170回 いつまで経っても見守りたい。そんな気持ち、わかるはずもない。
「水守神社に奉られている水神は、平安時代の中期、水害が多かったことからこの高台に祭られたとされています」
「現代に至ってなお、水や雷、火など、多くの自然現象によって人は多くの災害に見舞われています」
「神様を讃えようと讃えまいと、人は自然に殺されるものなのです」
「しかし、それでも神代の時世に人と神とで為された取り決めを守り抜いている集落では、その天災による被害は極小で済んでいるのです」
「人が神様との間に関係を作るために、綾音の様な特異な人間を用いる事が世の中では一般的とされ、巫女という存在は多く知られていますが、巫女は神様への供物の様なもの。そもそも日本に奉られている神様の中には女性も多く、巫女という存在を毛嫌いし、取り合うことを放棄する神々がほとんどでした」「しかし、人間のなかに稀に『マタシカル子』と呼ばれる奉られるべきモノと対等の関係を強いれる存在が産まれます」
「『マタシカル子』は、人の息を超えた能力を発揮し、人の世を劇的に変化させる存在とされています」
「故人を神に奉りあげた例が幾つかある日本国ですが、彼らはその『マタシカル子』とはされていません」
「神様が、対等であると認め、その上でその人間の願いであれば引き受けると認識した存在こそ『マタシカル子』、またの名を『器を満たす者』」
「山野太一さん。あなたはその一人として私が使える神に認められた。どうか、当家に入ってはいただけませんでしょうか」
*:*:*
滔々と続いた説明に、最初の結論が付いた。俺に頭を下げた司さんはそんな事をしていても答えなど分かりきっていると態度が言っていた。
とはいえ、一応は口に出しておこう。
「えーと、お断りします」
その一言で司さんは顔をあげた。
食い下がることもなく、笑顔でコクリと頷いた。
「ありがとうございました。一応の儀式の様なものなんです」
神様にそう呼ばれた人間は、否応なく特殊な存在となる。
こちら側の存在と定義された者が、あちら側を歩き続けると、世界に小さな穴を開け続けることになるのだと。
だから、そう呼んだ神様を奉る神社の関係者が頭を下げる。
神社の関係者になれば、それはそれで御の字だし、断れば関係が切れるのだそうだ。
人間よりも、「言葉」「言霊」というものがモノをいう【世界】なのだ。
司さんは、お茶を注ぎながらそういえばと思い出したように口を開いた。
俺に湯飲みを差し出すと、
「由井家のご子息が北の方に引っ越す事になったのは太一さんがそう仕向けたという噂を聞きましたが、あれは本当なんですか?」
司さんは自分の分の湯飲みにも入れたお茶をズッとすすると小首を傾げた。
もう用事は終わったのだろう。
強引とも言える話題転換だが、こちらとしても、深く踏み込む気は無い。
だから質問もする気は無いのだが、それにしても。
あの人、本当に引っ越すんだ……。
いや、由利亜先輩に聞いてはいたけど、まさか学校祭の後すぐに引っ越すように動くとは思ってもみなかった。
だがそれは俺が仕向けたわけではない。
発端は俺かも知れないけれど、やったのはあの金持ち一家だ。
そこの所は間違って貰っては困る。
「俺は何も差し向けてないです。いろいろあっただけで」
細かいことは説明するのが面倒なので言わない選択をすると、ふーんとこれといって強い興味もなさそうに相槌する司さん。
「実はですね、私、別に寝てたわけじゃないんですよ。体を動かすことが出来ないままいただけで、聞くことくらいは出来たんです」「時間の経過は体感していたって事ですか?」
ムッと目を細めて、
「今はそういうことを話してるんじゃなくてね?」
と俺の問いを却下して、自分の話を続ける。
「聞くと言っても耳で聞いていたわけではなくて、頭に直接入ってくるような感じで。ともかく、だから一応の事情は知っているんですよ。でなければ、数年寝ていたのにこんな風に平静ではいられないでしょう?」
「司さんが起きてから三四日で動けるのも、神がどうとかって言うことなんですか?」
「私も詳しくはわからないんですけど、太一さんが想像しているもので大方の間違いはないかと思います」
一口お茶を口に含み、お茶菓子に手をつける司さん。
俺の想像。
こんな出来事は一般人の俺にとっては想像の埒外も良いところなのだが、それでもあえて、ひねり出すように考えてみれば、幾つかのルートで考えることが出来る。
俺が究極的に出した解答であった、「悪霊に取り憑かれていた」という部分は概要としては的を射ていたのだろう。
つまり、その悪霊から仕える者を守るために神が為したのが「人間にも堪えられるレベルでの力の供給を行いながら人間が悪霊に抵抗する状態を維持すること」という現代医療の様な方針だった。
神に取り憑かれただとか、向こう側に連れて行かれたなどという人間が大半で、その存在に気付くことさえなかった訳だけれど、その神様が施し続けた「力の供給」は人間の経るはずだった時間さえ極小に変えてしまったと考えられる。
知識は増えたのに、時間は進まなかった。
四年前と全く同じ容姿で目覚めた。
「そんな人間が、存在して良いと思いますか?」
口をついて出ていたのかも知れない。
まっすぐ俺を見る司さんは、そんなことを俺に聞いてどうしたいのだろう。
そもそもその質問に答えられるような言葉を俺は持っていない。
なにしろそんな人間と出会う機会などこれまで用意されていなかったから。
だから結局弛緩でしかない言葉を口にする。
「良い悪いで言えば、良いんじゃないですかね。ミナちゃんとかユウちゃんとか、凄い喜んでくれてましたし。とはいえ、まだ実感が湧かないみたいで、昨日とかもなんとなく司さんを見るときの目がうっすらと陰でも見るようでしたけれど」
俺が、兄が死にかけなのにもかかわらず平然と学校祭に参加していたことに斉藤さんは過剰に嫌悪感を示していたけれど、人間なんて所詮突発的な事には対応できない生き物なのだ。
どれだけ危険と言われようとそこが日常の中にあったなら普段通りに赴く、それが人間だ。
だから別に俺は兄の死に無頓着だったわけではない。
いや、特別何かを思っていたわけでもないけれど、それ以上に無関心だったわけでもないと言うだけで。
「私、多分そう長くないと思うんです」
「え……?」
俺が驚いた顔をすると、慌てて胸の前で両手の平を掲げて、
「明日にも死ぬとか、そういうことはないと思うんですが、それでも、長く悪霊に取り憑かれていたのは確かなので」
だから、と、一呼吸置いて司さんは笑った。
「私が死んだ後、もしあの子達がまだ大学生にもなっていない頃に死ぬような事があれば、陰ながらで良いのであの子達を支えて上げてもらえないでしょうか」
そんなことを、高校一年生に頼むか?
頭の片隅ではそうツッコミを入れる自分がいた。
それでも内心では、このお願いは聞いて上げたいと思った。
悪霊に取り憑かれ奇跡的に目覚めた母が、つぎに目を閉じたときは最後だろうと考え、対策を立てているのだ。それを理解した上で、俺は情で駆り立てられる己を律し、一つの確認を取らなければならなかった。
そうしなければ、俺は人と関われないから。
ふと、一つ腑に落ちたことがあった。
多分あの兄は、元々そう言う意図があってこれを始めたのだろう、と。
俺の為とは言わないまでも、俺に引き継がせることで都合が良いと、そんな打算がなかったとは思えない。
そうでもなければ、もっと色々、やりたいことなどあっただろうから。
「そのお願いは、依頼と受け取ってもよろしいですか?」
俺は問う。
人情のかけらもなく。義理の破片など一遍もなく。
だが、報酬など不要だ。
母が子を想う気持ちを踏みにじるような事を言った、それが今回のこちら側の落ち度で、無報酬と掛け合わせてプラスマイナスゼロとしよう。
勝手な試算で結論をつけて、俺は何でも屋としての質問の回答を待つ。
俺を見据える母の目は、覚悟の決まったものの目だった。
「はい。よろしくお願いできますか?」
俺は言う。覚悟などない、その身で言う。
「承りました。司さんの死後、未成年だったなら、三人の行く末はしっかりと見届けましょう」
俺の答えに司さんはニッコリと笑った。
「よろしくお願いします」
深々と頭を下げると、悔しさが滴となって落ちるのが見えた。