苦手なこと、なわけ……。
長い階段を上りきると、境内に入る。
手水舎は少し奥の方にあるらしく、俺自身は見たことがない。
別にお参りに来ているわけでもないので、作法を弁える必要もないと勝手に思っているのだが、関係者各位には広い心と大きな器を持って受け止めて欲しい。
目の前に見える本殿を無視し、左手に折れる。
木に隠れるようにして存在する道に踏み入り進むと、弓道場から稽古の音が聞こえてくる。
学校祭の片付けを終え、ホームルームなんかの諸々が済み解散になったのが二時少し過ぎだった。
一端家に帰り着替えてから、俺はここ、水守神社に来ていた。
俺としてはもう用のないこの場所なのだが、ミナちゃんとユウちゃんという俺のことを慕ってくれる年下の友達がいることもあって、邪険に思ってはいないので呼ばれれば来るのだが、今日はその二人は何やら稽古事があるとかで俺に用があるのはそんな二人と同級生の弓削綾音さんのご母堂に当たる人。
弓削司さんからの呼び出しと言うことだ。
何やら俺にいらぬほどの感謝を持ってくれている人で、個人的にはあまり関わり合いになりたくないのだが、おとといも娘二人を任せてくれた方だ。無理矢理距離をとると邪推される恐れもないともしれない。
3時頃には弓道場にいると弓削さんから聞いて来てみたは良いのだが、かなり張り詰めた雰囲気が外にいる俺にも伝わってくる。
ここに、入って良いのだろうか?
ちなみに弓削さんは妹二人の付添いで今日はいないらしい。
だからこそ、俺はこんなところで足を止めて、入り口についている小窓から中をのぞき込んでいるわけなのだけれど。
小窓から見えるのは精々が人がいるなあ位のことで、誰がどこにいるのかなんて事は分かる余地もない程の情報量だった。
さっさとこの扉を開けて、軽く挨拶なんかして、そしたらまた弓削司さんがやたら慇懃にお礼を言いながら頭を下げてくれることだろう。そのまま家である母屋の方に案内されて、今日の本題を出されたお茶を飲みながら聞く。
そんな流れを夢想して、よしと気合いを入れるが、ノックはした方が良いのか? でも射を構えてる人がいたら危なくないか? とまた思考が止まる。
「まあ、まってればいいか」
いつまでも入ることができないまま、入らないでいるそれっぽい理由だけがつみかさなっていくなか、俺の目の前に扉がガラリと音を立てた。
袴姿。
稽古中の門下生だろう。
後ろで長い髪を束ねてポニーテールにしている、俺より年上に見える女子だった。
俺を首を傾げまいとしながら、いぶかしそうに見た後で、どうにかこうにかと言った様子で口を開いた。そんなに怪しくはないだろ。
「見学? かな? 見ていくなら是非中に入りなよ」
俺はできる限りその警戒心の警鐘が鳴らないように、朗らかな調子で、
「あ、いえ、その、見学ではなく、その、呼び出されてまして」
行こうとして、どうやらまさか門下生が出てくるとは思っていなかった心の準備不足から、つっかえつっかえの怪しさの固まりみたいな返事をしてしまっていた。
「………呼び出しって、いうと……誰からかな……?」
どうぞと横にずれてくれていた道をそっと塞ぎ、警戒心のランクが一つ上がったのが分かった。
ああ、不味い。
そんな風に思ってところで何も進展しないので、どうにか動揺を押し込めて質問に答える。
「えーと、弓削司さんです。綾音さんと同級で、昨日電話を貰ってくるように言われて、ここにいると聞いていたので」
一部のミスもない解答だ。
これは怪しむ理由もない。
そう、これが初手から出来ていれば。
「師範が、あなたを?」
靴を履きながら板の間から降りると、俺を少し押すようにして外に出て、扉を閉めた。
また一つ、警戒ランクが上がったのだろう。
「ええ、と、ちょっと待ってて貰っても良いかな。師範に確認してくるから」
目尻の下のあたりにあるほくろに人差し指を当てながら考え考えして、出たのはそれだった。
行って貰えれば分かって貰えるだろう。
むしろどうぞお願いしたいくらいの事だった。
ので、
「是非お願いします!!」
ちょっとラッキーと思いすぎた結果、トーンを間違えたのだった。
扉がぴしゃりと閉まって、次に開いたとき、出てきたのは司さんではなく、袴姿に木刀を持った男達だった。
水守神社の弓道場は、月木で初級者中級者、火金で上級者の週二日ずつ。
外部から講師が呼ばれる他、弓削家一同によって指導が行われる。