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260回 最小限の労力で。


 太一くんはよく小説を読んでいる。

 結末が読み切れる彼にとって、小説なんて娯楽にもならないように思った。

 だから聞いてみたのだ。

「本読むの好きなの?」

 彼は読み差しの本を閉じて答えてくれる。

「そうですね、結構好きです。綺麗過ぎなくて」

 綺麗過ぎないというのがどういう意味なのか、私にははっきりとわからなかったけれど、多分、作り手の思惑のようなものを太一くんは好んでいたのだと思う。

 一時期話題に上がっていた、AIが書いた小説、漫画、なんかをみても、

「結構いい出来ですよね。もっと昔の画家とかも日記とか書いていてくれればよかったのにって悔しくなりますよね」

 そんなこと言われても、私にはさっぱりだった。

 彼の言わんとすることを理解するためには彼との会話をいちいち止めて考えなくてはいけないから、私はいつも質問だけして彼の解答を笑って聞くだけのお人形だった。

 でも太一くんは自分のことを天才だなんて思っていない。

 それはきっと、太一くんが生まれながらの天才だから。

 一樹さんから仕事を受ける時、太一くんは決まっていう。

「兄の尻拭いは弟の仕事ですから」

 自分で天才と呼び、仰ぎ見るように崇めるお兄さんに対して、彼は太々しくも不遜に嘯く。

「ちょっとは兄らしく振る舞って欲しいもんだけどね」

 彼にとって天才とは、兄を呼称する蔑称でしかないようだった。

 少なくとも、私にはそう見えた。

 一樹さんが頭を抱えるほどの難題をものの一週間で解決してしまう彼の存在は、きっと、天才という枠では収まらないんじゃないかと思った。

 でも多分それは一樹さんの思惑だ。

 きっとあの人にはもっと先の何かがある。

 太一くんがこうしてここにいることもあの人の思惑なのだとしたら、私は太一くんの手を握り続ける義務がある。

 世界を揺るがす天才が、自身を卑屈に見るほどの才能。

 それはきっとこの場所で最も偉大で、もっとも手放さざる存在だから。



:*:*:*:



「由利亜先輩、家つきましたよ」

 寝こけるちびっ子を揺すり、声をかける。

 結局この先輩は絶景とやらを見ることなく、家に帰ってきていた。

「んー……ベッドまで運んでぇ……」

 寝ぼけたふりをしているのは、百も承知だ。

 この人に関して、朝方寝ぼけるというのはあまりない。

 夜更かししてポヤポヤしているのはよく見るけれど、それも甘える方に振り切れることはない。

 むしろ全部自分でやろうとする。

 食器の片付けから掃除まで、寝ぼけていると何故か全部やろうとする。

 そうなったら、もう無理矢理寝かしつけるのだ。

 でも朝起きると覚えていない。

 ではこうやって謎の行動をとるのは一体どういうわけか。

 何か思惑があるに違いないのだった。

 俺にはわかる。

 この人は俺とあのばあさんの会話を全て聞いていたのだろう。

 狸寝入りというやつだ。

 いや、二度寝をしない人だということを知っていたのだから、もちろん寝てはいないんだろうなと思っていた。

 だから俺はあまり深い話をしていない。聞かれたくないことは何も。

 あのばあさんは狸寝入りに気づいていなかったようだから、ペラペラと研究機密を口外していたけれど、それも別に知られたところでどうということもないことだったのだろう。

 まだ研究には先があるということなのかもしれない。

 どうでもいいことだ。

 進んでいようが止まっていようが、俺がそこに加わることはない。

 でも、この国からはさっさと出ていかなければならないようだった。

 お姫様抱っこで由利亜先輩を車から運び出すと、玄関を足で開けてソファに寝かせる。

 タクシーに戻っておっちゃんに一言。

「よろしくお願いします」

 俺の言葉を聞くと、おっちゃんはアクセルを踏んだ。

「あいよ。任せな」

 5分後、俺は目的地にいた。


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