255話 どうしてもこうしてもできないよって話。
風が吹き抜ける屋上で、青い空を見上げているとドアの開く音がした。
ガチャンと重い音と同時に、名前を呼ばれる。
そちらを見て、またダメだったか、と。
見た目には何もわからないけれど、佇まいで判断する。
笑顔で理解する。
もうダメなんだと認識して、俺はそいつのお願いを聞こうと決心する。
「私と別れてください、先輩」
仰向けに寝転ぶ体を起こし、肘をついたまま顔を見て。
「付き合ってないけどね」
自分の後輩にはこんなのしかいないなあと、釈然としない気持ちで感情を押し殺した。
これから俺は、こいつを殺すんだと、自分を殺す。
*:*:*
「いっちゃん先輩と出会った時、私は病気がちでした。たくさんの薬と毎日の通院、少しでもサボれば体が言うことを聞かない。免疫不全。お医者さんはそれしかわからないと言っていました。
「でもいっちゃん先輩は私の病気がなんなのかを一目で理解したんです。
「私が何を言うでもなく、ただ具合悪そうにしていただけで、いっちゃん先輩は私に治療法をくれました。
「一年で症状は一切出なくなりました。今こうして先輩といられるのは先輩のおかげなんです」
埜菊ひいみの過去はそれなりに壮絶だと思う。
注目を浴びた過去。病気によるひとときの休養。
治り切らない体での無理。結果、更なる悪化。
医者の手には負えなくなった故の自宅復帰。
人並みに生きたい人間の、人とは同じになれないという絶望を彼女は味わっていて、俺はその絶望をみじかで見てきたから。
だから俺には彼女を見放すことができなかった。
「ただ、見放すことができなかっただけなんだけどな」
許されるなら、過去の自分を殴ってでもその行いを止めたい。
「始末に追えない後輩を抱えることになって、中学の二年間は潰れたといっても差し支えありません」
俺は白状する。
「助けてくれたお礼に一緒に過ごしてあげた彼女に対してその言いよう、ちょっとひどくないですか!」
「ひどくない、彼女じゃない」
すがるような目の後輩に、俺は冷めた目を向ける。
「本当に?」
不意にそう聞いてきたのは由利亜先輩だった。
「本当に彼女じゃなかったの?」
何気ない風の由利亜先輩に、俺はこれまた何気ない風に答える。
「これを彼女にできるっていったら、そりゃあもう恐ろしいほどの度量がないと無理でしょう。俺にはないですね、間違いなく」
「太一くんたち、誰も紹介しないから私の勘違いかなって思ってたんだけどさ、あえて聞いていい?」
碧波の顔を覗き込み、由利亜先輩はじっと見つめて。
「碧波さん、菊野みいって芸名で活動してない?」
「あー……」
そういえば、いってなかったっけ。
多分四人で一斉に思った。
「そ、そうなんですよぅ」
バカがバカみたいな返事をした。
「太一くんがまた隠し事してた。前にテレビで見たとき何も言わなかったのに」
ぶすっと呟かれたのはまたぞろ呪詛だった。
「だ、黙ってたわけじゃないですよ? ただ、やっぱこう言うのって言わない方がいいかなって」
「わかるけどさ、別に私には言ってもいいじゃない。無理に会わせろとか言わないよ?」
「そうなんですけどぉ……」
答えに窮して黙る俺に加勢したのは珍しいことに川上だった。
「まあ言うほどのことでもないと思っていたんですよ。だって、菊野としての活動よりも碧 波としての活動の方が大きかったですから」
しかしその加勢の仕方は後輩を痛ぶるものだった。
だから嫌われるんだよな、こいつ。
「碧 波って、子役の? え、芸能界引退したんじゃなかったの?」
「しましたよ、子役の碧波は。ただ芸名を変えて戻ったんです。そうして、研究費を稼いでいる。微々たる額ですが、ここに来るまでの唯一の研究費でした」
先輩は何も言わず碧波の手をとってブンブン振っていた。握手のつもりらしい。
「七色の声、十色の役柄、碧 波。ちっちゃい頃大好きでした!」
そして由利亜先輩も目がキラッキラだった。
「あ、いやあ、どうもどうも……」
さっきまでの威勢が消え、碧波は完全に引いていた。
右腕を上下に振られながら、左手で頭をかいて。
「そんなわけで説明の難しいバカはほっといて、本題だ。
宮園唯華を起こす。
協力してくれるよな、山野」
話の流れをぶった斬る川上の問いかけ。
俺は考える間も無く、口を開く。
「え、いやだけど」




