多面チェス その4
「いじらしいね。取る手が少しボクと似てるかも」
「c5からe7……、いや、もう敗けたな。キャプチャーに切り替えるか」
「いいの?」
キャプチャー、つまり駒を取ることに戦術を切り替える。それは、総合順位の勝利を手放すということ。リタたちにとっては有り難いが、今のノアの姿を見ると、自分たちの小遣いが減っても勝たせてあげたいという庇護欲がこみあげてくる。
「敗北の代償は潔く払うしかない。遊びで助かった」
背を丸くし、盤上に突っ伏すノア、その肩と声は震えているのが見て取れた。
口には出さないが、リタ含めクラスの全員が泣いているのだろうと思った。
「泣いてはないけど、悔しいよ。本当に」
ノアも彼らの考えていることくらい分かる。
伏せた姿勢から一転、天を仰ぎ、気持ちを落ち着かせたノアの表情は確かに泣いてこそいなかったが、半泣きであるのがよくわかる。
「マジで滅茶苦茶されたわ。メヌとピットは裏で組んでるっぽいし、なぜかジョーカーはバレてるし、メヌはアホみたいに捨て駒使って攻めてくるわ。どうなってんだ」
メヌとピットは八百長して持ち時間増やしたんだろうってことは分かった。けど、メヌの攻め方が異常すぎる。捨て駒多用できない己は一瞬で瓦解した。あんな攻め方、百万残らないぞ。推定50万、こっちのスパイに払ってると仮定したら、手元に一人一万もいかなくないか?
「おそらく沈んでるのはアーサーと僕たちだ。アーサーはせめて一勝をもぎ取ろうとすごい攻めてきてる。もう僕らにできることはキングを囮にちまちま稼ぐしかない。みんなもその方針でいいよね?」
自分の敗北を早い段階で認め、せめて部下たちには何かを残そうとする潔い姿勢は確かにリーダーとしての素質は十分だと生徒たちは理解した。手痛い敗北を正面から受け止めたノアもこんな遊びのレクリエーションとしては得難い成長を手に入れた。
「はい、お疲れ様です。凄いことになってたね……」
このレクリエーションの運営代表のオズ・カンザスは労いの言葉を掛けながらも、引いている様子を隠しきれずにいた。
手塩にかけた愛弟子のノアがこの数年でどんな術師に成長しているだろうかと内心、心躍らせて楽しみにしていたら、メヌエットのグループで死者を出さない処理に忙殺されるわ。このチェスでもノアどころか、この国の王様まで手玉に取る悪女に成長してようとは誰が想像できるか。
「総合順位は火組が3勝、金組が2勝、地組が1勝、水組が0勝で火組の優勝。それを率いたピット・セラフィエルには聖堂、研究棟を自由に出入りできる特権が付与される一級優待生の称号が授与されます。他は順位に応じて2級から4級が振り分けられます。説明は後程ということで、代表してセラフィエル、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ピットはその紋所とも言える学生証を受け取る。学籍番号9281、この特権はメヌエットから与えられたもので、彼女に返還してもいいと考えていたが、彼女の満足そうな表情を見るに不要だなと笑った。
「……」
基本、笑顔を絶やさないピットの様相にオズは苦手意識を感じる。明らかに自分より強いし、底の見えない感じが凄く嫌だ。そして、なぜだが、見覚えがあったりなかったりするような気がする。彼も、初対面の挨拶が初めましてじゃなくて、若干お疲れ様ですみたいなニュアンスがあった。
「何はともあれ、お疲れ様。ノアもいつまでもいじけてないで」
この場に集められたのはこのレクリエーションでリーダーを務めた四人。ピット、メヌエット、ノア、アーサーの四人だ。
そして、下位二位に沈んだノアとアーサーは仲良く机を並べて、口を膨らませていた。可愛いらしくはあるが。まるで姉弟のようにシンクロした表情には同じ文言が書かれていた。
「リベンジしたい!」
ノアとアーサーは口を揃えていった。
二人の戦果はもうボロボロ、上位二名に組まれてボコボコにされて、最後にはどちらが三位になるかという下らない競り合いをさせられていた。オズの私的には四位に沈みながらも、アーサーとメヌエットの組の駒を食い散らかし、賞金という側面で見れば優に200万を超える戦果をもたらしたノアの方を評価できると感じた。
速い損切りに生徒、部下のことを考えられたノアには勝敗とは別に褒めてやりたいという気持ちもある。
ノアは村にいたときから割と仲間思いで、状況判断も的確、自分なんかよりも余程常識を弁えている。というか、それにくっついていたメヌエットがこんなサイコパス気味というか、比類なきサイコパスに成長していたことの方が驚きだ。
「長い学園生活、手合わせすることは近いうちにあるよ。それこそ、冠位の席取りとか」
私がぶっちぎりの最下位を死守していた七人の冠位制度はまだ、存在だ。入学したばかりの彼らには評価不足でまだ参加できないが、一、二年後にはここにいる全員が冠位になってもおかしくない。
「不服そうだ」
彼らの顔には武力で勝ってもしかたないとありありと書かれている。
「悔しい?」
満足そうに傍観していたメヌエットが口を開いた。
煽りに行くのか……。変わったなあ。
「そりゃな。あそこまで綺麗にしてやられたらな」
「リベンジしたいのは分かるけど、同じようなルールで戦ったのなら、また私が勝つよ。いや、まだ私が勝つよ」
メヌエットは自信満々にそういった。また勝つをまだ勝つと言いなおした彼女の真意に気づけていない内は確かにまた、いやまだ彼女が勝つだろう。
「随分な自信だな。二度も同じ目に遭うか。それこそ、同じように負け犬同士で組んでもいいかもしれない」
「いいや、私が勝つよ。だって、ノアは私に敗北した理由がまだ分かってない」
メヌエットの自信、それが嘘偽りのないことをこの場の全員が感じ取る。故に皆が静かに彼女の次に発せられるだろう戦略の全貌を固唾を飲んで聞く。
「ノア君の口ぶりからして、私がピットに首を差し出して、強引に持ち時間を作ったというのはバレてる。でも、それはゲームの概要を聞いた一時間で立てた戦略であって、ゲーム開始前の3日間で立てたものじゃない。つまり、それは本命の戦略じゃない」
本命の戦略じゃないと聞いて思い出したというか、ぱっと思いつく要素、心当たりというものがノアにあった。
「スパイか……」
「それもある。白状すれば、私はノア君のクラスから一名、百万円ほどで買収をかけた」
「百万!?」
ノアだけじゃない、皆が驚愕する。同盟を組んでいたとされるピットも少しばかり面食らった様子だ。
そして、ノアは思考する。
百万は己が最大限、それでも無いなと排除していた五十万の倍。大金で思い浮かぶ可能性。霧の村で貰った貴重品を売れば、そのくらいの金は作れるが、それは己が管理している。そういうことじゃない。けど、百万を提示されれば、流石に40人ほどいりゃあ一人と言わず、何人かは裏切る可能性があるか。
「普通にクラスから徴収したよ。ポケットから出したわけじゃないから安心して。本当はアーサーの所にも忍ばせたかったけど、王様を裏切らせるのは容易じゃない。ピットとは元々組んでもいいと思っていたからね」
ノアが思考したポケットマネーの可能性を読んで、心配ないと彼女は告げる。
その説明で己のクラスだけにスパイを潜り込ませた理由は得心がいったが、知りたいのは理由じゃない。手段だ。
「どうやって了承させたと思う?」
メヌエットはつかつかとノアの元へと歩みを進める。ノアは彼女の魅了するような紅の瞳から目を離せなかった。
「ねえ、どうやってだと思う?」
「……見当もつかない」
蛇に睨まれた蛙のように掠れた声で何とか、ノアは口にする。
「魔法、法陣の使用は対局中には認められない。けど、準備期間の3日間まで制限されていたわけじゃない。入学試験から、私は変に悪目立ちしていた。それはそれで利用できる。単純に、このゲーム、私に全面協力しないと、この学校から排除すると脅した。八割方それで引き下がった。残りの二割は不殺の証明の使用許可を得て、多対一で心が折れるまで、八割の生徒に見せしめのように必要以上に戦闘不能にした」
机に片足を乗せて、ノアの襟元を掴んで、強引にその紅き瞳を見つめさせる。そこに幻術や、魅了の効果を乗せてはいない。それは、少女の私のことを見て、認めてという訴え。
「クール。天才かよ」
彼女の真意は彼に届いた。この瞬間、ノアからはメヌを守るべき対象という考えは消えうせ、ピットらと同等以上の尊敬を彼女に抱くことになった。




