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205回 おかしい。どう考えても、おかしい。

 9時を回って学校を出たので当然のように時刻は10時を目前にしている。

 至極真っ当な大人であれば、当たり前だが高校生をこんな時間に呼び止めたりはしない。

 だからきっと、里奈さんの母親と呼ばれる人は真っ当ではないのだろうと思う。

 思うのだが、里奈さんの顔をつぶす様なことはできないので、呼び止められれば居座るしかない。

 そう、俺は高校入学以来初めて、同級生の女の子の家にお呼ばれしたのだった。

 母親の方から、だが。

 どう足掻いても直帰できそうになかったので、まあいいのだが、電車がなくなると無駄にタクシー代を払わなければならなくなるので終電までには帰りたい。

 高校一年、秋も深まる10月時点。

 俺の帰宅時間は日増しに遅くなっていた。

 しかし、帰宅に関してかなり悩んでいた俺の思考をぶち壊したのは、誰でもなく里奈さんのお母さん、紗奈さんだった。

「今日はうちに泊まって行けば? リビングに布団敷けば寝れるし」

 まさに名案じゃん、とばかりにドヤって見せて、俺の口からは何も言えず、ただ真顔に無理矢理浮かばせた笑顔でもって、

「ハハ、ナイスアイディアジャナイデスカー」

 とかなんとかいった。

 口が脳みそと連動していないので、自分が何をいったのかはよくわからなかった。

 まあそんな人間をやめたレベルに脳みそを使ってない俺とは違い、娘の里奈さんは静かなる怒りに打ち震えていた。

 金色のオーラさえ、見えていた。

 宇宙最強になる遺伝子の持ち主が、ここにいたとは。

「お父さん、お母さんがこんなこと言ってるけど?」

 とはいえ、娘である里奈さんは自分の口から何をいったところで通じないことを心得ているのだろう。

 家族団欒の六畳の部屋で、囲ったこたつの上座から穏やかそうな男性の朗らかな声が里奈さんに応える。

「んー、まあいいんじゃないかな? 山野くんの明日の予定次第だけど、こんな時間に帰らせるのも不用心だ」

 わぁ、お父様の言われてることがすごく真っ当で心が救われるけど、なんだろう、状況は依然として変わってないのはどうしてなんだろう?

「中学の2年までは友達呼んでお泊まり会しまくってたじゃない、何を今更純情ぶってんのよ」

 紗奈さん口悪すぎだろ……。

 自分の娘をなんだと思ってるんだ。

「純情ぶってるとかじゃないよ、ただ急に呼び止めて泊まってけなんて常識ないみたいじゃん!」

「周と風だってもう納得して2回で寝る準備してるんだから」

 なんで俺が送ってくることが織り込まれて今日のスケジュールが組まれているのか。

 そんなことを気にする余裕はなく、進んでいく「なんか今日泊まるらしい」という謎のイベントの回避方法を必死に考えていた。

「あの、私も泊めてもらってもいいんですか?」

 考えているんだが、こいつ、こいつのことは考えていない。

 考えていなかったのだが、

「え、帰らないの?」

 紗奈さんは俺以上に容赦がなかった。

「お母さん、山野くんは泊めるのにこの子を泊めないじゃ話が変わって来てしまうよ」

「そ、そう?」

「山野くんに危ないからといって女の子を帰すのじゃ本末転倒だろう?」

「……!! そうね、その通りね!!」

 この人は本当に人の親なのだろうか?

 いや、うん、まあ人んちのことをとやかく言える家庭事情にはない。

 そしてこの状況を丸く収める方法も思い浮かばない。

 だけれどまとまりかけているかのお泊まりとかいう謎のイベントも回避したい。

 俺は行動方針を決めて、動くしかないのだった。

「ありがたい申し出なんですが、明日もやることがあるので帰らないといけなくて」

「大丈夫よ、明日できることは明後日でもできるわ」

 なんだその説得。

「むしろ明日でいいなら今日は暇ってことじゃない」

 なんだその理論。

「ところで、お腹減ってない? ご飯食べる?」

「はい! いただきます!」

 俺は隣の後輩の頭を思いっきり引っ叩こうとした。

 だが、倫理的に人前で殴るのはどうだろうと歯止めがかかり、いくあてを失った手を使って、クレヨンしんちゃんのみさえさながらのぐりぐりをお見舞いした。

「イッッタ!!! ゴメンナサイ!! 痛い!! 本当にマジで痛い!!!!」

 手から逃れようと暴れるボブカットの白髪が、バサンバサンと揺れる。

「ほんと帰りますんで、お構いなく。あとこいつはどっかその辺に捨てるのでお気になさらず。オラ立て、いくぞばか後輩」

「先輩痛い!! 痛いです!! せっかく蓄えた知識が全部抜け落ちます!!」

「そんな簡単になくなるものは知識とは言わねえ!!」

「暴論ですぅぅうう!!!!」

 俺は後輩を利用して、勢いのまま玄関を出た。

 見送りに出て来てくれた里奈さんは、なおも俺を睨むが、俺はもうこのアホをどうするかを決めていた。

「大丈夫、こいつは本当にその辺に捨てて帰るから。だから由利亜先輩たちに変なこと言わないでください!!」

「うわ、先輩超ダサ」

「殺されたいならそう言え?」

「頭下げたまま凄まれても、ぷっ、あははははは───ダダダダダだ痛いたいたいたいた!!!」

 爆笑する後輩のこめかみに再度みさえをお見舞いし、「じゃあお邪魔しました」と別れを告げた。

「本当に泊まっていかないの? うちの子には脈なしってこと?」

「そういうこと本人の前で聞かないで!! 脈とかそういうの関係ないから!!」

 玄関口で言い争う親子を横目に、じゃあさよならー、と、そっとその場を後にした。

 里奈さんち、あんまり近寄りたくないな……。

 初めてのお招きは、そんな感じで幕を閉じたのだった。

 おかしい。

 どう考えても。

 おかしい。

 

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