72.「本心の行方」
「優勝は……白団ですっ!」
生徒会長から放たれるその言葉は、今のわたしにはにわかに信じられない言葉だった。
だけどもその直後に続けられた総得点は、間違いなく他の全ての色よりもよっぽど高い点で。
「やったぁぁあ!」
「勝ったよ! 勝ったんだよあたしたちっ!」
歓喜の声が場内を包み、みんなの喜びの声が初めてわたしを現実の世界へと意識を戻した。
「うそだっ……」
そう言った割に、瞳からはほろりと涙がこぼれた。嬉しいのに、涙がこぼれてしまって。
「嘘じゃないさ、春奈ちゃん」
芦原に手を引かれて、お立ち台に上る。そこには、大きな優勝旗と優勝したことを証明するトロフィーが置いてあった。
「優勝おめでとう」
「ありがとうございます」「ありがっ……ざいます……」
今だって信じられなくて、でも校長先生から受け取ったトロフィーはずっしりと重くて。そして振り返れば、白団だけじゃなくて全校生徒や観客である保護者の人たちにまで祝福を受けた。
分かってる。これは現実の出来事だということに。
でも、夢を見ているような心地だった。
だって今まで、教室の端で辛うじていたはずの僕がこんなに色んな人に祝福されているんだよ? みんなより成長が遅くて、行事ではいっつも足を引っ張ってばっかりで。みんなの疎ましい声ばっかりが耳に入って……だけども今は。
「春奈、あなたの頑張りが実を結んだのよ!」
「ハルちゃん、頑張ったね!」
色んな人に励まされて、握手を求められて。初めて、自身を誇らしく思った。だから……。
「頑張ったよ、僕はっ! わたしはっ――」
「やりきったよっ!」
自分自身に、その言葉を送った。それがきっと、傷ついてばかりだったわたしを終えられる言葉になるからって思ったから。
◇
こうして、色々あった体育祭が終わった。閉会式を終えた後の教室では、さっそく優勝フィーバーが巻き起こって団長だった芦原は胴上げをされたりわたしも色んな人に話しかけられて抱き付かれたりと大騒ぎ。最後はクラスで記念撮影をして、その後もみんな名残惜しそうに教室に残って駄弁っているようだった。
しかしそうはいっても体育祭の後片付けをするために応援団と生徒会以外を帰らせてしまえば、さっきまでの盛り上がりが嘘みたいに校内全体が静かになっていた。その後片付けだって、5つの応援団がやれば作業なんてあっという間に終わってしまい。
「じゃあみんな。……今まで本当にありがとうね」
「こちらこそ、お疲れさまでしたっ!」
「打ち上げ楽しみにしてるっす!」
最後の白団ミーティングも終わり、打ち上げの話もそこそこにみんなは先に帰って行ってしまった。
あれだけ盛り上がった応援団の活動も、いざ終わるとなると思っていた以上にあっけないものだ。もっとも、これで全部終わりって訳じゃないし打ち上げだってあるからそんなにさみしいかと言われればそれほどでもないのではあるが。
「さて、残ったものを片づけますか」
気分を変えて、教室に残った応援団の備品の整理に取りかかる。まだまだ片づけなきゃいけないものは多いけど、それも芦原と宮川、わたしの3人居れば十分な作業量。あの二人は1時間もあれば戻ってくるし、その間にも片づけられると作業を始めたのだけど……。
「安藤先輩」
不意に声を掛けられて振り返ると、そこには先ほど帰らせたはずの葉月さんが立っていた。
「葉月さん? 帰ったんじゃないの?」
「いや、帰ろうとは思ったのですが……やっぱり私も応援団として最後までお手伝いしたくて」
「それは良いんだけど、別に無理して手伝う必要は無いんだよ?」
目線を作業している手元に向けて続けた。もちろん、手伝ってくれるならそうしてくれるに越したことはないのだけども……。ただそんなに仕事があるかというと、本当にそんなこともなくて。
「気持ちはありがたいけど、みんなが着た衣装の整理くらいだよ? それでもいいかな?」
正直に言えば、プライドが高い彼女にこういう雑用をさせるというのは何だか申し訳ないという気がしたのだ。かといって力仕事チームは既に学校を出てしまったわけだし。彼女の能力を考えればもうちょっと生産的な仕事をさせてあげたいのだけども、つい頭を抱えてしまうと。
「いえ……仕事が無いならそれはいいんです。正直なことを言いますと……」
「先輩と、お話がしたいんです」
続く彼女の言葉に、わたしは思わず驚いて。驚きのあまり作業の手を止めてつい彼女のほうを二度振り返ってしまう。
「お話? わたしに?」
ついそんな疑うような。いや、疑うというよりは驚いたというのか。
……いや、嫌な言い方かもしれないけどやっぱり疑うという表現が正しいのかもしれない。ともかく、そんな言い方で彼女に聞き返してしまった。
「良いけど、本当にわたしで良いの?」
そもそも彼女とは、元々友達だったというわけじゃない。もちろん応援団の活動を通じて仲が深まったということは事実だけど、何か話をするほどの信頼関係を作れたかというとちょっと疑問は残るしわたし自身彼女の信頼を築いてあげれるようなことをした覚えがない。
「……わたしの言うことって、あまりアテにならないと思うけどなぁ」
それなのに、どうして? それが、正直な本音だった。
だがわたしの懸念というか、遠回しのお断りの言葉は彼女には通じなくて。
「いえ、そんな身構えるようなものじゃなくてもっと単純な――」
「今までの無礼を詫びたかったのと、確認したいことがあって」
彼女は、いつも以上に力のこもった目線でわたしを見つめた。
無礼とは何か。確認したいこととは何か。――彼女の思考はさすがに読めないぶん、何を言われるのかと怖くなってくる。それでも今この教室に居るのは、わたしと彼女の二人だけ。
誰か頼りにできる人は居ない今、わたしはありのままで彼女に向き合うしかない。
「確認したいことって、何かな?」
涼しい風が頬に当たる。それが、わたしの沸騰した思考を冷ますのかと思ったのだが……そんなこともなく。
「安藤先輩は、ほんとのところ芦原先輩をどう思ってるんですか?」
確かに彼女の言葉は、わたしが思っていたよりもずっと簡単で。
だけどもその内容は、どういうわけか心にぐさりと突き刺さるような言葉だったのだ。
◇
「えっ?」
辛うじて最初に返せた言葉は、本当にその一言だけ。
それは、わたしの戸惑いの気持ちをストレートに伝えるくらいの役目しか無かった。
「ですから、芦原先輩のことが好きなのかなって」
女二人しか居ない空間で、男が話題に上がる。これが何を意味するのか――今のわたしに分かる。
応援団の活動が充実し過ぎて忘れていたけど、彼女はまだ諦めていたわけでは無かったのだ。芦原への恋心を。そしてそんな話題がこの二人で出たということは、芦原をめぐって再び争いが起こり得るってことも。
「……あぁ、その件か」
どうやって答えるべきか。そんなことは、もうとっくに頭に浮かんでいた。
「前も言ったかもだけど、彼のことが好きってことは無いよ? まあ友人としては好きだし一応は信頼してるけど」
それは、彼女との衝突を避けるための常套句。だから、少しの躊躇いもなくそう言い切ってやれた……はずだったのに、どういうわけか1ヶ月前のあの時と比べると、同じ内容でも歯切れの悪い言い方しかできなかった。
「そうでしたか……」
「うん」
分かってる。彼女と争いたくないからの方便だということは。それなのに、嘘を言っているような気がしてものすごく気分が悪い。いや、決して嘘というわけでは無くて事実としてあいつのことは恋愛的な意味では興味ないってことでしかないというのに。
「逆に訊くけど、あなたは芦原が気になるんだよね?」
だから話をすり替えてしまう。話の主題をわたしから彼女にしてしまえば、わたしの気持ちはこれ以上掘り下げられなくて済むわけだから。
「それは……」
恥ずかしそうに口ごもる彼女。だがわたしは、そんなことを気にせずに更なる追撃をした。
「わたしの想像だけど、たぶんあなたは芦原が好き。違うかな?」
そもそも白団が最初にこじれたきっかけは、彼女の恋愛感情の暴発にある。もちろんわたしも、葉月さんの得意分野を見誤ったという致命的な失敗があるからその件に文句は言えないわけだが――タチが悪かったのは、その過程でわたしと彼女が恋のライバルになってしまったってこと。これでは、軌道修正を図るにも感情の問題でどうにもならなくなってしまうわけで。
幸い、その後は白団を立て直すという共通の目標が出来たからこそそういう対立は無くなったけど。でもこうやって体育祭が終わった今、その協力関係は終わってしまって元の対立関係に戻ることは十分に考えられるわけで。
「……やっぱり、分かりますよね。そしてこれからは、たぶん取り合いになっちゃう」
「芦原のことを?」
「ええ」
彼女は肩を振るわせながら続けた。
「いや、答えは正直見えているんです」
戸惑って、胸に何かがつかえるような思いをしているのは何もわたしだけじゃない。今まで気づかなかっただけで、彼女もきっと怖い気持ちなのだろう。それでも勇気を振り絞って、こうやって自身の気持ちに向き合っている。
「でも、ここでケジメをつけないときっと後悔しちゃうって。私、前から芦原先輩のことが好きで。正直に言うと、これから告白しようと思ってるんです」
「そっか……」
「その前に、春奈先輩には散々言ってしまって。今さらだし許してもらえないと分かってるけど、やっぱり気持ちの整理をしたくて」
そうか、それが彼女の「話」だったのか。
だったらそれは、わたしでしか務まらない内容だ。そしてわたしは、彼女に対してどんな言葉を返してあげるべきなのか。
「……あのね」
上手く気持ちがまとまらないのは、わたしもだった。
確かに出会いの経緯は最悪だったし、彼女のおかげで散々応援団でも振り回されていたことについては正直叱りたいところもある。だけどもその一方で、応援団で一番頑張っていたのも葉月さんで彼女が居なかったら体育祭のパフォーマンスが出来なかったのも事実。
そもそも最初のあれも、裏を返せば芦原への強い気持ちがあってからこそのこと。だからこそ応援団として活動している時だって、彼女は幸せそうな表情をしていたわけだし。というより、1ヶ月近くも一緒に過ごした可愛い後輩なんだ。そんな彼女の恋路を応援してあげるのが、先輩としてできることではないだろうか。
「わたしは……」
――葉月さんの。自分の気持ちの通りに動いた方が良いと思うな。
その一言が、二人だけの空間に響いた。
思うところは、正直たくさんあった。でもそこにわたしの感情なんか必要は無い。
「……ありがとうございます。春奈先輩にそう言ってもらえると、ちょっと勇気が出てきた気がします」
その言葉と共に、葉月さんの表情に笑顔が戻ってきた。いつもの、自信あふれた表情。きっと彼女と芦原なら上手く行くことだろう。
そう考えていたら、タイミングよく芦原と宮川の二人が戻ってきた。
「あーぁ終わった終わった。ったく、あんなに重いとは思わなかったぜ」
「二人ともお疲れさま。どうだった?」
「作業自体は終わったよ。俺らは運ぶだけだし、宮川はああ言ってるけど途中はほとんど委員長のじいちゃんと軽トラでドライブだったから」
「てか、ほとんど孫自慢だったな。ずっとうちの結衣がカワイイ的な話でさすがにうんざりだったよ」
なるほどね。二人がもたもたして結衣のおじいちゃんに笑われながら作業をしている様子が何となくだけど目に浮かぶ。そして行き帰りはきっと玄昭さんの結衣自慢が続いていたのかな? あいつらはうんざりなんて言うけど、想像すれば結構ほんわかとする光景ではないか。
それはともかくとして。
「まあ何にせよ無事に終わったようで良かった。こっちの作業も終わったからこれで解散にしていいかな?」
作業も終わったことだし、解散を切り出す。でも、無事に終わったという割に今後のことを思えば胸騒ぎがして……。
「良いんじゃねえか? 葉月さんまで巻き込んで……遅くなってごめんね」
「いえ、大丈夫です」
「よし、じゃあ解散!」
「うっす、かえろーぜ。俊吾」
そうやって、男子二人が帰ろうとするところを。
「ごめんなさい、ちょっと芦原先輩をお借りしても大丈夫ですか?」
「はっ? 何で」
「良いから、あんたはこっちに来なさいッ」
わたしは無理やり宮川の手を引いて、二人を先に行かせる。
正直に言えば、わたし自身気持ちの整理がついてなくて。だけどもきっと――これで良かったんだ。
二人の後ろ姿を、眺めながらそうやって自分自身を納得させるしかなかったのである。
◇
「良いから今日は一人で帰ってちょうだい」
「何でだよ。……まあ良いけど」
事情を知らない。というよりも巻き込むべきではない彼を先に帰して、教室に座って戻ってくるであろう彼女を待つ。確証は無いけど、きっと彼女は戻ってくるような気がしたからだ。
そして数分後。最初の予想通り、彼女はやはりわたしのもとに戻ってきた。
「良い返事、もらえた?」
そうであって欲しいから、わざと明るい回答がもらえたという前提で声を掛けた。
だが彼女は笑いながらも、首を横に振った。
「あっ……そう……だったのね……」
葉月さんは振られた。
言葉には出さなかったけど、彼女が出したアクションは明らかに良い返事では無かったということ。その事実が、わたしの心に再び突き刺さってしまう。彼女は今もまだ笑っているけど、当事者じゃないわたしのほうが正直ショックで見ていられない心地だった。
「どうして先輩が苦しそうな顔をしているんですか?」
「だってそれは……葉月さんの恋が……」
上手く行かなかったから。とは、口に出せなかった。
それなのに彼女は、なぜか笑顔を崩さなかった。裏があるとかそういう意味じゃなくて、心の底からスッキリしたと言わんばかりの表情で。
「ええ、フラれちゃいました。もう、すっぱりと清々しいくらいに」
「いやいやっ! そんなすっきりと割り切れ……」
「良いんです。モヤモヤしていた気持ちがすっきり晴れましたし」
「何よりこれで……芦原先輩の本意が分かったじゃないですか。身を挺して告白した甲斐がありましたよ」
「良かった? 芦原の本心が分かった? ……ちょっと待って、だって今のってどう考えても」
さっきからずっと戸惑ってばっかりだったけど、今回の葉月さんの発言は戸惑いってレベルをあっさりと越えて理解不能の域にまで達していた。戸惑い、悲しみ、混乱、理解不能――もはや言葉では処理しきれない感情が脳の中でうごめく。
「待って、いやほんとわたし、ちょっと意味が分からないでいるんだけど」
それなのに当の彼女は、なぜか呆れたという表情をしてとんでもない言葉を吐いたのである。
「まだ気づかないんですか? ……なるほど、芦原先輩の言う通り鈍感が過ぎますね」
「鈍感って、いやいやわたしそこまで頭良くないから理解が出来ていないってだけで」
「まあ良いです。直に分かりますよ」
「先輩こそ、幸せになってください! 報告、楽しみにしてますよ!」
鈍感……その言葉が頭から離れない。
そして彼女は、ついにその言葉の真意を告げぬまま最後までいじわるな微笑みをわたしに向けて教室を出て行ってしまったのである。
ということで、クリスマスを過ぎましたが長かった体育祭編はこれにてお終いです。
葉月さんが残した最後の一言。春奈は事の重大性が理解できていないようですが――次回以降の鍵になってきます。
そんなわけで次の章は久しぶりの日常編。基本1話から2話完結の話が続きます。
他人の視点も入ってくるかも




