始まる前の、解決策。
まず、祖父母がなぜ由利亜先輩をアメリカに連れていきたいのか、そこが疑問だった。
何においてもアメリカの方が優れている。
そんなふうな言い分を繰り返していて、許嫁云々まで持ち出して丸め込もうとする。
アメリカには何もない、そう判じた男は頬を引き攣らせないようにその話を聞き、美紀氏はそれをただ聞き、正造氏は瞑目し受け入れるしかない現実を待っているようだった。
その場で交わされる会話は、言葉で聞けば異常であったのに、場にいる人間の祖父母の言葉に対する反感が一縷もないように見られた。
ただ、由利亜先輩、当人を除いては。
私はアメリカなんかに行かない。
由利亜先輩の言い分は一貫してそれだった。
今まで通りに過ごすし、大学は1年留年して俺と一緒に通う、などと宣い出した時には少し声が出そうになったけれど、一応由利亜先輩の助っ人として来ている手前反対意見を立てて不利にさせるわけには行かなかった。
ただ、黙って、30分ほど家族の会話を聞いていた。
司会のふりをしている兄もほとんど俺と同じで、無用なことは口にせず、ただ話の間が空きすぎることはないように合いの手を入れ、それだけをしてあとは聞いていた。
そして、やはりこの会話の争点で、非があるのは祖父母のように見受けられた。
誰にも反感を持たれることのない、不条理な内容の言葉。
それは、親の言い分だからというマインドコントロールからなる沈黙ではなく、何かそうせざるを得ない、つまり、アメリカに由利亜先輩を連れて行かなければならない理由があるのだと、直接ではない言葉でそう告げているようだった。
しかも、それは多分由利亜先輩への言葉ではない。
そう。
誰でもない、俺への言葉のように思えた。
思い返してみれば、正造氏が俺をあの中華料理屋に連れて行ったところからおかしいのだ。
なぜ俺をあの場に連れて行く必要があった?
由利亜先輩がもしあの場でアメリカに行くことになっていたら、きっと俺はそれを聞いて感傷に浸りながらも何を言うこともなく送り出していたことだろう。
アメリカってどんなところなんですかね、とか、由利亜先輩のご飯が食べられなくなったら何食べればいいかわからないですよ、とか。
適当なことを言いながら、俺はきっと何もしない。
そのまま過ごして、日常に戻る。
今が異常なのだ。
それは間違いない。
でも、一緒に過ごしていた人がいなくなって、あっさりと受け入れられてしまう。そんな自分も少し、異常なのかもしれないと思う。
きっとここで、何も察さず正論を口にしてしまえれば、それが一番ヒーローなのだろう。
正論だけで、正義だけで生きられる。それが王道の主人公というやつなのだ。
とは言え、俺は別に王道でもましてや主人公でもない。
人らしく、人のように生きる一般人だ。
だから一つ確認をとる。
そして一つ、結を問う。
腹芸だけで生きている人間たちに、コミュニケーションとは何かを叩き込む。そんな気概を持って。
「本人に気づかれないようにと言うのは、少し、無茶が過ぎると思いますよ」
でもまあ、やんわりと会話を始めるのは大人の嗜みでもあるような気がする。
:*:*:*:
はっとした。
彼が隣にいて私たちの会話を聞いている、この状況。
ほっとしたのも束の間、私の思考はそこに至るのが遅過ぎた。
これはまたあの時と同じだ。
太一くんが私の事情に、私を家に住まわせてくれるようになったあの時と同じ。
なし崩し的に太一くんが何かをお願いされて、それを嫌々ながらを装いつつ承諾する。その状況のワンセット。
ダメだ! そう思った時には遅かった。
もう太一くんは引き受けることを決めていたし、そうなることを見越して、太一くんのお兄さんは彼をここへ呼んでいた。
そして、きっとお父さんたちは、太一くんのお兄さんの指示で動いていたのだろう。
彼のことを誰よりもよく知る彼のお兄さんは、彼が人の弱みを補いたがる性格であることを知っているし、その性格の簡単な利用方法も心得ていた。
たった半年、太一くんと一緒に居ただけでも彼がお兄さんにいいように使われていたことをわかるのだから、彼のお人好しは本物だ。
そのお人好しに乗っかっている私には、彼のお兄さんを咎めることもできないけれど、それでも、今回ばかりはダメだと思った。
私がアメリカに連れて行かれるのを止めてくれる。
それは嬉しい。
でも多分、この話はそんなことでは終わらない。
この話は、もっと根深くて、きっと、よくない方に向かっていく……。
「本人に気づかれないようにと言うのは、少し、無茶が過ぎると思いますよ」
それは確かに誰もが口を閉ざした間隙だった。
太一くんは突然そんなことを言った。
私には何を言っているのか理解できないけれど、お祖母ちゃんやお祖父ちゃん、お母さんは少し驚いたように肩がピクリと動いた。
お父さんとお兄さんは今更と言う顔で受け流している。
私だけが置いてけぼりだ。
「ね、気づくって何に?」
だから直接聞くことにした。
多分私の話だから、聞いてもいいだろうと思ったから。
すると太一くんは少し言い淀み、お父さんを見た。
自分の筋肉にビシッと電気が走るような感覚を覚えて太一くんにしがみつく。
抱きつける口実があって嬉しいな……。
「そうですね、由利亜先輩だけ、というか、当人が阻害されているのはおかしいですから」
アイコンタクトで何やらやりとりがあったようで、太一くんは私を見て言う。
「これからアメリカで一つ、治療を受けてもらおうと思うんです。そんなに大変なものじゃありません。ただ忘れ物を取りに行く、それくらいのものです」
「忘れ物? なんでそんなものがアメリカに? ───私、アメリカになんて行ったことないよ?」
なんで? その問いを太一くんは困ったみたいに笑って受け止める。
私の嫌いな彼の困った顔。
それを自分がさせているのだと思うと胸の奥の方がキューっと締め付けられた。
「行きたくなければ無理にとは言いません。日本でだってできないことではないので。ただ───」
「ただ?」
言い淀む彼。
私は問い重ねる。
「できることなら早く治さないと、命に関わるかもしれません」
彼はお得意の腹芸、と言うか主語隠しで、会話の実像を全く掴ませてくれない、
私は少しイライラして、
「えい」
ぎゅーっと、自分の胸を彼の腕に押し付けた。
「あーッ! わかりました! 全部言います! と言っても俺もここまでの会話での推測でしか話ができないので答え合わせも兼ねて、この場の人にもしっかり聞いてもらいますからね!」
うんうん。
2回うなづいて承諾する。
彼はようやく腹芸をやめてくれた。
大人と喋る時の彼は大抵こんな喋り方だ。
でもまあ、簡単でちょろいうちは、それでもいいかなと思えてしまう。
「それじゃあ、答え合わせお願いね」
「はいよ」
そんな兄弟のやり取りでようやく、かの私の騒動は始まりを迎えた。
「アメリカで病気の治療を受ける。それが今回の由利亜先輩が連行されそうになっている理由です」
誰からも聞いたことのない、話だった。




