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嵐の前には準備が必要ですよね。


 アメリカでも月は丸いんだな。

 そんなふうに思いながら空を見上げる。

 見上げたくもなる、気分だった。


「やらないって言ってるんだからこれ以上の干渉は控えてくれない?」

「なんのために渡航費出したと思ってるんですか。何もせずに帰られたら困るんですよ」

「でもそれはそっちの都合じゃん? こっちは別にそれを承諾してきたわけじゃないし」

「都合つけてもらうのは前提条件でしたよね?」

「私たちはアメリカに連れて来るのを承諾したの。アメリカに来てからの行動は別」 

「連れてきて、遊んで帰りますってことですか? この国からはそう簡単に出られませんよ?」

「それは脅し? 生憎だけど、お金も飛行機飛ばすくらいのお金は自由に動かせるよ」

「わしちゃんそれまじ? 今度成層圏ダイビングやりたい!」

「ちょっと黙ってて」


「ねぇねぇ先輩。今日は私の部屋で一緒に寝るよね?」

「ひいみちゃんは本当に死を恐れない強い人だよね」

「なにそれ今までの脅しの中で一番怖いかも」

「脅し? 違う違う。私の後ろでさっきから、すごい殺気がね」


「太一くん、後輩に甘すぎない? 私がやるとすぐ追い払うくせに」



 やいのやいのと続いていたやりとりが一通り終わったらしく、俺のところにお呼びがかかった。

 で、じゃあ俺が今どういう状況なのかと言えば。

「腕捻られて身動き取れなくされてる人間に、そういうこといいます?」

「簡単に抜けられるでしょ」

「俺にそんな武術の達人みたいな動きはできません」

 この人は何かと俺のことを過大評価している。

 由利亜先輩と合気道で試合をしても、俺はしっかり負けられる自信がある。そもそも俺は武術の心得など無いに等しいから。

「取らせないことだってできたでしょ」

 言い返されてむっと睨む由利亜先輩。

 重ねられても返せる言葉は多くない。

「普段なら、簡単だったんですけどね」

 逃げる、という選択肢はそもそもなく。

 振り払うのも面倒で、いつもなら、

「いつもなら頭握りつぶされるんだけど、今日はなんか何もされなくてラッキーって感じですよね〜」

「暴力を封じられれば、一個下の女子に簡単に腕をもがれそうになってしまう。その程度の実力ってことです」

「やかましいわ」

 両隣からバカが喋るから、バカがうつって脳みその中身が減ってしまっている気がする。

「私の言ったことを守ってるからそういう状況になってしまっている、そう言いたいってこと?」

「いっちゃん先輩はそんなこと言わないと思います。むしろもっとこう、『怖いから聞いとこう。』みたいな」

 埜菊の余計な一言というのは俺にとってはいつものことで、その度にゴリゴリと頭を削っていた。

 しかし俺のいつも通りが他人のいつもと同じではない。

 そういう意味では、由利亜先輩は割と煽り耐性というものがないのかもしれない。

「太一くん今失礼なこと考えてるでしょ」

「いいえ」

 じとーっと睨まれた。

「ともかく、その手を離して。くっつくにしてももう少しやり方があるでしょ」

「そりゃそうだ」

 うんうんうなづく俺。

「それもそうですね」

 最初に離したのは碧波の方だった。

 正直こいつは埜菊に乗っかってふざけてるだけだと思うから、まあ妥当っちゃ妥当か。

 しかし、一方の埜菊は手を離さない。

「ここで離したら、逃げるからダメです」

「だそうです」

「逃げるの?」

「逃げませんよ。由利亜先輩はともかく、俺はこの国からは自力じゃ出られませんし逃げようがありません」

 由利亜先輩くらい金持ちなら、あるいは金の力だけで日本行きの飛行機をチャーターできるかもしれないが、俺には存在力の知り合いがいない。

 いや、正確にはいるが、貸してくれるわけがない。

 だから俺がこの国から出るには、由利亜先輩について帰るか、こいつらが諦めて俺をアメリカから追い出すかの二択しかない。

「太一先輩にできないことがないことは、私が一番よく分かってますから」

 バカが、バカらしくない声音でそんなことを言ったから、俺は不思議に思う。

「空も飛べないし、瞬間移動もできない、地球だって割れない人間に、できないことがないは流石に言いすぎだろ」

「太一君一人だけ生きてる世界線がドラゴンボールなの?」

 おお、珍しい。

 先輩からツッコミを引き出したぞ!!



;*;*;*;



 なぜ、アメリカに日本の豪華版タクシーの車両まであるんだろう。

 そう思いながら、俺たちは爆速タクシーに乗り込み一瞬で帰宅した。

 まだ話があるとかで、川上たちもついて来ていた。

 正直時差ボケでちょっと眠いし、というか由利亜先輩は半分寝てるし、早々に帰ってもらって話はまた明日くらいの気分なんだが、何かしら急ぎの用でもあるらしい。

 ダイニングテーブルに俺と先輩、川上と埜菊が腰掛けてお茶を囲み、由利亜先輩と碧波はソファーでテレビを見ている。

 多分あのまま由利亜先輩は寝るな、そう思いながら、俺はマグカップのコーヒーに口をつける。

 先輩は考えるようにしながらも何も言わない。

 ここに来た時点で、俺がこいつらに何をさせられるのかは聞いていたはずだ。

 ここに誰がいて、どういう状況なのかも。

「なあ山野」

 そう切り出したのは川上だった。

 一口も口をつけることのないマグカップは、最初より湯気が減っている。

「お前がどうしてそこまで頑なに宮園を起こしたくないのか、俺にはわからない。だけど、お前だって心残りなんだろ? 宮園が目を覚さないことに、お前は心苦しさを感じてるんじゃないのか?」

 川上という人間は、スマートな生き方をしている。

 高校生ながらに山野一樹と交渉の末に何かを勝ち取り、そして立ち回って見せ。

 他人の生き方に口を出したかと思えば、自分の娯楽に変えている。

 スマートで、あまり人間らしくない、そういう人間だ。

 俺が知る川上恭吾という人間は、そういう男だ。

 翻って、今のこの男はどうだろう。

 何かに焦り、人を頼りにすがりつく、この男。

 これは俺の知る川上恭吾、その人だろうか? いや、確かに人物としてはその人なのだ。だが、パーソナリティーが、個人としての生き方が、あり方が、見え方が違うように思う。

 こいつがなぜこうまで必死なのか、俺は、知らなければいけないのだろうか?

「太一君」

 川上の問いに答えあぐねる俺を先輩が呼んだ。

「太一君は、太一君のやることをしているんでしょ。だったら、二人のことを棚に上げて、他人を割り込ませなくていいんだよ」

 ずっと黙っていて。

 何を考えているんだろうと思っていたが、なるほど。

「先輩はすごくたまに、とってもいいことを言ってくれますよね」

「太一君がすごくたまにしか困らないから、とってもいいことを言ってあげられるタイミングが少ないんだよ」

 普段はダラダラしているくせに、こういう時の先輩風の吹かせ方は超一流だ。

 マグカップを持ち上げて一口あおる先輩の横顔を見て、自分の口角が上がるのが分かった。

「川上。俺は確かにまだ宮園に何もしてやれてない。これからもしてやれることなんかない。だから、だからと言って、それで俺は自分のやることを変える気はないんだよ。だから悪いが、宮園を起こす手伝いはできない」

 俺にできるのは待つことだけだ。

 宮園唯華が、自分から目を開けて。


「山野先輩」


 そう呼んでくれるのを。



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