神呪の黒鎖
赤いランプの光が回る通路を、レイズは息を荒くして走っている。右手の袖からは甲に巻きつけた包帯の端がちらちらと覗き、背中には黒革のトランクが背負われている。
「はぁ、はぁ……まだ追って来るか……?」
後ろを振り向くと、暗闇の中に四つの蒼い光が揺れていた。それがベアウルフの眼光であるということは百も承知のことだった。
メインボイラーと同時にベアウルフを爆死させた後、傷の応急処置中に新手の二頭が現れ、大急ぎで発見したトランクを背負って逃げてきたのだ。痛手を負った状態でまともにやり合いたい相手ではない。
いち早くロゼと合流しなくては――、苦虫を潰した様な表情で走るレイズは痛みを押し殺し負傷した右手をコートの中に忍ばせ円柱型の物を取り出した。上部に付いたリング状のピンを噛んで外し、躊躇なく後ろに放ると瞑った眼をさらに袖で覆う。
次の瞬間、後方で光が爆発した。辺りの壁や天井が白く塗り潰され彼自身の影が遠くまで長く伸びる。直視すれば失明を免れない威力を誇る閃光弾はベアウルフの足を止めるのに充分だった。
光が退き眼を開くと前方に分かれ道がある事に気が付いた。ロゼと別れたあのT字路である。
ほっ、と笑みを浮かべたレイズだったが角を曲がった先で見た光景にまたも顔を歪めることとなった。
「――ロゼさん!!」
眼前にはパッと見ただけでも十頭以上のベアウルフの群れとその中心で神槍を構えるロゼの姿が。彼の足元にはすでに撃退したであろうベアウルフが数頭、白毛を赤く染めて転がっている。
「遅えぞレイズ! こいつら蹴散らすの手伝え!」
周囲のベアウルフを睨み付けながらロゼが吼える。いつも余裕を振りまいているロゼが珍しく焦り、頬に汗を伝わらせていた。
群れを飛び越えロゼと背中合わせに立ったレイズに、少し息を荒くしたロゼが言う。
「ボイラーぶっ壊して戻ってきたらこのざまだ! 何処から湧いて出たか知らねぇがまだ十二頭も残ってやがるぞ!」
「すみません、二頭追加です」
「あぁ?」と振り返るロゼに、レイズはT字路の方を親指で指差した。指した先には眼を回復させたベアウルフ二頭が、より憤った様子でにじり寄っている。
「なぁるほど、りょ―かい。 ぶちギレたお犬様ペアで追加っと。今更二頭増えても大して変わらねぇがなぁ」
レイズは背中に感じる体重の内側から荒い鼓動が脈打って流れてくるのを感じた。数多の任務をこなしてきた歴戦の執行官でさえ焦りを感じているのだ。
無理もない話だ。
地下深くの広間で二人、逃げることも隠れることもままならない状況で十数体の魔物に囲まれ、魔物たちは今にも飛び掛かってきそうだ。あるのは乱雑に置かれた大型のコンテナのみ。このような地下では無線機による応援も期待できないだろう。それに何と言ってもこの地下には明かりがない。現在は外気ファンから差し込む外光でなんとか広間内を見渡すことができているが、日が沈んでしまえばそれまで。広間から光が消えれば夜の野生を生きるベアウルフに勝ち目など無くなる。ただでさえ冬の日暮れは早いことを考えれば一時間と待たず辺りは暗闇に落ちるだろう。
状況は最悪と言っていい。
「……躊躇してる暇はねぇ。出すモン出すぞ」
「!!」
ロゼの言った「出すモン」が何を指しているのか、レイズは一瞬で理解した。確かにそれを使えばこの状況を打開出来るかもしれない。ただ――。
「……危険すぎるのでは? 最悪同士討ちも有り得ます」
ロゼは鼻を鳴らしてニヤリと笑う。
「こんなクソみてぇな状況をなんとかすんにゃあ、それなりのリスク負わねぇとなぁ。それかコイツらの飯になりてぇかよ?」
粘ついた唾液をダラダラと垂れ流しこちらを睨み付けるベアウルフを見渡すと、レイズは覚悟を決めるようにゆっくりと息を吐いた。
「もちろん御免です、やりましょうか。巻き込んでしまっても恨みっこなしですよ!」
「いい返事だぜぇ。レイズよぉ!!」
ロゼの言葉を皮切りに二人は準備動作に入った。ロゼは両手を腰の前で交差させ、レイズは神槍を握った右腕を地に突き出す。何としてもこの状況を打破しなければならない。ならば本来使用が推奨される環境で無くとも使いこなし、優位に立つのが執行官だ。
――殺らなければ殺られる――。
レイズの頬を伝った一筋の汗が足元に落ちたその瞬間に、二人は力を解き放った。
「「極黒の骸棺より 扉を放ち我が元へ」」
「「|神呪の黒鎖よ 降りられよ《チェーン オーダー》!!」」
次の瞬間、二人の構えた腕と袖の間に魔法陣が光ったと思えばそのから這い出るようにして黒い鎖が放出されたのだ。幻影ではない、先端に錨の様な鉤爪が施された本物の質量を持った十数メートルの黒鎖が片腕三本、うねるようにして地面を這うその姿はさながら蛇を連想させる。
執行官となった際に与えられる、執行官にのみ使用を許された神の力。通常の魔術とは一線を画したその力は時に執行官が「死神」の名で呼ばれる所以である。只でさえ異様な黒衣の執行服から這い出る黒鎖。不気味さ極まりそれはもう人外と呼ぶべき容姿であるだろう。
そして当然それは、ただ見る者を萎縮させるためだけに使われるのではない。
目の前で起こった怪異にベアウルフたちは戸惑い、距離を置いて警戒体制を取っていたが、眼前の事象だけを見つめていた愚かな魔物たちは上方で起きる異変に気が付かなかった。蒼色の眼に何かの影が落ちてようやく頭上を見上げたが、あまりにも遅すぎた。
ずどおおおおおおおおおんん!!!!
地下の広間を揺らすほどの衝撃と響き渡る轟音。それは乱雑に置かれていた大型のコンテナが地面に叩き付けられた音だった。一個数百キロはあるコンテナには黒い鎖が巻きついており、鎖の元はロゼの左腕に伸びている。
コンテナの下からは赤い鮮血が溢れ出ていた。今の一撃で二、三体は仕留めたはずだ。
「喧嘩する相手ぇ、間違えたってこと、身体に教えてやるよぉ」
「戦いではなく一方的な殺戮」と比喩される執行官の戦いが始まった。




