振り回されて、回れ右。
「本題に入る前に二日前の夜、食事会の時の話をさせてもらうよ。君はあの日のことを何もわからないままに解決してしまったようだからね」
二日前、学校祭1日目の夜のこと。
鷲崎正造を名乗る人に、由利亜先輩と三好さんとフレンチに連れて行かれたときのことだろう。
由利亜先輩の許嫁を決めろと言われ、決めかねている間に三好さんがいなくなり、三好さんを捜し回った二日前。
いろいろあり過ぎて忘れていたが、許嫁決めはどうなったのだろう。俺はあのとき由利亜先輩が俺が結婚相手として名乗り出ることで許嫁を一蹴する計画を企てていることを看破して、きっぱりと断ってしまったけれど、その類いのことは三好さんが誘拐されたとなった時点で頭の中からさっぱり忘れていた。
あの人たち、あの後どうしたんだろう。
「あの日、私は由利亜の許嫁を決める予定だったんだ。あの場にいたものだけではなく、もう幾人かの候補を含めてね」
あのとき何人いたのか、俺はハッキリと覚えていないけれど、確か八人か、十人くらいいたかもしれない。
「由利亜は君が物言いをつけることを期待して、君の同席を求めてきたけれど、話に聞いていたとおり君はそんなことはしなかったようだね」
苦笑いするくらいなら、いっそキレてくれた方が気が楽なのだが。
自分の娘と同居しているくせに、いざとなったら一歩引くヘタレに対して親がとる行動は苦笑いではないと思う。いや、何もしない方が親としては安心なのか……?
「一樹君を通じて聞いていた印象とはまた違う、風貌はまさしく高校生と言った風なのが意外だよ」
「はあ……まあ高校生ですから……」
もにょもにょと相づちを打つ俺に、うんうんと頷く多分正造氏。
面接のような空気感に堪えられず、視線を方々に走らせる俺にきっと正造氏であろう目の前の人は話を続ける。
落ち着かない俺のことを気にしてはいるようだが、それ以上に切羽詰まっているのだろう。
二人ともお茶に口をつける。
「あの日あの場で私が御牧に私のフリをしてもらった理由は深くない。君もわかっているだろうがあえて言うと、由利亜に会わないためだ」
いや、わかってなかったけど……。そもそもあのときは疑いもしなかったし、御牧氏だとわかったときは入れ替わりに対して考えている余裕などなかった。
俺の心情など知るよしもない正造氏(?)は言葉を続ける。
「由利亜はまだ夜に私を見ると過呼吸になったりしてね、リハビリの真っ最中なんだ」
由利亜先輩が母方の祖母の家に行かなくなったのは夏休みに入る前からだったけれど、時折家に帰ってはいた。由利亜先輩のその努力の成果はまだ実っていないらしい。
「二日前のあのときも、私は由利亜に候補者を見て欲しかった。だからあの場私が行くことは出来なかったんだ。候補者を集めるところから全てを御牧に任せたのは、候補者を試すためでね、あの日来た候補者は一応合格と言うことになっているんだよ。こちらの要求通りに動けたからね。あの日、君を利用するように混乱させてしまったことは謝罪する」
机に着くくらいに深く頭を下げる(しつこいようだけど)正造氏(だと思われる人)。
そちらの都合など知らんしと思いながらも、この状況で俺が返すべき言葉はハッキリしていた。
「貸し、ということにさせてもらいます。もし由利亜先輩が不当に結婚なんてさせられたときは、兄の名声をフルに活用してお家を断絶させることをお約束しますよ」
正造氏は俺の言葉に目を見張ると、「はは」と息を漏らすように笑った。
「前言撤回させてもらうよ。君は高校生なんかじゃないな」
「……いや、高校生ですよ…………?」
コンコンと戸をたたく音がして、「料理をお持ちしました」先ほどのウェイターの声が囁く。
話は通してあると言うことだろう。隣に気取られないようにしているのか。由利亜先輩ならそろそろ気づいてると思うなあ……。
二人がかりで料理を並べ終えると、配膳に来たウェイターは去って行った。食中用に持ってこられた飲み物がコーラで、少し安心したのはここだけの話だ。
箸を持ち、料理に手をつけようと思った時、後ろでドタドタと何やら動き始めた。これは由利亜先輩の足音じゃないと確信しながら、二人分の騒がしい足音の正体が誰なのか、知るのに時間はかからなかった。
『おじいちゃんもおばあちゃんも自分勝手すぎる。私は私でやりたいことがあるし、誰かにいわれたことだけやる人形じゃない』
きっぱりとした口調、その声は確かに由利亜先輩のもので、俺はびくりと体をこわばらせる。俺個人としては何も悪いことをしていないが、今見つかったら何を言われるかわからない。ちらりと正造氏を伺うと、俺も似たような顔してるんだろうなという顔をしていて、心情がうかがい知れた。
『まって由利亜ちゃん! もう少し話をしましょう? おばあちゃんたちにも考えがあって───』
初めて聞くその声は、聞いた話では八十も手前の女性とは思えない若々しさで、それは本当に祖母なのか疑問に思うほどだった。
『もう帰るから。太一くんが待ってるの』
自分の名前が出てピクリと肩がはねる。
祖母の言葉をぴしゃりと遮ると、由利亜先輩は俺たちの部屋の前に歩き出た。そこを『由利亜ちゃん』と祖母につかまれ足が止まる。
そして、俺と正造氏の息も止まる。いや、ここ用意したのあんただろとかそういうことはあえて言わない。俺は今凄く同じ穴の狢って感じがしている。
『由利亜、おばあちゃんに対してその態度は何だ』
新しく、今度は祖父のものであろう声が聞こえてきた。
『おまえのことを考えてやってるのにその態度、少しは人のことを考えなさい』
『帰る……。人のこと考えられないおじいちゃんにそんなこと言われたくない……』
見えない廊下の攻防はどうやら終わったようで、ため息が二つ聞こえ、俺と正造氏は安堵の息を漏らした。
「どうやら懸念していたことは起こらずにすんだみたいだ……」
グラスのお茶を一気に飲み干し、正造氏はもう一度息を吐き出した。
「懸念、てなんですか?」
「私の両親がね、由利亜をアメリカに連れて行くっていいだしたんだ」
「またなんで?」
「驚かないんだね」
「いやいや、驚いてますよ。なんでアメリカに連れて行こうなんてことになったんだって」
「ふっ、まあいいか。連れて行こうとした理由の一つは、許嫁さ。向こうにいた方が良い人に会えるとか言い出してね。もう一つに、私と由利亜の関係が問題だと。そして最後に、由利亜と一緒に暮らしたい、と」
「それで、さっきまではその交渉中だったと?」
「そういうことだね。切って捨てられたようだけれど」
そりゃ、まあそうだろう。
「ただね、今君と住んでいるというのもまた私の両親にとってはどうやら承服しかねているようなんだ」
そりゃ……まあそうだろう……。
「君は、どう思う?」
「……なにを、ですか?」
「由利亜がアメリカに行くとなったとき、君は、どう思う?」
俺はわかっていて質問を聞き返し、投げられた明確になった質問に口をつぐむ。
どう思うか。
どう思うだろう。
「………………」
その時になってみないとわからない。正直なところこの言葉が最も今の俺の答えに近い。だが、多分この場での答えとしては不正解も良いところだろう。
この半年、あの人と一緒に暮らしてつまらなかったことなんて一つもない。迷惑かけたりかけられたり。迫ってくるのは勘弁して欲しいが、いなくなって欲しいと思ったことは一度もない。
じゃあ、やはり俺はあの人がいなくなることを嫌だと思っているか?
…………。
心のどこかに、安堵する自分は、居やしないだろうか……?
俺は答えあぐねる。
明確な答えが出せないことに、奥歯にものが挟まったような答えしか出せないことに歯がみして、後ろ手に頭をかきむしった。
「……い、いなくなって欲しいと思ったことはありません」
「ほう」
「たぶん、いなくなったら寂しさを覚えると思います。でも、それが由利亜先輩の望みであるなら止めはしません」
現状、由利亜先輩がそれを望んでいないことだと理解して言う。
「感情の整理が追いついていない台詞だが、娘の幸せを望んでくれていることがわかっただけでも収穫かな?」
柔らかい笑顔。それはどことなく由利亜先輩を思わせる。
目元が由利亜先輩と同じだ。そんなことを思った。
「───って!! 俺家にいることになってるんだ!!! 今すぐ車で帰ってぇ……!!! 言い訳が全く思いつかない!!!」
ばっと立ち上がると頭を抱える。
やばい!!!!!!!
「そうだね、北の出口に車がいるからそれに乗って帰ると良い。由利亜より先に帰れるよ」
なんだこの余裕は!!? ていうか車が手配されてるって!?!?
「……っ!!!!」
正造氏が今日、なぜ俺と会ったのかを俺はまだ聞いていない。だが、ようやく理解した。
土壇場で俺がどういう振る舞いをする人間かを見極めるため……!!
「今日はありがとうって言いますけど、次は金取りますからね!!!!!」
そろそろしみこみそうな、何でも屋としての捨て台詞を残して、俺は靴を履いてエレベーターに乗り込んだ。隣の部屋の老夫婦はもう廊下にはいない。
なんなんだ今日のこの茶番感!! 結局俺完全に野次馬だし!!
しかもこんなところまで来てお茶しか飲んでない!!
一階に着くとさっきのウェイターが立っていて「北口はこちらです」と先を歩き始めた。正直ここまでくると若干怖いが、優秀な人なのだろう。無理矢理納得する。
入ったときとは反対の方に連れて行かれると、出口の自動ドアの端の方に北と書かれていた。なるほど。
「こちら温めが間に合わず申し訳ございません。電子レンジなどがあれば出来る温め方を紙にまとめておきましたのでご参考までにお使いください」
俺が持ってきた小籠包を俺に返しながら、頭を下げる。
「わざわざありがとうございます。今度はちゃんと食べに来ますので」
慌てている俺は、そんなウェイターに「それじゃあ」と告げると急いで店を出た。
店の前のロータリーには真っ赤なスポーツカーが一台止まっている。
俺はタクシーを探してキョロキョロするが、車はその一台だけだった。
車がいると言っていたし、多分、あれなのか?
恐る恐る近づいて、コンコンと窓をたたく。
「早く乗りな、間に合わないぜ」
中からドアを開けたのは、おしゃべりなタクシーの運転手の、あのおじさんだった。