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第十一話 好き嫌いだけではない

 じゃがいもの皮剥きとは、かくも難しいものです。


 ラヘルに小さな厨房まで案内された私は、すっきりきれいに片付いている一方で、最近使われた痕跡がほぼないことに悩みます。


「あの、ラヘル。ここで何か作ったことは?」

「ないね。残念ながら、吸血鬼は人間のような食事をしない。必要としない、といったほうが正しいか。そこいらの吸血鬼ならともかく、私はそうだ」


 ラヘルはふふんと胸を張って答えます。そうなのですね、ラヘルは吸血鬼の王だから、いわゆる生き物の血を吸う行為はしないようです。


 ですが、私は食事をしなくては生きていけません。厨房の隅っこにある野菜カゴには、じゃがいもと人参が山ほどあります。あとは、にんにく——戸棚から発見時、ラヘルが嫌そうに顔をしかめていました——各種青菜のピクルスの大瓶や、塩漬け肉、固焼きパンが見つかりました。小麦粉や豆の袋もあり、私一人の消費ならしばらくは保ちそうです。


 味より腹持ちだけを考えれば、ですが。


「……よし、やってみましょう」


 うじうじしていても、お腹の虫は泣くばかりです。私はまず、じゃがいもの皮を剥くことから始めました。さて、私の記憶が正しければ、ペティナイフにボウル、あとは水が必要です。


「ラヘル、井戸はどこかしら? お水が必要で」

「ああ、それなら日が昇る前に汲んでおいた。そこの(かめ)にある」

「ありがとう、助かるわ」


 袖をめくり上げながら答えるラヘルは、どうやら私の手伝いをするつもりのようです。


 ならばとラヘルに大鍋へ水を汲んでもらい、私は慣れない手つきでじゃがいもの皮を剥いていきます。


「しかし、驚いたな。君は料理ができるのか」

「え? ……いえ、それほど」

「何?」

「ああ、ほら、私は外を出歩くことが禁止されていましたから、メイドたちの仕事を手伝うことが気晴らしのようなものだったのです。裁縫ならそれなりにできるのですけど、料理はあまり。重労働だからと、近くで見ているだけでした。それでも楽しかったですし、メイドたちの気遣いは嬉しかったので」


 それはもう遠い昔のような、懐かしい記憶の中にありました。


 ヘリナス子爵家の屋敷は、古いながらも広く、近隣で騒ぎがあったり人間以外が訪ねてくると私はいつもメイドたちの仕事場である厨房地下のワインセラーに隠れていました。ワインの大樽が並ぶ煉瓦造りの堅牢な地下室は、私のためにといつも掃除されていたものです。


「何か異変があれば、私はすぐにワインセラーへ押し込まれました。もちろん、それは私のためだと分かっています。それでも、幼い子どもが一人でそんなところにはいられません。メイドたちは代わる代わる、手の空いた者がやってきては遊んだり、お手伝いと称してこっそり裁縫や野菜の目利きを教えてくれたり……ふふっ、子爵令嬢らしくないでしょう? でも、ボタン直しはとっても得意ですよ」


 思えば、メイドたちがじゃがいもの皮剥きをやらせてくれなかったのは、ペティナイフが危ないからでした。私が持たせてもらえるのは針くらいなもので、いつも誰かに見守られながらだったことを思い出します。


 それでも、記憶を辿ってメイドたちの手つきを思い出し、私は目の前のじゃがいもの皮を薄く剥いていきます。確か、こうだったはず、水にさらしてアクを抜いて……彼女たちはずっと、そんな手間暇をたくさんかけて、料理してくれていたのです。


「見様見真似ですから、今日はじゃがいもを茹でてペーストにして、サンドイッチにしますね。ラヘルは……食べられませんか?」

「ん? いや、食べること自体は問題ないよ。人間と異なるのは、あくまで私は食物の魔力を吸収する体構造であることだ」

「じゃがいもにも魔力が?」

「あるとも。ごく微量だが、この世のすべてに含まれている」

「なるほど、ではラヘルの分も……」


 そう言って、私はふと考えてしまったことが、口に出てしまったのです。


「もしかして、血が必要なのに我慢をしていませんか? 私でよければ、あなたのために」


 私が言い終わる前に、強く発せられたラヘルの言葉は、激昂ともいうべきものでした。


「だめだッ!」


 それは思わず肩が震えるほどの、怒声でした。


 少年の姿に似合わず低音の声が、それも怒りを含んで発せられたのです。私は驚き、己の迂闊さを呪います。何が気に(さわ)ったかはともかく、ラヘルへ謝らなければ。


「ご、ごめんなさい、私はあなたを怒らせるつもりはなくって」


 ラヘルはすでに、駆け出していました。厨房から飛び出してしまったのです。


 私は慌ててじゃがいもとペティナイフを放り出し、追いかけました。カーテンを閉め切ってランプの灯りだけとなった廊下に出ても姿はなく、足音のするほうへと必死になって走ります。


 ああ、運動はやはり適度にしておくべきでした。階段まで走っただけなのに、もう息が上がっています。忙しなく扉が開いては閉じる音がして、私はラヘルの名前を呼びながら探します。


「ラヘル、出てきてくださいー……」


 日光の当たるところにはいないはずですから、ラヘルが隠れるとすれば地下でしょうか。しかし、まだ慣れない建物の内部はよく分からず、そもそも地下への階段なんてまだ見たことがありません。


 うーん、と私が足を止めて悩んでいたそのときです。階段下の物置部屋が目に入りました。


 ひょっとして、ひょっとするかも。一回り小さめの扉を開けてみると、聞き覚えのある開閉音がしました。物置部屋の中には、掃除道具やバケツ、丈夫な布がまとめてしまわれており、その奥に、古びた木製のロッカーがありました。間違いありません、扉の隙間に執事服の端っこが引っかかっています。


「あの、ラヘル。怒っていますか……怒っていますよね、はい……」


 すると、鼻をすする音がして、返事がありました。


「怒ってなど、いない。私は、浅ましい己に嫌気が差しただけだ」


 しかしながら、ロッカーの扉をそっと開けると、ラヘルの縮こまった背中がありました。どう考えても今のラヘルは平常心ではなさそうですし、私の迂闊な言葉のせいであることは確かです。


「ラヘル、こっちを向いてくださいな」

「ふん、どの面下げて君に会えるというのだ」

「それはいいですから、狭いし埃っぽいですよ、そこ」

「どうせよわよわな吸血鬼なのだからここがお似合いだ。ここを私の棺桶にしようそうしよう」

「掃除道具入れをベッドにしないでください」


 ロッカーに挟まっている吸血鬼の王様は、ずいぶんと弱気です。なんだか、とても申し訳なくなってきました。


 これでは埒が開きません。私は丸まった背中へと謝罪します。


「無思慮に血のことを話題にしてしまったことは謝ります。ごめんなさい、知らないからと気安く口にしていいことではありませんでした」


 言い訳にもなりませんが、確かに私は吸血鬼について一般的なことしか知りません。血を好み、魔法を使い、コウモリの翼で空を飛ぶ、そんなイメージくらいです。異種族とはいえ、理解が乏しいことは否めません。


(ラヘル、私を助けてくれたのに、それも何度も……なのに私は、ラヘルのことを何にも知らないのね。知ろうともしていなかった。ううん、後悔も言い訳も今はいらないわ。私のためにもラヘルのためにも、これから知らないと……!)


 正直に言って、私は今、何が正しくて何をすべきかなんてさっぱり分かりません。この城砦にいることや、フィオやラヘルに守ってもらうことが正しいかさえも、です。


 でも、ラヘルは私を助けてくれたのです。少なくとも、一度は確実に。そして、私に危害を加えようとはしていない。なら、敵ではないのですから——今は、きっとそうなのです。


 私の考えは、甘いでしょうか。もっと、フィオやラヘルが嘘を吐いていると疑ってかかるべきでしょうか。それでも、私はもう後悔したくありませんでした。


「……違う。君のせいではない、私が吸血鬼だから悪い」

「そうではなくって」

「人間であれば、君とありのままで過ごせただろうに」

「そうすると、私は命が助かりませんよ。あなたが吸血鬼だったから、私は今、生きているのですから」


 それは変えようのない事実でしょう。私は、()()()()最初から騙され、処刑にかこつけて殺される運命にあったのです。その運命は、フィオとラヘルの尽力によって打ち破られ、それはどちらか片方だけではダメだったはずです。


 愛しているから、というラヘルが私を助けたい理由こそまだ信じていませんが、事実は事実です。ラヘルが吸血鬼だったから、フィオと一芝居打てて、私は助かった。納得するには、それで十分です。


 まだ少し、ぐしぐしと鼻をかむ音がしましたが、ようやくラヘルは立ち上がって、背中を向けたまま不承不承の納得をしてくれました。


「仕方ないな……だが、今後も絶対に、私に血を渡すような真似をしないこと。二度とそんなことを勧めないでくれ。いいね?」

「はい、分かりました。機微なお話だと気付かず、失礼しました」

「いや、気にしないでくれ」

「気にします。だって、これから一緒に暮らすのでしょう? 私だってあなたことが知りたいです。あなたたちばかり、私のことをご存じだから」


 なぜか、ラヘルは肩を落としました。その尖った耳の先端が紅潮しているのは、黙っておきましょう。


 心の整理がついたのか、ラヘルは振り返り、ため息混じりに話題を変えました。


「私のことなど知らないほうがいい。それよりも、マイナーにはすでに伝えてあるが、君にも忠告しておきたいことがあった」

「何でしょう?」

「セサニア王国ブリジット王女のことは知っているか?」


 それは誰でしょう、と言いかけて、私は風の噂で耳にしたことがあるような気がしました。


 何せ、私の実家ヘリナス子爵領は田舎です。王都の話題などあまり入ってきませんし、入ってきたとしても数ヶ月遅れです。大抵は面白くない政治の話ばかりですし、王族の名前を覚える必要もなかったため、記憶のどこか片隅にあった——かのような情報を、私は(さら)ってみました。


「直接お会いしたことはありませんが、はい。ブリジット王女は勇猛果敢で、聡明な方だとうかがっています。それが、どうかしましたか?」


 ロッカーから出てきたラヘルは、ようやく本領発揮とばかりに、不可解な疑問を投げかけてきました。


「その王女だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

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