いわゆる男同士の積もる話。
靴を脱いで玄関を上がると、明かりをつけて部屋を見回す。
誰もいない空間で、ダイニングテーブルの上に鎮座する料理が目を引いた。
既に温かさはなく、それなりに時間が経過しているのが見て取れたが、それ以上の情報はない。
きょろきょろして、何か書き置きでもと探すがそれらしきモノは見当たらなかった。
「んー……」
手近にあった唐揚げをひとつまみして、ぱくりと口に運ぶ。
少しの温かさを感じながらもしゃもしゃして、由利亜先輩が作ってくれたものだと確信すると、じゃあ由利亜先輩はどこだ? と首を傾げる。
ふとチカチカ光る固定電話に目をやり、留守電を流す。多分これが唯一の手がかりだろうと残していたものだ。
流れ出した音声は、ピーと甲高い音の後聞いたことのない男の声で始まった。
『山野太一君。君に折り入ってお願いがある。用件はあったときに話す。家を出て車に乗ってくれ』
再度ピーと音が流れると、留守電はそこで切れた。
「…………………………」
何事?
疑問の他に浮かぶものもなく、俺はさっきとは逆の方向に首を傾げてバランスを取った。意味があるかは分からないけれど。
この留守電が入ったのは俺が帰ってくる三十分前。八時二分と言っていた。
ではこの部屋にはその時点で由利亜先輩はいなかったことになる。
今の最優先事項は由利亜先輩が無事かどうかの確認だ。
こんな留守電に反応している暇はない。暇はないのだが、さっきたべた唐揚げが、中の方がほんのり温かかったのが気になった。
現在時刻が八時半として、八時二分に電話して来た相手がいる。
しかしその電話が入る直前まで由利亜先輩はこの部屋にいたはずなのだ。
由利亜先輩がいるタイミングで電話を鳴らさず、俺に直接留守電を聞かせたのは、偶然か?
誰かがこの部屋を見張っていて、由利亜先輩が家を出たと同時に電話をしてきたとするなら、この電話は由利亜先輩を誘拐した奴が俺の追跡を遅らせるために仕込んだトラップなのでは……?
ここまで考えて、
「いや、ないな」
馬鹿らしいと一笑に伏した。
由利亜先輩を誘拐って……。
まあ可愛いし、親はお金持ちだし、本人高スペックでいるだけで最高だけど、誘拐はないでしょ。
もう一つ唐揚げを食べながら一人で笑ってしまう。
ちっちゃくて可愛くてお金持ち。
「まさかね~」
カラカラ笑って━━━
「え……これマジで誘拐じゃね……?」
一瞬で背中にじんわりと汗が滲む。
瞬きを繰り返しながら現状を把握する。
帰ってきたとき鍵はかかっていた。明かりは消されていて、料理は温かいまま机に置かれていた。
普段の由利亜先輩なら、少し冷ました後ラップをして冷蔵庫に入れる。
つまり、普段通りではない状況だったと言うこと……。
「け、警察に電話……」
いや待て……。
そうだ、落ち着け俺。
周りをよく見るんだ。由利亜先輩の靴はない。料理を作って机に並べた後、あの人は基本外には出ない。普段通りなら俺と一緒にこのご飯を食べて、風呂に入る。
この家を由利亜先輩が自主的に出たとして、料理の温かさから見て時刻は早くても七時半くらいのはず。
その時間に靴を履いて自主的に家を出たなら、何か用事があったはずだ。
そう、学校祭の打ち上げは今週の土曜と言っていた。
つまり打ち上げじゃない。
とすると、友達の家に泊まりで遊びに行ったか?もし料理を冷蔵庫に入れ忘れたのだとしたら、書き置きを忘れたのにも納得できる。
たしか洗面所に由利亜先輩がお祖母さんの家に行くときに使っているお泊まりセットがあったはず。
それがなくなっていれば、お泊まりと考えて差し支えないよな。
「よし」
ここまで五秒ほどで思考を巡らせ、洗面所を見てみると予想通り洗顔やシャンプーが小分けにされて入れられていた袋がなくなっていた。
ほっと一息安堵の息を吐く。
由利亜先輩達の部屋を見てみても、制服とリュックがなくなっていた。どうやら制服でお泊まりに出かけたようだとあたりをつけて、胸をなで下ろした。
「取りあえず、誘拐じゃなさそうだ……」
この家で生活している間に、誘拐にあったなどとなったら信頼してくれた正造氏に面目が立たない。
土下座で許されようはずもない。
危うく首を括りかけた。
ともかく、そうと分かれば俺はご飯にしよう。
もう一度洗面所へ行き手洗いうがいをして、顔を洗う。
キッチンに戻ると味噌汁を火にかけご飯茶碗にご飯を盛り付ける。
温まった味噌汁を器によそい、箸を出して机に椅子に座る。
「いただきま━━━」
こうして俺が、気持ちよく夕ご飯にありつこうとしたそのとき、俺の所有する唯一の電話が音を上げた。
* * *
夜の街でため息を吐くと、ぶるっと体を震わせる。寒いなあなんて思いながら、隣を歩く人物に歩幅を合わせて遅れないようについていく。
十時も過ぎれば繁華街でも歩くのは大学生やサラリーマンの顔が目立ち、俺の様な高校生はほとんどいないように見える。
明らかに場違いなそんな場所に俺がいる理由は簡単で、隣で歩く厳つい男に電話で呼び出されたあげく連れ回される運びになったからだった。
「あの……それで、えー、と、あなたが本当に鷲崎正造さんで良いんですよね?」
俺はここに来て三度目の確認をするために五分ほど閉ざしていた口を恐る恐る開く。
ずんずんと先へ進んでいく自称鷲崎正造氏は、俺の方を見ることなくやかましい質問に丁寧に答えてくれる。
「もちろんだ。この間は騙すような真似をした。そのことについては本当に申し訳なく思っているが、流石にそろそろ信じて貰いたいな。さっき、免許証に保険証に戸籍謄本まで見せたじゃないか」
筋肉が隆起しているのが分かる胸板には似つかわしくない優しそうな面持ちに、深く刻まれがくしゃっと歪んで苦く笑う。
そんな身分証など俺に見分けがつくはずもなく、ホンモノだという確信など持てる証拠がない時点で俺が目の前にいる人物を鷲崎正造本人だと確信するには、俺が信頼を置いている人物に断定して貰う意外に方法はないわけで。
「信じる信じないは置いておいて、そろそろ本題を聞かせてください。もうこれ以上は由利亜先輩についても語ることがないので」
つい数分前までの会話の主体は、日頃の由利亜先輩についてだった。もちろんこの人が誰なのかを断定するまで他人の個人情報をおいそれと開示できないので、俺は答えられる範囲のことをのらりくらりと解答していたのだが、それにも限界があった。
それに、もうこうして外を歩き始めて半時間ほど経つ。
いい加減に、という所だった。
いい加減に、何故俺をこんな風に連れ回すのかを教えて貰わなければならない。
「俺はなんで、中華街で食べ歩きに興じさせられているんでしょう?」
俺は手に持った肉まんを一口頬張って、首を傾げた。