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僕は女の子になりたい。  作者: 立田友紀
6. 若葉ガールは夢を見る
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74.「予感」

 夕日が差し掛かる放課後の教室。日頃の疲れか、つい机でうとうとしてしまったらしい。下校しようと顔を上げた瞬間のことだった。

「お目覚めはいかがですか?」


「――安藤春樹君」


 その言葉に、身体が硬直した。

 わたしの記憶からはとっくに失われたはずの。いや、このクラスからも抹殺されたはずの彼の名前。それがどうして今さら、クラスメイトによって語りかけられたのか。いや、ホントにクラスメイトなのか? 全員の顔に黒い影が掛かってはっきりと分からない。

 いや、それもそうだがそれ以前にどうして彼らがその名前を知っているんだ。安藤春奈の正体を知っている人間は、ごくわずかしか居ないはずなのに。

「何のことかな?」

 訳が分からないよ、と笑いながら周囲をうかがう。だがわたしの机のまわりには、わたしをせせら笑う人々が二重三重にわたしのことを囲んでわたしを見つめていた。

「とぼけてるよこのオカマ野郎」

「どうする? あれ見せてやろうか?」

「あぁ。動かぬ証拠ってやつをだな」

 そう言いながら、クラスメイトが見せたのは……わたしが僕だったときの写真。いや、ただ男の服装をしているだけの写真ではなくて――わたしが男であることを絶望した末に自害を試みたときの写真だった。

「聞いてくださいよみなさん。このオカマは、女になるためにこんなバカなことをしてるんですよ」

 その言葉に周囲の人間がさらに嘲笑する。

「こ、根拠が無いじゃないか! それにこれがほんとにわたしであるはずが……」

「だったら、身体で証明すればいいさ!」

 その瞬間だった。

 男どもが急にわたしの両腕を掴んで、あろうことかスカートを下ろしたのだ。

「ちょっ……嫌だッ!」

 隠そうにも、手が男どもに掴まれているから隠せない。辛うじて太ももで隠そうとしたにも関わらず……そこには隠しきれないものが確かに存在してて。

「待って、どゆこと? だってわたし、本当に女で――」

 だけども、どんなに弁解の言葉を並べたところで下半身は間違いなく男の骨格で。いや上半身も、髪も――全部が男になっていて。


「いやああ―――――――――っ!」


「よくも俺たちを騙してくれたな」

「しかも女装して学校に来るだなんてとんでもない変態だな!」

 周囲から次々と非難と罵倒の声が鳴り響く。助けなんて、誰も来ない。ようやく手が離されたものの、今のわたしを守ってくれる人なんかいるはずが居なくて……。

「舌を噛み切ってやるッ」

 これ以上辱められるくらいならと思った瞬間だった。

「春奈っ!」

 その言葉と共に、頭から毛布が掛けられる。そしてすぐに右手を掴まれて……。

「逃げるぞっ!」

「えっ……あっ……えええっ?」

 訳も分からぬ間に手を引かれて、布団をかぶってるから前の様子なんか全く見えなくて――。


 ◇


「……はっ」

 目を覚ますと、目の前には白い天井が。鼻をつく消毒液の匂い。背中の気持ち悪さ。

 どうやら意識が、現実に戻ってきたようだ。そして目を覚ましたことに気づいたのか、芦原の顔が視界の中に入ってきた。

「起きたか。大丈夫か?」

「うん、まあ……ってなんでここに? 授業は?」

「もう終わったよ。ついさっき6限が終わってな」

「ああ、そういうこと」

 身体を起こして窓際を眺めると、確かに夕日が西のほうで輝いている。日が短くなったのか、6限が終わった時間だというのに、既に太陽は西の彼方へ沈みかけていた。季節が冬に近づいているせいか、外で部活をする生徒の数もまばらだ。

「あんたも部活だったんじゃ?」

「オフシーズンだし、担任からは念のため様子を見て来いって言われて。したら春奈ちゃん、ひどくうなされてて」

「あっ、うん……。まあ」

 たぶん、さっきの夢のことなんだろう。いざ起きてみれば、内容がすっと抜け落ちてしまうんだけど……。でもそばに居てくれたって言うのは、やっぱり嬉しいことではあるし。 

「その、ありがとね」

 普段は恥ずかしくて言えないけど、こういうときは不思議と素直にそんな言葉が出た。

 そして、襟元を整えようと手を動かしたまさにその時――。

「って、なんで手つないでるの!」

 思わず慌てて手を引っこめた。いや、別に嫌だって訳じゃ無いんだ。でも手をつなぐだなんてそれじゃまるで子供みたいでやっぱり恥ずかしいじゃないか!

「いや、春奈ちゃん明らかにうなされてたし」

「いや確かにうなされてたけど!」

 だからって普通手をつなぐ? まあ、悪くは無かったけども……うーん。

「あぁ、だったら悪かった。言われてみれば、確かに変だよな」

 彼は、わたしが本気で嫌がっていると考えたらしい。つないだ手をさっと放してしまった。だけども、それもそれで腑に落ちなくて。

「いやまあ変だけども、今だけは良いよ」

 わたしは、彼が放しかけたその手を再び掴んでつないだ。

「ちょっと待て待て。嫌だったんじゃ?」

「別に嫌とは言ってないし……」

 そう言いながら、ぎゅっと握りしめる。

 どうしてこんなひねくれたことをしちゃうんだろう。普段だったらきっぱりと恥ずかしいって言いきれるのに。でも何でだか、今日はそういう気分なのだ。

「どうした? さっきのが怖かったのか?」

 イタズラっぽい笑みを浮かべながら彼はそう言う。普段散々わたしにやり込められている分の仕返しってのもあるかもしれない。だけども確かにさっきの夢は……。

「うん、怖かったよ。だからさ」

 普段の生活では、わたしが男だった頃のことなんで誰も思いもしないしわたし自身だって忘れかけていた。けど心の奥底には、確かにトラウマとして今も生き残っていて、わたしが弱っているときに急に現れてわたしのことを追い詰めてくるのだ。

 そんな不安を彼の手は沈めてくれた。

 わたしの妄想かもしれないけど、悪夢の最後で芦原が助けに来てくれたことのも、もしかしたら彼が手をつないでわたしのことを守ってくれたからじゃないだろうか。

 そんなことを考えれば、彼の手のひらに。というよりも彼自身に、もうちょっとだけ甘えたくなってしまう。

「嫌なら良いんだよ? ただ、嫌じゃ無ければ」

「何言ってるんだよ」

 そう言い、彼はわたしの両手を手に取って続けた。

「これで、どうだ?」

「うん、ありがとう……」

 気恥ずかしくて、顔がかっと熱くなる。でもたまにはこういうのも悪くないなって、ついついそう思ってしまったのである。

 

 ◇


 それから彼は、わたしの母さんが迎えに来てくれるまでずっと看病をしてくれた。まあ看病と言っても、おかゆ作ってきてくれたり身体拭いたりとかじゃなくて、母さんが来るまでの話相手になってくれたって程度だけど。

 ただ、熱がいくらか下がって手持ち無沙汰だったこの状況では、彼のそういう優しさがとても嬉しかった。そういうこともあってか、普段はあまり自分のことを話さないくせについついいろいろなことを話してしまう。

 わたしからは、うちの妹である秋奈のこととか眞子のこととか。あとは結衣のこともそうだし、たまに宮川のことも。意外にもわたし自身の話題はあまり口から出なくて、周囲の人のことばっかりだったのは驚いたけど、それでも彼は飽きずに最後まで話を聞いてくれた。

「って感じかな。……つまらなかったよね?」

「いや、そんなことは無いぞ? 春奈ちゃんのいろいろなことが知れて、嬉しいなって」

「何よ。バッカじゃない?」

「おっ、いつもの春奈ちゃんが帰ってきた」

 恥ずかしくてつい顔を背けたのに、相変わらずあいつは爽やかな笑みを浮かべたまま。

 ……そういうとこが、何だかズルいと感じた。

「あんた、やっぱりズルいよ」

 枕にうつぶせになって、ついそんなことを呟く。今だから、葉月さんやこいつのことが好きな女の子の言い分が分かる。

 こいつは……優しいんだ。優しすぎるんだ。

 わたしはこいつに散々嫌味や皮肉を言ってきたのに、彼はそんなこともまったく気にしないで全部受け止めてくれる。それがムカつく時だってあるけども、今日のように対等になれない時に限って彼の当たり前の優しさがなぜか染みてしまう。


 こんなの、好きになっちゃわない方がおかしいじゃないか――。


 もちろんわたしは、こんなことで彼のことが好きになったりはしない。恋愛脳になれないというのもあるけど、やっぱりわたしは元は男で男性を好きになるってことが出来ないから。いや、単純に出来ないというよりは、どうやれば人を好きになれるのかがどうしても分からないから。

「どったのさ、急に枕に顔をうずめて?」

「何でも無いよ、別に」

 そうやって寝返って続けた。

「喉乾いたから、冷水器まで連れてって」

 手を差し伸べて、連れて行くように促す。

 確かに人を好きになることは――愛の本質は分からないけど、人に甘えるってことは出来るような気がしたのだ。

 

 ◇


 芦原に連れられて冷水器まで水を飲みに行った帰り道。保健室の前に、校内では見慣れない女性が立っていた。

「あのー、何かご用ですか?」

 わたしの代わりに、芦原が女性に声を掛ける。だが彼女の正体は、まさかのわたしの母親で。

「春奈っ! 大丈夫っ!?」

 芦原の隣に立っているわたしを見るなり、いきなりぎゅっと抱きしめられて頭を撫でられた。状況も分からずわたしは呆然とするばかりなのに、彼女は矢継ぎ早に質問を重ねてくる。

「頭が痛いの? のどが痛いの? 熱は? しんどくない?」

「あ、まあそれは大丈夫なんだけど」

「保健室の先生は? 歩ける?」

 そりゃまあ、わたしもそんなに風邪をひくことは無いから心配だってことは分かるけどそれにしたっての焦りようである。ほら、隣で立ってる芦原がちょっと引いている様子じゃないか。

「大げさだなあ。一日休めば治るって」

 母さんを引き離して、そう告げた。大体母さん、心配してくれたのはありがたいけどちょっとオーバーなのだ。

「そう、ならば良かった」

 やっとわたしが無事ということが分かったようで無事に胸を撫でおろしてくれる。それにしても母さんがこんな調子だったら、わたしのほうが気を遣ってかえって疲れちゃいそうだ。ほら現に、芦原のほうがポカンとした様子でこっちを見つめてるし。

 わたしの母親が来るまで看病してくれるってことになってるのだったら、芦原にも事情説明しないといけないし。ついでに廊下は、風邪っぴきには寒いし。

「とりあえず詳しい話は保健室で」

 溜め息を吐きながらも二人を保健室の布団まで連れ込んで、話を続けた。

「芦原、紹介が遅れたね。この人はうちの母さん」

「春奈ちゃ……安藤さんのお母さん? 春奈ちゃんそっくりだ」

 そうだろうかと思ったが、夏休み前に見たわたしの子どもの頃の写真だと確かに母娘そっくりだったような記憶はある。髪色もわたしと母さんは同じだし、やっぱり母娘は似るものなのだろうか。だけどもなぜか素直に喜べないというか、引っかかるというか。

「芦原俊吾です。春奈さんにはいつもお世話になって……」

「あら、かたいこと気にしないで。それに、春奈のほうがお世話になってるでしょ? 体育祭見てたわよー?」

「ちょっとどういうこと!」

「いや、そんなことは……」

 わたしのツッコミを無視して母さんの暴走は続く。いつもふざけてばかりの芦原のほうが逆に戸惑っているくらいだった。かくいうわたしも風邪っぴきなのでやっぱりうまく彼女の暴走を止められず。

「それにしても春奈が男の子を連れ込むとは……あんたもやるわね」

「そういうの要らないよねっ!? ってか熱が上がるからあんまり変なことやめてよ!」

 最後は、彼女の腕を軽くはたいてなんとか終わらせた。全くもう、芦原の前で変なことを言わないで欲しい。恥ずかしいのはわたしのほうなんだから。

「あはは、個性的なお母さんなんだね」

「とんでもない母親だよ」

 ともかくそんなわけで母さんが迎えに来てくれたということで芦原もお役目終了。今日のお礼を一足先に帰ってもらい、わたしのほうも制服に着替えて家に帰ることにした。


 ◇


 ある程度熱が引いたとはいえ、やっぱり病人であることには変わりなく。帰り道も荷物を母さんに持ってもらって、手を引かれながら帰ることにしたのだった。……正直手を引かれる必要は絶対無いと思うけど、そこは突っ込んだら負けだから気にしないことにするとして。

 学校の校門を出て、家のほうへと歩く。最初に言葉を切り出したのは、母さんのほうだった。

「それにしてもあの子、いい子だったわね」

「芦原のこと?」

「そうそう。顔も整っていて優しくて、学校でもモテるでしょ?」

 芦原のことを、母さんはいたく気に入ったらしい。終わったはずの芦原の話題を再び引っ張り出してきたのだ。

 まあ確かに彼は顔が整っていて性格も良い。まさか母さんが中学生男子を好きになることは無いだろうけど、やっぱり親として彼のことを良い子って高く評価することはあるのかもしれない。

「まあ、見た目だけはね。確かに女の子たちにはモテモテだよ」

 ありのままの事実を淡々と伝える。もちろんわたしも一応は女の端くれだから、そのモテモテの輪に入らないことも無いのではあるが……あまりにも淡々としたわたしの言葉が気になったのだろうか。

「へぇー」 

 母さんは急に意味深な笑みを浮かべて続けた。

「って言いつつ、あんたも気になっちゃってるんじゃない?」

「はあ? そんなわけ無いでしょ」

 いやいやいやいや、さらりととんでもないことをたずねて来てくれてるけど、わたしこれでも元男ですから。もちろん今は女の子だけど、精神的な面も多分に女の子っぽいけど。でもそうはいっても、元男の子として男子が気になっちゃうだなんてそんな、ねえ。

「でもあんたのためにあそこまでしてくれる人、そうそう居ないんじゃない?」

「それはまあ、確かにありがたかったけど。でもそれを差し引いてもわたし、元男なんだよ? 男は恋愛対象外です」

「あら、親の前で女の子になるってタンカ切ったのはどこの誰かしら?」

「うっ、それはその……」

 そこはまあ、確かにわたしが言ったことだから強くは言い返すことが出来ないけど。それに母さんは何だかんだ言っても昭和の人だから女が好きになるのは男って言う固定観念はあるのかもしれない。まして男っ気の無いわたしだ。芦原へ気持ちを向けさせるという余計なお世話をしでかさないとは限らない。

 だが――。

「なんてね。冗談よ」

 いつもは気が強く我の強い彼女が、今日に限ってはそれ以上話を続けることは無く。

「あんたが好きだって心の底から言える人と付き合えばいいと思うよ。私は、あんたの笑顔が一番の幸せだから」

 突然そんな、今までの方針を180度変えたと言っても過言じゃないような言葉を言い出したのだ。

「本気で?」

 疑うような、戸惑うような声を上げる。

 実は2ヶ月前にも、母さんとはセクシャリティをめぐって対立をしたことがある。あの時は、お互いの考え方があって無理に合わせることでも無いというかたちで話がまとまったはずだが……。

「無理に合わせてない? わたしの価値観に」

 それで今度は母さんが自爆するのではないか――そればかりが心配でならなかったのだ。

 だが彼女は、少し悩むそぶりをしてから静かに続けた。

「まあ、あんたの言う通りね。そりゃ私も、あんたには女としての幸せを掴んで欲しいとは思うわよ。でも最後は――」


「やっぱりあんたの幸せが一番かなって。それだけよ」


 立ち止まって、頭を撫でられながらそう告げたのだ。

「さて、秋ちゃんに卵がゆを作ってもらって今日は休みなさい」

「あんたは作らないのかい!」

「私は卵がゆではないものを作り出しちゃうから」

「……確かに」

 思わず笑いだしてしまう。

 そりゃ卵がゆのくだりに笑ったというのもあるけど……それ以上にどこか肩の荷が下りたような気がして。これまでどこか冷たい壁のようなものがあった母さんとも少しずつ雪解けが進んでいるようで。がんばらなくてもいいんだなって、何となくそんな気持ちになったのである。

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