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ある日のある場所、いつも彼だけは。



 必要だったのは祭壇。

 手に持った黒刀は存在し中のように静かにその場にある。

 斉藤唯はそれを冗談に構え、虚空を見つめる。

 愛する人のその後ろを。

 自分の腕に自信はない。

 ここ数年は仕事に走る毎日で、稽古などしていなかったから。

 それでも、譲り受けた刀と、培ってきた技量で必要最低限はまかなえるはず。

 直立する一樹の後ろには暗闇しかない。

 しかし狙うのはそこ。

「……ようやく」

 言葉が漏れる。

 この計画を初めて約二年。

 ここまで来たと、心が安堵する。

 その心の安らぎを失わないように。

 唯は刀を振り下ろす。

 鍛え上げられたその剣筋は光を放つかのように一線され、


「ゴッハッ……!!!」


 一樹が血を吐いて膝から崩れ落ちた。

 驚き目を見張り、膝をついて一樹の背中に手をかけると、唯の体に激痛が走る。

「……ッ?!?ッ!?」

 声にならない苦鳴が漏れ、体を起こしておくことさえ出来ず、そのままドサリと地面にうつ伏せに倒れ込んでしまう。

 今度は一樹が驚く番だった。

 あり得ない、どういうことだ、と。

 体を巡る激痛と、口に湧き上がってくる血を抑え込み、天才とよばれた男は自分の失敗を理解する。

 そしてその失敗に最愛の人を巻き込んだことに絶望を覚えながら、この場から離れねばと思考する。

 体が上げる悲鳴を無視するのは不可能だった。

 腕の一本指の一本がねじ曲がるような激痛は終わりが見えず、立ち上がるどころか地面についた膝が永遠に骨折し続けているかのような痛みを発していた。

 痛みを他の痛みでカバーするなどという甘い芸当は鼻で笑えるほどに全身が悲鳴を上げる。

 それでも意地で立ち上がり、秘書を抱えて背後をよじ登った。

 逃げるように。

 やっとの思いで地下から出ると、抱えた秘書は美しい顔に殴られたような痣をいくつもつけていた。

 顔だけではない。

 腕にも、脚にも、首、手の甲、見るに堪えないその怪我は、自らの失態が招いた結果だと自分を責めるほかなかった。

 激痛に意識を奪われていた唯が目を覚ますと、再び激痛に気絶する。

 そのたび悲鳴を上げる唯に一樹は「ごめん……ごめん……」と泣きながら謝ることしかできなかった。

 学校から出て、少し歩くと唯の傷が少しずつ薄くなり痣がほぼなくなる頃には痛みも引いたようで、目を覚ましても悲鳴を上げて気絶することはなかった。

 しかし、生命力を吸われたかのような憔悴感が見る間に現れる。

 学校の駐車場に止めた車に乗り、病院へと走らせた。

 あと少しというところで一樹は車を道端に停車させて転がり落ちるように降車した。

 指に感覚がなくなりハンドルが握れなくなったのだ。

 痛みがないのはありがたかったが、動かすこともままならない手では車の運転は難しかった。

「一樹……さん……!」

 もはや歩くこともままならない一樹とは裏腹に、唯は疲労感はあるものの痛みからは解放されたようだった。

 よかった……。内心の安堵は意識の消失へと向かいかける。

 そんなとき、彼はふとその感覚に襲われる。

 天才の弟を前にするときの、自分の虚勢のその感覚に。

 ブルと体を震わせて、無理矢理に立ち上がると唯が肩を貸してくれる。

 歩を進め、角を曲がり、先を行く少年に声をかけた。



「なあ太一、俺はお前のそういう天才的なところ、本当に嫌いなんだよ」



 その横顔に少しの微笑をたたえた表情に、一樹は察した。

 また、こいつはこいつの周りのことを丸く収めてしまうだろうと。

 嫌そうな顔をして。

 逃げることなく向き合って。

 己以外の誰も、傷つけることのないように。

 そんなところが本当に、心の底から本当に、殺してやりたくなる。

 そう、思いながら。




第87回「求めよ、さらば与えられん」参照

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