事実無根? 人の噂も数日間。
織田信長というのは、歴史上の人物である。
室町末期から安土桃山時代に存在し、戦乱の世を生き抜いた英傑としてその名を知られ、長篠や関ヶ原などと言った数々の戦で勝利を収めた日本で最も知られている武将と言って差し支えないだろう。
戦国時代の武将を一人答えてくださいと聞けば、およそ9割の人がその名を答えるかもしれないほどの超のつく有名人。
当時最も天下に近いとされ、最も近しい部下に反逆され死に至った男。
それが俺の知る織田信長という人物。
詳しくなど知るよしもない。
読んだこと、聞いたこと以上の情報など得られようはずもない。
もはや過去の人なのだから。残った情報以上のことなど出てくることはあり得ない。
人は死んだら全てが終わり。
後の世に残るのは、遺恨か禍根か、それとも望まぬ栄光か。
望んで名を残した偉人というものが存在するのか俺には知るよしもないけれど、たとえ名を残すことが偉大なことであったとしても、自分の身も知らぬ人に自分の名を知られているというのはあまり潔く笑えることではない気がする。
人に知られると言うことは、その分反感を買うリスクというものも増えると言うことだ。
名前を知られる程度で反感など買わないと思う人は多いだろう。
しかして、俺は理不尽な偏見を知っているし、不条理な嫌悪も体感している。
だから俺にとって名前が売れることはとても良いこととは思えない。
もちろんそれを生きがいにしている人間もいるし、テレビやなんかのメディアで顔を出している人物なんか枯らしてみれば、名が売れる、顔が広くなるというのは喜ぶべきことだろう。
それで生活しているわけだし、食いつないでいるわけだし、顔の広さが仕事につながる人物には名が残る生き方というのはある意味では栄光の軌跡といえる。
しかし、一般的な生き方を望む俺なんかにしてみれば、自分の知らない人間が自分のことを知っているというのはあまり気持ちよくはない。というかむしろ気持ち悪い。
放したことはもちろん、名前も知らない人のことからの好意や反感、好奇心や興味など、恐怖の対象でしかない。
対して話したこともない男子に告白されて気持ち悪がる女子の気持ちを、俺は多少以上に理解出来てしまう人種だと思う。
そういう経験談をいくつも持つ一つ年上のロリな先輩から、コンコンとエピソードを聞かされたからというのもあるかもしれないけれど。
ともかく、名が知れるということは話題になると言うことで、話題になると言うことは噂になると言うことだ。
噂というのは信憑性のない都市伝説のようなもので、尾ひれをつけて広がって、次第に嘘と言っても差し支えないほどの大きさへと膨らむこともある。
半信半疑、一つの心のなかでどちらかに揺れることを指す言葉だが、噂が広まった空間を指すと半分信じて半分疑っている人間がいる状態を言い表せるだろう。
その噂に対して断定的なことを言えない人にとって、噂というのは半分事実だ。
歴史上の人物の逸話や、神話に登場するエピソード、いつかのどこかの王様の死に際の一言も、その場にいなかった今の俺たちからは、否定のしようはどこにもない。
人は、聞いた情報の真偽を自分の中ではっきりとした意思を持って判断しなければならないのだ。
オオカミが来たことを村に知らせ続けた少年が、最後には本当にオオカミが来たことを報せたように、嘘ばかり言う人間が嘘しか言わない人間ではないように。
嘘のように聞こえる出来事が、実際に起きた珍事であるように。
前代未聞の出来事が、自身の目の前で起きるように。
人は自分の経験した事物を、自身で理解しなければならないのだ。
そう、突然同級生の女の子が、
「織田信長が生きてる」
そんなことを言い出しても。