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一つ、さらに、もう一つ。


 ひとつ、引っ掛かっていることがあった。

 由利亜先輩の父、正造氏が、ある日突然暴力的になり、妻が出ていったというエピソードについてだ。

 昭和の小競り合いの時代から生き残り、世界に冠たる企業にまでおしあげた立役者。そんな人が、ある日突然張り詰めていた糸が切れたように人柄が変わった。

 由利亜先輩は夜にだけやってくる恐怖に怯えていると言う。

 人というのは奇怪な生き物だ。

 夜だけ人格の変わる人間がいてもおかしくはない、と思う。

 昼間にまったくやる気が出ないのに、ど深夜になるとめちゃくちゃ仕事が捗るなんてのも、漫画家の自叙伝で読んだことがある。

 だから時間帯によって、人間性に異常が出ることに対してはなにも違和感を持っていなかった。いや、前述のエピソードが人間性の変化かどうかは別として。

 違和感なんて、抱き用がなかった。俺は鷲崎正造と言う男を知らなかったのだから。

 でもその引っ掛かりは、俺のこの半年通して歩んだ毎日が線として結んでくれたような気がする。

 由利亜先輩の同居、地下の秘密基地、弓削家の事情、先輩の病気、三好さんの誘拐、斉藤さんと妖刀、戦国の残骸、中学時代の因縁。

 鷲崎家がどうして崩壊したのか。

 その答えには、正直なんとなく行き着いていて。

 あまりにも現実的ではなくて目を逸らしていたのだ。何かに取り憑かれているようだ、などという、荒唐無稽な考察からは。

 弓削綾音という存在は俺に突拍子も無い世界があることを示唆していたし、御牧たちが織田信長と行動を共にしていることで突拍子も無い世界との交流が一般人にも起きることを知った。

 由利亜先輩の産みの親があの集団といたことが、俺に正造氏の容態が病気では無い可能性を知らせていたし、全ての元凶であるあの兄がいまこの状況に首を突っ込んできていないことがなによりも俺が間違っていないことを示していた。

 だから、世界中の天才が集まるあの島でさえ耳にすることのなかった、お化けや幽霊といった類の話が妄想の枠にぴったりと収まる俺の思考はしかし、否定のしようのないほどに現実だった。

「太一くん?」

「どうしました?」

 高層マンションにたどり着き、いつものように屋上に向かう。

 俺の手を握り、まぶたが赤く腫れた幼女にしか見えない先輩に、俺は素知らぬ顔で問い返す。

「これからどうするの?」

 そろそろ夜も更ける。

 つまり、由利亜先輩にとってこの場所はよくない場所だ。

 だからだろう。不安そうに俺を見上げてくる。

「どうしましょうかねぇ」

 実際、現実的に事件の真実が見抜けたところで、俺に解決など不可能だ。

 取り憑いていると言う妄想がほんとうだったとして、お化け退治の仕事は今までしたことがない。お化け以外のものであれば何度か経験しているが、直接害のある存在というのは未経験だ。

 退治、ということになるかも知れないが、俺にはそんなことできないし、俺の知り合いでそんなことができるのは、由井何某くらいのものだろう。

 斉藤さんにもできるのかも知れないが、どちらにしてもお願いできるような義理はなかった。

 思考がまとまらないまま、エレベーターは最上階への到着を知らせてきた。

 どちらからともなく足を踏み出し箱の中から出ると、空気が生暖かく感じた。

「……ッ!!!」

 ゾワッ、と由利亜先輩が震え、強張るのが握った手から伝わってきた。

 この異様な空気感が、人間の世界のものでないのは確かなようだった。

 ふと、「弓削さんにお願いしてついてきて貰えばよかったなあ」と、恐ろしく今更なことを思う。

 ギュッっと、握られた手にこめられる力が強くなる。

「大丈夫ですよ、今は俺もいます」

 気休めにもならないことを平気な顔でいってのけ、鷲崎邸に向けて足を踏み出した。



*:*:*:*



 玄関を開けて中に入ると人がいた。

 見知った顔だ。

 家人鷲崎正造、鷲崎美樹、御牧省吾、そして、鷲崎正造を名乗った御牧省吾の父、御牧。

 正造氏が机の上で仰向けに寝かされ、その傍らで御牧さんと美樹氏がなにかお札のようなものを片手に握ってもう片方の手を正造氏に掲げていた。

 誰がどう見てもおかしな光景だ。

 美樹氏は涙を流しながら、御牧さんは少し苦しそうにしている。

「お、お母さん……」

 由利亜先輩が大きな目をさらに大きく見開き、あり得ないと言いたげにそう呟いた。

 声はごく小さなもので、届くはずなどなかった。

「由利亜!? こっちにきちゃダメよ! 出てなさい!!」

 一番にこちらに気づいたのは美樹氏だった。

 こちらもまた娘とそっくりな表情で、反対に叫ぶようにそう告げた。

「美樹さん、意識を逸らさないでください!」

 御牧さんもおどろいたようにこちらを見たが、すぐに目を正造氏に戻した。

「山野太一くん、君がここにきたってことはそういうことでいいんだね!!」

 そういうこと、などと言われても、俺はただ一言言いにきただけだ。

 なにやら大変に宗教的な絵面に出くわして、困惑こそすれ、この状況で俺にできることなど何もないのだが。

「君以外には不可能なんだ! 手伝ってくれ!」

 ただ現状を見つめていた御牧が俺に札を差し出して、「やれ」そう言った。

「いや、なんですかこれ」

「今は時間がない!! できる限りのことをしたいんだ!! 頼む!!!」

 切羽詰まる御牧さんの言葉と、由利亜先輩と正造氏を交互に見やり嗚咽を漏らす美樹氏を見て、俺は御牧から札を受けとる。

 これはさてはまたなにか面倒なことに巻き込まれてしまうんじゃないだろうかと、不安を胸に秘め。 

 不安そうな由利亜先輩の頭を撫でて机に近づく。

 受け取った札を握り、二人を真似て正造氏に手をかかげた。

 体の中からグワッと、何かが手を伝って流れ出ている感じ、札に込める力が増す。すると、流れ出る何かがさらに増えた気がした。

 そして見た。

 正造氏に巻き付く何かを。そしてそれが、俺の手から流れていく何かによって小さく変容していく様を。


───司さんに呼び出された時、確かユウちゃんが言っていた。

『神様の力は現象を引き起こすんです。私たちはその現象をお札などの道具を用いることで神様から力をお借りして起こします。水晶や鏡を使って占うのはそのためです。でも、太一さんやお姉ちゃんのように神様から力を借りずに自分の中の神力だけで現象を引き起こすことのできる人も稀に存在するんです。だから、力の使い方を覚えていただいて、暴走などしないようにしてもらいたいというのがこちらの人間としての願いなんです』


 ユウちゃん、俺その訓練、一回も受けてないけど……。


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