第三章 内乱 Ⅸ
「踏み潰せ!」
リヴォニアの騎兵隊長の一人が叫ぶ。それは比喩でもなんでもなく、部下に手本を示すかのように、彼の愛馬は次々にイラノフ軍の歩兵を踏み潰して進んでいく。
「突き崩せ!」
別のリヴォニアの騎兵隊長が叫ぶ。彼もまた、自身の言葉に忠実に、手にした長槍によって逃げ散るイラノフ軍の歩兵の背中を次々に穿っていく。
「リヴォニアの騎兵隊だ! 逃げろ!」
「狭路だ! 狭路に逃げこめ!」
同じ叫びでも、先のリヴォニア軍のものに較べて、イラノフ軍のものは相当に必死なものであった。前者の叫びには、明らかに自身が狩る側であるという優越感が含まれているのに対して、後者の叫びは、今まさに猛禽に食いつかれようとしている小動物が懸命に逃げようともがいている際の悲鳴のそれに感じられる。
だが、レオは狩る側にありながら、狩猟にはほとんど関心はなかった。レオの関心を占めるのは、銀髪の少女のことだけだったのだ。
「逃げた敵に構うな! 我らの目的は白鷲城までの敵軍を排除し、イーダ殿下と合流することにある!」
レオのその言葉が全軍に伝わる前に、部下の一人が叫んだ。
「殿下! あれは!」
部下の一人が指し示したその先にあったのは、レオが捜し求めていたものだった。
「緑の地に白銀の梟……ハルガリア王家の紋か! 全軍あの旗を目指し突撃せよ!」
云うが否やレオは馬首をハルガリア王家の紋章の方へと向け、馬を駆った。
「殿下!」
レオの急な動きに遅れをとった部下の幾人かが単騎で突撃を開始したレオを制止しようとするが、叶わず、レオの背中は混戦の中に消えていった。
「何をしている! 殿下に続くぞ!」
思わずレオの背中を見送ってしまった同僚に、そう声を掛けたのはユルギスであった。そして、レオと同様に、単騎、戦いの渦中に突入していった。ユルギスの声に我に返ったリヴォニア人たちは、慌ててその背中を追いかけた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「イーダ殿下!」
レオは自分の愛する異教の王女の名前をひたすらに叫んでいた。その声のほとんどは、戦場の金属と、悲鳴との地獄の合奏によって掻き消されているが、それでもレオはひたすらに叫び、馬を駆る。途中、槍や剣で行く手を阻まれようとも、ただ槍を振るい、道を切り開く。その鎧は既に紅く染まっていた。
「イーダ殿下! いらっしゃるか!」
そして、遂にレオはハルガリア王家の旗へとたどり着いた。そして、剣を取り味方を指揮するイーダの姿を見出した。
「イーダ!」
レオがもう一度、力の限り叫んだ。すると、イーダの方も視界の片隅にレオの姿を捉え、レオの方へと馬を進めた。
「イーダ! 無事で良かった……」
「レオ……」
馬を隣り合わせに、二人はお互いを見つめあった。レオの黒瞳には、小さく細い身体に鎧を纏った銀髪の戦乙女だけが、イーダの空色の瞳には黒色の髪をした、紅く染まった鎧を着た真紅の王子だけが映されていた。
「私、逢いたかった……ずっと待ってたわ……」
イーダの声は感極まり、震えていた。この短い言葉の中には、この約一ケ月の間に激変した環境にあって今まで漏らすことのできなかったあらゆる感情が篭っていた。
「ああ、遅くなってすまない……」
レオはその感情を受け止め、無意識に右手をイーダの少しだけ桜色に染まった頬へと伸ばそうとした。
だが、自分の手が血まみれであることをレオは思い出した。思わず手を止め、レオは手を何かで拭おうと考えた。ところが、自身の身に着けるものは既に全て血塗れであり、レオの右手は行く先を失ってしまった。
そんなレオの右手を、イーダの白い手が包んだ。そしてそれを愛おしそうに自分の頬へと押し当てた。
「汚いですよ、イーダ殿下」
「私の為に汚れた手ですもの。どうして私だけが綺麗でいたいと思うでしょうか」
それを聞いたレオは、もはや躊躇わなかった。固い鎧の上から愛しい少女を抱きしめた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「レオ殿下!」
「うおっ」
突然の呼び声にレオは驚き、思わずイーダを離し、背筋を伸ばした。
「そういうのは戦いが終わってから、二人っきりでやってもらいたいものですが。ハルガリアの将兵も困っておられます」
レオが振り向いたその先に居たのはユルギスだった。栗色の髪は酷く乱れ、頬には血がこびり付いている。疲労も凄まじいのか、呼吸と同時に大きく肩が揺れ、空気を吸い込む音が聞こえた。
「……大丈夫か?」
レオはユルギスのいでたちに思わず心配そうに声を掛けたが、ユルギスは頬を引き攣らせながら、怒ったような声を上げた。
「殿下がそれを言いますか……。殿下、あなたの無茶に付き合わされる身にもなってください」
ユルギスの至極もっとな言い分を、レオは一度咳払いしてから誤魔化した。
「それにしても、イラノフはどこにいるのだ。どうも戦禍は収まりつつあるようだが」
しかし、レオの問い自体は正鵠を射ていた。未だ背後では戦いが続いているのがわかるが、その規模の縮小は誰の目にも明らかであった。ユルギスも、レオが真剣になったのを感じ、表情を改めて応じた。
「何人か、城壁の上に回して情報収集を行っています。しばらくお待ちください」
この言葉から数十秒後、一人の騎兵がユルギスの下へと近づいてきた。レオの姿を認め、下馬しようとした彼をレオは押し留め、そのまま報告するように命じた。
「どうやら東から攻撃を加えていた部隊の一部がイラノフ軍の集中的な反撃によって突破され、そこからイラノフは逃走したようでございます」
「ふむ……」
報告を受けたレオは、しばし思案顔になったが、やがて次の行動を決した。
「イーダ殿下は一度城内にお戻りください」
「レオ殿下はどうなさるのですか?」
レオは馬首を東へと向けて答えた。それは、イラノフが逃走した方角であった。
「俺はイラノフを追う。ここで奴は斃さなければならない」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
イラノフの本拠地であるブジャルにはなおも兵が続々と集結しつつあるという報告もあり、イラノフがブジャルへ帰還すれば、この内戦が長期化する可能性が十分にあった。その場合の父の出方がわからない以上は、イラノフはここで必ず斃しておかねばならなかった。
その頃、イラノフは人目を避けるようにたった数騎で森の中を駆けていた。本拠地であるブジャクへは街道を通った方がもちろん早かったが敗残者である自分を、道中の諸侯がどう扱うかは分かったものではなかったのである。
「あん?」
激しく揺れる馬上でイラノフは、自身の先に何か糸のようなものが張っていることに気がついた。それは、森の中にある僅かな木漏れ日を反射していた為に、偶々見つけることができたものだった。だが、そこから先の対応はイラノフでなければできないものだった。
「飛べ!」
味方に注意を促すと同時に、全力疾走している馬から飛び降りたのである。例え騎馬民族であっても非常な危険な行為を、躊躇せずにイラノフは行った。そして、この危険な行為を、運と、運以上の実力に拠って無傷でやってのけた。
だが、彼の部下たちは運も実力も圧倒的に不足していた。
ひゅっ、
と短い音がいくつか重なって響くと同時に、イラノフの部下は彼らの馬と自身の首とを木の間に張り巡らされた鋼の糸によって切断されていた。
切断面からは意外なことに血が吹き出るようなことはなかったが、それでもイラノフの周囲に赤色の水溜りを作り始めた。
「誰だ!」
イラノフの叫びへの返答は、石弓による射撃であった。
「くっ」
咄嗟にイラノフは頭を下げ、これを避けることに成功した。そして、逆に矢が飛んできた方角へナイフを投擲した。そして、ナイフが吸い込まれた茂みの中で短い悲鳴が上がったのが聞こえた。
「流石は智勇兼備と誉れ高いイラノフ殿、一筋縄ではいかないようですね」
その声が発せられたのは、ナイフが投ぜられた茂みからではなく、イラノフの右手からだった。浴びせられたその声の冷淡さにイラノフは悪寒を覚え、反射的に身体を動かした瞬間、イラノフの前髪の辺りを、石弓の矢が高速で通り過ぎた。
「貴様……確かブリュンヒルトの手先の女か」
矢の飛んで来た方角……イラノフが視線を向けたその先に居たのは黒装束を纏ったリィナであった。
城門の確保の次にリィナたちがブリュンヒルトに命令されたことは、東門の外に回り、イラノフを討つことだった。
「ええ、その認識で結構よ。今更あなたに名前を覚えて貰っても仕方ないことですしね」
冷ややかな声のままのリィナにイラノフは独白するかのように言った。
「……正直に言って、ブリュンヒルトやお前を侮っていた。ただただ、異教徒との平和を唱えるだけの口先だけの連中かと思っていた。それがどうだ。一国の内乱に此処まで介入した挙句に、教会が自ら禁止している石弓を使うとはな。鷹と鳩と見間違えるとは、俺の目は節穴であった」
「ブリュンヒルト様は見えないところに爪があるのだから仕方ないと思うけれどね」
云って、リィナが片手を上げると同時に、イラノフを囲うように十人ほどの黒装束が姿を現した。
「それでは、ブジャル候……」
リィナが腰から剣を抜くと同時に、黒装束が剣を抜く。十の剣が鞘の中を走る澄んだ音に続いたのは、リィナの静かな言葉だった。
「御覚悟を」
リィナのそれとは対極に、イラノフは毅然と迫力のある怒声で応えた。
「断る!」
切りかかってきた黒装束に対して、イラノフは相手よりも遥かに早い斬撃を浴びせた。
「ぐぅ!」
左から右に薙ぐようなその一撃は、黒装束の下にある鎖帷子を粉砕し、中の人体に致命傷を与えた。
馬上では騎馬民族の血を引くリヴォニア人であるレオに遅れを取ったイラノフだったが、地上においての武勇の力量はレオと互角かあるいはそれ以上であったかもしれなかった。
「はっ!」
「ぎゃっ!」
続けて別の黒装束が繰り出した、剣を突き出すような一撃をギリギリのところで避け、イラノフは無防備になった首に鋭い一撃を浴びせる。黒装束の首が宙に浮き、一瞬の後に胴体部から血が吹き出た。
「見事ね。ブリュンヒルト様の子飼、「漆黒の懐剣」を相手にして」
イラノフの耳は、うっすらとそんなリィナの賞賛を聞き取った。だが、イラノフにはそれに意識を向けるだけの余裕は存在していなかった。
「いかに勇猛でも数の差はどうしようもないでしょう」
リィナの言葉は事実だった。イラノフはさらに一人を討ち取ったが、後ろからさらに別の黒装束によって胸部を貫かれた。
「ふ……がっ……」
イラノフの手から剣がすべり落ち、口からは血が零れる。イラノフを貫いた男はイラノフに突き刺さった剣を抜き、イラノフを蹴飛ばした。身体を貫かれたイラノフは、受身を取ることも出来ずに、無様に地面に身体を打ち付けた。だが、それでも微かに息があるのは、見て取ることができた。
一秒ごとに血の池を大きくしていく敗残の公爵に、トドメを刺そうとリィナは悠然と近づいた。
「――だああああ!」
突然のことであった。リィナに油断があったわけではなかった。一応、指やその他全身の動きに注意を払ってはいたのだ。しかしそれでもリィナが反応できない程の動きを、イラノフは最後の力を振り絞ってやってのけた。イラノフは起き上がりながら、尋常ならざる速さで腰の短剣を抜き、リィナに斬り付けたのだ。
「っ!」
その一撃は、リィナの左手に大きな切り傷を作った。貝殻のように白く無機質な肌とその奥にある紅い肉が裂け、そのさらに奥にある骨にまで刃が当たった。
「往生際の悪い!」
左手に激痛が走ったリィナは一瞬怯んだが、すぐさま痛みを激情に変えて剣を握った右手を力いっぱいに振り下ろした。
ごしゃ、
と短く不愉快な音が小さく鳴った。リィナの力任せの一撃は、イラノフの頸部を切断というよりは叩き潰す形になったのだ。
「がっ……はっ……」
だが、それでも頚動脈が割かれ、脊椎が破壊されたことには変わりなく、イラノフは最後に短く息を漏らしたきり、ばたりと崩れ落ちた。
「リィナ様、お怪我は大丈夫ですか?」
部下の一人が、無機質な声で、リィナの身体を気遣うような台詞を言った。それは、リィナがイラノフに対して発した声と同質の物といっても良く、まったく持ってリィナに正の感情を喚起させなかった。
「ブリュンヒルト様に魔法で癒して頂くわ」
したがってリィナの返答も短く淡々としたものだった。
はい、みなさんお久しぶりです。
作者です^^
今まで更新サボって申し訳ありませんでした 汗^^
いや、しかしやはり就職活動は優先させないと親が泣きますので……
一応内定出ました。銀行です。激務で小説書く余裕がなくなりそうなので、学生のうちにガンガン書いていきます。
さて、最初の頃から噛ませ犬の香りがしていたイラノフが遂に死にました。内乱編は一応、次で終わります。戦後処理のお話になるかと。
内乱編の次はいよいよ三雄並ぶの最終章になります。序章から最終章までで第一巻という形で一つの区切りにしたいと思っています。
従って一巻の内容が出揃ったところで改稿作業をしようかなーと思っています。具体的には登場人物を一人増やしたい。ハルガリアの親衛隊長、お前だよ! 美味しいポジションなのにモブかよ!
今まで読んで来てくださった方には改稿したものを読まなくても2巻からでも読めるように配慮しながら2巻製作を進めたいと思っています。
でも自分の力量だと、正直改稿したものが圧倒的に完成度高くなってしまうと思うのでぜひ改稿したものも読んであげて欲しいです。
改稿は、全部まとめて行ってから入れ替えるので活動日記とかで告知します。
おそらく、またGW中に会いましょう!




