第四章 玉座の選定 Ⅰ
ブジャル公イラノフの遺体が発見されたのは、ルブリン郊外の林道であった。死体を見つけた兵士たちはどうやら逃げる途中で農民などに襲われたようで、貴重品が奪われている、とレオに報告した。ところが、現場にかけつけたレオは、首をかしげることになった。周囲のイラノフの兵士たちと馬の死体が綺麗に身体を上下二つに切断されていることに疑問を持ったのである。
だが、いつまでもレオはイラノフ殺害の下手人が誰でどのようにイラノフらを殺したのかということにばかり関心を払うことはできなかった。
レオにとって大切なことはイラノフの死の原因ではなく、イラノフの死、そのものであった。イラノフの死によってルブレシアの内乱はほぼ決着したと考えられ、レオにはこれからの戦後処理について頭を悩ませる必要があったのである。
イラノフの死から十日後にはイラノフに組した諸侯のほとんど全てがイーダに恭順の意を示す使者を遣わした。ブジャルに集結し始めていたイラノフ派の諸侯の兵も、イラノフが募集した傭兵たちもイラノフの死を聞くと同時に解散した。その一方で帝国から一万の遠征軍が帰還し、イーダに忠誠を誓った。もはやルブレシアの覇権はイーダに移ったように、ルブレシアの多くの庶民は思った。
だが、事態はそれほど単純ではなかったのである。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ルブリンのある貴族の館に、ルブレシアの有力貴族が集っていた。それはイーダの即位に対する会議であった。
「確かにイーダ殿下は女子であるとはいえ、ルブレシア王家の血も濃く、王の資質にも事を欠きませぬ」
ある貴族は会議でそう述べた。そして、周囲の賛同を得ると、もう一言付け加えた。
「が、それと同時に狙った獲物を丸ごと喰らおうとする大蛇の子でもあるのですぞ」
これは、イーダが強大すぎる隣国の王女であることを示唆した発言であった。偉大な先王であるジグスムントの御世でさえ、弱体なルブレシアは半ばハルガリアの属国のような立場に立たされていた。そして今度はハルガリア王の娘がルブレシアの玉座に就くのである。そうなればより一層、ハルガリアからのルブレシアへの介入は増し、最終的には併合されてしまうのではないのか、という危惧がルブレシア貴族全体にあったのである。この危惧こそが、イラノフがイーダ以上の軍勢を動員できた理由であり、イーダ側についた貴族たちの中にも同様の危惧は確かにあったのである。
そして、この貴族は次のような提案を行った。
「イーダ殿下には即位と同時にルブレシアの有力者と結婚して頂こうではないか」
つまり、イーダが女王として即位すると同時に、ルブレシア人と結婚させ、そのルブレシア人を国王として迎え、ハルガリアの影響力を少しでも排除しようと云うのである。
この提案は多くの貴族たちに支持され、具体的な候補者の選抜に入った。
三日間、昼夜を問わず激しい議論がルブレシア貴族たちの間で行われた。その結果、イーダと結婚し、共にルブレシアを統治する候補者は三人の人物に絞られた。
その一人はマゾフ公爵である。ブジャル候と同等かそれ以上のルブレシアの名門で貴族であり、血統からすればまず、申し分のない人選といえた。ただ、既に四十代半ばに差し掛かったマゾフ公爵とまだ二十にも満たないイーダとの結婚は本人を説得すること困難が感じられた。また、先の内乱でリヴォニア軍の通過こそ許可したものの基本的には中立的立場を取っていたこともマイナスといえた。
二人目はポメラニア候である。年齢はやはりイーダよりも高く、三十代に差し掛かっているが、貴族同士の婚姻では決して珍しくない程度の年の差と云える。また、ポメラニア候はルブリンの攻防戦にこそ参戦しなかったものの、ルブレシア南部でイラノフ派の貴族と戦い、これに勝利しており、内乱における功績という点でもまず問題なかった。
三人目はシレジア子爵であるアンジェイである。前回の騎士試合の勝者であり、それをきっかけとして先王に重く用いられた人物である。先立っての帝国遠征には序列三位の指揮官に命じられている。能力、年齢は他の二人の候補者よりも遥かに勝っているが、爵位が子爵に過ぎないという点で大きく他の二人に見劣りした。
それから続いた議論では一時期ポメラニア候が貴族たちの期待を背負ったが、結局、まずはアンジェイにイーダとの結婚を打診しようという結論に達した。
その大きな理由は、帝国から帰還した遠征軍一万人の兵権を事実上掌握しているのが彼だったからである。強大な武力を持つアンジェイを差し置いて他の人物を推すことは憚られたのである。
そして、ルブレシアの玉座という魅力的な提案を若く、才能の溢れる貴族が断ることなど、彼らは考えもしていなかったのである。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
話が纏まったその日の内に、アンジェイは大貴族らに呼びつけられた。
アンジェイはルブレシア人の中では体格に恵まれている方であった。そして、戦場で鍛え上げられた肉体は、ごつごつとしているが、それでも生まれ持った気品が備わっており、レオと同様に貴公子然としたものだった。
「お断りいたします。」
今年で二十四歳になった、若いこの貴族は端的に大貴族たちの提案を拒否した。そればかりか、自分よりも高位な貴族たちを強く批判したのである。
「そもそも、あなた方は既にイーダ殿下に忠誠を誓った身のはず。臣下の身でありながら君主の結婚相手を勝手に決めるなど分を弁えぬ行為ですぞ!」
アンジェイは云って、青い目を細めて、大貴族らを鋭くにらみつけた。若くして、大軍を指揮する若き勇将の眼力を前に、その場にいた貴族の大部分が身を固くした。
「失礼いたします」
そんな貴族たちの様子を冷ややかな目で見ながら、アンジェイは一礼し、その場を去っていった。
アンジェイが居なくなると同時に、場の緊張が緩んだのが、明らかに感じられた。そして、それは人の感情と口の栓をも緩めた。
「あの若造が! ワシらが王位につけてやろうと云っておるのだぞ! 子爵風情が付け上がりおって!」
憮然としながら机を叩いたのは候補者から脱落したマゾフ公だった。それに対して貴族の半ばがそれに同意を示した。この話し合いの場にいるのは大部分が伯爵以上の爵位を持つ人物であり、子爵であるアンジェイの毅然とした態度に腹立たしい思いを喚起させられたのである。
「じゃが……」
怒りで熱された室内に、しがれた静かな声が通った。それは特に巨大な領地を持つわけでもないが、少なくとも形式的に地位は彼らの上位にある、議長のものだった。
「どうするのかね、君たちは? シレジア子爵のあの様子、他の誰を我らが推挙しても武力で反対するほどの勢いじゃったが」
議長のこの言葉に、他の貴族たちは一斉に押し黙った。権力基盤の弱いイーダに要求を飲ませる為のこの会合だったが、アンジェイがイーダの意志を尊重するとなれば、イーダのルブレシアにおける権力は大きく強化されることになり、そもそもの前提が崩れるのだ。
押し黙った貴族たちの顔を見渡しながら、議長はため息をついた。年老いた身体で、出たくもない会議に出席させられることが、彼には苦痛だった。議長は、イーダとルブレシア貴族を結婚させることに乗り気ではなかったのだ。政治家としての彼は、確かにその必要性を感じてはいた。だが、彼にはイーダの隣に、あの溌剌とした黒髪の異教の王子以外が居るという想像は、非常にし難かったのである。
そして、アンジェイの言葉によって、この日を境に、イーダの即位と婚姻を巡る議論は遅々として進まなくなったのであった。
次は最終章といいつつも、敗戦処理の辺りで結構ページ使うことに気がついたので第四章をつくりました。
え? そんなことより、GW中に上げるんじゃなかったのかだって?
いや……枚数はちゃんとこなしてるんですが、結構穴抜けさせながら書いてるので思ったより投稿できる原稿が書けなかったんですよねぇ。
玉座の選定は6話の予定です。
容量的には内乱の半分以下ですが、場転が多いので6回になる感じかと。