分の手元を見下ろして、しまった、という顔をする。
「テオさん猫ババですか?」
「違うに決まってんだろ!」
「あー、ボスに貰ったんですね。皆さんに言っちゃいましょーっと」
「何でそこで黙ってるっていう選択肢が出てこねえんだお前は!」
レオンとってはどうでもいい情報を聞き、彼は外に出ようと入ってきたばかりのドアの方へ進む。それをテオバルドが止めるために、スーツの襟を掴もうと手を伸ばす。
「あ、」
「あ? ……いってえ!」
スーツの襟を掴まれる寸前、レオンが何かに気がつきドアの前から退く。直後ドアがレオンのときのように……とまではいかないが普通よりも勢いよく開く。それはレオンがいなくなったことにより、テオバルドに直撃する。
鈍い音がした。
「うわ、大丈夫ですかテオさん」
「お前が退いたからだろ……」
「だって、ぶつかるって分かってるのにそこに留まらないでしょう?」
いくらか後ろに下がりながら額を押さえるテオバルドに、レオンがドアの横から戻ってきて儀礼的に心配の言葉をかける。
それに、ぶつかる前より落ち着いた声のトーンでテオバルドが応じる。
そんな二人の前に開いたドアから入ってきた者たちが立つ。
「あれやっちまったあ。テオさん大丈夫ですか?」
「大丈夫だろ、そんなにでかい音しなかったしな」
「いや音しない方が地味に痛いって聞いたことあるような気がするっす」
「え、マジで? すみませんテオさん」
「というかテオバルドさん何か落としてますよ」
心配をしているのかしていないのかという会話が途端に広まる。あげくの果てには、テオバルド自身が口を開く前に話題が移ろうとする。ある一言によって。
入ってきた者の内一人がテオバルドの近くに落ちているものが彼のものであると判断したらしい、それをひょいっと拾い上げる。
「葉巻だ」
「葉巻だな」
「葉巻っすね」
その手元を覗き込むさっき入ってきたばかりの者たち。自然に開けられた箱の中身を見て、きれいに並べられているものの名前が呟かれる。
「最高級品の」
次いで、取引の最中にレオンと同じく部屋の中にいた者の内一人がその箱を覚えていたらしく、その品質を呟く。商人が言っていたことを思い出して。
すると葉巻を囲んでいた者たちは今度はそう言った者を見る。そしてまた葉巻に目を戻す。
「気づかなかったな、こりゃあ」
「これがかあ」
「やっぱり違うんすか」
「違うだろ。知らないけどな」
「知らないのかよ」
その会話を聞きながら額を違う意味で押さえるテオバルド。見つかった、という感じだ。レオンはその横で「テオさんどんまいです」と同じく会話を聞きながら呑気に言った。
「あ、それより報告だ報告」
「思い出す順序おかしいだろお前ら」
葉巻の箱を拾った者が一転思い出したかのように言ったものだから、テオバルドが思わず口を挟む。
「テオバルドさんがこんなもの落とすから悪いんですよ。というか結局これテオバルドさんのものになったんですか?」
「ああ俺のだ」
「報告ならしましたよ。結果だけですけど」
「報告ありがとう。じゃあ詳細は僕らがっていうことで」
「おい返せ」
「これは後で要相談ということで」
「ボス、荷はどうされますか?」
そのまましまわれる葉巻の小箱。それを返すよう要求するも、要求を弾かれるテオバルド。彼は今夜あの葉巻を囲んで話し合いが開かれるだろうと、予感ではなく確信した。
そんな彼らを余所にようやく葉巻から目を離した者の内、また荷の方を向いていた男に声をかける者。
それにゆっくりと振り向く男。その顔に表情らしきものは見えないが、別にこの状況に怒っているわけではない。それはいつものことで、繰り広げられていたような会話もほぼいつも調子のことだ。
ただし彼らが男を舐めている、ということはまるであり得ない。その男に逆らえる者、逆らおうとする者はこの場にいないからだ。
「薬はすべて処分。葉巻は木箱一箱の半分だけ残してもいい」
「はいすぐに取りかかります」
「報告は書面でした方がいいですか」
「戻ってから口頭で聞く。俺はこの後ついでの用事を済ませる」
「はい」
そんなやり取りの中。木箱一箱の半分、その言葉に首を傾げる者が一部。
「残した葉巻どうするんすか」
「馬っ鹿ボスがくれるってことだよ」
「え、マジっすか。ありがとうございます!」
その疑問はその周りで解消されたが。
勢いよく頭を下げる者。それを叩きながら仕事に促す者。木箱に手をかける者。
男はそれらとすれ違いながら外に出る。
「あ、ボス。外雨が降り出してましたんでお気をつけて」
「どうやって気をつけんだよ」
「濡れたら身体が冷えるだろ」
「なるほど」
外は、一人が男の背中に向けて言った通り空を覆う分厚い雲から雨が降り始めていた。冷たい雨が。
男が息を吐くと僅かに白いぼんやりとしたものが出て、消える。
「もうすぐ冬か……」
寒さの満ち始める外へ踏み出す男は、異なる仕事を片付けるべく足を動かす。
その後ろからは二人の者が続く。そのまた後ろでは後片付けをしている者たち。
これが彼らの仕事の一コマ。
男の目が後ろを向くことはない。