190回 最後に得をするように、それが商売の基本。
起きてしまったことは、元に戻りようがない。
過去に戻ってやり直すとか、未来に行って対策するとか、そんな世界の話ではない。
なにせそんなことが出来たところで、俺はきっと同じ事を繰り返すから。
予防と対策、反省と復習。
何事に於いても成長の為に行われるはずの人間的行為を、俺は尽くに出来ていないから。
普段から嘆き悲しむ記憶力の低レベルさは、生存本能レベルの根幹にまで浸透し、俺はそのろくでもない生態でこれまで生きてきた。
だからこれからもそう生きるのだ。
一度起きたことが二度起きるように、失敗を繰り返してから解決を考える。
逃げ場がなくなるまで、俺は逃げ続ける。
可能な限り後回しにして、できる限り避け続けて、無理が利かなくなった頃、ようやく重い腰を少しだけ動かしてみる。
逃げることも避けることも、目をそらし続けることさえ叶わない状況というのは案外あっさりやってきて、振り返ったときには目の前にいたりするのだ。
驚いている暇などなくて、なんだったら、驚くことなど許されなくて。何しろあることは知っていた。
見知っていた。
そんな逃げられない状況は、今も昔も、俺の友達のように俺の近くにずっとあった。
*:*:*
「こんにちは、御牧さん。それと、鷲崎美紀さん、で間違ってませんか?」
「おお、少年。もう時間的にはこんばんはじゃないか?」
快活な物言いと笑顔で、彼は腕にはめた時計に目を向けながら近付いてきた。その隣の女性は浅くお辞儀だけして黙ったまま御牧の横についている。
「まだ五時回ってないですから、少し暗いですけどこんにちはで良いと思います」
「まあどっちでもいいか」
豪快に笑い飛ばす御牧に隣の女性は何も言わない。
が、俺は言い出したのあなたでは……? と釈然としない。
しかしそんなことは別にどうでも良かった。だから、俺は早速の質問をぶつけることにした。
「こんなところで何なさってるんですか?」
普段快活に笑うその表情で俺の顔をみてふっと笑うと、
「少しドライブをな。実用以外にも使ってやらないと車が可哀想だろう?」
そんな何気ない談笑のような会話でやりすごそうとする男に隣の女性は少し驚いたようにぴくりと御牧の顔を横目で窺う。
学校前の職員・保護者用に用意された駐車場での会話なのだから、その返答にギョッとするのはむべなるかなと言ったところだった。
「一応ここ、学校関係者以外は止めちゃイケないことになってるんですけどね」
「前にいったろ、甥っ子がこの学校に入りたがってるって?」
ポケットから煙草を取りだし火をつけると一息吸って煙を吐く。
その仕草にはなんの感情も現れていなくて、いつも通りのその言動に、俺は少しコキが荒くなるのを感じた。
「そうでしたか? でもそれは、まだ無関係って事になりますよね?」
「ん? ああ、まあそうなるかな? まあいいじゃないか。休みの日に少し止めるくらい」
「学校は休みでも、部活動の生徒なんかは登校してますからね、駐車場で事故があったりしたら責任問題なんですよ」
「学校側の管理不行き届き、それは太一君、君に何か関係あるのかい?」
煙草を指で叩いて灰を落とす。
すっと細めた目が、俺を見定めている。
「生徒側にも学校側にも不備はなく、にもかかわらず学校側に非難が来るようなことにはなって欲しくない。これは一般生徒としての意見ですよ」
俺はその査定を気にしない。
はっきり言って、その査定の結果には興味がなかった。
「御牧さん、二度、俺の友達が誘拐まがいにあってるんですよ。一度目は先週、二度目は今日」
御牧も鷲崎美紀も、どちらの表情にも驚きはなかった。
「俺は今日でこのくだらない人さらいを終わらせたい。協力していただけませんか? そうすれば、晴れてあなた方もこの学校の関係者になれますよ?」
「別に」
鷲崎美紀は言った。
「別に学校関係者になる必要はない」
少し震えているようにさえ聞こえる声だった。
この人が、義理にも由利亜先輩の母親。
ありえない。
そう思った。
あの人はこんなことで声を震わせたりしない。
何かのかかった状況で、それを邪魔をされそうになった状況で、心を揺らしたりしない。
だからやはり、義理の母親なのだろう。
産みの親はほかにいて、育ての親も別なのかも知れない。
俺はそんなことを思いながら、女の目を見据えた。
「なぜ?」
「な、なんでって、必要ないからに決まってる。子どもの手なんて借りなくても良いと言うこと」
「子どもの手はいらない? ではなぜ、三好里奈を誘拐する?」
「それは━━━!!」
御牧に口を押さえられ、鷲崎美紀はハッと目を見開く。
「油断も隙もないな、君は」
こちらも表情に驚きが滲んでいた。
俺はその反応を見て確信した。
けれどそのことはこの場ではあまり関係のないことで、だから俺は次に向かうべき場所へと目を向ける。
「俺は何もしてませんよ。ただ、誘拐する理由を聞いたんです。一度目は鷲崎の家に、二度目は学校に。なぜ? だから聞いてみたんです。何を探しているのかを」
鷲崎美紀の顔が段々と青くなっていくのに反し、御牧の顔は少し赤みを帯びていた。
「なぜ一回目が鷲崎家だったのか。なぜ二回目がここなのか。それに、なぜ里奈さんを連れてでないといけないのか」
未だにさっぱりだが、一つ確信したのだ。
「あなた方は、何も知らないんですね。だったら良いんです。直接、本人に聞くので」
背を向け、俺は足を部室へと向けた。
しかし、当然待ったがかかる。
両方の肩に手を置かれ、大人二人の力でもって足を止められる。
引かれる力に逆らうことなく、俺は振り返る。
「学校関係者になる必要はない、そういいましたね。では、俺に依頼してみませんか? 山野一樹の後釜として受け持った『何でも屋』として、お悩み相談に乗りますよ?」