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225話 他人(の)事。


 正直なことを言うと、俺は毎日同じことを繰り返して生きて生きたいと思っている。

 忙しく走り回る日々とか、目まぐるしく巡る毎日とか、そんなものを求めた事は今まで一度だってなかった。

 平日には学校に行って、普段見ているテレビ番組を眺めながら飯を食べ、休みの日には図書館に行って本を読んで。そんななんでもないような毎日を送る。

 それくらいの人生が、俺の日々の願いなのだ。

 新聞に載るような事件に巻き込まれたり、人の人生の一大事に関与したり、誰かの叫びに耳を傾けたり。

 そんなことがしたくて生きているわけでは決してない。

 むしろそんなことはしたくないと言ってしまってもいい。

 誰かの、何かの、どこかの、いつかの。

 そんな何某かに関わって、必要のない責任を負いながら生きるなんて無駄なこと、誰が好き好んでしたがるのか。

 いや、知っている。

 そう言うことを好き好んでやりたがる人間がいることは確かに知っている。

 身内に、そう言う人間が一人いるから。

 だが俺個人は真逆だ。

 身の回りがそれなりに幸福であれば、それでいい。

 その外のことにまで口を出す気は俺にはない。そんな権利、誰にもないとも思っている。

 しかし。

 今の俺がそんな風に思っているからといって、過去の俺がどうだったのかというと、少し違っていたのかもしれない。

 それは中学時代の悪行を思い出しても言えるし、元後輩と元同輩に絡まれている今の現状を翻ってもいえるだろう。

 人に歴史あり。とはいうけれど、俺程度には歴史などという大仰なものはない。

 あるのは、過ちと罪だ。

 その痕跡は、今を持ってもしっかりと辿れてしまう。

 俺はこれらから逃げも隠れもしないけれど、これまでしっかりと目を背けてきたのはあり得ないほどに真実だった。

 人ひとり、俺は確かに殺しかけたのだから。




*:*:*




「まああいつは認めないと思いますけど、あの時あの場にいた人間誰もがわかっていました。あれは事故じゃない。大いに過失のある落下だったと」

 とある喫茶店のテーブル席で、向かいに座ったキザっぽい男の子はうっすらと笑いながらそう言う。

 私はココアのカップを両手で持って、川島恭吾、その男の子の話に耳を傾けていた。

「あいつがどうしてそんな風に自分の罪にしたがっているのか、そこは誰にもわからないですけどね。ただ、苦しみながら生きる理由はないんですよ。少なくとも、あの出来事に関していえば」

 含みのある言い方は、しかし太一君を責めるものではなかった。

 むしろ、彼を庇うような、慮る言い方で。

「それで、長谷川さんは俺になにを聞きたいんですかね? 山野のことですか? それとも、ご自身のことですか?」

 真琴はごくりと息を飲み込む。

 数日前、由利亜と共に川島から話を聞いた時、聞き返すことができなかった謎。

『なぜ、私の真名を知っているのか』と。

 確かに、心に棘でも刺さったかのような違和感を覚えるが、今はそんなことを気にしている場合ではないような気がしていた。

「もちろん太一君のことを聞きに」

 ほぼ即答だった。

 そんなもの、二択にもなっていないというかのように。

「その太一君が突き落としたって話も含めて、太一君が中学時代なにをしてきたのか、私はそれが知りたいの」

 真っ直ぐと目を見て、真琴はいう。

 川島はそんな真剣さをふっと鼻で笑う。

 その反応に目を細める真琴。

 視線を受けて、「ああいや」と川島は弁明を始めた。

「別に馬鹿にしてるとかじゃないんです。ちょっとした思い出し笑いで」

 少し前に、同じことを言う人と話したばかりだったから、とは言わず。

「中学の時のあいつ、本当に影のヒーローってやつになろうとしてたんですよ」

 キザっぽく笑って見せて旧友を売ることで、自身の失態をカバーした。



 川島が話を終えると、真琴はひとり呆然としていた。

 聞いた内容を理解するのに少しの時間を要しているのだ。

 それは川島の話が分かりづらかったからというわけではなく、ただ、今一緒に暮らしている男の子の過去を、受け止めるのに時間を使っているという、そういうことで。

 誰に頼るでもなくみんなを救って。

 ただ一人だけ、救えなかった。

 手に取ったはずの救いを求めた手。それを、滑らせてしまった。

 でも微かに繋がった指先で、どうにか掬い上げた。

 かろうじて、最悪は避けられた。

 でもそれが許せないのだと。

 そういう話。

 今の彼に通ずるところがある。

 そう思って、ホッとして。

 少し、傲慢なのではないか。

 そう思って、彼を咎めたい気持ちが沸き起こる。

 でも違う。

 そうも思った。

 彼の傲慢さは今はない。

 それを知っている。

 彼は今、自分にはなんの力もないと思っている。

 恵まれた才能を発揮しながら、それ相応の評価を得ながら、それ自体に価値を見出していない。


 聞いた話と、今の山野太一という人物が、符号した気がした。

 

 テストで満点をとり、誰よりも恵まれた身体能力を有し、人以外の存在とさえ対等に立つ。

 山野太一というひとりの少年に、どれだけの才能を見たか真琴は数えきれない。

 しかし本人は自覚がない。

 むしろ、自虐的ですらある。時に過剰なほどに。

 ありえない。

 なんでもできて、困ることなどあろうはずもない。

 順風満帆であれば、彼がそんなふうになることなどあり得ないではないか。

 あったのだ。

 そうなる理由が。

 誰にでも、自殺したくなる過去の一つや二つ、ある。

 夏休みの一件の後、太一君は確かにそう言っていた。

 彼自身にもあったのだ。

 自分を殺してしまいたくなるような過去が。

 ぶん殴ってしまいたくなるような事件が。


「あ、だから、あれは事件や事故なんかじゃなかったんですよ」

「じゃあ、なんだっていうの? 人がひとり屋上から落ちて死にかけたのに」

 川島君は鼻で笑う。

 今にも噴き出てしまいそうな感情を抑えるように。

「あれは、そもそもの設計が間違ってたんです」

「だからそれじゃあ太一君のミスで───」


「重さ。提出されてた体重が10鯖読まれて提出されていたんです。それで、羽も強度も何もかも足りなくて、失速して、落ちた」


「………え?」

 クククと今にも大声で笑いそうなのを堪えながら、川島君は続けた。

「あいつがたかが計算をミスるはずないんですよ。数学の教授にも算盤で二段を持つクラスメイトにも、空の計算速度で負けない人間ですよ?」

「いやでも」

「宮園唯華、あいつの誤申告のせいで、山野太一はその才能を持て余すことになってる」

 さっきまで笑っていた川島君は、さっきまでのキザな笑みも消していた。

 それは至極真面目な顔。

 ともすれば、少し怒っているようにも見えた。

 怒る? なにに?

「俺は宮園唯華を生き返らせて、山野太一を本物にする。そのために、神を殺そうとも」

「……っ」

 その宣言の意味は察することができた。

 今回のこと、全て彼の掌の上なのだと。

「太一君をアメリカに連れて行って、それで本当に宮園さんは助かるの?」

「助かる。それができるから、山野太一は天才なんだ」

 めちゃくちゃだ。

 でも、そう言わせてしまうほどに、太一君は天才なのかもしれない。

 ううん。

 認めていい。

 私のことを救ってくれた彼は、確かに人にできないことをやってのけた。

 だから今回もきっと、やり遂げてしまうだろう。

 頼まれて、やり始めればあっという間だ。

 いやいや言いながら、ウダウダ言いながら、結局全てを抱えて丸め込む。

 そして言うのだ。

『俺がやらなくても、誰かがやってましたよ』

 私の嫌いなこの言葉を。

「長谷川さん。一つ、協力してもらえませんか?」

「太一君をアメリカに行かせる手伝いならできないよ?」

「それはまあ、どっちに転んでも恨みっこなしで」

「いや、いくことになったら恨むけど。ていうか私もついていくけど」

「その話は置いておいて、お願いというのはですね……」


 私はうなづいて、


「却下」

 笑った。

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