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【完結保証/毎日更新】帳簿令嬢の答え合わせ ~その不正、すべて帳簿が覚えています~  作者: Lihito


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22話:動かない歯車

監査院は王城の東棟にあった。


受付で名乗った瞬間、空気が変わった。


「アイリス・ヴァレンシアです。城壁修繕事業について報告があります」


受付の女性の手が止まった。目が泳ぐ。隣の同僚と視線を交わしている。

ヴァレンシア。公爵家から横領で追放された令嬢。噂は王都中に広まっているだろう。


「少々お待ちください」


待たされた。長い。グレンが廊下の壁にもたれている。私は立ったまま待った。座って待てとも言われなかった。


しばらくして、担当者が出てきた。三十代くらいの男。きっちりした身なりで、表情を作っている。丁寧だけど、目が探っていた。


「お待たせいたしました。担当のカイルです。お話を伺います」


通された部屋は狭かった。机と椅子だけの簡素な面談室。グレンは廊下で待たせた。


カイルが向かいに座る。手元に紙とペンを用意しているが、まだペンには触っていない。聞くだけ聞いて判断する構え。


「城壁修繕事業に関して、不正の疑いがあります」


「……不正、ですか」


声が慎重だった。「この人の話をどこまで信じていいか」を測っている目。まあ、そうだろう。横領で追放された人間が「不正を見つけました」と言いに来たのだ。


構わず進める。持ってきたものを机に並べた。給与明細の写し。石の破片。聞き取った数字のメモ。


「まず大工の給金です。城壁修繕に従事している職人たちの給与明細を入手しました。ブルクハルト商会の判が押されています。金額はここに」


カイルが明細を手に取った。まだ半信半疑の顔。でも、実物を見ている。


「この金額は、公共事業の規模に対して低すぎます。複数人から聞き取りを行って、全員がほぼ同額でした」


「……聞き取りは、どのように?」


「現場で直接。大工たちは隠す理由がないので、普通に教えてくれました」


カイルのペンが動いた。メモを取り始めている。さっきまで触っていなかったペンが動いている。


「次に素材です」


石の破片を出した。


「城壁に使われている石材の端材を現場で入手しました。城壁用の等級であれば剣で叩いても傷がつかないはずですが、護衛の騎士に試させたところ、一撃で割れました。断面を見てください。目が粗い」


カイルが石を手に取った。断面を指でなぞっている。


「現場の大工も証言しています。高級素材と聞かされているが、職人の経験上、手触りも重さも等級に合っていないと」


カイルが顔を上げた。目が変わっていた。最初の「どこまで信じるか」の目じゃない。もっと具体的な、「この証拠をどう扱うか」を考えている目。


「……元請けはブルクハルト商会ですね」


「はい」


「大工の方々は、ブルクハルト商会とだけやり取りをしている」


「そうです。受注元がどこかは知らないと言っていました」


カイルがメモを書き込んでいる。質問が具体的になってきた。最初の腰の引けた態度とは違う。


(この人、ちゃんと見てる)


噂や肩書で判断する人間なら、最初から聞く耳を持たない。この人は違った。証拠を見て、態度を変えた。真面目な人だ。


「ありがとうございます。大変貴重な情報です」


「動いていただけますか」


カイルの表情が少し曇った。


「確認はいたします。ただ、正直に申し上げると、すぐには難しい面があります」


「理由を聞いていいですか」


「城壁修繕は財務卿府の管轄になります。こちらから調査に入るには、相応の手続きと根拠が必要でして」


(財務卿府の管轄か)


「つまり、状況証拠だけでは上に通せない」


「……申し訳ありません」


謝った。本当に申し訳なさそうな顔だった。


(この人が悪いんじゃない。私の言葉から信用を剥がしたのは、あいつらだ)


レオナルドと父の顔がちらついた。飲み込んだ。


「一つ、お願いがあるんですが」


「何でしょう」


「城壁修繕事業の発注記録を見せていただけますか。公共事業の発注記録は公開情報のはずですけど」


カイルが少し驚いた顔をした。それからすぐに頷いた。


「ええ、それはお出しできます。少々お待ちください」


席を立って奥に消えた。しばらくして、綴じられた書類を持って戻ってきた。


「こちらが城壁修繕事業の発注記録です。発注元、発注先、金額、日付が記載されています」


受け取った。発注元は財務卿府。発注先はブルクハルト商会。金額を見る。


(……この額を発注して、大工にはあれしか払ってない?)


差が大きすぎる。表情には出さなかった。


「写しをいただいても?」


「ええ、どうぞ」


カイルが写しを用意してくれた。


「追加でお気づきの点があれば、いつでもお越しください」


その言葉に嘘はないと思う。この人は動きたくても動けない。でも門は閉じないでいてくれる。


「ありがとうございました」


立ち上がった。カイルに恨み言は一つも言わなかった。この人は、できる範囲のことをしてくれた。


***


廊下に出ると、グレンが壁にもたれていた。


「終わりましたか」


「終わったわ」


「監査院は動きますか」


「動かないわね」


あっさり言った。想定内だ。


外に出た。王城の東門を抜けて、大通りの端にある茶店に入った。ここで話す。


注文もそこそこに、机の上に給与明細と発注記録の写しを広げた。


「これが監査院で手に入った発注記録。国庫からブルクハルト商会にいくら出てるかが書いてある」


「……かなりの額ですね」


「でしょう。で、こっちが大工の給与明細。末端にいくら払ってるか」


グレンが両方を見比べた。


「差が大きい」


「大きい。素材費を引いてもおかしい。しかもその素材も粗悪品」


茶が来た。一口飲んだ。ぬるい。


「帳簿さえ見れば一発なんだけどね。入ってきた金、出ていった金、差額。全部分かる」


「……見せてもらう当てはあるんですか」


「ないわよ。正攻法で何かない?」


「監査院が動けば強制力がありますが」


「動かないって今言ったばかりよ」


「では、財務卿府に直接——」


「財務卿府管轄の事業を財務卿府に訴えるの? 自分のところの不正を自分で調べてくれって?」


「……無理ですね」


「無理ね」


グレンが茶を飲んだ。私も飲んだ。詰まった。


「仮にブルクハルト商会に直接乗り込んで、帳簿を見せろって言ったら」


「断られるか、追い出されるかでしょう。辺境の小領主にそんな権限はない」


「そうね。……でも、やましくなかったら?」


「は?」


「やましいことがないなら、見せればいいのよ。帳簿に問題がないなら『ほら、ちゃんとやってます』って出せば終わるんだから。見せないのは——」


「後ろめたいことがあるから。でも、相手はそんな理屈で帳簿を開けませんよ」


また詰まった。グレンが茶を啜った。


「……あの商会主は、辺境から来た小領主をどう見ると思いますか」


「どうって。田舎もんが何しに来たって思うんじゃない」


「舐めてくる、ということですよね。であれば——帳簿で正面から殴るんじゃなくて、舐めてくることを利用できませんか」


(——あ)


「グレン、今いいこと言ったわね」


「言いましたか」


「舐めてくる相手は、こっちが馬鹿だと思ってる。馬鹿に教えてやろうって思わせたら——」


「自分から帳簿を出す」


「そう。正面から開けられないなら、向こうから開けさせる」


給金で切り込んで、素材でもう一押し。でも素材の話は私が言ったところで笑われるだけだ。


「——グレン、石材に詳しい?」


「……護衛ですが」


「明日から専門家よ」


グレンが黙った。三秒くらい。


「……護衛です。専門家ではありません」


「ルッツから聞いたでしょう。城壁用の等級なら目が詰まっていて重い、今の素材はざらついて軽い。あと剣で叩いたら割れた。全部、あなたが自分で見て、自分でやったことよ。嘘は一つもない」


「それを専門家のふりをして言えと」


「ふりじゃないわ。演技よ。——それに、あなた普段から無口でしょう。黙ってるだけでそれっぽく見えるわ」


「……褒められている気がしません」


「褒めてない」


グレンが小さく首を振った。でも断らなかった。


「……護衛の延長、ですか」


「かなりの延長ね」


「覚えます。石材のこと」


「よろしい。じゃあ今夜、叩き込むから。——宿に戻りましょう」


茶店を出た。日が傾き始めている。


(明日、ブルクハルト商会に行く)


揺さぶって、開けさせて、覚る。その先は、帳簿を見てから考えればいい。

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