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4-3.走法・絶影 後

「腹も満ちたし、親交も温まったところで、さてお話と行きますか、ってところなんだが……」


 全員の器が綺麗になったところでクロウは切り出し、そしてちらりとアルトを見た。

 自分には聞かせられない、聞かれたくない話が出るのかも知れない。そう考えて席を立とうとしたアルトを、セシルが制する。


「大丈夫だ、話してくれていい。信じられる子だ」

「分かった」


 ほんのそれだけの言葉で、クロウは納得顔をして頷く。セシルを十全に信じていなければできない真似だろう。

 そして自分も同じように、従兄弟から信頼してもらえているのだと気がついて、背筋がぴんと伸びる思いがする。


「そんじゃ、集団行方不明事件からだ」

「行方不明、ですか?」

「少し前、ロートシルト卿の領内の村で、人がごっそり入れ替わっているという訴えがあった」


 いきなりの言葉にアルトが思わず聞き返すと、セシルが後を引き取った。


「単独行商の者が懇意の村に立ち寄ったら、そこの住人の顔ぶれがすっかり変わっていたというんだ。商人にしてみれば見知らぬ相手なのに、向こうは旧知のように応対してくる。顔貌(かおかたち)もまるで違う別人が、自分の知っているのと同じ名前で、同じ家に暮らしている、とね。この話を最初に聞いた者は、商人の正気をまず疑ったそうだ」


 そこでようやく、アルトは父の言葉を思い出した。

「セシル君には同時にちょっとした探索の依頼もしてある。諜報役には心当たりがあると彼は言っていたけれど、これについてもお前は彼を補佐しなければならない」。あれはこの事についてであったのか。

 深く考えず、この旅の間に問いもしなかった迂闊さには恥じ入るばかりだ。


「けれどこの一件だけじゃなかった。記録を調べてみたら、同種の訴えが過去にも数件あったんだ。気を引かれた団長が詳しく話を聞こうとしたんだが、商人はもうアインスノットを立っていた。そしてその後、どの街にも到着していない。しばらくして彼の荷馬車だけが街道の外れで見つかって、野盗の仕業という事になった。ただし積荷も貨幣も一切手付かずで残されていたのだけれどね」


 それはつまり、狙いは荷でも金銭でもなかったという事だ。

 その商人の口を塞ぎたい何者かが、確実に存在するという事だ。  


「で、オレがその村の様子を見に行ってきたんだが──」


 セシルとアルト、二人の視線を受けて、クロウは首を横に振る。


「人がいなくなった、入れ替わったという証拠はどこにもなかった。もしあったとしても、綺麗に、丁寧に、狡猾にバラされてる。辿れる糸は残っていない。仮にロートシルトの妖怪爺が関わってるってんなら、まあ納得できる証拠隠滅っぷりだな。ただこれはオレの主観なんだけどな、物凄く気持ちの悪い村だった。住人は当然、ひとりひとり性別も年齢も格好も違う。けど誰と話しても、まるで同じ人間を相手にしてるみたいだった。何もないが、あそこにゃ絶対何かあるぜ。大小は分からんが、きっと(すね)の傷がな」

「そうか、分かった」


 応じるセシルの声は暗い。何とは言えず、けれど悪い予感があった。 

 おそらく半分殿は、何かを行おうとしている。かつてなかった大事を、だ。大魚の身動(みじろぎ)ぎが水面(みなも)を揺らめかすように、得体の知れぬその余波が権力の薄暗がりを抜け出して、はっきりと分かる波紋を生じさせている。


「まあ一応、使えそうな古いブツをいくつかチョロまかしては来た。ミオを呼んであるが、あいつの探知に引っかからないけりゃお手上げだな。……おっと、身贔屓(みびいき)とは言わんでくれよ。流石に疑惑の相手の領内お膝元で、探知術士を募るわけにもいかねーだろ?」

「ああ、その辺りはお前の判断に任せるし、文句も言わないさ。ただし、仮想とはいえ相手が相手だ。危険を感じたらすぐ退いてくれ」


 友人を案じる言葉に、クロウは(ひょう)げて腿を二度打つ。


「オレの逃げ足を疑うなって」

「走法は、逃げる法じゃないんだろう?」

「……こいつは一本取られたな。だが剣祭のお陰であちこちから人間が流れ込んできている。どこを誰がふらついていても怪しくは思われねーから、調べるなら今が一番だ。少し強気で行くんで、もしもの時はよろしく頼む」

「依頼している以上は当然だ。それこそ、任せておいてくれ」


 ちょくちょくと通じ合う二人に、割り込めないアルトはそわそわと落ち着かない。さんざんからかわれている所為もあって、クロウを見る目が厳しくなる。

 なんですかなんでそんなに分かり合ってるんですかどうしてそこまで仲がいいんですかやっぱり敵ですか。

 子供めいた独占欲だと、承知してはいるのだけれど。

 そんな彼女の視線を知ってか知らずか、クロウは(とぼ)けた風情で伸びをする。


「ま、とりあえずこの件は一先ず以上だ。でもって次は剣祭だな。遅いお着きのお前の為に、出場者の下調べは済ませておいてやったぜ。感謝するよーに」

「悪いな。助かるよ」


 セシルに少しも責める挙措はなかったが、責任を感じてアルトは小さくなる。当初の旅程の通りに運べば、もっと早くジョシュアに到着もしていたし、風聞伝聞とはいえ対戦相手の情報を集める事だってできたろう。

 その背をぽんと手のひらが叩いた。従兄弟の仕業だ。見てないようで見ている。小さく会釈して、アルトはもう一度背筋を伸ばした。


「まず一人目、ウィンザー・イムヘイム。男でも振り返るくらいの美少年だが、多分性格が悪い。きっと酷薄だ。オレは一等気に入らないね。使う我法は斬法・水面月(みなもづき)。こいつは名ばかりで詳細は分からん。ただし我法抜きでも相当の手練(てだれ)だ。両手持ちの刀を羽毛のように使う。この目で確認はしてないが、末席ながら殺生席(せっしょうせき)に名を連ねてるって話だ。立ち振る舞いからして、まず嘘はねーだろうな」


 殺生席とは教皇府の聖堂前に突き立った、ふた抱えもある金属円柱の呼び名だった。

 柱には平たく滑らかに研磨された箇所があり、そこへ人名が浮かび上がっている。時に序列は上下し、時に入れ替わりつつも、その数は変わらず七十二。

 そこに記名されるのは、戦力として人類上位の七十二人であるとも、殺戮人数においてのそれであるとも言われているが、実際のところは定かではない。

 巨人との争乱黎明(れいめい)期、戦力を()り抜く為に作られた物とだけは知られているが、当の戦乱により(つまび)らかな由来も目的も失伝し、今に残されてはいないのだ。

 数十年間、一位の座が不動であったり、二位が高名な料理人であったりするところから、そもそも席への記名基準は疑わしいとする向きもある。しかしこれに名を連ねる者の殆どが卓越した武勇で世に知られており、殺生席入りは一種の名誉と考えられていた。


「……」


 そんな相手と従兄弟が立ち合う可能性があると不安になったのだろう。

 無意識にアルトは、隣のセシルに身を寄せる。至極僅かなその挙措を察して、セシルがひとつ頷いて見せた。会話なしに通じ合う雰囲気だった。

 まー別にいーですけどね、とクロウは見なかった事にする。


「二人目はシグニア・カリツ。オレとは一番相性の悪い相手だな。刺突剣の使い手で、我法は縛法・まがり縄。発動条件は不明だが、中空から湧き出る縄で相手の動きを封じて突き殺す。立ち合いにちょいと不利な軽めの得物を選んでるのは、縄を解こうとする相手の行動阻害に特化しているからっぽい。逆にこの縄、普通の手段でも解けるって事にもなるだろーな」

「相性が悪いと言ったが、その縄、お前でも逃げきれない程なのか?」

「いや、問題はそこじゃない」


 問われてクロウは、またちらりとアルトを見やった。


「お嬢ちゃんに伝えるのは酷な話かも知れねーんだが」

「私は平気です。仰ってください」


 強い返答に、そうか、とため息めいて呟いて、


「シグニアは、あの女は色々と規格外だ。特に胸。あれは男なら誰でも見蕩(みと)れる。そういう意味で大変ヤバイ」

「……ちょっと待ってください」


 なんですかそれは。なんなんですかそれは。それから今、私のどこを見てから言いましたか。


「アル、クロウは構うと(かえ)って喜ぶ」

「そうそう。男ってのは好きな子をいじめたがるし、好きな子には構われたいんだ」

「知りませんっ」


 セシルの忠告で言い募るのはこらえたが、続けて正面でへらへらと手を振られて、思わず憤慨(ふんがい)してしまった。

 どうもクロウには、完全に玩具として認定されてしまっているようだ。


「さて、あんまり言ってるとお兄さんに叱られるから次に行こう。三人目はおっさん、というかもう爺さんだな。フィエル・アイゼンクラー」

無道鎧(むどうよろい)、か」


 向けられたクロウの視線に頷き、セシルが応じる。


「その通り。剛法で有名なおっさんだ。性格は典型的な我法使い。我がままで自惚れが強くて、自分の法を隠さない。それであの歳まで生き抜いてるんだ、実力は推して知るべし、ってところだな。お前は無道鎧についてどれくらい知ってる?」

「全身を硬化する法だと聞いた。どんな刃物も通らないほどの硬度だと」

「硬いだけじゃねーぞ。魔術に対してもかなり耐性がつくらしい。それからこいつはオレの憶測だが、加えて身体能力の強化も含んでる。素拳でぶん殴って板金鎧を凹ませてるたのを見た事がある。厄介なもんだ」

「確かに」


 小さく笑った従兄弟を見て、そこでようやくアルトは気づく。

 手練だ、相性が悪い、厄介だなどと口にしながら、二人にはどこか余裕めいたものがあるのだ。

 それは油断や予断ではない。彼らは知り得た情報に基づいて敵手への対処対策を算段し、それを実行するだけの実力と手札とを備えている。恐れはあっても、必要以上に怯えはしないし、不安がらない。


「しかしながらここで悲しいお知らせだ。四人目以降は更に厄介、もっと得体の知れない連中になる。詳しい経歴も何も分からないが、ロートシルトが『一人を除いて参加者全員が我法使い』と公表してる以上、そういう事なんだろーな」

「つまり俺は甘く見て油断してもらえるというわけか。有利な条件だな」

「へいへい、自信満々なこって」


 そんな二人の声を聞きながら、アルトはぎゅっと拳を握らずにいられない。

 父は、従兄弟が全て承知の上で任を受けたと言っていた。今の言葉を聞くに、それに嘘はないのだろう。けれど従兄弟はごく普通の騎士だ。剣の腕は立つが術才はない。

 ただ努力だけ、修練だけの一刀が、果たして抗じうるのか。

 それが我が事以上に案ぜられてならなかった。


「とまれ、四人目だ。ローノ・クリムト。触媒霊素(カタリス)集積用の杖を携えて、露骨な魔術師って風貌の兄ちゃんだった。おそらく術士なんだろうが、こいつ、予選じゃ一度も戦ってない」

「戦っていない? どうやって本戦まで勝ち上がったんだ?」

「全部不戦勝さ。対戦相手が前日までに棄権をするか大怪我をする。その辺りは我法がに絡むのかもしれんし、何らかの後ろ盾があるのかもしれん」

「その方、ひょっとして金色の髪と青色の目の、少し神経質そうな人ではなかったですか?」

「ん? 大体そんな感じだったが、知ってるのかお嬢ちゃん?」


 ふと口を挟んだアルトに、一瞬とまどいつつもクロウが答える。

 

「はい、多分。本人だとしたら、アインスノットの元素操術士です。一流の多種素養の持ち主で、王弟陛下管轄の研究室に所属しているのだとか。ごめんなさい、魔術講義を受けに行った時、噂話に聞いた程度なので、これ以上は知らないのですけど、何かの参考になれば」

「となると、後ろ盾が濃厚な感じになってくるかね」

「俺の出場の捩じ込みも、実のところイアン陛下の目論見だ。別の意味で警戒しておいた方がいいのかもしれないな」


 セシルの発言は、国に忠義を誓う騎士にあるまじきものだ。

 だが他国民のクロウは当然として、アルトもそれを咎めない。王弟と半分殿の間に横たわる確執は、それほどに根深く暗いものであると周知されているのだ。その狭間で何が起きても不思議はない。


「そっちもきな臭いみたいだが、五人目のおっさんも相当だぜ。名はツェラン・アイヒ。どうも半分殿と関わりがあるっぽくてな、セシルと同じく予選免除だ。だから実際の動きは見れてない。ただちらっと眺めた物腰からして武術も結構使う。間違えるなよ。武術も、だ。伏せ札隠し玉はあって当然と思っとけ」

「そちらはロートシルト卿の肝入りか」

 

 流石のセシルも眉を寄せた。技量以外に政治的配慮までもが絡んでくるとなれば、事態は大層面倒だ。


「で、最後がカスカ・カガセ。ローブ姿の小柄なヤツだな。フードをいつも深く被って、これは戦闘時も外さない。武器は盾と小剣。盾持ちなんで防御主体と思いきや、かなり思い切りのいい飛び込みをする。どちらかというと速度主体だ。我法は不明。武だけを見ればそう技量は高くないんだが、暗器の類を使うのかもしれないから気をつけとけ。一度だけ格上に当たった試合があってな。カスカは手傷を受けつつ戦ってたんだが、その時ローブの下から、刃物のようなものが不自然に飛び出たのを見た」

「ローブは得物を隠す為、フードは目線を悟らせぬ為、か」

「断言はしねーぞ。多分、だ」

 

 暗器と言えば卑怯卑劣の印象があるが、そもそも剣祭は如何なる武器の使用も自由と公知している。毒物すらその武器の範疇(はんちゅう)に含むのだ。その類の使い手が出場していても不思議はない。


「あれ?」


 そこでアルトが首を傾げた。今まで挙がった名を指折り数え直して、


「剣祭本戦参加者は八名ですよね? 一人は兄さんとして、もうひと方が抜けていませんか?」

「ああ、後の二人については語るまでもないって事さ。一人はお嬢ちゃんの仰る通り、ご存知アインスノット騎士団最精鋭、セシル・ウェイン。そして残る一人は──このオレだ」

「お前か」

「ユイギさんですか!?」

「流石に驚いたろ」


 二人揃っての物言いに、クロウは実に嬉しそうな顔をする。


「だってよー、こんな一攫千金の好機は人生にそうないぜ? そりゃ出るだろ。まあオレもお前が出ると知ってりゃ、ちょっとは考えたけども」


 そこでつるりと(おもて)を撫でて、ふっと真顔になった。 


「ってなわけで、だ。情報収集にゃ協力するが勝負までは譲らねーぞ。もし当たったなら真剣勝負だ。お前と全力でやりあえる機会なぞそうないからな。言っとくが、」


 とん、と卓越しに、痛くない拳がセシルの胸を突く。


「オレは、あの時より速いぞ」

「奇遇だな」


 にっと悪戯っ子の顔で、クロウに笑み返した。

 

「俺も、あの頃のままじゃない」



──



 話が一段落したところで、アルトは使い終えた食器を抱えて退室した。

 後で自分も手伝いに行くから待っているようにと告げたのだが、「兄さんの手は要りません。これくらいはやらせてください」と意固地を言う。諦めて一任した。

 クロウの働きを知って、きっとまた至らないだの足を引っ張っているだのと考えてしまっているのだろうと、セシルはそう憶測する。

 自責が強すぎるのが、彼女の数少ない欠点だ。

 確かにクロウには頼らせてもらっている。だがだからといって、アルトをないがしろにするわけではない。預ける心の部分が違うだけだ。

 

「さて、オレはもうひとっ(ぱし)り、ジョシュアまで戻るとするぜ。着いたら一報入れてくれ」

「ああ、分かった」


 言いながらクロウは部屋の窓を開け、周囲の様子を確認。セシルが頷いた時にはもう、するりと窓から戸外へ抜け出している。

 片手を上げて別れを告げると、その体は(たわ)めるようにぐんと沈み、次の瞬間掻き消えた。

 否。

 アルトは完全に姿を見失った絶影の俊足であるが、セシルにはわずかな残像が追えている。

 視界から消えて失せるから勘違いしやすいけれど、走法はあくまで高速移動。空間を跳躍するわけではないから、窓を開けなければ外には出れないし、雨天を走れば濡れもする。そして目のいい者なら残された像を追い、移動の方向を読む事ができる。

 しかし今クロウの姿が見えたからといって、それはセシルの優位を意味しない。そもそもあれが彼の最速とは限らない。

 そう思うと、セシルは身の内がふつふつと沸き立つのを抑えられなかった。


 強くなって、どうしたいか。その師の問いに、かつての自分は答えた。


 ──泣く人の出ないようにしたいです。


 その言葉に、その心に嘘はない。

 だがより強い相手と技を比べ、腕を競う。その事に血が騒ぎ、昂ぶるのも、また否めない真実なのだ。ともすれば殺傷に至る仕業を望むのは、剣士武人の宿痾(しゅくあ)であるのやもしれなかった。


 友の背は、夜闇に溶けてもう見えない。

 セシルは遠く、白銀都市の方角へと目を転じた。

 いずれ劣らぬ魑魅魍魎、我法使いたちとの邂逅が、そこに待ち受けているはずだった。

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