不殺の証明 その3
25話
「ねえ、弟。58足す31は?」
「89?」
栗色の髪をした高校生くらいの少女は自身の弟に問題を投げかける。
投げかけられた簡単な問題に少年は苦労せずに解を導き出す。
「じゃあ、定義域がx軸上の0から4の時、上に凸の二次関数の放物線mの軸が0より小さい場所にある時、y軸の最小値をとるxの値は?」
「え、ええと……」
紙に書き写してみると、大したことないの高校の初めに習うような問題だが、口頭でとなると、途端、脳内描写が難しくなる。
「3日前に教えたばかりなんだけど、この試験が終わったらすぐ、筆記試験だよ?」
姉が弟に勉強を教えている様、この戦場が東京、新宿を舞台になっているのもあってかなりマッチしている。ある一要素が無ければ。
「ご、ごめん。でも今はこの戦いに集中しなくちゃ」
少年は周囲を見渡し、改めて現状を確認する。
そこには第8グループの参加者がゾンビのように呻き、光の失った目で周囲を徘徊している地獄のような現状があった。
「だから、その対策にでしょうが。この局面、お前も知っての通り、厄介な幻術がばら撒かれている。怒りを伝染させ、思考力を奪う幻術。それは癌細胞のように侵食し、対象を蝕む。対策法は思考を絶やさない。集中を切らさないこと。お互い、声をかけ続ける」
そうすることで、思考が必要であればあるだけ、正気を保てるし、自分が幻術にまだかかり切っていないことが分かる。
この術者、相当にタチが悪い。人死が出てもおかしくない能力だ。いくら教師陣の補助があるからといってぶっぱなせるのはイカれてる。
あそこの緑髪、あれは確かオズ・カンザス。生きる伝説は言いすぎだけれど、この学校の卒業生だし、今年度の教師なんだろう。頭を抱えている。
「さて、弟よ。私たちは火急速やかに術者を叩かないといけない。術者はいったいどこにいると思う?」
「……高所、高台。あのビルの屋上!」
燦燦と照り付ける太陽、薄目で指さすのは東京都庁。
術を広範囲にかけるのなら、広く周囲を見渡せる高台。誰だってそう思う。かくいう少女、リタも最初はそのように考えた。
否、今でもそう思う。その可能性は高い。
だが、こうも思った。
開始して30分も経っていない。
それでここまで汚染されているのに安全なところで見物決め込むだけでこんなことを引き起こせるのかと。
もし、ちゃんと下に降りてきているとして、どうやって皆に幻術をかけているのだろうかと?
「さて、ここで質問。象を冷蔵庫に入れるにはどうすればいい?」
姉からの質問に少年、アスクは考え込む。
「バラバラに解体するとか?」
「グッド」
少し残虐な回答を思いつくのは、好い傾向だ。
心が弱くない証拠だ。
「だけど、正解は冷蔵庫の中の物を取り出して象を入れるだ」
アスクは意味の分からないといった顔をした。
「つまるところ、敵は堂々と真正面から幻術を掛けているのかもしれないってこと」
依然、太陽は燦燦と照り付ける。
21世紀の天候だ、それだけで40度近くあるだろう。
しかも、周囲のビルがその熱を反射している。コンクリを溶かすのではないかというほどに暑い。
しかも、しかもだ。
リタは一つ手を加えている。
「そこの黒髪の子供、お前が術者だな? 今からお前を攻撃する!」
黒髪の渦目の少女、メヌエットはピンポイントに何故分かったという表情。
彼女は幻術を掛けられている周囲のゾンビと同じような行動をして紛れながら、堂々と徘徊して、幻術をバラまいていた。
第五位階魔法・炎天。
周囲の温度を2、3度上げるというしょっぱい魔法だが、使いようしだいだ。
お前はそこらのゾンビと違って、額から流れ出る汗を拭った。
つまり、お前には理性がある。
「アスク!」
「一速・桜楼閃き」
迫りくる剣技、メヌエットは敵の足元に沼のような暗闇を出現させ、態勢を崩させ、すんでで避ける。
どうやって私に辿り着いたのか分からないが、ピンポイントで名指ししてきたことから、嘘やハッタリの類では無いだろう。
しかも、黙って攻撃すればいいものを、敢えて宣言してきた。
これはこの試験の本質を理解しているからだ。周囲の受験者をぶっ殺し回れば、いずれ私に辿り着く。それをせず、推理だけで私を追い詰めてきた。監督者へのアピールだ。
やる。この子はこれで受かった。
更なる見せかけの月の頒布のため、手放しにしていた支配権を寄り戻す。
手駒に出来そうなのは3人。
どう王手に詰めるか。
頬の切り傷から流れ出た血を舐めながら、メヌエットは笑った。
「二速・蒼龍」
「弐の型・双竜」
続く、アスクの追撃を一番、出来そうな青年を手繰り寄せ、対処してもらう。
名も知らぬ彼だが、鍛え抜かれた身体は、攻撃を本能で処理できる。
「双刀流! 当たりだ!」
双刀流。
ミッドガルド流、水麗派と並ぶ、三大流派の一つ。
しかも、その3つの中で一番難度が高く、剣士の平均値が高い。
双刀流は名の通り、二刀流だ。
右手と左手で全く違う攻撃を行う。右手と左手、右足と左足、右目と左目、それぞれ独立した動きを求められる。
一番、えげつないのは右肺と左肺で呼吸を別個にしなければならないとかいう、イルカみたいな超人的動きを要されることだ。
だから、どれだけ優れた二流派の達人でも全く習得できない。完全な才能の世界。
これなら、私と彼だけで対処できる。
残り二人には彼女の方に対処してもらおうか。
「アスク、彼女の目だけは見るなよ!」
「了解!」
リタは炎魔術で二人に対処しながら、警告する。
アスクとかいう少年、かなりやれる。
双刀流が圧されている。
「意外に押されているなんて思っているのかもしれないけど、それは違う。いくら上手く操ろうと彼の才覚は彼だけの物。他者を足蹴に軽く扱うその傲慢、打ち砕いて見せる!」
「うるさいなあ。 気にしてるんだよ?」
「見せかけの月!」
メヌエットは赤い目をかっぴらく。
「見ないよ!」
「君じゃないんだよなあ」
電線に留まるハトに幻術を掛けて、突っ込ませる。
「動物まで操れるのか!」
「人間は動物じゃないの?」
人間でもない、意識外の攻撃、鳥の突進、それ自体は大したことのない攻撃でも体勢を崩すのには十分すぎる。
青年の二刀の切っ先が届く、両目を切り裂いた。
失明させた。
「アスク!」
少女の視線が弟に釘付けになる。
少女は怒りによってわなわなと肩を震わせる。
「人を意のままに操るお前みたいな下衆に負けていいわけがない」
少女に向かわせた二人が地に伏している。
見るところ、外傷もない。
「幻術を破った?」
そのように思考するメヌエットだが、そうではない。
リタは炎魔術で二人に対処する受けと同時に、それで周囲の温度を上げる攻めも同時に行っていた。
ただでさえ、クソ暑い21世紀の大都市、東京。
不殺の証明、聖女の固有結界内では当時の湿度まで如実に再現されている。
密集するガラス張りのビル群が太陽光を反射し、実温度を異様に引き上げる。
加え、炎天含む炎魔術で周囲の温度は10度は上昇。
先より、水も無しで働き詰めのアリは脱水症状で沈んだ。
「不知火!」
リタの炎魔術、それと。
「三速・心眼止水」
「やっちゃた! サードアイか」
周囲の状況を視覚無しの肌勘、本能で対処するミッドガルドの技。
二つの攻撃がメヌエットを襲う。
メヌエットは幻術特化の一芸屋。
今の彼女に二つの攻撃を捌き切る技量はない。
二つの攻撃が彼女のことを的確に狙えていればの話だが。
「幻術使いには、目を合わせてはいけない。けど、目を離してもいけない」
アスクの剣技を右腕でガード、もろに刺されながら、致命を避けたメヌエットは痛みに悶えながらも勝利を宣言する。
「目を潰したこっちは元より、あなたも彼の両目を潰した時に動揺して、私から目を逸らした。夜の支配者、暗所以外でも光るときはある。例えば、陽炎が立ち込めて、風景が揺らいでいるときとか」
明後日の方向に飛んでいく不知火を尻目に解説する。これもまた、監督者へのアピールだ。
目を潰されたアスクに真面な技は三速しか残されていない。
メヌエットの勝利が確定した。




