第三章 内乱 Ⅷ
「急げ! 城門が閉ざされる前になんとしても突入するのだ!」
リヴォニア軍の先頭を切るユルギスが叫ぶとほぼ同時に、イラノフ軍もまた切実な叫びをあげていた。
「早く! 早く! 城門を閉じろ!」
部下に向けて放たれたその叫びは命令と云うよりは悲鳴であった。一秒ごとに近づいて来る、精強と名高いリヴォニア騎兵の馬蹄の音が彼の恐怖を加速させる。
迫まりくるリヴォニア軍に恐怖を感じていたのは、何も士官だけではなかった。
「間に合いません!」
傍にいた兵士が、そう士官に訴えた。それは、冷静な分析によるものではなく、感情的なものであったが、その訴えは正確であった。そして、士官のほうも、理性ではなく、恐怖と云う感情に基づいて、それを容れた。それは、結果としてこの二人の生命を救った。
「ぐ……逃げるぞ! 引け!」
云うや否や、士官とその兵士は城門から引き上げていってしまった。残された閉門作業をしていた兵士も慌ててその後を追うが、その中の足の遅い一人が、城内に突入したユルギスに追いつかれてしまった。不幸な彼は、ユルギスの馬の前足で強かに蹴り飛ばされ、地面に叩きつけらてしまった。
「がっ……」
地面に倒れた男の喉下に、ユルギスは槍の先を突きつけ、現在のルブリンの状況を尋ねた。命の惜しい男は、自分を見捨てた上司や、もはや敗者となりつつあるイラノフに対する忠誠心をあっさりと捨て、自分が知りうる全てを早口に述べた。
「殿下! この者が云うには、現在、イーダ殿下は内城壁にて戦っているようです」
レオは先陣のユルギスに続いて入城を果し、その報告を聞くと、直ちに命じた。
「よし。ならば城壁の上に直ちにリヴォニアの旗を掲げよ! それで援軍が来たことがイーダ殿下にも伝わることだろう」
南城壁に掲げられていたブジャル候の旗が下され。代わりに赤地に二騎の騎兵がやり先を交わしているリヴォニアの旗が掲げられた。
☆ ☆ ☆
激戦の中可能な限り兵を掻き集め三百騎程を揃えたイーダは、北門からルブリンを脱出する予定であった。だが、残留組のはずであった士官の一人が歓喜の声を上げながらイーダの前に参上し、事態は大きく変わった。
「殿下!」
前に駆け寄り、跪いた士官に、イーダは尋ねた。
「何事ですか?」
それに対する士官の答えた声は明らかに高揚していた。
「南城壁にリヴォニアの旗が掲げられています。援軍です! 援軍が来たのです!」
そして、その高揚は、その場に居た全員へと伝播して云った。
イーダもまた、その高揚を隠すこともせず、歓喜に満ちた声で命じた。
「近衛隊長」
「はっ」
「事情が変わりました。私達はこれから南門を開き、正面から敵にぶつかり、外城壁からくるリヴォニア軍と共にイラノフ軍を挟撃します」
「了解しました」
その命令に、これまで逃亡を勧めていた近衛隊長も依存はなかった。もはや状況が変わったことは誰の目にも明らかであった。
イーダは、銀髪で覆われた頭部に、華奢な兜を被り、抜刀し、高らかに宣言した。
「勝利は我が手にあり!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「城門の閉門に失敗! リヴォニア軍が乱入してきます」
イラノフは、急激に悪化する事態への対応を迫られていた。
「後方の予備部隊にリヴォニア軍の進撃を阻止するように連絡しろ! 建物が多い市街地まで敵をひきつけて迎撃せよ! いかにリヴォニアの軽騎兵とは云え、雑多な場所では動きがとまるはずだ!」
これは良策であったが、命令を発したタイミングが問題であった。この時、既にリヴォニア軍は自軍を四百人の部隊十つに分け、尋常ならざる速度で南ルブリンの主要な道を北上し、予備部隊に襲いかかろうとしていたのである。従って予備部隊は、この命令を聞く前に、リヴォニア軍との先頭を開始することになったのだった。そして、それだけでなく、十隊の内の一隊ずつが、西と東から回り込み、南門に展開するイラノフ軍の側面を突こうとしていた。
「それから東門の友軍には内城壁の攻撃を中止し、外城壁の東門の確保に専念するように命じろ」
この命令の方は正確に実行され、東門のイラノフ軍一千騎は戦闘を止め、外城壁まで後退した。この命令は自軍の退路を作るための命令であった。イラノフの領地であるブジャルはルブリンから南東に位置している。最短で向かうには南門から出た方が良いが、リヴォニア軍が南から現われた以上、東門を確保するのが最善であった。
「リヴォニア軍が予備部隊に攻撃! 場所は本陣のすぐ後背です! 先の命令はもはや実行不可能です!」
「内城壁の南門が開門! ハルガリア王家の旗を掲げて突撃してきます! 数、五百」
「リヴォニア軍の一部が、西と東に回りこんでいます!」
新たに行われた三つの報告に、イラノフは舌打ちした。このうちの城門から打って出てきた兵力に関して、報告は誤っており、実際には三百騎であるのを五百騎として報告していた。これは、報告していた兵士の敗北を悟った心理が関係していたかもしれなかった。
「包囲攻撃か……」
正面にイーダ軍の三百、両側にリヴォニア軍の四百、後背にリヴォニア軍の主力三千二百に攻撃されたイラノフ軍は、急速にその戦力を減少させていった。その原因は、戦死者や負傷者によるものよりも、混乱による統率の崩壊にあった。
「味方は大きく混乱し、直近の部隊を除いてはほとんど指揮系統が機能しておりません。どうなさいますか、閣下」
この時、西門や北門にいるイラノフの友軍が包囲するリヴォニア軍の背後を攻撃すれば、イラノフの窮地を打開したかもしれなかったが、イラノフ以外に正しい戦術眼を持つ者が、不在であったことが、西門と北門の兵力を半ば遊兵としていた。彼らは、目まぐるしく変化した状況について行けず、もはやほとんど意味のない内城壁に対する攻撃を続行していた。
「やむをえん。本隊だけでルブリンを脱出し、再起をはかる。東門へ向かうぞ!」
イラノフは、悪化する戦況の中、逃亡を決意した。それは、イーダの下したものよりも迅速で、的確であった。
うむ……思っているよりどんどんどんどん内乱編が長引いていく……今度こそ後2話のはず……