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265回 誰かのために生きたい。



 研究所を出ると日が高く登っていた。

 ここにきて一週間弱。目的は果たし、いる理由は無くなった。

 が、帰国するにも川上あたりに手続きをとってもらわないといけない。

 事情を聞きつけたあいつがここに来るのも遅くはないだろう。

 ていうか、あいつらどこで何やってんだ? 研究員がいるにしても、被験者を放置ってどうなんだ?

 タクシーの場まで出て、車を探す。

 呼んでいないことに気づいて天を仰いだ。

「俺たちがいるとお前はここにこないから、わざわざ空けといたんだよ。さすがのあいつらも無謀だって止めてたくらいの一大事だぞ?」

 どこから現れたのか川上がいた。

 いつものように。

「焦ってたのは演技か。なんのために?」

「いろいろとある。けど、一番はもうここにはいられそうにないからだ。金の問題じゃないぞ? 見込みがないと判断されたからだ」

 見込みがない、それはつまりさっきあんなにもあっさりと目を覚ました宮園が「起きない」と判断されたということだろう。

「流石に今日明日で出て行けってことはないけど、早くできることに時間をかける道理もないだろ?」

「そうだな、こんなに簡単なことに無駄な時間を使うのは、勿体ないな」

 心にもないことを言った。

 宮園唯華を眠らせ、起きることがないようにした責任からは目を逸らし。

「いろいろ試したんだろ? どれが一番効果があったんだ?」

 近くにあったベンチに腰掛けて、俺は川上の方を見ることもなく問う。

 「ん? ああ、んとな」と言葉を濁す川上。

 手に持っていた二つの缶のうち一つを俺に差し出してくる。俺が受け取ると、手に残った方を開けて口をつけた。

「100以上は試行錯誤した。こちょこちょから脳波の解析まで、何もかも尽くせる手は全部。その中で唯一脳の波長が変化したのは、お前の名前を呼んだ時だった」

 何もかもやって。

「俺の名前だけ?」

「そう。お前の懸念してる方は、一切無反応だった」

「別に懸念点なんかないが?」

「嘘つけ、顔に書いてあるぞ」

 缶を開けて口をつける。

 バツが悪くなったわけではない。ただちょっと喉が渇いだのだ。

「けどやっぱり、パスコードはお前がもってたんだな」

「人体を機械みたいにいうな。あいつは起きられたから起きた、それだけだろ」

 人の体の不思議。

 人間の脳みその不思議。

 それはいまだに解明しきれていない、人体の深海だ。

「お前にとっては、そうだったんだろう。けどな、ここじゃあそうはいかなかった。山野、お前は世界の異端者が集まるこの島でも異端というわけだ」

「あ? ああ……そうなるのか」

 なんだ、道理で兄貴がこの島にいつかないわけだ。大したことないな、世界中の異端者が聞いて呆れる。

「出国の手続きはしておいた。今日の夕方の便で帰れる手筈だ。忘れ物すんなよ?」

「悪いな、さすがに先輩たちをこれ以上不登校にさせるわけにもいかないからさ」

 川上は俺の方を見て鼻で笑った。

「そろそろくるか」

 そう呟いたのが聞こえた直後。

 タクシー乗り場に見覚えのある車が入ってきた。俺たちの前で止まると、扉が開く。

 降りてきたのは由利亜先輩だった。

 俯いて、でも確実に俺の方に向かってきている。

 十歩。五歩、三歩……。

 小さい体躯が近づいてくる。

 俯かれるとつむじしか見えないのだが、どうやらなにかお怒りらしい。

 怒っているのだけはなんとなくわかる。怒られてしかいないから。

 二歩。

 真っ当に話すならこの距離で十分に近い。

 そこから、一歩。

 ぎゅっと。抱きしめられて。

 胃の腑の方から何かが頭に向けて這っていくのを感じて、由利亜先輩の肩を持って遠ざけた。

「最低だよ」

 バツが悪くて目を逸らした先で、川上が腹を抱えて笑っていた。

(あいつ、今のうちに殺しておこうかな)

 バツの悪さより、殺意が上回った瞬間だった。



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