王太子と婚約せよと言う王命 その1
「ねえ、アレン。わたくし、アレンと結婚したいわ」
「はああ、姫様。そりゃ無理だよ。俺と姫様じゃ身分が違う」
「身分てなあに?」
「身分は身分さ。俺に出来ることは姫様やレオン様を護ることくらい。姫様は大公令嬢だし、帝国の皇帝は大伯父だろう?姫様の望みはだいたい何でも叶うんじゃない?出来ること出来ないことの差が身分だろ」
「じゃあ、わたくしの身分なら願いはだいたい叶うのね」
「まあそうだと思うよ。お日様が西から昇るとかじゃなきゃ叶うんじゃない」
幼いわたくしに、身分を教えてくれた3つ年上の兄の従者見習い。
黒い髪に、日に焼けた大きな身体、太陽みたいな温かい笑顔の彼が、初めてあった日から大好きで。
なら、わたくしの望みは叶うのね、と満面の笑顔を彼に向けたのだった。
トラキア大公国、西側にはサリマン帝国と国境線を接し、東北側はルミニア王国一の大領主であるローゼンバーグ公爵領と国境線を接する交通の要所。
しかし大公である父は、サリマン帝国皇帝の甥であるし、母はローゼンバーグ公爵家の娘で、今の当主は母の兄。つまり、この地域は血によって強固に結びついていて、治安も安定している。
両親と兄と一緒に和やかに朝食を取っていると、早馬の嘶きが遠くに聞こえた。
「まあこんな時間に何かしら?」
おっとりとした声で窓に視線をやって母が父に聞いた。
「君が気にするようなことは無いよ。何かあれば私が対処するから。ほら、そんなことより食事を続けよう。フルーツを食べるかい?」
早馬が告げるのは、多分に重要な情報なはずだが、父には母の朝食が止まってしまったことの方が余程重要なようだ。わたくしの両親はすこぶる仲が良い。両親は、と言うか父は母を愛してやまない。
父の母、わたくしのお祖母様はサリマン帝国の皇女で、ルミニア王国の王家に嫁いだのだが、父が幼い時に流行り病で亡くなってしまった。しかし生前、サリマン帝国に里帰りする度にローゼンバーグ公爵領に立ち寄っていて、幼くして知り合った二人はお互いが初恋の相手なんだとか。
父の母に対する執着にも似た愛情は、娘の目から見てもちょっぴり異常寄りかしら?と思うけど、親が仲が良いことを責めることも出来ないしねえ。
今もせっせと葡萄を母の口に運んでいるのを、ボ~っと眺めていると隣に居たはずの兄が離席してドアの前で何やら話をしていた。
「父上、どうやらルミニア王国のアドリアン王太子の婚約者にアイシャが決定したようで、王命を抱えて本人が乗り込んで来るそうです」
兄の話を聞いた母が、顔色を悪くして震えだして
「まあまあまあまあ、い、一体どういうことですの?」
と呟いた。
「セレスティア、大丈夫だ。君が気にすることなど一つもない。ああ、最悪だ!セレスティア泣かないでくれ、大丈夫だから」
泣き出してしまった母を抱きしめて、父は鬼の形相で窓の外を睨み付けた。
母は、かつてルミニア国王レオポルトの婚約者にされていた。
王国一豊かな公爵家の後援を願って、先代のニコラス国王が頼み込んでの婚約だった。
最初は、第一王子であった父キリアンと母との婚約話だったはずが、帝国皇女であった先妻が亡くなると保留になり、喪が開けた時には愛妾が王妃となり庶子だった第二王子レオポルトとの婚約に話が変わっていたと言う。
泣く泣く初恋を諦めて婚約を受け入れた母を大切にするでもなく蔑ろにし続け、その挙げ句、結婚を1年後にすると発表する為の夜会で冤罪による婚約破棄を言い渡し、あろうことか側近に無体を働かせて、母は足の骨を折るほどの暴力を受けたのだとか。
それに激怒した父と、ローゼンバーグ公爵家がルミニア王国のナルセオラ王家を見限って、長く不干渉だったはず。
「お母様、落ち着いて。王命って、トラキア大公国は別の国、他国の王命に従う義理が有りますの?」
わたくしは低い声で問いかけた。
過呼吸を起こしかけていた母は、わたくしの言葉に目を瞬いて
「王命って、王国臣民に出されるものよね」
と、父に確認をした。
「ああ、他国の大公女に出すなら、婚約の打診だな」
「だいたいトラキア大公国に入国出来るかしら?国境の関所を守る兵士に入国禁止を伝えておいて、先触れが通ろうとした時点でお断りして終わり。わざわざ不愉快な話を聞いてやることも無い。
ところでお父様、ルミニアと我がトラキアの間には建国時にした不干渉の取り決めがあるはず。その取り決めをした当事者の国王が、王命、出すのかしら。あの、国王が」
「レオポルトは出さぬ、出さぬな。出さぬし、万が一とち狂って出したとして、まず間違いなく宰相が許可しない」
「あらあら、王命なのに宰相の許可が必要ですのね!ホホホ、で、あればこの度の王命、王太子の独断、じゃございませんの?王太子による王命。‥‥そのような変わったものが、この世に有るのならば」
アイシャの失笑と共に語られた言葉に母も泣き止み笑みを浮かべた。
「王太子の出す他国への王命、ルミニア王国はもう末期だな」
兄も顔を歪めて辛辣に言い放った。
「でもまあ、お受け出来ない状態にすることが最善。取急ぎ、わたくし婚約してしまいますわ」
自信満々な顔で、アイシャはそう言って退けたのだった。




