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ただ手遅れに、なっていく。



 休日。

 それは日本人にとって、か、どうかは知らないけれど、休養する日。

 日頃の疲れを癒やし、次に備えて鋭気を養うための一日である。

 はず。

「なので、俺の事なんて気にせず是非遊んできたりすると良いんじゃないかなって!」

「………私が家にいると何か不都合でもあるの」

 俺の善意半分の言葉に、由利亜先輩は腹の底の方で響かせたような重苦しい声でそう返してきた。

 長時間続いた俺の言い訳タイムは、由利亜先輩のご機嫌を取り戻すための時間にシフトしていた。

 とはいえ、起源を取るために何かをしているわけではなく、昨日の事を話すべきなのかなあとか、そう言う色々を考えながら相手をしているだけ。

 ぶすっとしてテレビに目を向けている由利亜先輩は、半時間ほどの間そうしていて、テレビに飽きたのかキッチンに体を向けた。

 時刻はまだ十時半になっていない。

 何をするのかと恐る恐る横目で見ていると、腕をまくった由利亜先輩がスポンジと洗剤を下の戸棚から取りだしてシンクを磨き始めた。

 そうか。と、俺は持っていた湯飲みを置き、立ち上がる。

 風呂場につくと、残り湯にくみ取りポンプを突っ込み洗濯機を操作する。ピーとなると、今度は重苦しい駆動音が響き、俺は洗濯機に背を向けた。

 洗濯物は事前に由利亜先輩が選別して入れている。俺の服と、由利亜先輩の衣類の汚れ物が入れられているのだ。

 ここだけの話、女性モノの下着を汚れ物などと一緒にして適当に洗うと、凄い勢いで痛むらしい。

 俺の服は、制服に合わせるYシャツと下着に靴下、それと休日に着るパーカーとGパンくらいのものなので、全部まとめて洗ってしまっている。下着が傷んだところで気にしたこともなかったしなぁ。

 洗濯機を回して、風呂場を掃除する。洗面台の掃除とダイニングの掃除も俺の役目。

 由利亜先輩はもう俺と話していても何も始まらないと感じたのだろう。

 だから、自分の掃除分担であるキッチンの掃除を始めたのだろう。

 ダイニングに戻って充電式の掃除機を用意。隅のほうからサッと吸い取っていき、全体をかけ終えたら拭き取りシートで床を磨いていく。から拭きして、最後にウェットタイプで仕上げて終わり。

 肩から俺の掃除姿を見ていた由利亜先輩は、うんうんと小さく頷いていた。

 洗面所に移動して、風呂場から取って来たスポンジで陶器の洗面器を撫でる。目に見える汚れがあるわけではないが、汚れてからでは遅いのだという由利亜先輩の言葉を思い出し風呂場から風呂用洗剤を持ってきて数カ所に分けて軽く吹きかける。

 全体的に磨き、泡が洗面器を多ったら固く絞ったぞうきんで拭き取って行く。

 泡が取れなくなったら都度水で洗って絞る。

「よし。って……」

 泡を取り切り鏡を見て愕然とする。

 水垢、意外とあるな……。

 気付くのが遅れた。こっちを先にやるべきだったなあ。

「はぁ……」

 ため息を吐いても始まらない。

 そう分かっていてもついやってしまう。

 腕をまくり直し、水垢用の掃除道具を取りだして水をつけ鏡をこすりだした。



 鏡の掃除を終えると汲み取りが終わった風呂桶に残った水を流し、風呂掃除に取りかかる。

 風呂桶の掃除は洗剤を散布してスポンジでこする。風呂桶全体に泡が行き渡ったのを見て、別のスポンジに持ち替えると壁掃除を始める。風呂桶の掃除に使っている柔らかめのものとは違い、壁と床掃除用のものは堅めのものを使っている。洗剤は洗面器、風呂桶と同じで風呂用洗剤。

 全て由利亜先輩の指示の通りに行っていて、風呂は毎日。洗面台や風呂の床、壁などは週一か月三回ほど行っている。

 結果、高校生男子の一人暮らしとは思えない程清潔感のある部屋を維持している。まあ、居候が二人いるので一人暮らしではないのだが。その二人の内のもう一人も、その内この部屋に戻ってくることだろう。

 そうしたらこの由利亜先輩との間にある微妙な空気もうやむやになるかも知れない。

 早く帰ってきて欲しい。

 壁と床をあらかたこすり終えるとズボンのすそをまくり、シャワーからお湯を出す。

 壁、床、風呂桶の順に泡を流しきると、風呂場の窓を開けて掃除終了となった。

 ちなみに、シャンプーやコンディショナー、ボディーソープなんかは俺の母が送りつけてきた物の中で由利亜先輩が気に入った物があったらしく、それを隔月ほどで送り届けて貰っている。それを先輩二人が共有していると言うことらしい。ので、色々ごっちゃに鳴っているわけではないが、洗顔とかトリートメントとか、そういう細かいものが幾つかあるのでカビを気にしてちょくちょく洗っている。

 俺はスーパーで一番安いシャンプーとドラッグストアでまとめ売りしている石けんを愛用している。

 こう見ると、女性の身だしなみにかける金額の大きさも知れようという事だ。

 最近じゃ食費も由利亜先輩がやりくりし、中学の時までは買っていた漫画も大して買わなくなった俺は、一体何にお金を使っているのだろう。

 はたと考えてみて、最近、お金を出している場面を思い出す。

 タクシーに乗った時以外を思い出すことが出来なかった。

 あ、いや、昨日の朝、ファストフード店に行ったか。

 なるほど。

 …………全然お金使ってないな。

 今口座にいくらあるんだろう。

 今度記帳しに行こう。

 風呂場を出て洗面所を見渡し、洗濯が終わっているのを確認すると、キッチンに向かった。


「風呂場と洗面所の掃除、洗濯終わりました」

 そう報告すると、由利亜先輩が何かを作っていた。

 フライパンを揺すりながら、フライ返しでカツカツと混ぜる後ろ姿に一瞬見とれ、振り返った美少女に心臓が跳ねる。

「洗濯終わった? じゃあ、私干すからこれ後少し炒めといて」

「はい、了解です」

 覚られないように、近付いていく。

 もう戻れないのだと、頭で理解しているからこそ、俺は俺らしくいなければいけないのだ。

「肉、炒め?」

 壁に掛かった時計が、十一時半を刺していた。

 掃除は思いの外時間のかかるものだ。何度と感じたそんな感想を胸にしまって、フライ返しを繰る。

 キャラメル色のタマネギと豚肉。ショウガの香りが鼻腔をくすぐり食欲をそそる。

「それ、ご飯にのせてどんぶりにしようと思って」

 洗濯かごを持って由利亜先輩が自室に入って行く。

「でも、まだ昼には早くないですか?」

 戸は開いたままだが、姿は見えない。

 ベランダに出る前に声が届いたらしく、声は少し大きめに返ってきた。

「今日ちょっと用事あるから」

 その返答に、俺は聞こえる訳のない大きさで呟く。

「用事?」

 何かあっただろうか? 少なくとも俺は聞いていない、はずだ。

 フライパンを少し揺すり、火が通っているのを確認して火を止めると、トントンと肩を叩かれた。

 フライ返しを置き、振り返るともじもじした由利亜先輩がいた。

 相変わらずちっちゃいなあとか、髪の毛ふわふわだなとか、そんなことをふざけ半分で考えて、「用事ってなんです?」と聞く。

 普段のようなハキハキとした調子ではなく、少し言い辛そうに、「あのね、買い物、いくから」と。

「はあ、えっと、友達と?」

「じゃなくて。買い物、付き合って。菜箸なくて不便だったの」

 俺はハッと目を見開いて、自分でも分かるくらいの浮かれた声で、

「はい! いくらでも付き合います!」

 そんな風に答えていた。

「んー」

「な、なんですか……?」

 むすっとこちらを睨む由利亜先輩。

 どれだけ可愛かろうと、その顔はなかなか迫力があった。

「べつにー」

「え、なんなんですか、気になる」

「なんでもないよ、さっさとご飯食べて買い物行くよ。今日は色々買うものあるんだから」

「え、菜箸だけじゃないんですか?」

「菜箸だけ買いに行く人は、人を買い物に誘ったりしないよ!」

 本当に最もなお言葉だった。

「あと、太一くん今日から二人の時に先輩つけるの禁止」

「は?」

「私のこと、これからは呼び捨てで呼んで」

 いやいや。と、口にしようとしてのどの奥の方で言葉が詰まった。

「でないと、里奈ちゃんに告白の事忘れてたって言うから」

「なっ……」

 どうやら俺は、自分で自分の首を絞めているらしかった。

「分かりました……。二人の時だけですからね」

「うんうん。太一くんが素直な子でよかった。ほら、一回呼んでみて?」

 まじかよ……。

 まあこれからはなるべく名前を呼ぶシチュエーションにならないようにすればいいやとか、甘い考えだった。

 こうなったら呼ぶしかないのでは……?

 ぐっ……。

 いや、ていうかなんで俺はこんなに由利亜先輩の名前を呼ぶことに抵抗を覚えているんだ? 別に名前なんか呼べば良いだけだろう? 

 そうだ、名前はただの記号だ。深い意味はない。

 よし、呼ぶぞ……。

 ほれほれと手招きする由利亜先輩に、勢いよく呼びかけた。

「由利亜━━━」

 そのとき、鳴り響いた着信音に紛れて、

「━━━先輩」

 と、付け加えたのは、どうやら聞こえていなかったようで、安心した。




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